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灯台の約束
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島に到着してすぐ、俺は真っ先に2人で乗って来た小舟を岩で破壊した。
「そんな事しなくても私は逃げないよ」
「今まで何度も俺を騙してきたのに?それに人質だっていないし、脅しの材料も無い」
エデンに島から逃げられたら俺はおしまいだ。
「例え逃げても、地獄の果てまで追い掛けて来るでしょ?」
エデンは俺と一緒に来ると決断してからずっと、悟りを開いた様な顔をしている。
「勿論」
「そしてそこで私が氷朱鷺を拒む度に誰かが不幸になる。そういうのはもう嫌なんだ。どうせ止められないなら逃げない。そうしたら氷朱鷺も誰かを傷付ける事なく穏やかに暮らせるでしょ?」
「そうだけど、怖いくらい物分かりが良いね。ほんと、怖いくらい」
「ほら、お化け屋敷のさ、いつ来る!?いつ来る!?っていう緊張感が日々、常に付き纏ってたら、人間ておかしくなっちゃうでしょ?自分から恐れの対象に飛び込んだら何も怖い事は無いからね」
「うーん、良いのか悪いのか、何か心外だなあ」
俺=恐れの対象……
「いや、既におかしいのかも」
エデンがフッと鼻から息を漏らした。
「なんで?」
「幸せを壊しに来る人間と幸せになれば、幸せを壊される心配は無いんだなって」
「よく気付いたね」
俺が喜んでいいのかは謎だが。
「でもさ、果たして、これまでことごとく私の幸せを破壊してきた人間と一緒にいて幸せを感じられるのか、永遠のテーマだよね」
エデンはどこか、何かが吹っ切れたみたいに晴れやかな顔をしている。
でもその方が見ていて痛々しい。自分がエデンになんて酷い事をしたか、まざまざ見せつけられている様だ。
「幸せにするよ!絶対に後悔させない」
俺が息巻くと、エデンは寝起きみたいなテンションで『実験してみるよ』と言った。
しかしこれはエデンもこの2人きりの生活を前向きに捉えてくれている、と解釈していいだろうか?
とにかく、これでやっとエデンが手に入った。
俺はエデンの前で両手を広げる。
「何?す◯ざんまい?」
何のボケかな?
しかもそんな涼し気な顔で。
「飛び込んできてくれるとは思わなかったけどさ」
俺は多少しょげながらも真正面から彼女を抱き締め、その肩に顔を埋めた。
「スーッハーッ」
エデンの匂いがする、と言いたいところだが、エデンは男が変わる度に匂いも変わる。単純に生活圏の変化で洗濯物の柔軟剤が変わっただけなのだが、俺はその奥にある彼女本来のフェロモンの様な物を鼻腔で堪能した。
「憎らしいね、今度はフローラル系の柔軟剤の家なんだ?」
「弥彦が好きな匂いだからね」
「今カレの前で元カレの名前を出すもんじゃないよ」
「今カレ、ね」
さっきからエデンはすかした態度というか、冷めてる。
「何?何か言った?」
「ううん」
俺が責める様に言うとエデンは潔く首を横に振った。
「あぁ、でも、俺達はこの島でアダムとイヴになるんだ。彼氏彼女とは言い尽くせない関係にさ」
「島民Aと島民Bだよ」
捻くれてるところは健在な訳ね。言うてそういうとこも好きなんだけど。
「夢が無い」
「夢どころか何の希望も無いよ」
エデンの排他的なところも好きだ。同世代のキャピキャピした女達と一線を画してる。
「希望はこれから見つけるんだよ」
「見つかるかな?こんな無人島に」
否定的なところは……俺の調教次第でなんとか。
「意外とあるんじゃない?ここはうさぎが繁殖してるらしいし」
「あぁ」
エデンが腑に落ちた様に声を漏らした。
「どうりで、さっきから耳の長いのがチラホラ見切れと思った。あれ、食べるの?」
耳の長いの……エデンの感性は時々死んでいる。
「うん、まあ、気は進まないけど、裏庭で何匹か繁殖させてるから、食料が尽きたら、ね。それにこの島にはヤギもいるし」
「食料って?」
エデンが真っ直ぐな目線で下からこちらを見上げてきた。
無自覚なんだろうけど、今でも、俺はエデンと目が合うとドキッとする。目が合う度に初恋を思い出すのだ。
……というか、エデンが最初で最後の初恋なんだけど。
エデンもこの気持ちも俺の宝物だ。
「色々と準備しておいたんだ。缶詰めとか日持ちする食料とか畑とか水源の確保とか、あとは暮らすにあたって布団や日用品、医薬品なんかも沢山持ち込んだ」
「へぇ……結構前から、用意周到な事で」
エデンは関心、というよりかは半ば呆れ気味にそう言った。
「じゃあ行こっか。この先に流刑の施設があるから」
俺がそう言うとエデンは黙って俺の後を着いて来た。
「ちゃんと草刈りもしたんだ?」
暫く歩くと、エデンが『なるほどね』と独り言ちる。
「草木がボーボーだったからね。一応、必要最小限なとこだけ」
俺は海岸から流刑施設、そこから灯台までの道のりを持ち込んだ刈払機である程度は整備しておいたのだ。
全てはエデンとの生活の為。その為なら何だってする。
「まるで雌鳥を誘い込む雄鳥だね」
「なんだよ、それ」
俺はエデンからクスクス笑われ、ちょっとむくれた。
馬鹿にしてる。
「小枝を拾ってせっせと愛の巣を作る雄鳥みたいだなって」
「そのまんまだよ」
反論の余地も無い。
「それで、これが流刑の収容施設?」
整備した小道の先から出てきたのは、外壁がボロボロに崩れ、それを補うように蔦が張り巡らされた収容施設。エデンの目にはそれがおどろおどろしい洋館の様に映っただろう。
「もっとおっきくて、刑務所っぽいと思ってた」
「だよね。俺もそう思ってたんだけど、流刑って島に流されるのが刑だし、どうせ島から出られないから鍵付きの牢屋とか独房は無くて、普通に別荘みたいな、療養施設みたいな感じだった」
「二階建ての簡素な家って感じだね」
エデンは施設のドアから煙突までをゆっくりと眺める。
「2人で住むには充分な大きさじゃない?」
「2人、か」
エデンは薄汚れてくすんだ白亜の壁に触れ、憂鬱そうに目を伏せた。
「え、2人」
最初俺は、何故、エデンがそこに引っ掛かるのか分からなかった。
「雄鳥、ゴムは用意した?」
ん?
「え?」
聞き間違えか?
「ゴム」
──じゃないようだ。
「なんでそんな事?」
エデンの方から夜の事に触れてくるとは思わなかった。
「人数を増やしたくないから」
あぁ、それで『2人』という言葉に反応していたのか。
俺との子供は作りたくない、と。
「用意してないし、別に俺はこうしてエデンを手に入れられただけで満足してる」
俺はムッとしながら答えた。
確かに俺は子供が嫌いだとは言ったけど、エデンと自分との子供なら話は別なのに、こうして予防線を張られると腹が立つ。
「それは良かった」
「いや、でも、期待してない訳じゃなくって、無理矢理とかはしたくないなって」
弁解する俺、カッコ悪。
「逃げ場が無いから、私はもう諦めてる」
「──なんかずっと失礼だよね?」
多分、エデンは悪気無く本心を言っている。だからこそ心にくる。
「ごめん、本心だから。でも本当に、多分ここが渡り鳥の終の棲家で、雄鳥が用意した蟻地獄だから、もう何処へも飛び立てないんだろうなって」
「雄鳥が用意した蟻地獄って、愛の巣の間違いだよ」
エデンは蜘蛛の巣に引っ掛かった蝶の気持ちなのか?
気の所為かさっきからグサグサくるな。
「それにもう疲れちゃって、飛び立つ気力も無いんだ」
あぁ、だからエデンは『幸せを壊しに来る人間と幸せになれば、幸せを壊される心配は無いんだなって』と言ったのか。
俺がエデンの翼を折った。何なら自由に飛んでいるエデンを俺が撃ち落とした。
でも最初からその責任はとるつもりだ。手負いのエデンを癒やすのは俺なのだから。
「こうしてお前と一緒にいれば世界の平和は保たれるし」
「俺は魔王か」
自分が物語の悪役である事は認識してるけど。
「お前を魔王にしてしまった責任は私にあるからね」
「誰が魔王だ。てか話が飛躍し過ぎ」
「そうだね。でもこれまでの犠牲を考えたら、無駄に遠回りをしてしまった。もっと早く、ちゃんと氷朱鷺と向き合うべきだった」
そう言うとエデンは感慨深そうに入り口のドアノブに触れた。
「ここが私達の家なんだね」
「そうだよ」
「氷朱鷺と、ここで生きて、ここで死ぬんだ」
「そう、ずっと一緒だよ」
「これからはちゃんと氷朱鷺と向き合うよ。騙したり、逃げたりしない」
「なんか、人が変わっちゃったみたいで逆に心配になるな」
なんかこう、退廃的な、枯れゆく人を見ているみたいだ。
「うん。不安にさせてごめんね。でも心を入れ替えたから。それに、自分でも気付いた事があるから」
「気付いた事って?」
「……心の、パンドラの箱に」
「なにそれ?」
「上手く説明出来ないから言わないよ」
「え、凄い気になる」
「誰の心にもあるでしょ?そんな、他愛も無い事だよ」
「エデンの事なら何でも知りたいのに」
「上手く説明出来ないんだから仕方ないよ」
「うーん、まあ、まあ、そうか」
そう言われちゃあ、納得するしかない。
「じゃあ、よろしくね、氷朱鷺」
そう言ってエデンはドアを開けた。
玄関を入ると、始めに二階への階段が目に入る。
室内は俺が前もって掃除しておいたおかげで埃っぽさは半減されていてものの、またまだ行き届かない所が多々あり、無機質な廃虚感は否めなかった。
「まだカビ臭いけど、暖炉を点けるうちに良くなるから」
「確かにちょっと寒いね」
エデンが両腕を組んで肩を怒らせるのを見て、俺は彼女を温めるつもりで後ろからその両肩に触れる。
「えっ!?」
「えっ?」
エデンがビクッと両肩を跳ね上げ、驚いた顔でこちらを振り返った。
肩を抱いただけでそんなに驚かれると思わなかった。後ろからいったのが良くなかったのか?
