『嫌われ令嬢ですが、最終的に溺愛される予定です』

由香

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第1話 嫌われている令嬢

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 エマ・リンドグレンは、自分が嫌われている令嬢だと信じて疑わなかった。

 理由は簡単だ。
 婚約者である侯爵令息レオン・ヴァルディスが、まったくと言っていいほど話しかけてこないからである。

 ――今日も、目も合わなかった。

 王都の社交場。きらびやかな広間の中央で、音楽に合わせて人々が談笑し、笑い声が弾んでいる。その中でエマは、壁際に控えめに立っていた。淡い水色のドレスは上品だが、決して目立つものではない。あえてそう選んだ。

 目立てば、また噂される。

「ほら、あの人よ。レオン様の婚約者なのに、いつも一人でいる令嬢」

「愛されていないんでしょう?」

「侯爵家も、仕方なく婚約させただけらしいわ」

 囁き声は、直接耳に届かなくても、不思議とわかってしまうものだ。視線や、空気の流れで。

 エマは小さく息を吐いた。

 レオンは広間の反対側で、数人の貴族に囲まれていた。背が高く、落ち着いた佇まいで、無表情にも見える端正な横顔。彼は常に人に囲まれている。なのに――エマのもとには、決して来ない。

 婚約して三年。
 二人きりで会話をした記憶は、数えるほどしかなかった。

 形式的な挨拶。
 必要最低限の言葉。
 それだけ。

「……やっぱり、嫌われているのよね」

 小さく呟いた声は、誰にも聞こえない。

 政略結婚だと、最初からわかっていた。リンドグレン家とヴァルディス侯爵家の利害が一致した結果に過ぎない。それでも――ほんの少しは、期待してしまったのだ。

 いつか、普通に話せるようになるのではないか。
 婚約者として、笑い合える日が来るのではないか。

 けれど現実は違った。

 エマが近づけば、レオンは距離を取る。
 話しかけようとすれば、先に用事を思い出したように去っていく。
 舞踏会で手を差し出されることも、ほとんどない。

 それが答えなのだ。

 ――私と関わりたくない。

「エマ様」

 控えめな声に振り返ると、侍女のマリアが心配そうに立っていた。

「お顔色が優れませんが……少し外の空気を吸われますか?」

「ええ、そうするわ」

 広間に居続けるのは、少し辛かった。

 テラスに出ると、夜風が頬を撫でた。王都の夜は静かで、星がよく見える。ここにいると、少しだけ心が落ち着く。

 ――婚約者なのに、こんな気持ちになるなんて。

 自嘲気味に笑い、手すりに手を置いた、そのときだった。

「……本当に、嫌われているのか?」

 背後から、低い声がした。

 心臓が跳ねる。

 振り返ると、そこに立っていたのは――レオンだった。

「れ、レオン様……」

 どうして、ここに。
 混乱で言葉が詰まる。

 彼は相変わらず感情の読めない表情で、少し距離を取って立っていた。近づいては来ない。その事実だけで、胸がきゅっと締め付けられる。

「……失礼しました。お一人になりたかったのなら、すぐに――」

「いや」

 遮るように言われ、エマは言葉を失った。

 レオンはテラスの手すりに視線を向けたまま、しばらく黙っていた。何かを言いかけて、やめたようにも見える。

 気まずい沈黙。

 エマは耐えきれず、先に口を開いた。

「ご用件は……何でしょうか」

「……婚約者として、形式的に顔を出しただけだ」

 その言葉に、胸が冷える。

「そう、ですか」

 やはり、それだけなのだ。

 期待してはいけない。
 傷つくのは、自分だけ。

「でしたら、私はこれで――」

「エマ」

 名前を呼ばれ、足が止まる。

 振り返ると、レオンがこちらを見ていた。初めて、真正面から視線が合った気がした。

「……君は」

 言葉が途切れる。

 彼の眉が、わずかに寄った。困っているような、迷っているような表情。

「……いや、何でもない」

 結局、そう言って視線を逸らされてしまった。

 エマの胸に、じんわりと痛みが広がる。

「では、失礼いたします」

 それ以上、何も言えなかった。

 テラスを後にしながら、エマは思う。

 ――やっぱり、嫌われている。

 だから、話しかけない。
 だから、距離を取る。
 だから、婚約者なのに、他人行儀。

 すべて、納得がいく。

 ならば、自分が取るべき態度も決まっている。

 これ以上、彼の迷惑にならないこと。
 婚約者として、問題を起こさないこと。
 そして――必要とされていないのなら、身を引く準備をすること。

 それが、嫌われ令嬢としての、正しい在り方なのだから。

 エマは知らない。

 その夜、テラスに一人残されたレオンが、深く息を吐き、低く呟いたことを。

「……やはり、俺の方が嫌われているのか」

 その一言が、二人のすれ違いを、さらに深めてしまったことを――。




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