5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi(がっち)

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1巻

1-1

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   プロローグ


 目の前にあった紅茶を一口ひとくち飲むと、ぬるい上にやけに渋みがあった。
 私は思わず顔をしかめる。
 いつになく表情に出してしまったのは、さすがに疲れていたからかもしれない。
 この状況に……

「やっぱり私なんかがれたお茶は美味おいしくないですよね……すみません……」

 小さくそう言ったのは、リン・ケルドラード伯爵令嬢だ。
 私が座っている二人掛けのソファの向かいには、同じように二人掛けのソファがある。
 彼女は、私の婚約者であるルールニー王国の第一王子レオナルド・ルールニーに隠れるようにしてそれに腰掛けていた。
 週一回のレオナルド様との交流会は、私の王子妃教育を早めに切り上げたあと、応接室でおこなうことになっている。
 そのため、私はいつもと同じように王子妃教育を終え、応接室に来たのだが。
 ……どうしてここにケルドラード伯爵令嬢がいるのだろうか。
 レオナルド様と親しくしているのは知っていたが、王宮にまで連れてきたことはなかったはずだ。今日はなぜ同席させているのだろう。


 そんな疑問を持ちながらも、とりあえず黙ってレオナルド様と彼女を見つめる。

「そんなことないよ、リン。美味おいしいよ」
「でも、ミレーヌ様が美味おいしくなさそうな顔をしていました……やっぱり私なんて何もできなくて……ぐすっ」

 ケルドラード伯爵令嬢は、この国では珍しくない濃い茶色の髪を揺らし、同じような濃い茶色の大きな瞳をうるうるさせる。小柄こがらで幼く見える彼女がこらえきれずにぽろぽろと涙を流す姿は、まるで可愛らしい小動物のようだ。
 そんな彼女をいとしそうに見つめて、レオナルド様は優しく声をかける。

「泣かなくていいよ、リン。ミレーヌは優しいから大丈夫だよ」
「でもぉ。でもでもぉ」

 私は先ほどから何を見せられているのだろう。
 この人は婚約者との交流会に愛人を連れてくるほど、非常識な方だっただろうか?
 文武ともに努力することを嫌う人ではあるが、王家に生まれた者としてマナーはしっかり学んでいたはずである。
 レオナルド様は、陛下の唯一のお子だ。他に王位継承権を持つ者はいるが、レオナルド様が王太子になることが決まっている。だから、レオナルド様の結婚相手は将来の王妃になる可能性が高い。
 ルールニー王国の王妃は侯爵家以上の高位貴族の出身でなければいけない。
 通常であれば、婚約者候補の令嬢たちを集めてお妃選びを開催するのだが、レオナルド様の場合はそれができなかった。レオナルド様に近い年齢で侯爵家以上の令嬢は、私を含め数名しかいなかったからである。
 そのため必然的に筆頭公爵家の私が婚約者として選ばれることになった。
 また我がコンコード公爵家の先代当主が王弟であり、父である現公爵は陛下の従弟いとこにあたる。そのため、相談役も兼ねて宰相を務めていることも大きかった。
 私の七歳のお披露目会で一つ年上のレオナルド様と顔合わせをして、それから王宮にたびたび呼ばれるようになり、十三歳のときに婚約を結んだ。
 以来、王子妃としての教育を受けるため毎日王宮に通い、レオナルド様とは週一回の交流を続けてきていた。
 王族特有の金髪と碧色あおいろの瞳を持つレオナルド様は、美貌びぼうの持ち主である陛下よりは王妃様似で、中背ちゅうぜいだが筋肉がついたがっちりとした体つきだ。
 来年、レオナルド様が二十歳を迎えて王太子となったら、結婚式もおこなう予定であった。
 もし、目の前の光景がまぼろしならば、その予定で間違いなかった。
 抱きしめ合っているのではないかと思うくらい、二人の距離は近い。
 レオナルド様はケルドラード伯爵令嬢の涙をハンカチで拭いて、髪をすくうように持ち上げてくちづけている。
 片方の手は見えていないが、どうやら腰に手を回しているようである。
 ここに私がいる必要はあるかしらと思い始めたとき、レオナルド様が私に向き直った。