まずったな。怖がらせたか?
「ごめん」
「いや、いい。まだ慣れなくて」
え、いいの?
逆に、本当に良いのか心配になる。
そう言えばエデンはゴムが云々、諦めてるとかかんぬん言ってたな。
言ってたな。
これは俺を最後まで受け入れると認証したって事だよな?
え、いいのか?
別に焦ってはないけどソワソワしてきた。
時間なら沢山あるんだ、段階を踏んで、段階を踏んで。
一階のリビングの様な所で、暖炉に火を着けてその前に並んで座ると心身共に落ち着いた。それはエデンも同じだったようで、彼女にしては珍しくうつらうつらしていた。
「二階に寝室があるから、そこで寝たら?」
「……ぅん……?」
あまり人に油断している姿を見せないのに、よほど疲れてたんだな。
「風邪ひくよ?」
「……」
困ったな。勝手にエデンを二階まで運んだら怒るかな?
来て早々、あまりエデンを怖がらせたくないのに。
触れても大丈夫か?
「エデン、ちょっと触るよ?」
エデンは頭を垂れたまま返事をしない。
起こさない様に運んだら大丈夫か。
俺が立ち上がってエデンの肩に手を伸ばした、瞬間、目を見開いたエデンが自身の右手親指を俺の目玉目掛けて突き立ててきた。俺は咄嗟にそれを頭でかわし、彼女の親指の爪が俺の目の寸分下に刺さった。
「あっぶな!!」
目の下に出血した様なチクチクとした痛みが走る。
「あ、ごめん。寝ぼけてた」
これが寝ぼけてたってレベルか?
的確に目玉を潰しにかかってたじゃん。
眠れる獅子、こえー。
肝が冷えた。
「怖い夢でもみてた?」
「いや、眠ってて瞼を閉じてても、黒い影が覆い被さるのは見えるでしょ?」
「見えないよ、普通」
それって眠ってるって言えるのか?
「寝込みを襲うのは無理そうだなって思った?」
冗談なのか、エデンがそう言ってフッと鼻から息を漏らした。
「だから、無理矢理したくないんだってば」
エデンを傷つけたくないってのが俺の本意なのに、これまでの行いのせいで全然彼女に伝わっていない。
「私から誘う事は絶対にないのにね」
エデンがもう一度フッと笑い、俺は拗ねて口を尖らせた。
「諦めてるって言ってたじゃん」
「いくら気を張ってても、四六時中、一生一緒にいたら油断する時もくるでしょ?時間の問題かなって」
「油断ねぇ……」
寝てても油断してない様に見えるけど。
「寧ろ俺の方が寝込みを襲われるんじゃないの?」
「時間の問題だろうね」
ニコニコしているエデンが逆に怖い。
「えぇ……」
「冗談だよ。ここではお互いだけが頼りなんだから」
そうしてエデンは俺の頬に触れた。
エデンの指先が冷たくて、ジンジン痛む患部に気持ち良い。
「傷付けてごめん」
「気にしてないよ。エデンこそ指先が冷たくて心配になるレベル」
頬に触れるエデンの手の上から俺の手を重ねる。
「平気。それより救急箱は?」
「別にこのままでいいよ」
ずっとこうしていたい。そう思うのに、その心を見透かしたかの様にエデンが俺の頬から手を離した。
「ばい菌が入ったかもしれないから、ちゃんと消毒しないと」
エデンにそう言われ、俺はしぶしぶ救急箱を取りに行き、彼女から患部の消毒をしてもらう。
「昔は私もよく、こうして杉山さんに消毒してもらってたなあ」
傷口を消毒液を湿らせた綿でポンポンされ、その部分が滲みてスースーする。
「だから、元彼の話なんか聞きたくないんだって」
「もうヤキモチなんか焼く必要無いじゃない?」
俺がムッとするのにエデンはまるで相手にしない。
「それでも嫌だ。だって杉山さんは──」
エデンが愛した男じゃないか。
俺はエデンから愛されていない。だからこんなに不安で、その話に嫌気がさす。
「ごめんて。こんなに綺麗な顔でもヤキモチなんか焼くんだなって」
「顔は関係ない」
「そっか。でもこの顔で何でも思い通りに出来たのに全部捨てるなんて、馬鹿な事をしたね」
「全然後悔してない。これは俺が望んだ結果だから」
寧ろこれからのここでの生活にワクワクしている。
エデンは……不安だよな。
「エデンを巻き込んだのは悪かったけど」
俺はエデンから皮肉の一つでも言われるかと思い、伏し目がちに顔色をうかがった。
「いいよ。後悔してないんでしょ?」
「え、うん」
意外だ。ずっと拒絶され続けてきたのに、ここに来て受け入れられるとは思ってもみなかった。
「なんか、槍でも降ってきそう」
「なんでさ笑」
そう笑うとエデンは俺の患部に絆創膏を貼って救急箱を閉じた。
「もっと、恨み節でこられるかと」
「私も全て捨てて来たから。後悔とか恨みとか血縁のしがらみとか、良い物も悪い物も全て。だから生まれ変わったみたいにゼロからスタートする」
その言葉通り、エデンは出会った頃の様に角の無い接し方をしてくれて、俺はまた献上品時代に戻れたかの如く穏やかな日々を送れた。
エデンと共に畑を耕し、協力して家事をこなし、夜には一日にあった事を共有して会話を楽しむ。時に施設にあったオセロで対戦したり、島の外周を散歩したり、何かの記念日にはホットケーキでお祝いしたり、毎日がとても幸福で充実していた。
そんなある日、俺は日頃の無理が祟ったのか高熱を出し、朝からフラフラしていた。
「顔色が悪いよ?休んでた方がいいって」
朝食作りの手伝いに来た俺を見てエデンが俺のおでこに手を当てる。
「凄い熱だよ?寒気しない?」
エデンの手が冷たくて気持ち良いけれど、背中の悪寒はヤバいくらい酷くて俺は必然的に猫背になった。
体中が筋肉痛みたいだ。
「する」
「今、食べやすい物と湯たんぽを作るから、上で寝てて」
「ごめん」
「いいからいいから」
エデンに背中を押され、俺は手すりにしがみつきながら階段を上り、やっとの思いで自室のベッドに身を投じる。
因みにエデンにはエデンの部屋があり、夜は別々に寝ている。
この島に来て数カ月が経ったけれど、俺達の夜も平穏だ。満ち足りていると言ったら嘘になるけど、それでも俺はやっと手に入れた安らぎに浸っている。
「エデンとまたこうして一緒に暮らせるなんて夢みたいだ」
今、瞼を閉じたら夢で終わりそうだ。
「ダル……」
体が怠くて言うに任せない。まるで鉛を纏っているよう。頭もガンガンするし、高熱なのに寒くて仕方ない。
「死にそ……」
多分、風邪かインフルエンザなんだろうけど、この孤島には医者もいなければ間に合わせの救急箱しかない。それだって使い切れば病気になっても己の自然治癒力に頼るしかない。見切り発車でエデンをさらって来たけど、いずれは薬が尽きて詰む。
「子供だな……」
俺もまだまだ考えが幼稚だった。
だけど俺の最終目的はエデンと一緒に死ぬ事だ。それが早いか遅いかだけ。
「……ほんとに風邪とかインフルか?」
寒くて寒くて、寝たら死にそう。
何か別の病なんじゃ──
体が弱っている時は弱気になると言うが、ベタにマイナス思考になっている。
コンコン
風化で荒廃したドアがノックされ、老人の金切り声の様な音と共にそれが開かれた。
「おまたせ。お粥と、ヤギの乳のヨーグルト持って来たよ」
ドアの先には聖母の様な笑顔でトレイを持つエデンが。
なんかホッとする。
それだけで救われた様な気がした。
「起きられる?」
俺は返事をする代わりに上体を枕の上にずらす。ここまで動くのがやっとだ。
「しんどそうだね」
嘘みたいにエデンが心配そうな顔をしている。
沢山酷い事をしてきたのに。
「……寒い」
食欲以前に寒気でもうどうしようもなかった。
「生姜でもあればお粥に入れられたんだけど。でも温かい物を食べたら内臓から暖かくなるよ」
「……ぅん」
でもヨーグルトでまた冷えるんじゃあ……なんて言えないけど。
「じゃあ、まずは湯たんぽを背中の下に入れるよ」
エデンは俺のそばまで来るとトレイを置き、それに乗っていたタオルで巻かれた小型の何かを俺と枕の間に押し込んだ。
「湯たんぽ?」
そんな物、この島に持ち込んだ記憶は無い。元々ここにあった物か?
