雪嶺後宮と、狼王の花嫁

由香

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第二話 雪祭りと、後宮に降る呪い

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 雪は、止む気配を見せなかった。

 都ではすでに春を迎える頃だというのに、後宮の庭園には白が積もり、凍てついた枝が音もなく軋んでいる。女官たちは足早に回廊を行き交い、誰もが不安を隠そうとしなかった。

「また、眠りに落ちた妃が出たそうです」

「今度は南殿ですって……」

 囁き声は、風よりも冷たくセツナの耳に届いた。

 彼女は離宮の一室で、静かに祈りの支度をしていた。雪嶺から持ってきた護符と鈴、白布。華やかな後宮の調度品の中で、それらはあまりにも質素で、異質だった。

「巫女。陛下よりお達しだ」

 宦官が訪れたのは、昼下がりだった。

「今宵、雪鎮めの儀を行う。お前が執り行え」

 その言葉に、セツナの手が止まる。

「……雪鎮め、ですか」

「そうだ。雪嶺で行っているのだろう?呪いを鎮める祭りを」

 宦官の声には、疑いと期待が混じっていた。
 信じてはいないが、縋るしかない——そんな響き。

「形式だけでよろしい。後宮のやり方に合わせる」

 それを聞いた瞬間、胸の奥が、ひやりと冷えた。

「……恐れながら申し上げます」

 セツナは静かに言葉を選ぶ。

「雪嶺の雪祭りは、呪いを抑えるための儀ではございません」

「では何だ」

「神と——伴侶を結ぶ、婚礼の儀です」

 宦官の眉がひそめられた。

「巫女が、神と婚姻するだと?」

「はい。雪嶺では、狼神に巫女が嫁ぎ、雪と命の循環を守ります」

 沈黙が落ちる。

 やがて宦官は鼻で笑った。

「やはり迷信だな。だが構わぬ。婚礼だろうと何だろうと、雪が止めばよい」

 ——歪められる。

 その感覚に、セツナの背筋が震えた。

 夜。

 後宮の中央庭園には、雪鎮めの儀のための祭壇が設えられた。絹の幕、香、金の器。どれも豪奢だが、本来あるべきものが、決定的に欠けている。

 セツナは白布を纏い、祭壇の前に立った。

 皇帝をはじめ、重臣や妃たちが見守る中、彼女は鈴を鳴らす。
 祝詞を唱えた瞬間——。

 風が、逆巻いた。

 雪が、空から叩きつけるように降り始める。

「……なに?」

 庭園の池が、みるみるうちに凍りついた。
 木々の枝が音を立てて裂け、女官たちの悲鳴が上がる。

「違う……これは……」

 セツナは気づいた。

 これは呪いではない。
 怒りですらない。

 深い、深い喪失の嘆き。

 胸の奥が、焼けるように熱くなる。
 同時に、あの気配が——地下から、はっきりと立ち上ってきた。

 ——返せ。

 ——奪うな。

 言葉にならない声が、直接、血に響く。

 セツナは思わず膝をついた。

「巫女!何をしている、早く鎮めよ!」

 誰かの叫びが遠くに聞こえる。

 だが彼女の視界には、もう後宮は映っていなかった。

 雪嶺の夜。
 焚き火。
 白い狼の瞳。

 ——約束した。

 誰かと、確かに。

「……これは、奪われた婚礼です」

 セツナの呟きは、風にかき消された。

 次の瞬間、祭壇の石が、ひび割れた。

 地下から響いたのは、先日聞いた遠吠えよりも、はるかに近い声。

 恐怖に包まれる後宮の中で、ただ一人——
 皇帝だけが、セツナを見つめていた。

 その瞳に浮かんだのは、驚愕と、理解。

「……封じられているのか」

 低い声が、夜に溶ける。

 雪はやがて弱まり、儀は中断された。
 だが、呪いは鎮まっていない。

 それどころか、目覚めかけている。

 離宮へ戻る途中、セツナは確信していた。

 この後宮の雪は、鎮められることを望んでいない。

 ——取り戻されることを、望んでいる。

 地下深く。
 封じられた存在が、彼女を待っている。

 そしてその存在は、彼女を「巫女」とは呼ばない。

 花嫁と、呼ぶ。




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