王女への献上品と、その調教師

華山富士鷹

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思い出の日々

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 今日はこの島に来て初めて米が収穫出来た。
「自分で種を持ち込んでおいてなんだけど、水田でなくても畑で作れるもんなんだね」
 台所にて、漂着した瓶を使って脱穀しているエデンの後ろから、俺が首を伸ばして感嘆の声を漏らす。
「条件が揃えば意外と畑でも育てられるんだよ。ただ、ちょっと難しいけど」
「ふーん。エデンて物知りよな」
「そうでもないよ。沢山試行錯誤したし」
 そうしてエデンは謙遜しているけれど、この小さな頭に生きる為の知恵が沢山詰まっていると思う。
「いや、エデンがいなかったら自給自足なんて実現出来なかった。魚や色んな生き物を捕まえて捌いたり、畑を拡げたり、島の木で家を補修したり、小屋を建てたり、毎日が充実してて、生きてるって感じ」
「そう、それは良かった」
「今夜は新米?」
「そうだね。だって今日は──」
 そこでエデンは脱穀の手を止めた。
「ん?」
「いや、それより今朝の体調は?」
 俺はあれから未だに本調子ではなく、時折咳をしていた。当時より酷くはないが時に怠かったり、微熱が出たり、頭持ちが重かったりでエデンに迷惑ばかりかけている。
「全然いいよ」
 今日はたまたま体調は悪くなかったが、良くない日でも同じ返事をしていた。ただ、長年俺を見てきたエデンにはお見通しで、百発百中体調を当てられる。
「良くはないでしょ。寝てなよ」
「嫌だ。お荷物になるのだけは嫌。エデンのヒモになりたくない」
 エデンの事は俺が支えたいのに。
「どちらかが駄目な時はどちらかが支える。そういうルールなんだから」
「いつそんなルールが?」
「なんとなく、いつの間にかぼやんやり決めた」
 緩いな。そしてぼやんやりしてんなあ。更に言えばエデンが異常にタフ過ぎてルールが成り立たない。
「でもほんとに今日は大丈夫なんだって」
「ほんとにー?」
 エデンが上を向いて俺の顔色をチェックする。
 ドキッ
 いつになってもエデンから見つめられるのは慣れない。今でも彼女の瞳を見ると俺は紅潮してしまう。
「うん、まあ、いいか。じゃあ海岸でタコでも釣ってて」
 俺の紅潮が功を奏したのかエデンが納得してくれた。
「エデンは?」
「脱穀が終わったら家畜に餌やったり畑出たり」
「一緒にやりたい」
「ハードだからダメー」
 エデンから顎であしらわられ、俺は諦めて棒切れに毛糸を垂らして手作りの疑似餌を括った物とペットボトルを持ち出す。因みにこの疑似餌はエデンが漂着物の赤いサンダルで作った完全オリジナルで、ちょっと無骨な蟹の体を成しているがタコが良く釣れる。エデン曰く、タコはそれっぽい動く物に反応するから蟹っぽく動かせばなんとかなる、との事。
「つまり俺の腕次第という事か」
 ちょっとプレッシャー。
 海岸に着き、俺はまず先にエデンがペットボトルで作った罠を確認していく。これにはよく小魚が入っていて、エデンはそれを煮干しにして出汁をとっている。俺はその煮干しスープで作るおでんが大好きだ。
「おお、まあまあ入ってるな」
 俺は小魚を回収し持参したペットボトルに入れると罠をまた所定の位置に戻していく。全て回収し終えると、俺はタコがいそうなポイントに糸を垂らして小刻みに棒先を揺する。

 そんな事をしながら午前を過し、捕れたタコを引っ提げて一旦昼ご飯を食べに戻ると、今度はマイナスドライバーを持って岩場の貝採りに出た。
「ここはもうだいぶ取り尽くしたなあ」
 俺が次なるポイントを求めて移動すると、高めの岩場からエデンがいる崖の上が見えた。
「あれ、なんで崖なんかに?」
 崖がある高台には家畜も畑も無い。あすこには灯台くらいしかないというのに、何故だ?