「スキットル。海岸で拾ったんだ」
「スキッ……トル?」
初めて聞く名前だ。
「そう。映画でよく観る、あのウィスキーとかが入った水筒。お酒じゃないけど戦地でも使ってたんだ」
「あぁ」
そう言われると想像しやすい。
「暖かい?」
エデンが床に膝をついて小首をかしげた。
かわい。
「うん。じんわりくる」
格段に暑くなる、とはならないけれど、カイロみたいに部分的な暖かさはある。
「じゃあ、冷める前に……」
そう言うとエデンが恥ずかしそうにお粥を掬ったレンゲをフーフーし『あーん』と俺の口元に差し出した。
なんか、やる方が恥ずかしそうにしてくると、こっちもちょっと照れる。
でも献上品時代に戻ったみたいだ。
俺はぎこちなく口を開け、それを口にする。
味はしないが程良く冷めたお粥が口内、それから喉、食道、胃と温めてくれた。
食欲は無かったけど、気持ち少し落ち着いた。
「献上品時代を思い出すね」
そう言いながらもエデンは俺に次々お粥を食べさせてくれる。
「俺も思ってた」
「やり直せるなら、あの頃に戻って──」
エデンの手が止まった。
「俺を調教し直す?それとも俺を助けなければ良かった、とか思った、よね?」
普段の俺は鉄のメンタルだけど、病気のせいか、この時の自分は実に弱気だった。
「いや、私の人生の9割は酷いものだったけど、1割は確かに幸せな時があった。私にも欲があってね、その1割を捨てるのは惜しいなって思っちゃって」
「俺との事は全部9割の方なんでしょ?」
俺がそう言うとエデンはうっすら笑みを浮かべて首を横に振った。
「意外とそうでもないよ。でもこうして氷朱鷺との楽しかった記憶をここで追体験していると胸がギュッとなって苦しくなる」
罪悪感からか。
「苦しめてごめん」
もしかして死んじゃうかも、とか思ったら、素直に謝罪の言葉が出てきた。
「ううん、今は気持ちの調整中でね、あの頃に戻ったつもりで自分の気持ちと向き合ってる」
「そう……」
仕方が無いから自分の気持ちに折り合いをつけている、といったところか。
「少しは温まった?」
お粥を全て食べ終えたところでエデンが尋ねた。
「少し。でもヨーグルトは止めておく」
「分かった」
それからエデンが自分のおでこと俺のおでこに手を当てて対応を比較する。
「まだまだ高いね。やっぱり汗かかないと駄目なのかも。私の部屋から布団持って来る」
そう言うとエデンは部屋と部屋をダッシュで往復し、自身が使用する掛布団を俺に被せてくれた。
「これで少しは良くなるかも」
「……」
俺は熱に浮かされた頭でボンヤリ思う。
「俺の事、憎くて、許してないのに、なんでこんなにしてくれるの?」
それを聞いたエデンは肩をすくめて──
「先立たれたら、私独りになるでしょ?」
──と言った。
「仕方なく?」
「仕方なく」
エデンが笑っているところを見ると冗談なんだろうけど、俺はチェッと拗ねて布団を深く被る。
「ゆっくり休んで。私は畑にいるから」
そう声が聞こえたかと思うと、足音と共に部屋からエデンの気配が消えた。
寂しい。
つきっきりでいてほしかったのに。今日は曇りだけど、雨でも降れば家に戻って来てくれるかな?
俺は眠りにつくまで暫くそんな事を願った。
そして俺は夢を見た。夢の中で俺は暗がりの丘を歩いていて、随分と登った所で灯台のある崖に辿り着く。そこでは崩れかけの灯台に明かりが灯っており、そのそばに風に髪をなびかせたエデンが立っていた。
「エデン」
俺が近付くと、エデンは手にしていた花束を渡してきた。
「エデン?なんで花束なんか?」
「ほんと、残念だよ」
その言葉とは裏腹に、エデンは花が咲いた様に笑っている。
「何?」
俺が訳も分からず怪訝な表情をしていると、エデンが灯台を指差した。
「え、灯台?」
俺は明かるくなった灯台が遥か彼方まで照らす様子を見てハッとする。
これは本土へのSOS信号だ!
「助けを呼んでるの!?」
「さよなら、氷朱鷺」
そう言ってエデンが離れて行こうとして、俺はその後を追おうと踏み出すと何かに躓いて転んだ。
「何……」
その何かを見た時、俺は得も言われぬ恐怖に襲われる。
十字架だ。
そこに、太い枝をツルで束ねた十字架が刺さっていた。
「墓……?」
『誰の?』と思う間もなくエデンから『ここがお前の墓場だよ』という答えが返ってきて、俺はそこで目が覚めた。
「ハァハァハァ……」
汗ビッショリで目が覚めたが冷や汗のせいで寝覚め最悪。おかげで体調もすこぶる悪化している。だがこうしちゃいられなかった。
「エデン!」
これが正夢ならエデンは俺が寝込んでる隙に灯台に火を灯す。もしかしたらそこで俺は殺されてあの墓を建てられてしまうかもしれないが、そうなったら最悪相打ちでエデンも連れて逝く。
俺はその覚悟でベッドを飛び出した。
雨の中、スウェットに裸足でドロドロになりながら無我夢中で丘を登る。足を踏み出す度に胃が揺さぶられ、途中で何度かお粥を吐き、息苦しさで喉をヒューヒューいわせながら灯台のある崖へと到着した。
「ハァハァハァ……エデン……」
雨と高熱で霞んだ視界。気を抜くと倒れてしまいそうになる上体を持ち上げ、灯台を見上げる。
「点いて……ない?」
灯台は薄暗い崖の上で闇に染まりかけていた。
「……」
しかしそれでも俺は信じられなくて灯台の内部に入る。内部には灯台の崩れた内壁が辺り一面に散らばっており、錆びた螺旋階段は所々繋がっていない。
これじゃあ火は灯せないか……
「……ここが廃虚になってから相当経ってる。そりゃそうか」
足が泥だらけであちこち切れてる。
「馬鹿みたいだ」
俺は気が抜けて膝に手を着くと、滑ってそのまま前屈みに倒れた。
「正夢はこっち……の方……か……」
なんだかんだ、俺が死んだらきっとエデンは喜ぶ──
もはや俺は意識を保っていられずその場で意識を失った。
──どれくらい気を失っていただろう?
俺は倒れた時に瓦礫で切ったであろう手の痛みで目が覚めた。そして頭以外の全身が動かせず、首だけを持ち上げて状況を把握する。
「えっ」
どうりで動けないと思ったら、横になった俺の後ろから手脚が伸び、がっちり体をホールドしていた。
顔は見えないけど、エデンしかいないよな。
「起きた?」
やっぱりエデンの声だ。
「どうしたの、エデン」
「どうしたもこうしたもないよ。雨が降ってきて畑から戻ったら氷朱鷺がいないんだもの。あっちこっち探し回ってやっと見つけたと思ったら、意識不明で倒れてて、運べないからこうして温めてたんだよ」
エデンには珍しく、興奮気味に一息でそう言った。
「ごめん」
こんな足場の悪い所でドロドロの俺を抱きかかえているなんて、相当心配してくれたんだ。見殺しにする事も出来たのに。
俺は申し訳なさと嬉しさと具合の悪さでめちゃくちゃになった。
「起きれる?」
返事を待たずにエデンから上体を起こされる。
「イタタタタタ」
全身が鞭打ちにあったみたいに痛んでやっと起きた。
結構強引だな。
「立てそう?」
「ごめん、ちょっと無理」
「だよね」
エデンは諦めた様にガクリと後ろから俺の肩におでこを着いた。
「兵士時代はさ、自分の体重の何倍もある仲間を背負って山を下ったりっていう訓練が──無かったんだよね」
無かったんかーい。
「な、無かったんだ……」
「少年兵に訓練なんか無いよ。隊に入ったその場で捨て駒として最前線に送られる。私は目も勘も良かったからライフルを渡されて、ある者は手榴弾1つだけを持たされた。負傷した仲間の事は、その場で撃ち殺せと命じられたよ」
「ぇ、うん……」
なんか不安になってきた。俺、やっぱ殺されて墓を建てられるのかな?
「そもそも重装備の屈強な兵士なんか担げる訳がないんだもの。武器や装備を奪って射殺さ。まるでこちらが敵兵みたいな気分だったよ」
「へ、へぇ……」
ますます心配になってきた。
「敵兵を討ち取ったと同じくらい仲間も殺したんじゃないかな。取り返しのつかない怪我をしたら仲間が敵になるからさ、誰も信じられなかったよ」
『ま、1人、例外もいるけど』とエデンが付け加えて、それが杉山さんである事は容易に想像出来た。
エデンと孤島で2人だけになっても、やっぱり杉山さんへの嫉妬は今も尚止まない。
「ゴホッ」
ずっとウィルスを媒介しないよう我慢していた咳が、今になって抑えられなくなってきた。
「ごめっ、ゴホッゴホッ!!」
我慢すればするほど、咳のツボに入ってしまう。
「いいよ、外にウィルスを排出しようとしてるんだから、いっぱい咳しな」
「でも、ゴホッ……エデンに伝染る」
例えエデンが良いと言っても、俺が伝染したくないのに。
……死ぬ時は一緒、とか思いながらエデンへのウィルス感染を心配してるなんて、な。
「平気平気。鼻水も沢山出すといいよ」
「ゴホッゴホッゴホッゴホッ!!」
『それはちょっと──』と言いたかったのに、一度緩めた緊張が咳を止まらなくさせた。
「咳してる人の背中をさするのってさ、本当は特に効果は無いけど、何もしてあげられないからって、せめてもの思いでやってるんだよね」
なんて言いながらエデンが俺の背中をさすってくれて、勿論、咳は止まらないけれど、精神的元気は確実に出た。
「ゴホッゴホッゴホッゴホッ」
『ありがとう』って伝えたいのになぁ。
「風も強くなってきたし、寒くもなってきたね」
「ごめ……ゴホンッ!!」
俺がヨロヨロと立ち上がろうとすると、その体をエデンに引き戻された。
「ドロドロで凸凹の真っ暗な下り坂をその体で歩くのは危ないよ。それで骨折でもしたら敗血症になって死んじゃうかもだから、今夜はここで一夜を明かそう」
ただでさえ高熱で視界が暗く見えるし、エデンの判断は間違っていないと思う。でも──
「ゴホンッ……エデンは戻って」
「戻らないよ。一緒にいる」
俺はハーーーッと深く息を吐き、咳をやり過ごして口を開いた。
「俺の事、嫌いじゃん。それに本当は独りになりたいくせに」
「……」
これまで気にならなかった激しい風や大波の音がやけに響く。
エデンは今、どんな顔をしているんだろう?