「実はミレーヌにはお願いがあるんだ。僕たちの婚約を解消してもらえないだろうか」

 ――それが本題か。
 その申し出は、そう簡単に受けることはできない。
 五年にわたる王子妃教育への努力と宰相である父への影響を考えると、すぐにうなずくわけにはいかないからだ。
 私がレオナルド様をおしたいしているかというと、それはないのだけれど。
 私は内心でため息をつきながら、口を開く。

「レオナルド様、この婚約は陛下がお決めになったことでございます。陛下と父にはお話ししたのですか?」
「いや、まだだ。優しいミレーヌならば納得してくれるだろう? ミレーヌがよいなら、父上も宰相も問題にしないと思ってな」
「そんなことを言われましても……」

 私が納得したからといって、王命の婚約を簡単に解消してよいのだろうか。
 今日のところは一旦いったん帰らせてもらうことにしようか……
 おいとまの言葉を述べようとしたとき、話を聞いていたケルドラード伯爵令嬢がいきなり泣き出した。

「ううぅ。ぐすっ。やっぱりダメですよね……私なんかがレオナルド様のおそばにいるなんて。だってだって、私ぃ……最近まで平民だったから、何もできないし……ぐすっぐすっ」

 レオナルド様のおそばに?
 もしかして私と婚約解消するという話だけではなく、代わりにケルドラード伯爵令嬢をそばに置きたいということなのだろうか。
 伯爵家の、しかも平民育ちの彼女では、第二妃にもなれないのだが……

「リン、大丈夫だ。この半年の間学園で学んできたのを僕は見ているよ。僕は頑張り屋で優しくて、控えめなリンがいいんだ」

 レオナルド様は私のことなんてまったく気にせず、ケルドラード伯爵令嬢をなぐさめている。
 なんだろう、この寸劇。やっぱり最初の時点で帰ったほうがよかったかもしれない。
 この国では、王侯貴族の令息令嬢は皆十三歳の年に学園に入学し、二十歳まで通うことが決められている。
 もちろん私たちも通っていて……レオナルド様は、今年の初めに彼と同じ学年に編入してきたケルドラード伯爵令嬢に出会い、親密になったらしい。
 レオナルド様は彼女のことを頑張り屋と言うけれど、それはたった半年間のこと。
 五年も王子妃教育を頑張らせた私には褒め言葉一つかけなかったというのに。
 それに、私は二人よりも一つ下の学年だから、ケルドラード伯爵令嬢と学園内で直接会ったことはなかったが、社交界でのうわさは聞こえてきていた。
 彼女がマナー知らずで周りは困っている。なのに、一番身分の高いレオナルド様が許してしまうので、他の者が指導するわけにもいかない、という話だった。
 そんな彼女のどこを見て頑張っていると思ったのか、聞きたいくらいだ。
 淑女たる者動じてはいけない、なんて言うけれど、好きでもない王子のためにこれ以上頑張る気はなくなってしまった。
 あまりにも大変な王子妃教育に、私は心底疲れ果てているのだから。
 ――五年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

「わかりました。婚約解消していただいて構いません。陛下とお父様にはレオナルド様からお話ししてください」

 今まで私に王子妃教育をほどこしてきた王妃様から、しかられることになるだろう。
 お父様に困った顔をされるかもしれない。
 それでも、もう婚約者でいることはできない。
 最初からぬるかった紅茶をぐいっと飲み干すと、やっぱり苦くてまずかった。
 それでも飲まないで出ていくのは、また何か言われそうだったので嫌だった。
 からになったティーカップを置いて、退出の礼をしたあと部屋を出る。
 後ろからかすかに笑った気配がしたが、もう振り返らずにいた。