 それでも、エデンはあそこから見る風景を気に入っている。気分転換に高台に登る事もあるだろう。
「そう言えば、あすこから本土が見渡せるんだよな」
 風景なんて全く気にしてなかったけど、思い起こしてみると霞がかった海の向こうに確かに本土の建物なんかが見えたんだよな。
「やっぱり、本土に帰りたいとか思ってるんだろうな」
 声にすると尚更落ち込む。
「帰す気は無いけど」
 これが俺のサイコパスたる所以か。
「今でも他の男の事を思ってホームシックになったりするんだろうか。もしそうなら早く諦めればいいのに」
 でもエデンは人に執着する様な人間じゃないし、未練たらしいタイプでもない。敢えて不安になる必要は無いんだけど、なにぶん俺がヤキモチ焼きの為、要所要所、ふとした時に嫉妬の炎を燃やしてしまう。そのループだ。
「それもこれも、未だにエデンとの交わりが無いからか」
 最近はいつもこの答えに行き着く。物理的な欲望を満たしたいというより、本当の意味でエデンを手に入れた、という証が欲しい。
「アプローチするのもキモいよな」
 既に嫌われているのに、これに更にキモがられたら救いようがない。
「夜這いとか?」
 エデンが怖がるか。
 今の生活に満足している様で、エデンが好き過ぎて貪欲に彼女を求めてしまう。本気で出家を考えてしまうレベルだ。

 そうして午後は煩悩と戦い、日が沈む前にエデンが俺を迎えに来た。
「わざわざ迎えに来るなんてどうしたの?」
 俺がそんな風に聞くとエデンはバツが悪そうに後頭部を掻いた。
「いやぁ……体調はどう?」
「いいけど?」
 この言葉に嘘は無い。
「そう……じゃあ、少し歩かない?」
「え、いいけど……」
 なんだ、この、別れ話を切り出そうとタイミングを図っている様な態度は──
 不幸中の幸い、悲しいかな俺達は付き合っていないが、同棲はしている。別居でも告げられるのか?
 別居と言っても、家としている施設の他には簡素な家畜小屋や薪小屋、納屋がある程度だ。とてもじゃないけど住めたもんじゃない。そうなると別居以外で考えられる事は……無い。思い当たる節がまるで無い。それとも俺の考えの及ばないところで何かあるのか?
 俺に心当たりは無いがエデンが歩き出したので付いて行く。
「……」
「……」
 それで、歩き出したはいいけどどうして何も言わないんだ?
 ちょっと気まずいな。
「エデン、なんで高台なんか──」
『に?』とエデンの背中に聞こうとして、思わぬ彼女が急に立ち止まり、俺はその背中にぶつかる。
「ちょっと、どうした──」
『の?』と言おうとして、エデンの肩越しに広がる光景に目を奪われた。
「なに、これ?」
「お先にどうぞ」
 そう言ってエデンが道を譲った先には獣道の両サイドに松明が挿され、それがまるで俺を導くかの様に様々なご馳走を乗せたテーブルまで伸びていた。
「えっ……」
 現実とは乖離した様な幻想的な世界をフワフワ歩いて行くと、ぐるりと松明で囲われたテーブルに到着する。
「凄っ……」
 海風で靡く白いテーブルクロス。その上には蒸した伊勢海老や脚の長い蟹、飾り切りを施された華やかな畑の野菜達、クリスマスに出てくる様なビジュアルの謎鳥の丸焼き、謎魚の寿司等がカラフルな花々で装飾され、所狭しと並べられており、対面状に対を成したグラスには深紫の液体が入っていた。
「わぁ……」
 言葉にならない。
「なんで?」
 明らかに非日常だよな?
