『雪嶺後宮と、狼王の花嫁』

由香

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第一話 雪嶺より来た巫女姫

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 雪は、音を立てずに都へ降り積もっていた。
 この地で雪が降ること自体が、すでに異変だった。

 皇城の外郭を越え、後宮へと続く石畳の上を、一台の輿が静かに進む。輿を担ぐ兵たちの肩には、白い霜が薄く張りつき、吐く息は白く凍っていた。

 ——雪嶺の巫女が来た。

 そう囁く声は、畏れと侮蔑の両方を含んで後宮に広がっていた。

 輿の中で、少女は膝の上に手を重ね、微動だにせず座っていた。
 名を、セツナという。

 雲南とチベット高原を思わせる雪嶺地方。その最果ての村で、彼女は巫女として育てられた。白銀に近い髪と、琥珀色の瞳。高原の民にとっては神に近い色だが、都の人間にとっては不吉の証にすぎない。

 後宮の門が開いた瞬間、空気が変わった。
 雪が、より強く降り始める。

「……やはり、雪の呪いを連れてきたか」

 誰かが、そう呟いた。

 セツナは聞こえないふりをした。
 慣れている。自分が災厄を呼ぶ存在として扱われることに。

 彼女が後宮へ献上された理由は明確だった。
 近年、後宮では不可解な異変が続いている。冬でもないのに雪が降り、庭園の池は凍り、妃たちは原因不明の眠りに落ちる。

 それを、人々はこう呼んだ。

 ——“雪の呪い”。

「雪嶺の巫女ならば、呪いを鎮められるだろう」

 そう判断したのは、政を司る官僚たちだった。
 信仰など迷信だと切り捨てながらも、都が揺らぐことだけは恐れた結果の、都合のいい選択。

 輿が止まり、簾が上げられる。

「顔を上げよ、雪嶺の娘」

 高位の宦官の声に従い、セツナはゆっくりと顔を上げた。

 ざわり、と空気が揺れる。

 白すぎる髪。
 人ならざる色の瞳。

 明らかな異物を前に、後宮の女官たちは息を呑んだ。

「……巫女、か」

 玉座の奥から、低く静かな声が響いた。

 皇帝だった。

 まだ若いが、鋭さを秘めたその眼差しが、セツナを射抜く。
 彼は他の者たちと違い、恐怖も嫌悪も露わにしなかった。ただ、観察するように、彼女を見ていた。

「雪嶺より参りました、巫女セツナにございます」

 決められた通りに、セツナは額を床に伏せる。

「雪の呪いを鎮めよ。できぬなら、そなたの命で償え」

 淡々と告げられた言葉に、胸の奥が静かに冷えた。

「……承知しております」

 その答えに、誰かが小さく笑った。
 使い捨ての駒を見るような笑いだった。

 その夜、セツナは後宮の一角、誰も使わなくなった古い離宮に通された。
 高原の巫女に、華やかな殿舎は不要だという判断だ。

 部屋に入った瞬間、彼女は足を止めた。

 ——近い。

 何かが、いる。

 壁の奥、さらにその下。
 地の底から、低く、長い息遣いが聞こえるような気がした。

 月明かりの差す窓辺に立ち、セツナは目を閉じる。
 すると、胸の奥が、微かに熱を帯びた。

 ——呼ばれている。

 理由は分からない。
 だが確信だけがあった。

 この後宮には、“雪の呪い”などという生易しいものではない、もっと古く、もっと深い存在が封じられている。

 その瞬間——。

 遠くで、狼の遠吠えが響いた。

 それは幻聴ではなかった。
 後宮の石壁を震わせ、セツナの血を揺さぶる、確かな声。

「……あなた、なの?」

 無意識にそう呟いた瞬間、胸の奥で何かが目を覚ます。

 それは、記憶ではない。
 感情でもない。

 ただ——魂が、知っている。

 ここは、彼女が来るべき場所ではない。
 だが、帰るべき存在が、ここにいる。

 セツナは、そっと胸元の護符を握りしめた。
 雪嶺の祝詞が、静かに脈打つ。

 この後宮で、彼女はまだ知らない。

 自分が「鎮める者」ではなく、目覚めさせる花嫁であることを。




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