「明日からは来なくていいんだわ……」

 嫌々通っていた王宮だったが、明日からは来なくていいと思うと、どうしてか少し寂しい気もする。
 つらい思いばかりしていたのだから、もっと清々してもいいはずなのに……公爵邸や学園にいる時間よりも、王宮にいる時間のほうが長かったせいかもしれない。
 本格的に王子妃教育が始まってからはほとんど学園には行けず、ずっと王宮にいさせられたから。
 もう用はないしすぐに帰ってもいいのだが、気持ちを落ち着かせてから帰ろうと、中庭に寄ることにした。
 王宮の中庭は三つに分かれていて、そのうちの奥まった場所にある中庭は、王族とそれに関わる者しか入ることを許されていない。
 王宮に来るのは嫌でも、もうここに入ることができないのは残念だと思うほど私はこの奥の中庭が好きだ。
 十三歳で王子妃教育が始まって王宮に通い始めた頃は、終わったあと少しここに寄って涙を乾かしてから家に帰る毎日だった。
 最近では王子妃教育が終わっても忙しく、この中庭に寄る時間もなかったのだけど。
 先日十八歳の誕生日を迎え、もうすぐ王子妃教育が終わる予定だった。
 あともう少し我慢したら終わる、という今の時期になって急に投げ出されたのである。
 正直に言えば、もっと早くに解放してほしかった。
 けれど、王子妃にならなかったら、私はどうなるのだろう。
 なくなった未来に未練は少しもないが、この先を思うと不安にもなった。
 陛下とお父様は、私をどうするのだろう。
 王子妃教育を受けたとはいえ、他国に秘匿しなければならないようなことまでは教わっていない。国外に出しても問題にはならないだろう。
 それに私は王族ではないが、王家の血筋ではある。
 そうなると、どこか他国への外交に使われるかもしれない。
 でも、それでも、昨日までの私よりもずっとまともな未来に思えた。
 そう考えたら、すっと気持ちが楽になった。
 思い出のベンチで休憩して、元気よく帰ろう。
 衛兵たちが両脇に立っている中庭への入り口を通り抜けて、奥に進む。
 両脇に植えられた薔薇ばらは早咲きのものが小ぶりな花をつけ、さわやかな香りが広がっている。
 歩きながら薔薇ばらをながめていると、目がかすむような気がした。
 おかしい。だんだん目の前が見えにくくなっていく。
 ようやくたどり着いたベンチにもたれかかるように座る。
 一度座ると、もう立ち上がれなかった。どうしてなのか顔が熱い。
 顔だけじゃなく、胸も熱くなってきた。
 身体全体が熱く、腕を持ち上げることすらできないほど重く感じる。
 いったい、自分の身体がどうなってしまったのか、わからなかった。
 もう、だめ……
 そう思ってくずれ落ちた、そのとき。

「ミレーヌ? ……おい! ミレーヌ!」

 誰かが私を呼ぶ声が聞こえた。とても懐かしいような……
 意識がなくなりそうな私を、誰かが抱き上げて運んでいる。
 どこに連れていこうとしているのだろう。
 介抱してくれるような優しい手に、どこか安心してしまっている自分がいた。

「ミレーヌ? これを飲むんだ。……飲めるかい?」

 おそらくどこかの部屋のベッドに寝かされているのはわかった。
 目を開けてもぼやけてしまって何も見えない。
 だけど、この声は覚えている。もうしばらく聞いていなかったけど、忘れるわけはない。

「ケヴィンにぃさま……?」
「そうだよ、ミレーヌ。今、身体が苦しいだろう? おそらく媚薬びやくたぐいを飲まされたんだ。このままではまずい。解毒薬があるから、すぐに飲むんだ。わかるか?」

 媚薬びやく? もしかして、あの変に苦かった紅茶に入っていたの? 
 だからこんなに身体が熱くて苦しくて、それなのに指一本動かすことができないのか。
 ケヴィン兄様の言う通り、解毒薬を飲まなければいけないのはわかっているのに、起き上がれない。
 どうしよう。どんどん苦しくなっていくのに、どうしたらいいのかわからない。
 びんのふたを開けるような音が聞こえた。
 兄様の大きな手が私の首の後ろに回る。
 支えられるように上を向かされたと思ったら、もう片方の手で口をこじ開けられた。
 何……?
 くちびるをふさがれたと同時に、液体が少しずつ入ってきた。
 解毒薬だとわかって、なんとか飲み込む。
 重なっているのが兄様のくちびるだと気がついたのは、離れていくときだった。
 少し冷たいくちびるが気持ちよくて、離れていくのが寂しいと思った。

「ケヴィンにぃさま、いつ、もどって、き、たの?」

 解毒薬が効いてきたのか、声が少しずつ出るようになった。
 だけど身体はまだ苦しくて、少しも動けない。
 兄様の姿が見えなくて、声を聞くことしかできなくてもどかしい。

「ミレーヌ、戻ってきたのは今日だ。そんなことよりも大事なことを言うよ? よく聞いて。解毒薬を飲んだからといって、媚薬びやくの効果がすぐにすべて消えるわけではない。このまま何もしなければ、しばらくは苦しいままだろう」

