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番外編 皇帝、雪のあとに残るもの
しおりを挟む雪が、完全に消えた。
後宮の庭園に春が戻り、凍りついていた池には水鳥が戻った。
あれほど続いていた異変が、嘘のように消え去った。
——それが、すべての答えだった。
玉座に座りながら、朕は報告書を閉じる。
雪嶺地方の水量は安定し、作物の芽吹きも良好。
反乱の兆しも、妖に関わる騒乱もない。
国は、揺らいでいない。
いや——
揺らがなかったのだ。
「……人は、支配できぬものを恐れる」
誰に向けたとも知れぬ言葉が、謁見の間に落ちる。
セツナという娘も、狼王という存在も、朕にとっては、最初から理解の外にあった。
だが、理解できぬからといって、排除することが、正しかったのか。
——否。
それを認めるまでに、朕は皇帝として、あまりにも長く在りすぎた。
彼女が膝をついたあの日の光景が、今も、脳裏に焼きついている。
「私は、あなたの民でもあります」
あの言葉は、挑発でも、懇願でもなかった。
事実だった。
朕は、あの瞬間、理解したのだ。
——この娘は、器ではない。
均衡そのものだ、と。
だからこそ、後宮に置いてはならなかった。
妃にすれば、政の道具にせねばならない。
それは、国を守る行為であると同時に、世界を歪める行為だった。
「行け」と告げたのは、慈悲ではない。
選択だった。
皇帝としての、最善の退き際。
重臣の多くは、今も不満を抱いている。
「妖を野放しにした前例だ」
「後宮の威信が損なわれた」
だが、反論はできぬ。
雪が止み、国が潤い、民が飢えていない以上。
結果が、すべてを黙らせている。
朕は、政とはそういうものだと、若い頃から学んできた。
だが——
結果だけでは測れぬものも、確かに存在する。
夜。
書斎の窓から、雪嶺の方角を望む。
あの娘は、もう後宮にはいない。
だが、不思議と、喪失感はなかった。
代わりにあるのは、胸の奥に残る、静かな納得。
——人の王は、人の世界を守る。
——だが、世界は、人だけのものではない。
その当たり前の事実を、朕は、あの花嫁から学んだ。
もし、再び雪が降るなら。
その時は、封じるのではなく、問いかけよう。
——何が、奪われているのかを。
皇帝としてではなく、一人の人として。
春の風が、カーテンを揺らす。
それは、後宮から去った花嫁が、国に残していった、唯一の贈り物のようだった。
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