「ゴホッゴホッ……」
「認めるよ」
「ゴホッゴホッ!!」
認めちゃうんだ……
咳というより吹き出して噎せた。エデンから何度も拒絶の言葉はくらってきたけど、何度くらってもショックはショックだ。なんなら病気で弱っている今が一番ショックかもしれない。というか、慰めに背中をさすってくれるくらいなら、こんな時くらい否定してほしかった。
「認める認める」
三回も言った……
「寒くない?」
「寒いよ」
心がね。
「ちょっと待ってて」
そう言うとエデンは後ろでゴソゴソと身動ぎ、それから俺のスウェットとシャツを一緒くたに捲った。
「え?え?」
一体、何をしているのかと振り返ろうとすると、その首をエデンから前向きに戻される。
「前だけを見てて」
「?」
言う通りにしているといきなり、エデンが捲った俺のシャツの中に頭を突っ込んできた。
「んんっ!?」
背中がエデンの髪でゾワゾワし、変な声が出る。
「プハッ」
とエデンが息継ぎするみたいに襟足首から顔を出し、自身の体を密着させてきた。
「えぇっ!?」
軟らかい感触を背中に感じ、俺は驚いてしゃっくりみたいに一旦咳が止まる。
いや、これは首が苦しいからか?
「ごめん、苦しいよね?」
と言ってエデンがより一層俺にくっつき、俺は朝までこの息苦しさを耐えようと心に決めた。
「雪山のさ、人肌で体を温め合うセオリーって誰が最初に考えたんだろうね?」
「さ、さあ?」
背中がじんじんするくらい熱い。多分顔も小っ恥ずかしいくらい真っ赤だ。気が付けば体調不良も分からなくなってしまった。
肌、スベスベだな。
思えばエデンとこうして肌と肌とを合わせるのは初めてじゃないか?
こんな感じなんだ。万里やヤサカとは違う、好きな相手だからこそ感じられるフィット感。
「はぁ……」
咳じゃなくてため息が溢れる。
俺だけがこんなにドキドキしているんだろうか?
寒いどころかもっと熱が上がりそうだ。
「眠い?」
「え、別に」
背中の感触のせいでボンヤリはしていたけれど、なんでそんな事を?
「雪山セオリーで、寝たら死ぬぞーってあるでしょう?」
「ここ、雪山じゃないからね」
「あぁ、そう」
エデンは急に興味を失ったみたいに冷めた声を出した。
解らない人だ……
「咳が止んで良かったね」
「うん」
まだ少し咳き込む事はあるけれど、言葉に咳が混じる事はない。
しかし、どうしてこうもエデンは通常運行でいられるんだ──
あれ?
気の所為か?
背中からエデンの速くて強い鼓動が伝わってくる。
いや、まさかな。エデンに限ってそんな事はない。エデンが俺相手にドキドキする筈がない。これは単なる動悸かもしれない。
そこまで自分で考えて悲しくなる。
「今、何時くらいなんだろう?」
体感1時間が経ったあたりでエデンがそう言った。
「俺があげた腕時計は?」
「さあ」
全然悪いと思っていない感じの返事がきた。
「捨てたんだ?」
最初からエデンが取ってあると思っていないからそこまで心的ダメージは無いけれど、やっぱりどこか釈然としない。
「どこにいったか分からない」
元々物欲が無く、色んな事に無関心なエデンの事、その言葉に嘘はないのだろう。
「俺は子供の頃エデンから貰ったお守りを未だに着けてるのに」
「そのようだね」
「これまで貰った指輪達は?」
「着の身着のままで流刑にされたり、孤島に拉致されたりで大事な物を持ち出す隙なんてなかったじゃん」
「まあ、そうだね……ねぇ?」
この逃げ場の無い状況で、どうしても聞いてみたい事があった。
「んー?」
気の無い返事だ。
「正直、杉山さんと春臣と市川弥彦の誰が一番好きだったの?」
「一番か……」
俺的にはエデンの初恋である杉山さんが有力候補だと思うんだけど。
「杉山さんがフランス料理でさ」
「は?」
「春臣が日本食で」
「え?」
「弥彦が中華だと思うんだよ」
「いや、全然分かんない。何?」
気でも触れたか?
「ジャンルが違うから比較出来ないって事。皆オンリーワンなんだよ」
「俺はエデンが作るオムレツがオンリーワンだけど?俺にしてみたら、どうして次々好きな人が出来るのか分からない。そんな愛、偽物なんじゃないかって思ってる。人を愛するって人生で一度きりだと思うんだけど?」
デジャヴか、こんな水掛論をこれまで何度も交わしてきた様な気がする。
「氷朱鷺、残念ながら愛は理屈で出来てるんだよ。基本生き物って挫けない様に作られてて、子孫繁栄、繁殖の為に求愛を繰り返す。人間なんて例え恋愛で傷を負っても恋愛でそれを癒やしたりするもんだよ」
「じゃあ、俺がおかしいって事?」
一途な事がそんなに悪い事?
俺にしてみたらエデンの考えの方が不埒な事の様に思える。
「そうじゃないよ。これから何があるか分からないって事。この島に氷朱鷺好みの女の子が流されてくる可能性だってあるでしょ?」
「好きになる可能性は無いよ」
「分かんないって」
「分かるよ!」
「この世の全女性を見てきてないのに断言は出来ないよ」
「見る必要が無い。だってもうそれ以上の最良の人がいるんだから」
俺は冷静なエデンの3倍の熱量でそう返した。
「私も誰かと出会う度にそう思ったよ。そして毎回自己嫌悪に陥ってさ。今もね」
「俺はこの島に第3の人物が流れてきたら男女問わず殺すって決めてる」
「なんでさ、決めんな」
「俺とエデンの楽園生活を邪魔されたくない」
「勝手だなあ、実に勝手」
「決めたんだよ」
「だから決めんな」
エデンはそうやって苦笑したけれど、俺は至って真剣だ。
「因みに氷朱鷺はこれから毎日3食私のオムレツでも良いって事?」
恋愛感と重ねて聞いてるよな?
「いけるよ」
「無理だって」
俺がムキになって答えると、エデンは呆れながら失笑し、俺の襟足に吐息を漏らす。
ゾワゾワ
「──っ」
せっかく考えない様にしていたのに、脊椎に直接息を吹き付けられた様な甘美な感覚に俺は息を詰めた。
「ちょっと、人が病気の時に首に息を吹きかけないでよ。わざとなの?」
「仕方ないじゃん。私に息するなって?」
「そうじゃなくて、もっと気を遣ってって事!」
「童貞か」
この小競り合いの中でもエデンの息がダイレクトに俺の首筋を攻めてきて全身が粟立つ。
「こんな禁欲生活じゃ、そんな様なもんだよ」
「別に我慢しろとは言ってないけど?」
え?
ラッキースケベ的な意外な展開……
確かに、雪山で遭難した男女が裸で温め合い、そのまま関係を持つのはあるあるだ。
「じゃあいいの?」
そう言えば何かしらの匂わせはあったよな?
「良くない、右手があるでしょうが」
良くないんかーい!
「期待して損した」
俺は完全にへそを曲げた。
「病人のくせに変な期待すんな」
「いたっ」
後ろからエデンに頭突きされ、後頭部に鈍痛を覚える。
「病人に頭突きするなんて。しかもこの状況じゃあ、期待するでしょ」
「するな」
「んな無茶苦茶な」
そうしてこの生殺しのまま夜は更け、翌朝を迎えた。
「よく眠れた?」
「眠れるかー!」
背中の生乳の感触せいで一晩中バッキバキだった。
「まあ、氷朱鷺は寝たら死ぬ可能性があったしね」
「エデンは?」
エデンはずっと俺の肩におでこを着けていたけど、呼吸は浅かった様に思う。
「寝てないよ」
「やっぱり。エデンは寝ても良かったのに」
「こんなに密着してたら眠れませんて」
エデンは昔から人の気配がすると熟睡出来ないタイプの人間だったが、それでも、俺に気を許していない証拠の様にも思える。
「今までの男達ともそんな感じ?」
駄目だ、聞きたくないのに聞いてしまう。
「杉山さんに関しては、子供の頃から一緒だったからかそうでもないんだよなあ」
やっぱ杉山さんは3人の中でも特別で格別で別格だと思う。
「やっぱなんとかして殺しておくんだった」
「コラッ!!」
「いたっ!」
また後ろから頭突きされ、今度はタンコブが出来た、と思う。
「もうそんな事考える必要ないでしょ」
「確かにそうだけど、知るとイラッとするんだよ」
俺は傷んだ後頭部を押さえたかったが、エデンがくっついているので堪えた。
「じゃあ聞くな」
「そうなんだけど、聞かないともっと悍ましい想像をしちゃうからつい聞いちゃうんだって」
「悍ましいって何よ」
「絡みとか」
「気持ち悪……」
俺がエデンをドン引きさせてしまったせいか、彼女は早々に背中から撤退し、いそいそと自分の服を着た。
「もっとくっついてたかったのに」
彼女がいなくなった背中はちょっとした空洞になってやけに寒々しい。
「似合わないセリフ言わないで。帰るよ」
逆に、俺に似合うセリフとは?
「待って」
容赦なく俺を置いて行くエデンを追って外に出ると、丁度水平線から朝日が昇るのが見え、その眩しさと美しさに目を細めた。
息を飲む。目を見張る程の神々しさ。他では見られない特有の光景をさながらここを神の島の様に思わせた。
「綺麗だ……」
「……」
まるで心が洗われる様だ。邪な心やウィルスが浄化された気になる。
「ここに島流しにされた人ってさ、罰として死ぬまで灯台守をやらされたんだって」
エデンは朝日に目を奪われたままポツリとそう言った。
「そうなんだ」
俺は朝日で後光が差すエデンから目が離せなくて、深いブルーの瞳が朝日で輝きを増す様に見惚れていた。
「寿命がきた頃合いに遺骨が回収されて、そこでやっと刑期を終えた事になって本土に帰れるんだってね」
「へえ」
「でも灯台で見るこの景色は全く罰でもなくって、生甲斐だったんじゃないかな」
「うん。そうだね」
果たしてその遺骨は本土に帰る事を望んでいたんだろうか?
