王女への献上品と、その調教師

華山富士鷹

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束縛からの解放

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 花火大会から帰って来てから1週間が経つが、意外と氷朱鷺からの反応は全くと言っていい程何も無く、何かしらのペナルティを予測していた私は逆に居心地の悪さを感じていた。そしてそれとは対照的に杉山さんは全然動じていないように見える。
「この1週間、全然氷朱鷺は来ないけど、きっとエデンに嵌められてショックで立ち直れなくなってるんじゃないか?」
 普段通り出勤してきた杉山さんがソファーで新聞を読みながらそう言った。
 いや、計画が失敗したのに余裕過ぎない?
「杉山さんはヤバイとか思わないんですか?」
 私が淹れたてのコーヒーが入ったマグカップを差し出すと、杉山さんは新聞を膝に置いてそれを受け取る。
「思わない。成り上がりのマスオさんには世界的な富豪をどうにかする力なんかないからね」
 杉山さんてどこまで凄いんだろう……
「ただ世界経済に影響する話だからお互い大っぴらには動けないんだけど」
 大っぴらには動けない=暗殺……
「株価下落、とか?」
「世界恐慌」
 なにそれ、漠然と怖い。
「王女の衣を借りてどうにかしてくる、かも?」
「浮気相手関連の事に正妻の力は使えないだろ」
「まあ、確かに」
 確かに……なのか?
 私の位置付けとは?
「それよりも、強ち好きな相手が婚約者と共謀して自分を陥れた事で、ショックを受けると共にお前を持て余してるかもな」
「どうなんですかね」
 正直、氷朱鷺の愛の重さはある意味未知数で計り知れない。
「どれだけ愛しても自分を見てくれるどころか毛嫌いされて、いつ、何時寝首をかかれるかわからないんだぞ?愛想を尽かすに決まってる。本人は、エデンはきっと自分を殺せないって心のどこかで慢心していたものを先日の暗殺未遂でギタギタに裏切られたんだ、逆に恨みさえ抱いている筈だ」
 そうか、もしかして今回の暗殺計画は、例え失敗しても氷朱鷺から愛想を尽かされて執着から逃れられるって算段だったのか。
「成程。でもノーリアクションなのも怖いですよね」
「さあて、葛藤でもしてるんじゃない?」
 杉山さんはそう言うとコーヒーに口を付けた。
「葛藤、ですか」
 そんな事を話していると、ノックも無しに玄関のドアが開く音がして氷朱鷺が部屋に入って来た。
「やあ、久しぶりだね、氷朱鷺。本名はまた別の名前だったかな?」
 ──と杉山さん。

 ん?

「え、本名て?」
 白井氷朱鷺は本名じゃないの?
「そんなに驚かないで、エデン。きちんと役所に届け出を出してるから今のが本名だよ」
 氷朱鷺は落ち着いた様子でそう話した。
 複雑な家庭だったらしいから旧姓とかそんな感じなのだろうか?
 気まずくて今は聞けないけれど。
「杉山さん、今日はそんな話をしに来たんじゃないんですよ」
「消されそうになった割には落ち着いてるな」
 杉山さんはコーヒーを啜りながら氷朱鷺を煽る。
 せ、世界恐慌‼
「身から出た錆ですから」
 寛大だな。
「暫く考えて、考えを改めたんです。こうなる事は必然だったって、ようやく理解しました」
「それで、えらくしおらしいが何をしに来たって?」
 ようやく杉山さんはマグカップをテーブルに置いた。
「書類に目を通してもらおうと思いまして」
 そうして氷朱鷺からソファーを指され、私は杉山さんの隣に腰掛ける。
「書類?」
 今後一切暗殺は計画しません、という念書だろうか?
 んな阿呆な。
「これです」
 そう言って氷朱鷺が手にしていた鞄から1枚の紙を取り出し、それを私達の目の前に置いた。

『献上品及び調教師契約解除通告書』

「これ──」
 氷朱鷺名義の契約解除通告書だった。
 まさか先刻の雑談が真実になるとは思いも寄らず、私は言葉を失う。
「基本的に献上品は一度なると自分からは辞められないけど、こちらから一方的に契約を解除する事は可能だから、解放というか、クビという形で通告書を作りました。解雇みたいなものなので合意書とは違ってハンコやサインは要りません」
 氷朱鷺は伏し目がちに淡々と、事務的に話すと、ふと私の方を見た。
「エデン、今までごめん。暗殺に至るまで貴方を追い詰めて、凄く反省してる」
「……」
 かける言葉も無い。だってどう言ったらいい?
 弟を殺されたのに憔悴している氷朱鷺を慰めるのもおかしいし、かと言って暗殺を企てた気まずさもある。
「俺を殺したい気持ちは解るけど、俺にとってはエデンが他の男と幸せになるのが一番の復讐になるから、何処か遠い所で幸せになってほしい」
 氷朱鷺は今生の別れを告げるみたいに私の目の前に片膝を着いて頭を下げた。
 これでいいのか?
 これが私と氷朱鷺との終焉?
『長くケージに閉じ込められてた動物ってさ、ケージの扉を開けてもなかなか外に出ようとしないらしいよ。寧ろ外の世界を怖がるとか』
 過去に氷朱鷺が言っていた言葉だ。
 外の世界が怖い訳じゃないが、長く氷朱鷺と居すぎたせいか、いざ解放されるとなると気後れしてしまう。
「GPSも外すね」
 その言葉通り、氷朱鷺はあっさりと私の足からGPSを外した。
「良かったな、エデン。これで自由だ」
 実感は無かったが、杉山さんの一言で心が軽くなった。
 氷朱鷺を殺せないのなら、彼から遠く離れて杉山さんと幸せになれればいい。もう、氷朱鷺の顔を見る度に万里の最期の姿を思い出さなくていいんだ。
「さようなら、エデン」
 そうして私の手を握った氷朱鷺の手は可哀想な程冷たくて、いたたまれなかった。
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