魔王城の清掃係ですが、ラスボスに懐かれて世界を磨くことになりました

由香

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第八話 王の嫉妬は静かに燃える

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 その日、魔王城に届け物が届いた。

 白い封蝋。

 見覚えのある紋章。

 勇者のものだ。

「……開けますよ?」

 玉座の間は妙に静かだった。

 魔王は玉座に座ったまま、腕を組んでいる。

「好きにしろ」

 声が低い。

 低すぎる。

 封を切る。

 中には一枚の羊皮紙。

 そして、小さな水晶。

「転移魔術の痕跡を辿る試作だ」

 手紙には簡潔に書かれていた。

『完全ではないが、君の世界の座標に近づける可能性がある。危険はない。試すかどうかは、君が決めてほしい』

 視線を感じる。

 刺さる。

 赤い瞳。

「危険はない、だと」

 魔王の声がひどく静かだ。

「保証はないだろう」

「……そうですね」

 水晶は淡く光っている。

 帰還の可能性。

 現実味を帯びてきた。

「試すのか」

 問う声は平坦。

 だが床がわずかに軋む。

 魔力が漏れている。

「まだ、分かりません」

 本音だった。

 魔王は立ち上がる。

 一歩。

 二歩。

 距離が詰まる。

「触るな」

「え」

「今は触るな」

 手首を掴まれる。

 強くはない。

 だが逃がさない。

「陛下?」

「……今それに触れれば、俺は」

 言葉が途切れる。

 珍しい。

 魔王が言葉に詰まる。

「壊すかもしれん」

 低い告白。

 玉座の間の空気が冷える。

「壊したら、私が怒ります」

 即答。

 魔王の眉がぴくりと動く。

「怒るのか」

「めちゃくちゃ怒ります」

「……そうか」

 掴んでいた手が、ゆっくり離れる。

     ◇

 夜。

 私は中庭にいた。

 水晶はまだポケットの中。

 空気が重い。

「来ると思った」

 声。

 振り向くと勇者が立っていた。

 白い外套が月光に溶ける。

「侵入は褒められませんよ」

「許可は取った」

「誰に」

「門番」

 真面目か。

「試す気はあるか」

 単刀直入。

「……怖いです」

 正直に言う。

「帰れるかもしれない。でも、帰れないかもしれない」

「失敗しても害はない」

「心にはあります」

 勇者は黙る。

「向こうには家族も友人もいる」

「はい」

「こちらにも、できただろう」

 その言葉に、胸がちくりとする。

「魔王か」

「……職場の人たちです」

 勇者は小さく笑う。

「嘘は下手だな」

「掃除は上手です」

 その瞬間。

 空気が変わった。

 重い。

 圧倒的な気配。

 振り返らなくても分かる。

 魔王だ。

「随分と楽しそうだな」

 声が低い。

 怒鳴っていないのに、地面が震える。

「仕事の話です」

「夜の中庭でか」

「風通しがいいので」

 苦しい言い訳。

 勇者は一歩前へ出る。

「話していただけだ」

「貴様に許可した覚えはない」

「彼女の意思だ」

 光と闇。

 再び向き合う。

「ミオ」

 魔王が名を呼ぶ。

 静かな圧。

「どちらを選ぶ」

「今ですか!?」

「今だ」

 無茶だ。

「選びません」

 きっぱり言う。

 二人が止まる。

「私は物じゃない」

 はっきり。

「今はまだ、決めません」

 沈黙。

 風だけが吹く。

 魔王の視線が揺れる。

「……こいつと二人で会うな」

「命令ですか」

「……頼みだ」

 低い。

 嫉妬が滲む。

 勇者は静かに言う。

「独占は、嫌われるぞ」

「黙れ」

 魔力が膨れ上がる。

 私はとっさに魔王の前に立った。

「暴れたら掃除が増えます!」

 しん、と静まる。

 勇者が吹き出しそうになるのを堪えている。

 魔王は数秒固まり、やがて。

「……増えるのは嫌だ」

 小さく言った。

 魔力が引く。

     ◇

 勇者が去った後。

 中庭には私と魔王だけ。

「怒っていますか」

「怒っていない」

「嘘です」

「……嫉妬している」

 直球。

 心臓が跳ねる。

「俺は強い」

「知っています」

「だが、お前があいつを見る目が」

 言葉が途切れる。

「揺れるのが嫌だ」

 胸が締めつけられる。

「揺れていますか」

「揺れている」

 否定できない。

「帰れるかもしれないと聞いて、何も思わないわけがないです」

「……そうか」

 魔王は目を閉じる。

「俺は、お前の世界を奪った」

「違います」

「結果は同じだ」

 静かな自責。

「だから」

 赤い瞳が開く。

「俺は奪わない」

 一歩近づく。

「選べ」

 逃げ場はない。

 でも、強制もない。

「陛下」

「何だ」

「嫉妬している顔、嫌いじゃないです」

 一瞬、固まる。

「なぜだ」

「人間っぽいから」

 魔王は眉を寄せる。

「俺は魔王だ」

「でも、私の前ではただの男です」

 沈黙。

 そして。

 ゆっくりと、手が伸びる。

 頬に触れる寸前で止まる。

「触れていいか」

 確認。

 王が、許可を求める。

「……はい」

 指先が触れる。

 温かい。

 魔力ではない温度。

「帰るな」

 囁き。

「まだ決めません」

「だが、傾いている」

「ばれましたか」

「分かる」

 唇が近づく。

 距離が、あと少し。

 心臓がうるさい。

 けれど。

 その瞬間。

 遠くで爆発音。

 城壁が揺れる。

「敵襲! 勇者軍接近!」

 空気が一変する。

 魔王の瞳が戦場の色に変わる。

「……続きは後だ」

「はい」

 甘さは中断。

 戦争は待ってくれない。

 けれど。

 嫉妬も、選択も、触れた温度も。

 消えない。

 光は迫る。

 闇は立ち向かう。

 私はその間に立つ。

 けれど今。

 胸の天秤は、ほんの少し。

 赤に傾いている。




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