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『傍観者令嬢の静かな逆転劇』
しおりを挟む王都アルセレナで一年に一度開かれる“月華の大舞踏会”。
その夜、煌めく水晶灯の下では、貴族たちが華やかに踊り、甘い香りの薔薇酒が大広間を満たしていた。
私は、伯爵家の令嬢――セレナ・ド・アーデル。
舞踏会の最中にもかかわらず、壁際の席で静かにワイングラスを傾けている。
なぜか?
社交が苦手だから——ではない。
“婚約破棄の瞬間”に巻き込まれないためだ。
近年、この国の貴族社会では、なぜか舞踏会の場で婚約破棄が流行している。
王族や公爵家の跡取りが、婚約者を“断罪”することで正義感を誇示する……という、なんとも困った風潮だ。
私は、そんな騒ぎに関わりたくない。
だからひっそりと、いつも傍観者でいる。
——そのはずだった。
水晶灯がきらりと揺れた次の瞬間、会場中央で大声が響いた。
「リディア・フォン・ベルネット公爵令嬢!今日この場をもって、お前との婚約を破棄する!」
……来たわね。
声の主は、第一王子アレクシオン。
金の髪を揺らし、正義の使徒を気取るように胸を張っている。
指さされたのは、銀髪が印象的な美貌の公爵令嬢リディア。
彼女は静かに目を伏せ、会場は一気にざわめき、噂話が渦巻き始めた。
私はため息をつきつつ、ほんの少しだけ、彼らを観察する。
——リディアは怯えていない。
——王子は妙に自信満々。
——取り巻きたちは視線を泳がせている。
……これは、悪い予感しかしない。
アレクシオン王子は高らかに宣言した。
「リディア、お前が平民の娘を虐げた証言は揃っている!」
同時に、王子の後ろに立つ少女——金茶色の髪をした平民出身の侍女が涙ぐみながら前に出た。
「リディア様は、わ、私を侮辱なさいました……!」
声は震え、涙も本物……に見えるが、私はすぐに違和感を覚えた。
つい先ほど、廊下の片隅で彼女が取り巻きの令嬢と小声で話している姿を見かけたのだ。
――「泣く練習うまくいったね」
――「殿下も、これで信じるわ」
――「ご褒美、期待してますよ?」
内容は聞こえなかったが、雰囲気からして“台本どおり”の芝居だ。
そして、リディア本人は自分への非難を受けても、微動だにしない。
その冷静さが、逆に真実を物語っていた。
けれど、私はまだ動かない。
傍観者でいると決めていたのだから。
……だが、王子の次の一言が、その決意をあっけなく崩した。
「証拠は……その、僕の“直感だ”!」
……はい?
会場にいた誰もが固まった。
直感で断罪?そんな馬鹿な。
私は思わずワイングラスを置いた。
手が勝手に動いた。
噴き出しそうな言葉を、どうにか上品な笑みに変えて、ゆるりと歩み出る。
「セレナ……っ」
同席していた従妹が小声で止めようとするが、もう遅い。
私は会場中央まで歩き、優雅にスカートを持ち上げて一礼した。
「アーデル伯爵家のセレナでございます。恐れながら、直感だけでの断罪は、法に照らしても認められませんわ、殿下」
アレクシオン王子は青ざめた。
「な、なんだ君は……!」
“君”呼ばわりされたことには目をつぶり、私は淡々と続けた。
「殿下、先ほどの証言者ですが……実は、少し気になる点がございますの」
会場の視線が一斉に私に集まる。
もうここまで来たら、後戻りはできない。
私は先ほど見かけたことを、飾らずに話す。
「泣いていた侍女は、直前まで取り巻きの令嬢たちと笑って話していました」
「リディア様は本日、一度も彼女に接触していません」
侍女の顔から血の気が引いた。
そして、王子の取り巻き令嬢たちも焦って口を開こうとするが、言い訳を重ねるほど怪しさが増すだけだ。
会場の空気は、確実に変わりつつあった。
リディアが静かに言う。
「……セレナ様が仰ったとおりです。私はこの方と会っていません」
その声には、強い芯があった。
アレクシオン王子は動揺し、しかし引くに引けない様子で反論する。
「で、では……!だ、誰か他に、リディアの悪行を見た者は――」
けれど、取り巻きの少女たちは互いに顔を見合わせるばかり。
“台本”を失った彼女らは何も言えず、沈黙だけが会場に落ちた。
そのとき、重々しい足音を響かせながら、一人の男が前に出た。
公爵家当主、リディアの父だ。
「殿下。娘を虚偽の証言で貶めた件、どう説明されるおつもりで?」
王子の顔が完全に真っ青になる。
侍女は泣き崩れ、取り巻きは蜘蛛の子を散らすように溶け、王子は結局、侍従たちに連れられて退場した。
——断罪劇は、まさかの“逆転断罪”で幕を下ろした。
騒動が終わって少し経ったころ。
私は元の場所へ戻る前に、ひとりの令嬢に呼び止められた。
銀髪の公爵令嬢——リディアだ。
彼女は深々と頭を下げた。
「セレナ様……助けていただき、本当にありがとうございます」
その肩はわずかに震えている。
私は困ったように微笑んだ。
「助けるつもりはありませんでしたわ。ただ、見たままを申し上げただけです」
「それでも……」
リディアは言葉を詰まらせる。
「殿下のあの態度は、以前から怖くて……。でも、私も公爵家の娘として、言い返す勇気がなかったのです」
ああ、なるほど。
私は柔らかな声で応えた。
「リディア様。今日のことは、不幸ではなく“解放”ですわ。あのように不安定な殿下とは、いずれ破綻していたでしょう」
リディアの青い瞳が潤み、そして微笑みが浮かぶ。
「……はい。そう思うことにします」
その微笑みは、さっきまでの緊張を忘れさせるほど優しかった。
そして翌朝。
私の屋敷を訪ねて来た人物がいた。
宰相家の次男――ユーグ・レヴァンティーヌ。
彼は昨夜の騒動をすべて見ていたらしい。
「君の観察眼、驚嘆したよ。あれだけ冷静に場を動かせる人間は少ない」
やめてほしい。
私はただ、静かに生きたいだけなのだ。
しかしユーグは真剣な顔で告げてきた。
「セレナ嬢。もし良ければ……今度、少し話がしたい。君のような人材を、宰相府は必要としている」
……完全に、傍観者のはずが“巻き込まれる側”になっている。
私は困ったように微笑んだ。
「ご期待に応えられるか分かりませんわ。私はただ、静かにワインを飲んでいたいだけなのです」
ユーグは少し驚き、そして穏やかに笑った。
「……では、ワインの席から始めよう」
うまく逃げたと思っていたのに、逃げ切れなかったらしい。
でもまあ——
誰かのためにほんの少しだけ動いて、その結果、新しい縁が生まれるのも悪くないのかもしれない。
私はふっと息をつき、窓の外に広がる青空を見上げた。
「……次こそ、静かに傍観者でいられるといいのだけれど」
もちろん、その願いが叶うのはまだ少し先の話になる。
なにしろ、婚約破棄の季節は、まだ始まったばかりなのだから。
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