「私が死んだらここに埋めてよ」
「そんな、縁起でもない」
「お願い」
エデンの輝いていた瞳に影が差した。
「まさか、死のうなんて考えてないよね?」
そんなの、俺が絶対に許さない。
「まさか。でもお願い」
「……分かった。じゃあ、俺が死んだ時もここに埋めて」
「分かった。約束しよう」
「どちらかが先に死んだら必ずここに墓を建てる。そして残された者が墓守をしてここで死ぬんだ」
「いいよ」
「約束」
俺が小指を立てると、エデンはそれに自身の小指を絡め、約束してくれた。
「そんな事しなくても私は逃げないよ」
「今まで何度も俺を騙してきたのに?それに人質だっていないし、脅しの材料も無い」
エデンに島から逃げられたら俺はおしまいだ。
「例え逃げても、地獄の果てまで追い掛けて来るでしょ?」
エデンは俺と一緒に来ると決断してからずっと、悟りを開いた様な顔をしている。
「勿論」
「そしてそこで私が氷朱鷺を拒む度に誰かが不幸になる。そういうのはもう嫌なんだ。どうせ止められないなら逃げない。そうしたら氷朱鷺も誰かを傷付ける事なく穏やかに暮らせるでしょ?」
「そうだけど、怖いくらい物分かりが良いね。ほんと、怖いくらい」
「ほら、お化け屋敷のさ、いつ来る!?いつ来る!?っていう緊張感が日々、常に付き纏ってたら、人間ておかしくなっちゃうでしょ?自分から恐れの対象に飛び込んだら何も怖い事は無いからね」
「うーん、良いのか悪いのか、何か心外だなあ」
俺=恐れの対象……
「いや、既におかしいのかも」
エデンがフッと鼻から息を漏らした。
「なんで?」
「幸せを壊しに来る人間と幸せになれば、幸せを壊される心配は無いんだなって」
「よく気付いたね」
俺が喜んでいいのかは謎だが。
「でもさ、果たして、これまでことごとく私の幸せを破壊してきた人間と一緒にいて幸せを感じられるのか、永遠のテーマだよね」
エデンはどこか、何かが吹っ切れたみたいに晴れやかな顔をしている。
でもその方が見ていて痛々しい。自分がエデンになんて酷い事をしたか、まざまざ見せつけられている様だ。
「幸せにするよ!絶対に後悔させない」
俺が息巻くと、エデンは寝起きみたいなテンションで『実験してみるよ』と言った。
しかしこれはエデンもこの2人きりの生活を前向きに捉えてくれている、と解釈していいだろうか?
とにかく、これでやっとエデンが手に入った。
俺はエデンの前で両手を広げる。
「何?す◯ざんまい?」
何のボケかな?
しかもそんな涼し気な顔で。
「飛び込んできてくれるとは思わなかったけどさ」
俺は多少しょげながらも真正面から彼女を抱き締め、その肩に顔を埋めた。
「スーッハーッ」
エデンの匂いがする、と言いたいところだが、エデンは男が変わる度に匂いも変わる。単純に生活圏の変化で洗濯物の柔軟剤が変わっただけなのだが、俺はその奥にある彼女本来のフェロモンの様な物を鼻腔で堪能した。
「憎らしいね、今度はフローラル系の柔軟剤の家なんだ?」
「弥彦が好きな匂いだからね」
「今カレの前で元カレの名前を出すもんじゃないよ」
「今カレ、ね」
さっきからエデンはすかした態度というか、冷めてる。
「何?何か言った?」
「ううん」
俺が責める様に言うとエデンは潔く首を横に振った。
「あぁ、でも、俺達はこの島でアダムとイヴになるんだ。彼氏彼女とは言い尽くせない関係にさ」
「島民Aと島民Bだよ」
捻くれてるところは健在な訳ね。言うてそういうとこも好きなんだけど。
「夢が無い」
「夢どころか何の希望も無いよ」
エデンの排他的なところも好きだ。同世代のキャピキャピした女達と一線を画してる。
「希望はこれから見つけるんだよ」
「見つかるかな?こんな無人島に」
否定的なところは……俺の調教次第でなんとか。
「意外とあるんじゃない?ここはうさぎが繁殖してるらしいし」
「あぁ」
エデンが腑に落ちた様に声を漏らした。
「どうりで、さっきから耳の長いのがチラホラ見切れと思った。あれ、食べるの?」
耳の長いの……エデンの感性は時々死んでいる。
「うん、まあ、気は進まないけど、裏庭で何匹か繁殖させてるから、食料が尽きたら、ね。それにこの島にはヤギもいるし」
「食料って?」
エデンが真っ直ぐな目線で下からこちらを見上げてきた。
無自覚なんだろうけど、今でも、俺はエデンと目が合うとドキッとする。目が合う度に初恋を思い出すのだ。
……というか、エデンが最初で最後の初恋なんだけど。
エデンもこの気持ちも俺の宝物だ。
「色々と準備しておいたんだ。缶詰めとか日持ちする食料とか畑とか水源の確保とか、あとは暮らすにあたって布団や日用品、医薬品なんかも沢山持ち込んだ」
「へぇ……結構前から、用意周到な事で」
エデンは関心、というよりかは半ば呆れ気味にそう言った。
「じゃあ行こっか。この先に流刑の施設があるから」
俺がそう言うとエデンは黙って俺の後を着いて来た。
「ちゃんと草刈りもしたんだ?」
暫く歩くと、エデンが『なるほどね』と独り言ちる。
「草木がボーボーだったからね。一応、必要最小限なとこだけ」
俺は海岸から流刑施設、そこから灯台までの道のりを持ち込んだ刈払機である程度は整備しておいたのだ。
全てはエデンとの生活の為。その為なら何だってする。
「まるで雌鳥を誘い込む雄鳥だね」
「なんだよ、それ」
俺はエデンからクスクス笑われ、ちょっとむくれた。
馬鹿にしてる。
「小枝を拾ってせっせと愛の巣を作る雄鳥みたいだなって」
「そのまんまだよ」
反論の余地も無い。
「それで、これが流刑の収容施設?」
整備した小道の先から出てきたのは、外壁がボロボロに崩れ、それを補うように蔦が張り巡らされた収容施設。エデンの目にはそれがおどろおどろしい洋館の様に映っただろう。
「もっとおっきくて、刑務所っぽいと思ってた」
「だよね。俺もそう思ってたんだけど、流刑って島に流されるのが刑だし、どうせ島から出られないから鍵付きの牢屋とか独房は無くて、普通に別荘みたいな、療養施設みたいな感じだった」
「二階建ての簡素な家って感じだね」
エデンは施設のドアから煙突までをゆっくりと眺める。
「2人で住むには充分な大きさじゃない?」
「2人、か」
エデンは薄汚れてくすんだ白亜の壁に触れ、憂鬱そうに目を伏せた。
「え、2人」
最初俺は、何故、エデンがそこに引っ掛かるのか分からなかった。
「雄鳥、ゴムは用意した?」
ん?
「え?」
聞き間違えか?
「ゴム」
──じゃないようだ。
「なんでそんな事?」
エデンの方から夜の事に触れてくるとは思わなかった。
「人数を増やしたくないから」
あぁ、それで『2人』という言葉に反応していたのか。
俺との子供は作りたくない、と。
「用意してないし、別に俺はこうしてエデンを手に入れられただけで満足してる」
俺はムッとしながら答えた。
確かに俺は子供が嫌いだとは言ったけど、エデンと自分との子供なら話は別なのに、こうして予防線を張られると腹が立つ。
「それは良かった」
「いや、でも、期待してない訳じゃなくって、無理矢理とかはしたくないなって」
弁解する俺、カッコ悪。
「逃げ場が無いから、私はもう諦めてる」
「──なんかずっと失礼だよね?」
多分、エデンは悪気無く本心を言っている。だからこそ心にくる。
「ごめん、本心だから。でも本当に、多分ここが渡り鳥の終の棲家で、雄鳥が用意した蟻地獄だから、もう何処へも飛び立てないんだろうなって」
「雄鳥が用意した蟻地獄って、愛の巣の間違いだよ」
エデンは蜘蛛の巣に引っ掛かった蝶の気持ちなのか?
気の所為かさっきからグサグサくるな。
「それにもう疲れちゃって、飛び立つ気力も無いんだ」
あぁ、だからエデンは『幸せを壊しに来る人間と幸せになれば、幸せを壊される心配は無いんだなって』と言ったのか。
俺がエデンの翼を折った。何なら自由に飛んでいるエデンを俺が撃ち落とした。
でも最初からその責任はとるつもりだ。手負いのエデンを癒やすのは俺なのだから。
「こうしてお前と一緒にいれば世界の平和は保たれるし」
「俺は魔王か」
自分が物語の悪役である事は認識してるけど。
「お前を魔王にしてしまった責任は私にあるからね」
「誰が魔王だ。てか話が飛躍し過ぎ」
「そうだね。でもこれまでの犠牲を考えたら、無駄に遠回りをしてしまった。もっと早く、ちゃんと氷朱鷺と向き合うべきだった」
そう言うとエデンは感慨深そうに入り口のドアノブに触れた。
「ここが私達の家なんだね」
「そうだよ」
「氷朱鷺と、ここで生きて、ここで死ぬんだ」
「そう、ずっと一緒だよ」
「これからはちゃんと氷朱鷺と向き合うよ。騙したり、逃げたりしない」
「なんか、人が変わっちゃったみたいで逆に心配になるな」
なんかこう、退廃的な、枯れゆく人を見ているみたいだ。
「うん。不安にさせてごめんね。でも心を入れ替えたから。それに、自分でも気付いた事があるから」
「気付いた事って?」
「……心の、パンドラの箱に」
「なにそれ?」
「上手く説明出来ないから言わないよ」
「え、凄い気になる」
「誰の心にもあるでしょ?そんな、他愛も無い事だよ」
「エデンの事なら何でも知りたいのに」
「上手く説明出来ないんだから仕方ないよ」
「うーん、まあ、まあ、そうか」
そう言われちゃあ、納得するしかない。
「じゃあ、よろしくね、氷朱鷺」
そう言ってエデンはドアを開けた。
玄関を入ると、始めに二階への階段が目に入る。
室内は俺が前もって掃除しておいたおかげで埃っぽさは半減されていてものの、またまだ行き届かない所が多々あり、無機質な廃虚感は否めなかった。
「まだカビ臭いけど、暖炉を点けるうちに良くなるから」
「確かにちょっと寒いね」
エデンが両腕を組んで肩を怒らせるのを見て、俺は彼女を温めるつもりで後ろからその両肩に触れる。
「えっ!?」
「えっ?」
エデンがビクッと両肩を跳ね上げ、驚いた顔でこちらを振り返った。
肩を抱いただけでそんなに驚かれると思わなかった。後ろからいったのが良くなかったのか?