 解毒薬を飲んだのに、媚薬びやくの効果が消えない?
 こんなに苦しいのに、しばらく続くなんて耐えられそうになかった。
 ……私の身体はどうなってしまうのだろう。

「このあと、身体は動かせないのに敏感になって、何もしてなくても気持ちよくなる。どういう状況になるか、想像はできるね? ……ここにレオナルドを呼んでくる。結婚前ではあるが、婚約しているし……」

 何かをあきらめるようなケヴィン兄様の言葉に、叫び出したかった。
 どうして!
 こんな状況で一人になるのは嫌。
 それに、レオナルド様に任せるなんて……

「やっ……嫌なの! レオナルド様はダメ……」
「そんなことを言っても、婚約者以外が付き添ってるわけには……」

 婚約者……そうだった。さっきまでは。
 だから兄様はレオナルド様を呼ぼうとしたのだ。
 だけどそれはもう違うことを伝えなければ。

「こんやく、かいしょう、したのです……」

 驚いている兄様に少しずつ話す。
 レオナルド様が恋人を連れてきたこと。
 彼女と一緒にいたいと婚約解消を言い出したので、了承したこと。
 そこで紅茶を飲んだこと。
 どれ一つとっても兄様には信じられないことだろう。
 わかってもらうために説明していると、身体がつらくなってきた。
 ただ寝ているだけなのに、肌がシーツにふれているのが恐ろしく気持ちいい。
 どうしよう。少しでも動いたらダメ。
 わかっているのに、身体が少しずつ震え出す。
 兄様の前でこんなずかしい気持ちになるなんて……ダメ。

「……頑張ったねミレーヌ、もう我慢しなくていいよ」

 どうにもできない気持ちよさに耐えていると、すぐ近くで兄様の声が聞こえた。
 もう我慢しなくていい? 兄様が助けてくれる?
 さっきと同じように冷たいくちびるが重なってきて――もうあとは何も考えられなくなった。



   第一章


 目を開けると、薄暗い部屋の中だった。
 さらさらのシーツを肌で感じ、起き上がろうとして、力がうまく入らないことに気がついた。
 私、どうしたんだろう……ここは?
 視線だけを動かして見回しても、知らない部屋の中だ。
 私が戸惑とまどっていると、キィと小さな音を立てて人が入ってくる。
 侍女かと思ったが、背の高い男の人だった。
 ベッドに寝ている状況で男の人が部屋に入ってくるなんて! 
 逃げなきゃ、と思っても身体が動いてくれない。涙だけが出てくる。
 ……どうしよう。
 入ってきた男の人がベッドサイドのランプをつけると、あかりに照らされて顔が見えた。
 金色の髪……王族の色。でもレオナルド様ではない。陛下でもない。
 その男性は長身の身体を折るようにかがんで、私をのぞき込んでくる。

「ミレーヌ、気がついた? まだ苦しい?」

 切れ長の碧色あおいろの目、すっと通った鼻と薄いくちびる……
 思い出よりもあごの線が男らしくなっているけど……
 ケヴィン兄様だ。
 え? どうして? いつ帰ってきたの?
 ……あれ? この会話したような気がする。
 ケヴィン兄様は驚いている私に微笑むと、涙が伝う頬をハンカチで拭いて、頭をなでてくれた。
 されるがままに頭をなでられているうちに、少しずつ記憶が戻ってくる。
 今日もいつも通り王子妃教育のために王宮に来て、婚約者交流のためにお茶をした。
 レオナルド様とその恋人に会って婚約解消して、中庭に行ったら苦しくなって倒れた。
 そのあとは……

「んんんんんんんんんんんん⁉」

 よみがえった記憶がずかしすぎて、思わず心の中で叫んでしまう。
 何してるの! 私! 何されちゃったの! 兄様に!!
 媚薬びやくで苦しんでいた時間を思い出していく。
 もうずかしくて隠れたいのに、身体は少しも動いてくれない。