 この島に来てこんな事は初めてだ。
「誕生日でしょ?」
「えっ」
 自分の誕生日だなんて、すっかり忘れていた。そもそも島に来てからというもの、曜日感覚すらとっくに失っている。
「覚えててくれたの?」
 感激し過ぎて目の奥が熱くなった。
「うん」
「俺の事、嫌いなのに?」
「うん」
「いや、誕生日ならせめて否定しようよ」
「ごめん」
 エデンは俺の感激とは相反して淡々と受け答えしている。
 人の誕生日であってもテンションは普段通りなんよな。一体、どういう感情で祝っているんだろう……
「いいよ。誕生日だから許す」
「座って」
 エデンに促され席に着くと、それを見届けていたエデンも向かい側の席に着いた。
「こんな見晴らしの良い所でディナーなんて初めてだ」
 松明が照らしているのはせいぜい俺等の周辺のみだけど、深淵に広がる闇とのコントラストが絶妙で、この孤島の、ここだけがスポットライトを浴びている様な、そんな気がしてとてもロマンチックだった。まるでこの世にエデンと2人だけになったような、そんな感じだ。
「自分の国じゃあペントハウスだったでしょ?」
「まあ、そうだけど、ここは遮る物が何も無くて開放感があるし、波の音とか風を感じられる。向こうじゃヤサカの束縛もあって息が詰まりそうだったんだ」
「本当に馬鹿な事をしたね」
 エデンは呆れるというより悲しそうな表情で俺を見た。
「後悔してない。この生活の為に生きてきた様なものだから」
 別に場所は何処だって良かった。それが例え地獄であっても、エデンと一緒ならそこが俺にとっての天国なのだから。
「苦労が絶えないのにね」
「エデンを巻き添えにしたのは悪かったと思うよ」
「何割?」
「1割は」
 残念ながらこの言葉に嘘偽りは無い。
「1割かい」
 エデンが笑ってくれて報われたけど、彼女にしてみたら大迷惑な話よな。全然気にしてないけど。
「さあ、とにかく乾杯しよう?」
 エデンが手元のグラスを掲げ、俺もそれに習ってグラスを手にする。
「誕生日おめでとう」
 一瞬だけ中腰になり、エデンのグラスに自身のグラスを軽くぶつけると、コチンという小気味良い音がして中の液体が鈍く揺れた。
「これは?」
 俺は手にしていたグラスを上から覗き込む。
 ワインにしてはとろみがあって色も赤黒い紫だ。正体を知らずに飲むには勇気がいる。
「島の樹の実を集めて醗酵させた物だよ。桑の実とか野苺とか山葡萄とか」
「へぇ、こんな孤島でお酒が飲めるなんて凄いな」
 俺に隠れてこんな物まで用意しておいてくれるなんて……
「毒は入ってないから飲んでみて」
 そう言ってエデンは俺のグラスを顎で指した。
「疑ってないよ。毒を盛るならとっくに盛ってたでしょ?」
「まあね」
 俺はグラスに口を付けて一口だけ液体を口に含むと、口当たりの良いフルーティーな風味が口の中に広がり、次いで強めの酸味とアルコールが舌を痺れさせた。
「結構くるね。でも美味しい」
 俺は続けてグビグビとそれを喉に流し込む。
「あまり飲み過ぎないようにね」
 そう言いながらエデンも自身のグラスに口を付けた。
「少し風があるけど寒くない?」
「これだけ松明で囲まれてたら暑いくらいだよ」
 多分、酔いが回ってもっと暑くなるだろう。
 エデンがピッチャーから俺のグラスにアルコールを注ぎ足した。
「俺を酔わせてどうする気?」
「馬鹿」
 エデンがフッと鼻で笑って俺をあしらう。
「天然酵母で米粉パンも作ったんだ。ちょっと目が粗くて固まっちゃったけど、おかずと一緒に食べてみて」
 そう言われてテーブル上に視線を落とすと、丸くて真っ白なパンがエデンお手製の籠に積まれていた。
「何から何まで、大変だったでしょ?」
 これでもかとエデンを不幸のどん底に落としてきた俺にここまで良くしてくれるなんて、自分で言うのもなんだけどエデンはどうかしてる。
「誕生日ってさ、祝う側も準備するのが楽しいんだよ」
「そういうもん?」
 でも、そうか、逆の立場でもそうかも。
「うん」
「けど俺なら、愛が無ければここまで出来ないけどな」
 パンを食べても付け合わせの煮込み料理を食べても、どれも手間のかかった美味しい味がする。
「そう?」
「うん。だって手間じゃん」
「まあ、そうだね」