まずったな。怖がらせたか?
「ごめん」
「いや、いい。まだ慣れなくて」
え、いいの?
逆に、本当に良いのか心配になる。
そう言えばエデンはゴムが云々、諦めてるとかかんぬん言ってたな。
言ってたな。
これは俺を最後まで受け入れると認証したって事だよな?
え、いいのか?
別に焦ってはないけどソワソワしてきた。
時間なら沢山あるんだ、段階を踏んで、段階を踏んで。
一階のリビングの様な所で、暖炉に火を着けてその前に並んで座ると心身共に落ち着いた。それはエデンも同じだったようで、彼女にしては珍しくうつらうつらしていた。
「二階に寝室があるから、そこで寝たら?」
「……ぅん……?」
あまり人に油断している姿を見せないのに、よほど疲れてたんだな。
「風邪ひくよ?」
「……」
困ったな。勝手にエデンを二階まで運んだら怒るかな?
来て早々、あまりエデンを怖がらせたくないのに。
触れても大丈夫か?
「エデン、ちょっと触るよ?」
エデンは頭を垂れたまま返事をしない。
起こさない様に運んだら大丈夫か。
俺が立ち上がってエデンの肩に手を伸ばした、瞬間、目を見開いたエデンが自身の右手親指を俺の目玉目掛けて突き立ててきた。俺は咄嗟にそれを頭でかわし、彼女の親指の爪が俺の目の寸分下に刺さった。
「あっぶな!!」
目の下に出血した様なチクチクとした痛みが走る。
「あ、ごめん。寝ぼけてた」
これが寝ぼけてたってレベルか?
的確に目玉を潰しにかかってたじゃん。
眠れる獅子、こえー。
肝が冷えた。
「怖い夢でもみてた?」
「いや、眠ってて瞼を閉じてても、黒い影が覆い被さるのは見えるでしょ?」
「見えないよ、普通」
それって眠ってるって言えるのか?
「寝込みを襲うのは無理そうだなって思った?」
冗談なのか、エデンがそう言ってフッと鼻から息を漏らした。
「だから、無理矢理したくないんだってば」
エデンを傷つけたくないってのが俺の本意なのに、これまでの行いのせいで全然彼女に伝わっていない。
「私から誘う事は絶対にないのにね」
エデンがもう一度フッと笑い、俺は拗ねて口を尖らせた。
「諦めてるって言ってたじゃん」
「いくら気を張ってても、四六時中、一生一緒にいたら油断する時もくるでしょ?時間の問題かなって」
「油断ねぇ……」
寝てても油断してない様に見えるけど。
「寧ろ俺の方が寝込みを襲われるんじゃないの?」
「時間の問題だろうね」
ニコニコしているエデンが逆に怖い。
「えぇ……」
「冗談だよ。ここではお互いだけが頼りなんだから」
そうしてエデンは俺の頬に触れた。
エデンの指先が冷たくて、ジンジン痛む患部に気持ち良い。
「傷付けてごめん」
「気にしてないよ。エデンこそ指先が冷たくて心配になるレベル」
頬に触れるエデンの手の上から俺の手を重ねる。
「平気。それより救急箱は?」
「別にこのままでいいよ」
ずっとこうしていたい。そう思うのに、その心を見透かしたかの様にエデンが俺の頬から手を離した。
「ばい菌が入ったかもしれないから、ちゃんと消毒しないと」
エデンにそう言われ、俺はしぶしぶ救急箱を取りに行き、彼女から患部の消毒をしてもらう。
「昔は私もよく、こうして杉山さんに消毒してもらってたなあ」
傷口を消毒液を湿らせた綿でポンポンされ、その部分が滲みてスースーする。
「だから、元彼の話なんか聞きたくないんだって」
「もうヤキモチなんか焼く必要無いじゃない?」
俺がムッとするのにエデンはまるで相手にしない。
「それでも嫌だ。だって杉山さんは──」
エデンが愛した男じゃないか。
俺はエデンから愛されていない。だからこんなに不安で、その話に嫌気がさす。
「ごめんて。こんなに綺麗な顔でもヤキモチなんか焼くんだなって」
「顔は関係ない」
「そっか。でもこの顔で何でも思い通りに出来たのに全部捨てるなんて、馬鹿な事をしたね」
「全然後悔してない。これは俺が望んだ結果だから」
寧ろこれからのここでの生活にワクワクしている。
エデンは……不安だよな。
「エデンを巻き込んだのは悪かったけど」
俺はエデンから皮肉の一つでも言われるかと思い、伏し目がちに顔色をうかがった。
「いいよ。後悔してないんでしょ?」
「え、うん」
意外だ。ずっと拒絶され続けてきたのに、ここに来て受け入れられるとは思ってもみなかった。
「なんか、槍でも降ってきそう」
「なんでさ笑」
そう笑うとエデンは俺の患部に絆創膏を貼って救急箱を閉じた。
「もっと、恨み節でこられるかと」
「私も全て捨てて来たから。後悔とか恨みとか血縁のしがらみとか、良い物も悪い物も全て。だから生まれ変わったみたいにゼロからスタートする」
その言葉通り、エデンは出会った頃の様に角の無い接し方をしてくれて、俺はまた献上品時代に戻れたかの如く穏やかな日々を送れた。
エデンと共に畑を耕し、協力して家事をこなし、夜には一日にあった事を共有して会話を楽しむ。時に施設にあったオセロで対戦したり、島の外周を散歩したり、何かの記念日にはホットケーキでお祝いしたり、毎日がとても幸福で充実していた。
そんなある日、俺は日頃の無理が祟ったのか高熱を出し、朝からフラフラしていた。
「顔色が悪いよ?休んでた方がいいって」
朝食作りの手伝いに来た俺を見てエデンが俺のおでこに手を当てる。
「凄い熱だよ?寒気しない?」
エデンの手が冷たくて気持ち良いけれど、背中の悪寒はヤバいくらい酷くて俺は必然的に猫背になった。
体中が筋肉痛みたいだ。
「する」
「今、食べやすい物と湯たんぽを作るから、上で寝てて」
「ごめん」
「いいからいいから」
エデンに背中を押され、俺は手すりにしがみつきながら階段を上り、やっとの思いで自室のベッドに身を投じる。
因みにエデンにはエデンの部屋があり、夜は別々に寝ている。
この島に来て数カ月が経ったけれど、俺達の夜も平穏だ。満ち足りていると言ったら嘘になるけど、それでも俺はやっと手に入れた安らぎに浸っている。
「エデンとまたこうして一緒に暮らせるなんて夢みたいだ」
今、瞼を閉じたら夢で終わりそうだ。
「ダル……」
体が怠くて言うに任せない。まるで鉛を纏っているよう。頭もガンガンするし、高熱なのに寒くて仕方ない。
「死にそ……」
多分、風邪かインフルエンザなんだろうけど、この孤島には医者もいなければ間に合わせの救急箱しかない。それだって使い切れば病気になっても己の自然治癒力に頼るしかない。見切り発車でエデンをさらって来たけど、いずれは薬が尽きて詰む。
「子供だな……」
俺もまだまだ考えが幼稚だった。
だけど俺の最終目的はエデンと一緒に死ぬ事だ。それが早いか遅いかだけ。
「……ほんとに風邪とかインフルか?」
寒くて寒くて、寝たら死にそう。
何か別の病なんじゃ──
体が弱っている時は弱気になると言うが、ベタにマイナス思考になっている。
コンコン
風化で荒廃したドアがノックされ、老人の金切り声の様な音と共にそれが開かれた。
「おまたせ。お粥と、ヤギの乳のヨーグルト持って来たよ」
ドアの先には聖母の様な笑顔でトレイを持つエデンが。
なんかホッとする。
それだけで救われた様な気がした。
「起きられる?」
俺は返事をする代わりに上体を枕の上にずらす。ここまで動くのがやっとだ。
「しんどそうだね」
嘘みたいにエデンが心配そうな顔をしている。
沢山酷い事をしてきたのに。
「……寒い」
食欲以前に寒気でもうどうしようもなかった。
「生姜でもあればお粥に入れられたんだけど。でも温かい物を食べたら内臓から暖かくなるよ」
「……ぅん」
でもヨーグルトでまた冷えるんじゃあ……なんて言えないけど。
「じゃあ、まずは湯たんぽを背中の下に入れるよ」
エデンは俺のそばまで来るとトレイを置き、それに乗っていたタオルで巻かれた小型の何かを俺と枕の間に押し込んだ。
「湯たんぽ?」
そんな物、この島に持ち込んだ記憶は無い。元々ここにあった物か?
