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32.この地で

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にぎやかな広場を出て、羊たちがいる草原へと歩く。
暗くなり始めたこの時間、少し風が吹いてきていた。
蒸し熱い昼間とは違って、通り抜ける風が心地よく感じた。


「辺境伯領地は落ち着く感じか?
 魔獣討伐が始まった頃はどうなるかと思ったが、最後は楽しそうだったな。」

手をつないで歩きながら師匠にそんなことを聞かれ、この十二日間を思い出す。
最初は落ち着かなくて不安ばかりだったけれど、いざ討伐が始まればそんな余裕はなかった。
お祖父様や伯父様たちとも連携して戦い、みんなから褒めてもらえた時はうれしかった。
徐々に周りに馴染んで、前辺境伯の孫として受け入れてもらって、
スパイスのきいた食事にもこの地でしか取れない果実の味にも慣れて、
もう何度もこの地に来たことがあるかのように感じる。

だけど、こうして今落ち着ていられるのは。

「私が今ここに落ち着いていられるのは、
 隣に師匠がいてくれるからです。
 もし一人でこの地に来たのなら、馴染むまでに時間がかかったでしょう。」

「そうか…。
 辺境伯の孫なんだし、お前なら大丈夫だとは思うが。
 俺がいることで落ち着くのなら、それでいい。」

ちょっとだけ私を見て、師匠がふわっと笑う。
一緒に暮らすようになって、数えきれないほど笑う顔を見たけれど、
何度見てもうれしくて胸が苦しい。

気がついたら、街を見下ろす高台に来ていた。
もう辺りは暗くなっていて、街の明かりが良く見える。
空には一つ二つ、気の早い星が輝き始めていた。

「もし、シアがこの地が気に入ったというなら、
 結婚式はここでしよう。」

「え?」

「…シアの身体がちゃんと成長し終わったら、
 ここで結婚式をあげようか。
 侯爵領でしようと思っていたが、
 シアの身内がいるのなら辺境伯領地でもいいかと思った。」

「……師匠。」

「ん?どうした?」

驚きすぎて、どこから聞けばいいのかわからない。
声がかすれて、弱弱しい声になった。

「私が婚約したのは、弟子になるための形だけの婚約だったんじゃ…。」

異性の弟子は婚約者でなければ塔に入れない。
そう言われて、婚約届に署名した。
あの時、師匠はなんて言った?婚約者か配偶者でなければ一緒には住めないと。
俺と婚約するのが嫌でなければ署名しておけ、そんな風に言っていたはず。
だから…形だけの婚約なんだと思っていたのに。

「弟子にするためにシアと婚約したんじゃないぞ。」

「え?」

見上げたら、ちゅっと軽く口づけられた。
いつものように、優しい目で見つめられる。

「本気で結婚する気もなく婚約したり、こんな風に口づけすることなんて無い。
 最初は騙したようになったかもしれないけれど、
 これだけ一緒にいたら俺の気持ちはわかっていると思っていた。
 …そうか、伝わってなかったか。」

「伝わって?」

「シアが好きだ。
 俺がこんな風に大事だって想うのは、シアだけだ。
 シアを幸せにするために一緒にいるんだって言っただろう?

 …俺と結婚することはシアにとって幸せにならないか?」

師匠と結婚する。
師匠と弟子という関係だけじゃなく、その先もずっと。
一人前の魔術師になっても、ずっと。

声が出ない。
声よりも先に涙があふれてしまう。
それに気が付いた師匠に抱き上げられ、涙をぬぐわれる。

「シアが嫌なら、このままの関係でいい。
 無理はしなくていい。」

「…いや、嫌です。」

「そうか。」

少し寂しそうに笑った師匠に頬を撫でられる。
違う、そうじゃない。

「このままは…嫌です。」

「え?」

「…わたしを…師匠の妻にしてください。
 師匠と弟子じゃなくなったとしても、一生そばに居たいんです。」

「シア、本当に俺と結婚してもいいのか?」

「はいっ…!」

もっとうまく何か言えたらいいのに、幸せすぎて苦しくて言葉が出ない。
しがみつくように師匠にすり寄ると、強く抱きしめ返してくれる。
辺りはもうすでに真っ暗になっていて、満天の星が見えた。
すぐそこにあるようで、遠くて、さわれない。
だけど光だけはここに届いて、優しく祝福してくれる。

「師匠…私、幸せです。」

「あぁ、俺もだ。」

師匠に抱きしめられたまま降ってくる星を数えていた。
この幸せがいつまでも続くことを信じて。


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