 エデンがこうして俺を軽くかわすのは、彼女にその気持ちが無いからだ。エデンの気持ちに一番近いのは俺に対する情けだけ。俺を凶行に至らしめたという責任からくる情けに苦しめられているのだろう。それはもう呪縛の様に。可哀想だけど、俺はそれを利用している。
「外側に上れる手すりがあったから本当は灯台も灯したかったんだけど、まあ、見つかっちゃうからね」
 そうしてエデンはグラタンを食べながら笑った。
 チャンスがあってもエデンが逃げないのは、逃げた先で俺がまた誰かを傷付けるだろうと踏んでいるからだ。
「エデン、エデンの誕生日には俺が出来る最大のおもてなしで祝ってあげるからね」
 エデンにとって俺が恐怖の対象であろうと、彼女を死ぬほど大切にして幸せにしてあげたい。
「別にいいけど、ありがとう」
 そうして俺達はエデンが用意してくれたご馳走をほぼたいらげ、酒も飲み干した。
「大丈夫?目が血走ってるよ?」
 俺と同じくらい飲んでいたエデンが頬も染めずにケロッと尋ねてきた。
「ちょっと、あっつい……くらい」
 俺は見栄を張ったものの、ちょっとどころか世界が周り始めている。
「家まで下れる?」
「……それは大丈夫。それも考えて……ペース配分してたから」
 ──の筈だったけど、アルコールの余韻が制動距離の如く結構伸びたのは誤算だった。
「まあ、体は元気だから這って帰ればいいんじゃない?」
 エデンはなんでこんなにシラフなんだよ。
「俺はトカゲか」
 ワンチャン、酔った勢いでそのままエデンと懇ろになれるかも、とか頭の片隅で思ってたのに……
「ねぇ、最後に花火しよう?」
「花火?」
 そんな物がこの島に?
「作った」
 エデンはテーブルの下から何本かこよりを取り出し、崖っぷちにしゃがむ。
「え、火薬は?」
 俺もフラフラしながらエデンの隣にしゃがみ込んだ。
「いや、炭の粉を作って、塩とか銅とか錆びた鉄を混ぜて紙でこよってみた」
「え、凄っ」
 でんじ◯う先生かな?
「万里が小さい頃にテレビで観て作ってみたんだ。地味だけど、味があって綺麗だったんだよね」
 エデンはいつも、万里の名前を出す度に瞳を潤ませた。俺はその度に背負った十字架の重さを再認識する。
「はい」
 エデンからこよりを渡され、ライターで火をつけられた。花火だと言うそれはチリチリと紙を焦がし、赤や緋、緑色の火花を散らしながら俺とエデンの顔を優しく照らす。
「線香花火みたいだ」
 決して派手ではないけれど、退廃的な美しさが胸にグッときた。
「線香花火って人の一生が詰まってるらしいよ」
「聞いた事ある」
「儚いよね」
 俺が手にしていた花火が役目を終えたかの様に燻ぶり始め、燃え尽きようとすると、エデンが慌てて自分が持っていた花火をそれにくっつけて火種を繋げる。
「良かった。繋がった」
 こうして俺達は何度も火種を繋ぎ、最後の1つが燃え落ちるのを2人で見届けた。
「終わっちゃったね」
 これが誕生日の終焉かと思うと、おれの心はぽっかりと穴の空いた様な喪失感に見舞われる。
「楽しかった。ありがとう、エデン」
 エデンが仇相手にどんな気持ちでこれらを用意したかは解らない。でもエデンが俺の為にここまで手を尽くしてくれた事が嬉しい。
「じゃあ帰ろっか?歩ける?」
 俺は立ち上がろうとするエデンの腕を捕まえた。
「歩けるけど待って」
「ん?」
 エデンがここまで俺をもてなしてくれた事には感謝している。けどあと1つ、1つだけ叶えてほしい願いがあった。
「俺が献上品時代、誕生日プレゼントに願ったものを覚えてる?」
 エデンが無音で『あっ』と言ったのが見てとれた。この様子じゃあ俺が何をねだったか完璧に覚えているだろう、彼女が気まずそうな顔をしているのが何よりの証拠だ。
「覚えてない」
「嘘つけ」
 見るからに『ヤベッ』て顔をしただろう。それをよくもケロッと嘘を吐けたもんだ。それなら至極ハッキリモッキリ(?)言ってやる。
「あの時してもらえなかったキスをしてほしい」
「やだよ」
 秒速即答。撃沈。だが俺は決してめげない。何故なら、決してめげないと決めたから。
「だったらあの時の分は忘れて、今の分のキスをして」
「そもそも誕生日にキスを送るという文化自体無いじゃん」
 エデンは乱暴に俺の腕を振り払った。
 これも想定内の反応だけど冷めすぎじゃないか?