「スキットル。海岸で拾ったんだ」
「スキッ……トル?」
初めて聞く名前だ。
「そう。映画でよく観る、あのウィスキーとかが入った水筒。お酒じゃないけど戦地でも使ってたんだ」
「あぁ」
そう言われると想像しやすい。
「暖かい?」
エデンが床に膝をついて小首をかしげた。
かわい。
「うん。じんわりくる」
格段に暑くなる、とはならないけれど、カイロみたいに部分的な暖かさはある。
「じゃあ、冷める前に……」
そう言うとエデンが恥ずかしそうにお粥を掬ったレンゲをフーフーし『あーん』と俺の口元に差し出した。
なんか、やる方が恥ずかしそうにしてくると、こっちもちょっと照れる。
でも献上品時代に戻ったみたいだ。
俺はぎこちなく口を開け、それを口にする。
味はしないが程良く冷めたお粥が口内、それから喉、食道、胃と温めてくれた。
食欲は無かったけど、気持ち少し落ち着いた。
「献上品時代を思い出すね」
そう言いながらもエデンは俺に次々お粥を食べさせてくれる。
「俺も思ってた」
「やり直せるなら、あの頃に戻って──」
エデンの手が止まった。
「俺を調教し直す?それとも俺を助けなければ良かった、とか思った、よね?」
普段の俺は鉄のメンタルだけど、病気のせいか、この時の自分は実に弱気だった。
「いや、私の人生の9割は酷いものだったけど、1割は確かに幸せな時があった。私にも欲があってね、その1割を捨てるのは惜しいなって思っちゃって」
「俺との事は全部9割の方なんでしょ?」
俺がそう言うとエデンはうっすら笑みを浮かべて首を横に振った。
「意外とそうでもないよ。でもこうして氷朱鷺との楽しかった記憶をここで追体験していると胸がギュッとなって苦しくなる」
罪悪感からか。
「苦しめてごめん」
もしかして死んじゃうかも、とか思ったら、素直に謝罪の言葉が出てきた。
「ううん、今は気持ちの調整中でね、あの頃に戻ったつもりで自分の気持ちと向き合ってる」
「そう……」
仕方が無いから自分の気持ちに折り合いをつけている、といったところか。
「少しは温まった?」
お粥を全て食べ終えたところでエデンが尋ねた。
「少し。でもヨーグルトは止めておく」
「分かった」
それからエデンが自分のおでこと俺のおでこに手を当てて対応を比較する。
「まだまだ高いね。やっぱり汗かかないと駄目なのかも。私の部屋から布団持って来る」
そう言うとエデンは部屋と部屋をダッシュで往復し、自身が使用する掛布団を俺に被せてくれた。
「これで少しは良くなるかも」
「……」
俺は熱に浮かされた頭でボンヤリ思う。
「俺の事、憎くて、許してないのに、なんでこんなにしてくれるの?」
それを聞いたエデンは肩をすくめて──
「先立たれたら、私独りになるでしょ?」
──と言った。
「仕方なく?」
「仕方なく」
エデンが笑っているところを見ると冗談なんだろうけど、俺はチェッと拗ねて布団を深く被る。
「ゆっくり休んで。私は畑にいるから」
そう声が聞こえたかと思うと、足音と共に部屋からエデンの気配が消えた。
寂しい。
つきっきりでいてほしかったのに。今日は曇りだけど、雨でも降れば家に戻って来てくれるかな?
俺は眠りにつくまで暫くそんな事を願った。
そして俺は夢を見た。夢の中で俺は暗がりの丘を歩いていて、随分と登った所で灯台のある崖に辿り着く。そこでは崩れかけの灯台に明かりが灯っており、そのそばに風に髪をなびかせたエデンが立っていた。
「エデン」
俺が近付くと、エデンは手にしていた花束を渡してきた。
「エデン?なんで花束なんか?」
「ほんと、残念だよ」
その言葉とは裏腹に、エデンは花が咲いた様に笑っている。
「何?」
俺が訳も分からず怪訝な表情をしていると、エデンが灯台を指差した。
「え、灯台?」
俺は明かるくなった灯台が遥か彼方まで照らす様子を見てハッとする。
これは本土へのSOS信号だ!
「助けを呼んでるの!?」
「さよなら、氷朱鷺」
そう言ってエデンが離れて行こうとして、俺はその後を追おうと踏み出すと何かに躓いて転んだ。
「何……」
その何かを見た時、俺は得も言われぬ恐怖に襲われる。
十字架だ。
そこに、太い枝をツルで束ねた十字架が刺さっていた。
「墓……?」
『誰の?』と思う間もなくエデンから『ここがお前の墓場だよ』という答えが返ってきて、俺はそこで目が覚めた。
「ハァハァハァ……」
汗ビッショリで目が覚めたが冷や汗のせいで寝覚め最悪。おかげで体調もすこぶる悪化している。だがこうしちゃいられなかった。
「エデン!」
これが正夢ならエデンは俺が寝込んでる隙に灯台に火を灯す。もしかしたらそこで俺は殺されてあの墓を建てられてしまうかもしれないが、そうなったら最悪相打ちでエデンも連れて逝く。
俺はその覚悟でベッドを飛び出した。
雨の中、スウェットに裸足でドロドロになりながら無我夢中で丘を登る。足を踏み出す度に胃が揺さぶられ、途中で何度かお粥を吐き、息苦しさで喉をヒューヒューいわせながら灯台のある崖へと到着した。
「ハァハァハァ……エデン……」
雨と高熱で霞んだ視界。気を抜くと倒れてしまいそうになる上体を持ち上げ、灯台を見上げる。
「点いて……ない?」
灯台は薄暗い崖の上で闇に染まりかけていた。
「……」
しかしそれでも俺は信じられなくて灯台の内部に入る。内部には灯台の崩れた内壁が辺り一面に散らばっており、錆びた螺旋階段は所々繋がっていない。
これじゃあ火は灯せないか……
「……ここが廃虚になってから相当経ってる。そりゃそうか」
足が泥だらけであちこち切れてる。
「馬鹿みたいだ」
俺は気が抜けて膝に手を着くと、滑ってそのまま前屈みに倒れた。
「正夢はこっち……の方……か……」
なんだかんだ、俺が死んだらきっとエデンは喜ぶ──
もはや俺は意識を保っていられずその場で意識を失った。
──どれくらい気を失っていただろう?
俺は倒れた時に瓦礫で切ったであろう手の痛みで目が覚めた。そして頭以外の全身が動かせず、首だけを持ち上げて状況を把握する。
「えっ」
どうりで動けないと思ったら、横になった俺の後ろから手脚が伸び、がっちり体をホールドしていた。
顔は見えないけど、エデンしかいないよな。
「起きた?」
やっぱりエデンの声だ。
「どうしたの、エデン」
「どうしたもこうしたもないよ。雨が降ってきて畑から戻ったら氷朱鷺がいないんだもの。あっちこっち探し回ってやっと見つけたと思ったら、意識不明で倒れてて、運べないからこうして温めてたんだよ」
エデンには珍しく、興奮気味に一息でそう言った。
「ごめん」
こんな足場の悪い所でドロドロの俺を抱きかかえているなんて、相当心配してくれたんだ。見殺しにする事も出来たのに。
俺は申し訳なさと嬉しさと具合の悪さでめちゃくちゃになった。
「起きれる?」
返事を待たずにエデンから上体を起こされる。
「イタタタタタ」
全身が鞭打ちにあったみたいに痛んでやっと起きた。
結構強引だな。
「立てそう?」
「ごめん、ちょっと無理」
「だよね」
エデンは諦めた様にガクリと後ろから俺の肩におでこを着いた。
「兵士時代はさ、自分の体重の何倍もある仲間を背負って山を下ったりっていう訓練が──無かったんだよね」
無かったんかーい。
「な、無かったんだ……」
「少年兵に訓練なんか無いよ。隊に入ったその場で捨て駒として最前線に送られる。私は目も勘も良かったからライフルを渡されて、ある者は手榴弾1つだけを持たされた。負傷した仲間の事は、その場で撃ち殺せと命じられたよ」
「ぇ、うん……」
なんか不安になってきた。俺、やっぱ殺されて墓を建てられるのかな?
「そもそも重装備の屈強な兵士なんか担げる訳がないんだもの。武器や装備を奪って射殺さ。まるでこちらが敵兵みたいな気分だったよ」
「へ、へぇ……」
ますます心配になってきた。
「敵兵を討ち取ったと同じくらい仲間も殺したんじゃないかな。取り返しのつかない怪我をしたら仲間が敵になるからさ、誰も信じられなかったよ」
『ま、1人、例外もいるけど』とエデンが付け加えて、それが杉山さんである事は容易に想像出来た。
エデンと孤島で2人だけになっても、やっぱり杉山さんへの嫉妬は今も尚止まない。
「ゴホッ」
ずっとウィルスを媒介しないよう我慢していた咳が、今になって抑えられなくなってきた。
「ごめっ、ゴホッゴホッ!!」
我慢すればするほど、咳のツボに入ってしまう。
「いいよ、外にウィルスを排出しようとしてるんだから、いっぱい咳しな」
「でも、ゴホッ……エデンに伝染る」
例えエデンが良いと言っても、俺が伝染したくないのに。
……死ぬ時は一緒、とか思いながらエデンへのウィルス感染を心配してるなんて、な。
「平気平気。鼻水も沢山出すといいよ」
「ゴホッゴホッゴホッゴホッ!!」
『それはちょっと──』と言いたかったのに、一度緩めた緊張が咳を止まらなくさせた。
「咳してる人の背中をさするのってさ、本当は特に効果は無いけど、何もしてあげられないからって、せめてもの思いでやってるんだよね」
なんて言いながらエデンが俺の背中をさすってくれて、勿論、咳は止まらないけれど、精神的元気は確実に出た。
「ゴホッゴホッゴホッゴホッ」
『ありがとう』って伝えたいのになぁ。
「風も強くなってきたし、寒くもなってきたね」
「ごめ……ゴホンッ!!」
俺がヨロヨロと立ち上がろうとすると、その体をエデンに引き戻された。
「ドロドロで凸凹の真っ暗な下り坂をその体で歩くのは危ないよ。それで骨折でもしたら敗血症になって死んじゃうかもだから、今夜はここで一夜を明かそう」
ただでさえ高熱で視界が暗く見えるし、エデンの判断は間違っていないと思う。でも──
「ゴホンッ……エデンは戻って」
「戻らないよ。一緒にいる」
俺はハーーーッと深く息を吐き、咳をやり過ごして口を開いた。
「俺の事、嫌いじゃん。それに本当は独りになりたいくせに」
「……」
これまで気にならなかった激しい風や大波の音がやけに響く。
エデンは今、どんな顔をしているんだろう?
「ゴホッゴホッ……」
「認めるよ」
「ゴホッゴホッ!!」
認めちゃうんだ……
咳というより吹き出して噎せた。エデンから何度も拒絶の言葉はくらってきたけど、何度くらってもショックはショックだ。なんなら病気で弱っている今が一番ショックかもしれない。というか、慰めに背中をさすってくれるくらいなら、こんな時くらい否定してほしかった。
「認める認める」
三回も言った……
「寒くない?」
「寒いよ」
心がね。
「ちょっと待ってて」
そう言うとエデンは後ろでゴソゴソと身動ぎ、それから俺のスウェットとシャツを一緒くたに捲った。
「え?え?」
一体、何をしているのかと振り返ろうとすると、その首をエデンから前向きに戻される。
「前だけを見てて」
「?」
言う通りにしているといきなり、エデンが捲った俺のシャツの中に頭を突っ込んできた。
「んんっ!?」
背中がエデンの髪でゾワゾワし、変な声が出る。
「プハッ」
とエデンが息継ぎするみたいに襟足首から顔を出し、自身の体を密着させてきた。
「えぇっ!?」
軟らかい感触を背中に感じ、俺は驚いてしゃっくりみたいに一旦咳が止まる。
いや、これは首が苦しいからか?
