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『傍観者は微笑むだけ』
しおりを挟む王都ロザリアの第一社交シーズン。月光が注ぐ大広間では、絢爛たる貴族たちが優雅に踊り、ひそやかな噂話が泡のように生まれては消えていく。
わたし――シェリア・フォン・アーデルは、その端でひとり静かにワインを傾けながら、会場中央を眺めていた。
「今日もまた、婚約破棄が起きるんだろうな……」
そんな予感は、もはや“日常”の域だった。なぜならこの国では、王太子や公爵家の跡取りが、舞踏会の場で婚約者を断罪する“儀式めいた騒ぎ”が流行しているのだ。
わたしは巻き込まれたくない。
だから常に“傍観者”の立場を守っている。
そんなとき、号令のように響き渡る声。
「侯爵令嬢エリシア!僕はもう君とは婚約を続けられない!」
ああ、やっぱり始まった。
会場がざわめく。断罪の主は第二王子レオルド。金の髪を揺らし、神の啓示を受けたかのような表情で、震えるエリシアを指差している。
「君は平民の娘をいじめていただろう!証拠は──」
はいはい、この流れね。
証拠の提示、取り巻きの証言、ヒロインの涙……
全部見飽きたとばかりに、わたしはワインを飲み干した。
周囲では、同じように傍観者を決め込む数名が目を逸らし、逆に好奇心を隠しもしない淑女がひそひそと声を上げる。
しかし、今回の断罪劇は少し違っていた。
王子の口から次に出た言葉が、あまりに見当違いだったのだ。
「……いじめの証拠は、この僕の勘だ!」
……は?
会場にいた全員が固まった。
エリシアどころか、取り巻きのひとりですら目を大きくしている。
沈黙を破ったのは、やっぱりわたしだった。
「王子殿下、さすがに“勘”は証拠とは呼びませんわ」
気づいたら声が出ていた。
傍観主義を貫いていたのに、あまりの珍妙さについツッコミを入れてしまったのだ。
レオルド王子がこちらを向く。
「な、何だ君は!」
「君は」は心外だけれど、丁寧に礼をして応じた。
「アーデル伯爵家のシェリアと申します。……恐れながら、いかなる国法にも、直感のみでの断罪は認められておりません」
すると今度は、平民上がりの“聖女候補”を名乗る少女が前に出た。
「殿下は間違っていません!エリシア様はきっとやってます!」
きっと、とか言っちゃった。
会場の空気が冷え込む。
わたしは深くため息をついた。
「貴女も根拠を示せませんの? ──では逆に申し上げますが、エリシア様は本日、この会場に入ってから一言も口を開かれておりません。いじめを働くどころか、誰とも関わっておりませんわ」
そう。
わたしはずっと観察していた。
“傍観者”というのは、騒動を避けるためではなく――
事実を見逃さぬための、最も確実な立場でもあるのだ。
証言が出揃った瞬間、空気は決まった。
王子側は完全に形勢不利。
エリシアの父である侯爵が前に進み出る。
「殿下。我が娘に不当な侮辱をなされた。これは聞き捨てならぬ」
レオルド王子は青ざめて言葉を失う。
取り巻きは蜘蛛の子を散らすように退散した。
最後まで残った“聖女候補”はわけの分からぬ呪文のようなことを叫んでいたが、侍従たちに丁寧に連れ出されていった。
会場が落ち着きを取り戻したころ、エリシア本人がわたしに近づいてくる。
「シェリア様……本当に助けていただき、ありがとうございます」
彼女は震えていた。
その手をそっと取り、柔らかく笑いかける。
「礼など要りませんわ。わたしはただ、見たままを口にしただけです」
「でも……」
エリシアが顔を伏せる。
「わたしは、ずっと婚約者に怯えていました。本当は今日、破棄されても構わないとすら思っていて……」
ああ、そういうことだったのか。
「ならば、これは幸運ですわ。心の枷が外れたのですもの」
エリシアは涙をこぼしながら頷いた。
その夜の帰り道。
わたしは馬車の窓から夜空を仰ぎ、ひとり呟いた。
「……やっぱり、傍観者でいるのが性に合っているのかもしれないわね」
騒ぎに巻き込まれず、けれど見守って、必要なときだけ手を伸ばす。
それがわたしの居場所。
翌朝にはまた別の舞踏会で、別の婚約破棄が起きるかもしれない。
だがそのときわたしは――
今日と同じように静かに、ただ微笑んで見ていることだろう。
誰かが間違った方向へ行きそうなら、そっと軌道を戻すための言葉だけを落として。
それが“傍観者”の、密やかな役目なのだから。
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