「いいじゃん。マウストゥマウスくらい」
「私、キス嫌いじゃん?」
「一瞬一瞬!犬とキスしたと思って」
「だったら犬とするよ」
「そんなに嫌?」
「嫌だよ」
 頑固だな。そりゃもう岩みたいに固い意志だ。
「俺の事が嫌いだから?」
「や、怖いなって」
「怖……」
 そりゃ嫌われる事や怖がられる事は沢山してきた。自業自得だけどその事実をつきつけられるとやっぱり落ち込まずにはいられない。決してめげないと決めたのに、今だけめげてる。今だけ。
「いや、ごめんて。氷朱鷺の事が怖いんじゃないよ」
「は?なぞなぞかなんか?」
「この、孤島に2人きりの環境で、たった些細な出来事が自分の意識や考え方を変えてしまうかもしれない、と思うと怖いなって」
「キスきっかけで俺を好きになっちゃうのが怖いって事?」
 あれ、ちょっと希望が湧いてきたぞ。
「や、キスきっかけでもっと嫌いになったら日常生活を暮らせないなって。この孤島じゃあ嫌でも2人な訳だし」
「そっちかーい!」
 思わず心の突っ込みが声に出た。
 結局この日は何もなかった。
 それから俺達は誕生日やクリスマス、年越し等、何か記念日がある度にこの灯台下でイベントをこなした。病める日も健やかなる日も2人で支え合い、身を寄せ合って暮らした。

 そしてここへ来て4度目のエデンの誕生日、俺はある決意を固めてその準備に勤しむ。
 まずは料理。朝から食材を探し回ってはずっとキッチンに籠もり、煮たり焼いたり昼過ぎまで作業を進め、それから島中の白い花をとにかく大量に集めて灯台下までの数メートルに花の花道を作り上げる。そしてそれを囲う様にアーチ状に編んでおいた弦を等間隔で建てていく。それが終わると弦に摘んできた白い花をこれでもかと挿し込んだ。
 ここは風があり、夏でも肌寒いくらいだったが、俺の額を汗が流れる。
「ゴホッゴホッ」
 相変わらず体調はそんなに思わしくない。日常生活を送るのに不便はなかったが、時々こうして咳が出るのが煩わしい。たまに微熱も出たりするが、そちらはもうすっかり慣れた。
「さあて、最後に料理を運んで、と」
 そうして俺が灯台下と家とを何往復もして料理を運び終えるとエデンの手を握って例の花道の前に並んだ。
「凄いね。私の誕生日にしては仰々しくない?」
 早速、誕生日祝いにしては例年より手が込んでいるとエデンが察してくれた。
「うん。今夜は……特別なんだ」
 とか言って、俺は緊張して前髪を気にしてみたり。
「前髪、伸びて良かったね」
「前髪の事には触れないで」
 ひと月前、俺はエデンに前髪を切ってもらい、絶妙に短くされて嘆いていた、のは言うまでもない。
 この日までに伸びてくれて本当に良かった。でないと大事なこの日に間抜けな姿を晒すところだった。
 今日の俺は前髪を後ろに撫でつけ身なりも整え、それとなくカッコつけている。
「私なんかの誕生日におめかしして、どうしたの?」
「だって今日は特別な日だから……エデンはそのまんまだよね?」
「そりゃ、島には化粧品も無いし、ドレスも無いし、そもそもそんな物に興味も無いし」
 エデンらしい。
「そりゃそんなんだけど……まあ、エデンは変わらず綺麗だから必要無いけどね──って、ほんとに変わらないよね」
 改めて見て、エデンは俺と出会った頃と髪型以外は全く変わっていない。
「変わらないと思うよ。過酷な時を経た少年兵の多くは姿が変わらないって言うし」
「それにしたって、出会った頃から10年以上が経つのに、これじゃあまるで俺の方が歳上みたいだ」
「威厳が無い?」
 そうしてエデンは愉快に笑ったけれど、何度誕生日を迎えても姿の変わらない彼女を見ていると、俺は、文字通り彼女だけが時代に取り残されている様で悲哀の気持ちになる。
 それでも、俺だけが歳をとっているせいか、少女の様なエデンのあどけなさが堪らなく可愛いと思える。
「お前は随分と大人っぽくなって色気のある青年になったもんだ。昔は中性的で儚げだったのに」