「ごめん、苦しいよね?」
と言ってエデンがより一層俺にくっつき、俺は朝までこの息苦しさを耐えようと心に決めた。
「雪山のさ、人肌で体を温め合うセオリーって誰が最初に考えたんだろうね?」
「さ、さあ?」
背中がじんじんするくらい熱い。多分顔も小っ恥ずかしいくらい真っ赤だ。気が付けば体調不良も分からなくなってしまった。
肌、スベスベだな。
思えばエデンとこうして肌と肌とを合わせるのは初めてじゃないか?
こんな感じなんだ。万里やヤサカとは違う、好きな相手だからこそ感じられるフィット感。
「はぁ……」
咳じゃなくてため息が溢れる。
俺だけがこんなにドキドキしているんだろうか?
寒いどころかもっと熱が上がりそうだ。
「眠い?」
「え、別に」
背中の感触のせいでボンヤリはしていたけれど、なんでそんな事を?
「雪山セオリーで、寝たら死ぬぞーってあるでしょう?」
「ここ、雪山じゃないからね」
「あぁ、そう」
エデンは急に興味を失ったみたいに冷めた声を出した。
解らない人だ……
「咳が止んで良かったね」
「うん」
まだ少し咳き込む事はあるけれど、言葉に咳が混じる事はない。
しかし、どうしてこうもエデンは通常運行でいられるんだ──
あれ?
気の所為か?
背中からエデンの速くて強い鼓動が伝わってくる。
いや、まさかな。エデンに限ってそんな事はない。エデンが俺相手にドキドキする筈がない。これは単なる動悸かもしれない。
そこまで自分で考えて悲しくなる。
「今、何時くらいなんだろう?」
体感1時間が経ったあたりでエデンがそう言った。
「俺があげた腕時計は?」
「さあ」
全然悪いと思っていない感じの返事がきた。
「捨てたんだ?」
最初からエデンが取ってあると思っていないからそこまで心的ダメージは無いけれど、やっぱりどこか釈然としない。
「どこにいったか分からない」
元々物欲が無く、色んな事に無関心なエデンの事、その言葉に嘘はないのだろう。
「俺は子供の頃エデンから貰ったお守りを未だに着けてるのに」
「そのようだね」
「これまで貰った指輪達は?」
「着の身着のままで流刑にされたり、孤島に拉致されたりで大事な物を持ち出す隙なんてなかったじゃん」
「まあ、そうだね……ねぇ?」
この逃げ場の無い状況で、どうしても聞いてみたい事があった。
「んー?」
気の無い返事だ。
「正直、杉山さんと春臣と市川弥彦の誰が一番好きだったの?」
「一番か……」
俺的にはエデンの初恋である杉山さんが有力候補だと思うんだけど。
「杉山さんがフランス料理でさ」
「は?」
「春臣が日本食で」
「え?」
「弥彦が中華だと思うんだよ」
「いや、全然分かんない。何?」
気でも触れたか?
「ジャンルが違うから比較出来ないって事。皆オンリーワンなんだよ」
「俺はエデンが作るオムレツがオンリーワンだけど?俺にしてみたら、どうして次々好きな人が出来るのか分からない。そんな愛、偽物なんじゃないかって思ってる。人を愛するって人生で一度きりだと思うんだけど?」
デジャヴか、こんな水掛論をこれまで何度も交わしてきた様な気がする。
「氷朱鷺、残念ながら愛は理屈で出来てるんだよ。基本生き物って挫けない様に作られてて、子孫繁栄、繁殖の為に求愛を繰り返す。人間なんて例え恋愛で傷を負っても恋愛でそれを癒やしたりするもんだよ」
「じゃあ、俺がおかしいって事?」
一途な事がそんなに悪い事?
俺にしてみたらエデンの考えの方が不埒な事の様に思える。
「そうじゃないよ。これから何があるか分からないって事。この島に氷朱鷺好みの女の子が流されてくる可能性だってあるでしょ?」
「好きになる可能性は無いよ」
「分かんないって」
「分かるよ!」
「この世の全女性を見てきてないのに断言は出来ないよ」
「見る必要が無い。だってもうそれ以上の最良の人がいるんだから」
俺は冷静なエデンの3倍の熱量でそう返した。
「私も誰かと出会う度にそう思ったよ。そして毎回自己嫌悪に陥ってさ。今もね」
「俺はこの島に第3の人物が流れてきたら男女問わず殺すって決めてる」
「なんでさ、決めんな」
「俺とエデンの楽園生活を邪魔されたくない」
「勝手だなあ、実に勝手」
「決めたんだよ」
「だから決めんな」
エデンはそうやって苦笑したけれど、俺は至って真剣だ。
「因みに氷朱鷺はこれから毎日3食私のオムレツでも良いって事?」
恋愛感と重ねて聞いてるよな?
「いけるよ」
「無理だって」
俺がムキになって答えると、エデンは呆れながら失笑し、俺の襟足に吐息を漏らす。
ゾワゾワ
「──っ」
せっかく考えない様にしていたのに、脊椎に直接息を吹き付けられた様な甘美な感覚に俺は息を詰めた。
「ちょっと、人が病気の時に首に息を吹きかけないでよ。わざとなの?」
「仕方ないじゃん。私に息するなって?」
「そうじゃなくて、もっと気を遣ってって事!」
「童貞か」
この小競り合いの中でもエデンの息がダイレクトに俺の首筋を攻めてきて全身が粟立つ。
「こんな禁欲生活じゃ、そんな様なもんだよ」
「別に我慢しろとは言ってないけど?」
え?
ラッキースケベ的な意外な展開……
確かに、雪山で遭難した男女が裸で温め合い、そのまま関係を持つのはあるあるだ。
「じゃあいいの?」
そう言えば何かしらの匂わせはあったよな?
「良くない、右手があるでしょうが」
良くないんかーい!
「期待して損した」
俺は完全にへそを曲げた。
「病人のくせに変な期待すんな」
「いたっ」
後ろからエデンに頭突きされ、後頭部に鈍痛を覚える。
「病人に頭突きするなんて。しかもこの状況じゃあ、期待するでしょ」
「するな」
「んな無茶苦茶な」
そうしてこの生殺しのまま夜は更け、翌朝を迎えた。
「よく眠れた?」
「眠れるかー!」
背中の生乳の感触せいで一晩中バッキバキだった。
「まあ、氷朱鷺は寝たら死ぬ可能性があったしね」
「エデンは?」
エデンはずっと俺の肩におでこを着けていたけど、呼吸は浅かった様に思う。
「寝てないよ」
「やっぱり。エデンは寝ても良かったのに」
「こんなに密着してたら眠れませんて」
エデンは昔から人の気配がすると熟睡出来ないタイプの人間だったが、それでも、俺に気を許していない証拠の様にも思える。
「今までの男達ともそんな感じ?」
駄目だ、聞きたくないのに聞いてしまう。
「杉山さんに関しては、子供の頃から一緒だったからかそうでもないんだよなあ」
やっぱ杉山さんは3人の中でも特別で格別で別格だと思う。
「やっぱなんとかして殺しておくんだった」
「コラッ!!」
「いたっ!」
また後ろから頭突きされ、今度はタンコブが出来た、と思う。
「もうそんな事考える必要ないでしょ」
「確かにそうだけど、知るとイラッとするんだよ」
俺は傷んだ後頭部を押さえたかったが、エデンがくっついているので堪えた。
「じゃあ聞くな」
「そうなんだけど、聞かないともっと悍ましい想像をしちゃうからつい聞いちゃうんだって」
「悍ましいって何よ」
「絡みとか」
「気持ち悪……」
俺がエデンをドン引きさせてしまったせいか、彼女は早々に背中から撤退し、いそいそと自分の服を着た。
「もっとくっついてたかったのに」
彼女がいなくなった背中はちょっとした空洞になってやけに寒々しい。
「似合わないセリフ言わないで。帰るよ」
逆に、俺に似合うセリフとは?
「待って」
容赦なく俺を置いて行くエデンを追って外に出ると、丁度水平線から朝日が昇るのが見え、その眩しさと美しさに目を細めた。
息を飲む。目を見張る程の神々しさ。他では見られない特有の光景をさながらここを神の島の様に思わせた。
「綺麗だ……」
「……」
まるで心が洗われる様だ。邪な心やウィルスが浄化された気になる。
「ここに島流しにされた人ってさ、罰として死ぬまで灯台守をやらされたんだって」
エデンは朝日に目を奪われたままポツリとそう言った。
「そうなんだ」
俺は朝日で後光が差すエデンから目が離せなくて、深いブルーの瞳が朝日で輝きを増す様に見惚れていた。
「寿命がきた頃合いに遺骨が回収されて、そこでやっと刑期を終えた事になって本土に帰れるんだってね」
「へえ」
「でも灯台で見るこの景色は全く罰でもなくって、生甲斐だったんじゃないかな」
「うん。そうだね」
果たしてその遺骨は本土に帰る事を望んでいたんだろうか?
「私が死んだらここに埋めてよ」
「そんな、縁起でもない」
「お願い」
エデンの輝いていた瞳に影が差した。
「まさか、死のうなんて考えてないよね?」
そんなの、俺が絶対に許さない。
「まさか。でもお願い」
「……分かった。じゃあ、俺が死んだ時もここに埋めて」
「分かった。約束しよう」
「どちらかが先に死んだら必ずここに墓を建てる。そして残された者が墓守をしてここで死ぬんだ」
「いいよ」
「約束」
俺が小指を立てると、エデンはそれに自身の小指を絡め、約束してくれた。
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