『雪嶺後宮と、狼王の花嫁』

由香

文字の大きさ
4 / 6

第四話 雪嶺の花嫁、世界を選ぶ

しおりを挟む

 後宮に、再び雪が降った。

 それはこれまでのような静かなものではない。
 天を裂くような風とともに舞い、屋根を、庭を、回廊を一夜にして白へ塗り替えていく。

 封じの間が開かれたことは、すでに皇帝の知るところとなっていた。

「巫女セツナを、玉座へ」

 重臣たちに囲まれた謁見の間で、皇帝は静かに告げた。

 セツナは、白布ではなく、雪嶺の正装を纏っていた。
 高原の民の婚礼衣。
 狼の牙を象った首飾りが、胸元で冷たく光る。

 ざわめきが走る。

「……それは何の装いだ」

 皇帝の問いに、セツナは怯まなかった。

「選ぶための装いです」

 その言葉に、皇帝は目を細めた。

「聞いている。地下に封じられた妖王と接触したな」

 空気が張り詰める。

「雪の呪いの正体は、彼の嘆きだそうだな」

「はい」

「ならば答えは簡単だ。再び封じればよい」

 淡々とした声だった。

「国は、人で成り立っている。妖との均衡など、不要だ」

 その瞬間、床が、低く唸った。

 遠吠えが、後宮全体に響き渡る。

 恐怖に満ちた叫び声。
 だがセツナは、真っ直ぐに皇帝を見返した。

「陛下」

 静かな声。

「この国が、これまで幾度も雪に救われてきたことをご存じですか」

 皇帝は答えない。

「雪嶺の水。氷河の恵み。それらはすべて、狼王が守ってきた循環です」

 一歩、前に出る。

「彼を否定することは、国の根を断つこと」

 沈黙。

 やがて皇帝は、低く息を吐いた。

「……それでも、秩序は必要だ」

「はい」

 セツナは頷いた。

「だから私は、どちらかを滅ぼすのではなく——繋ぎます」

 その言葉と同時に、後宮の天井に、ひびが入った。

 雪嶺の祝詞が、彼女の唇から溢れ出す。

 地下から、鎖が砕ける音。

 狼王が、現れた。

 人の姿のまま、だが背後に巨大な狼の影を従え、玉座の間に立つ。

「久しいな、人の王」

 低く、響く声。

 剣が抜かれる。
 だが、誰も踏み出せない。

 セツナは、狼王の前に立った。

「私は、あなたの花嫁です」

 そう告げ、振り返って皇帝を見る。

「そして、陛下の民でもあります」

 彼女は、膝をついた。

「どうか、選ばせてください。私を、後宮の妃としてではなく——均衡として」

 長い沈黙の末、皇帝は立ち上がった。

「……狼王」

「何だ」

「そなたが、この国を滅ぼさぬと誓えるか」

 狼王は、セツナを見た。

 彼女は、微かに頷いた。

「誓おう。我が花嫁が守る世界を、我も守る」

 その瞬間、雪が、止んだ。

 後宮の庭に、陽が差す。
 凍りついていた池が、静かに解けていく。

 皇帝は、ゆっくりと息を吐いた。

「……行け」

 短い言葉。

「後宮に、そなたの居場所はない」

 それは、追放ではなかった。

 解放だった。


 春。

 雪嶺の高原に、花が咲く。

 白い狼と、少女が並んで立つ。

 だが少女の瞳は、もはや迷わない。

「後悔は?」

 狼王が尋ねる。

「いいえ」

 セツナは微笑んだ。

「私は、誰かに捧げられる存在ではありません」

 風が、祝福のように吹き抜ける。

 雪嶺の花嫁は、人と妖、二つの世界を繋ぐ存在として——
 自らの居場所を、選び取ったのだった。




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

『後宮に棲むは、人か、あやかしか』

由香
キャラ文芸
後宮で消える妃たち。 それは、あやかしの仕業か――人の罪か。 怪異の声を聞く下級女官・鈴華と、 怪異を否定する監察官・凌玄。 二人が辿り着いたのは、 “怪物”を必要とした人間たちの真実だった。 奪われた名、歪められた記録、 そして灯籠に宿るあやかしの沈黙。 ――後宮に棲むのは、本当に人ならざるものなのか。 光と闇が交差する、哀切の後宮あやかし譚。

『後宮祓いの巫女は、鬼将軍に嫁ぐことになりました』

由香
キャラ文芸
後宮で怪異を祓う下級巫女・紗月は、ある日突然、「鬼」と噂される将軍・玄耀の妻になれと命じられる。 それは愛のない政略結婚―― 人ならざる力を持つ将軍を、巫女の力で制御するための契約だった。 後宮の思惑に翻弄されながらも、二人は「契約」ではなく「選んだ縁」として、共に生きる道を選ぶ――。

下っ端妃は逃げ出したい

都茉莉
キャラ文芸
新皇帝の即位、それは妃狩りの始まりーー 庶民がそれを逃れるすべなど、さっさと結婚してしまう以外なく、出遅れた少女は後宮で下っ端妃として過ごすことになる。 そんな鈍臭い妃の一人たる私は、偶然後宮から逃げ出す手がかりを発見する。その手がかりは府庫にあるらしいと知って、調べること数日。脱走用と思われる地図を発見した。 しかし、気が緩んだのか、年下の少女に見つかってしまう。そして、少女を見張るために共に過ごすことになったのだが、この少女、何か隠し事があるようで……

『後宮薬師は名を持たない』

由香
キャラ文芸
後宮で怪異を診る薬師・玉玲は、母が禁薬により処刑された過去を持つ。 帝と皇子に迫る“鬼”の気配、母の遺した禁薬、鬼神の青年・玄曜との出会い。 救いと犠牲の狭間で、玉玲は母が選ばなかった選択を重ねていく。 後宮が燃え、名を失ってもなお―― 彼女は薬師として、人として、生きる道を選ぶ。

下っ端宮女のひたむき後宮恋譚 ~前世の夢を追いかけていたらいつのまにか寵愛されていました~

紀本明
キャラ文芸
妃嬪から嫌がらせを受けつつも耐え忍んでいた下っ端宮女の鈴風(りんふぁ)はある日突然前世の記憶を取り戻す。料理人になるのが夢だった彼女は、今世でもその夢を叶えようと決意した矢先、ぼさぼさ頭の宦官・雲嵐(うんらん)と出会い、毎晩夕飯をつくることになる。料理人になるべく奮闘するも、妃嬪からの嫌がらせはひどくなる一方だった。そんなある日、事件が起こり、鈴風は窮地に立たされるが……――?

年下幼馴染皇太子が溺愛してくる

由香
恋愛
平民薬師アリアと幼馴染の少年・レオン。 再会した彼は、幼い頃の泣き虫ではなく、世界で最も強く、甘く独占欲に満ちた皇太子になっていた。 「アリア、もう離さない」――身分差を超えた初恋が、宮廷で激しく、甘く、そして切なく燃え上がる。 逃げても逃げられない、溺愛ラブストーリー。

【完結】後宮の才筆女官 

たちばな立花
キャラ文芸
後宮の女官である紅花(フォンファ)は、仕事の傍ら小説を書いている。 最近世間を賑わせている『帝子雲嵐伝』の作者だ。 それが皇帝と第六皇子雲嵐(うんらん)にバレてしまう。 執筆活動を許す代わりに命ぜられたのは、後宮妃に扮し第六皇子の手伝いをすることだった!! 第六皇子は後宮内の事件を調査しているところで――!?

烏の王と宵の花嫁

水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。 唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。 その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。 ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。 死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。 ※初出2024年7月

処理中です...