 エデンはしみじみしながら背伸びして俺の頭を軽く撫でた。
「エデンに好かれなきゃどっちも意味無いんだって」
「どっちも素敵だよ」
「社交辞令ありがと──じゃなくて、ええと……」
 俺はコホンと咳払いしてその場を仕切り直す。
「エデン」
「どうしたの、改まって」
 エデンは甥っ子の学習発表会でも見に来た叔母の様な穏やかさだ。
 あぁ、緊張するな。
「誕生日おめでとう」
「うん。ありがとう」
「それでさ……」
 相手に緊張が伝わらない様にするって意外と難しいもんだ。
「うん?」
 よし、言おう。
 俺は大きく息を吸込み、それを堰き止めながら決意を言葉にした。
「俺達、結婚しない?」
「しないよ」
 出た!秒速即答。
「なんで?」
 俺は脱力して堰き止めていた息を全て吐き出した。
 いや、勿論、玉砕は想定内だったけど、だからと言ってノーダメージとまではいかない。
「そもそも付き合ってもないし、結婚する必要も無いし、治外法権のここにそんな制度も無いし、なんでわざわざ?」
「俺がしたいから」
 俺は被せる様にズバッと答えた。
 ここは我儘で押し通そう。それでエデンが折れてくれたら儲けもんじゃないか。
「くだらなっ」
 エデンからどんなに呆れられようと俺はめげない。だってめげない先に何かあるかもしれないから。
「そりゃ付き合ってもないし、わざわざ結婚する必要も無いし、こんな孤島じゃ無意味かもしれないけどさ、これから先、ずっと、死ぬまで一緒にいるんだよ?それはもう夫婦だし、お互いにお互いしかいないんだから結婚したらいいじゃん」
「私、何度となく婚約、結婚、離婚、事実婚をしてきたから思うけど、ほんとに無意味だよ?」
 それら全てが俺のせいだと思うと、反省というより、自分のファインセーブに感心してしまう。
「てかもう何年も一緒に暮らしてるから事実婚にはなるじゃん?エデンは俺の内縁の妻だよ?」
「……」
 エデンが無言で『ゲッ』という顔をする。
 失礼だな。
「事実婚と結婚は何が違うの?役所に婚姻届けを出す訳でもないし……まさか肉体的契りでも交わそうって?」
「まあ、誓いのキスもするし、初夜だってあるよ。けどそれが目的な訳じゃなくって、俺の心持ちというか、もう好きが溢れて結婚したいんだよ」
 アホな理由なのは分かってる。でも好きな人と結婚をしたいっていうのは自然な事だ。ただ、相手が俺の事を嫌いだから単なる俺の独りよがりだけど。
「……」
 エデンがあんぐりと口を開けて両手で天を仰ぎ『開いた口が塞がらない』という顔をした。
「駄目?」
 俺はエデンの良心に語りかける様に小首を傾げて子犬の如き懇願をする。
「別に、お前の自己満足婚だから好きにすればって話だけど、キスとか初夜とか考えられないから断る」
 ──ですよね。分かってた。分かりきってた。けどノーダメージとまではいかない。
「……エデン」
「うん?」
「誕生日おめでとう」
「ありがとう」
 俺が無の表情でお祝いの言葉を贈ると、エデンが満面の笑みで応えてくれた。
「じゃあ、食べよっか?」
 俺はエデンに腕を差し出し、彼女がそれに自身の腕を絡めると、2人で花道(ヴァージンロード)を静かに歩いた。
 シュールだ。
「凄いね、ウェディングケーキまであるんだ?」
 テーブルの前に着くなりエデンが、米粉で作ったウェディングパンに感嘆の声をあげた。
「パンだけど、中にドライフルーツが入ってるんだ」
 料理は専門外だけど、普段、エデンがやっている背中を見て見様見真似で作ったデコレーションウェディングパンだ。やらない割に上手く出来たと思う。
「へえ、凄いな。料理も完璧じゃん。1人で生きていけるよ?」
「今、一番聞きたくなかったセリフだなあ」
 そしてこの日も、何事も無い平和で静かな夜を過ごした。
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