「ミレーヌ……」

 私の右頬にかかっていたほつれた髪の一房ひとふさを、ケヴィン兄様がなでるように後ろに戻してくれた。
 小さい頃、お昼寝のあとによくそうしてくれていたみたいに。

「ごめんな。謝ることしかできない」

 ケヴィン兄様はぐしゃぐしゃになっているだろう私の髪を直しながら、頭をなで続ける。
 そして、倒れていた私を見つけたときのことから説明してくれた。
 ケヴィン兄様は今日隣国から帰ってきて、陛下に謁見えっけんしたあと、中庭でぐったりしている私を見つけたらしい。そのときにはもう私の意識は朦朧もうろうとしていたようだ。
 媚薬びやくを飲まされたことに気がついたケヴィン兄様は、この部屋に私を連れてきた。
 ケヴィン兄様が持っていた解毒薬を飲ませたけど、その薬は媚薬びやくを飲んですぐじゃないと完全に解毒できない。媚薬びやくの効果が強く、私は苦しみ続けたそうだ。
 そんな私をそのままにできなかったというケヴィン兄様は、申し訳なさそうにしている。

「身体の中から薬を抜くために気持ちよくさせたけど、さすがに最後まではしてないから。安心していいよ」

 兄様の言っていることは理解できる。
 けれど、どうして再会がこんな状況になってしまっているの? 
 私たちが最後に会ったのは五年前、兄様が二十歳のときだった。
 兄様はそのときより身長が伸びて、短かった髪は後ろだけ伸ばして一つに束ねている。
 中性的だった顔が男らしくなって、肩も胸も筋肉がついたように見える……
 記憶の中でその腕に抱きしめられたことを思い出して、また顔が熱くなった。

「――で、ミレーヌ。もうあきらめて、俺と結婚してくれる?」
「へ?」

 ……って、間抜けなことを言ってしまった! 今のはなかったことにしてください!
 内心であわてながら、ふと我に返る。
 というか、今何を言ったの? 結婚? 兄様と結婚?

「本当ですか? ……兄様。兄様と結婚してもいいのですか?」

 思わぬ言葉に、気付けば私はそう返していた。
 ケヴィン兄様は、兄様と呼んでいるが本当の兄ではない。
 兄様の名は、ケヴィン・ルールニー。
 そう、ルールニー王国の王族で、王弟殿下だ。
 そして、幼い頃からずっと私の身近にいた存在。
 王族である兄様が私と家族のように過ごしていたのは、彼の境遇のせいである。
 現国王陛下は当時の王妃から生まれた第一王子だったが、ケヴィン兄様は第二妃、隣国の侯爵令嬢から生まれた第二王子だった。
 そもそも第二妃が必要になったのは、王妃が陛下を産んだあとに次の子ができなかったからだ。
 だが第二妃をめとるまで揉めて、その後もいろいろあったことで、ようやく兄様が生まれたのは、陛下が十三歳になった頃だった。
 だが、第二妃は慣れない国での出産が悪かったのか、ケヴィン兄様を産んだあとは寝たきりになり、半年も経たずに亡くなられてしまった。
 王妃が代わりに兄様も育てられたらよかったのだが、王妃の精神状態もかんばしくなかったため、そんな心の余裕はなかった。
 そこで、兄様を育てるために選ばれたのが、コンコード公爵家だった。
 その理由は、当時のコンコード公爵――私のお祖父様が先王の王弟であったため、信頼を置けたということだけではない。
 お祖母様が隣国出身であり、魔力があることが最も重要視されたからだった。
 隣国であるレガール国の王族は、強い魔力を持って生まれてくる。そのため、魔術を使って国を発展させてきた。
 対して、ルールニー王国の王族はもともと魔力を持たないので、魔力がなくても生活できるような国づくりをしてきている。
 第二妃に似たケヴィン兄様は魔力が特に多いが、ルールニー王国の者は魔力の扱いが不得手だ。
 魔術で人を傷つけないように魔力をコントロールするには、しっかりと使い方を学ぶ必要がある。
 そういうわけで兄様が魔力を暴走させないためにも、同じように魔力を持つ妻と子どもがいる公爵家で預かることになったのである。
 私が生まれた頃には、ケヴィン兄様は魔力が安定していたので王宮に生活を移していたが、お父様とは兄弟のような関係なので、よく遊びに来てくれていた。
 一人娘の私には遊んでくれる兄弟はいない。お父様は仕事が忙しく、お母様は部屋にこもってばかり。そばにいてくれたのは兄様だけだった。
 だから、私は自然とケヴィン兄様と結婚するのだと思っていた。
 だが、私が七歳になってレオナルド様と顔合わせをした頃には、兄様の立場がわかるようになっていた。
 筆頭公爵家で宰相の娘である私と結婚するということは、兄様の権力が強くなりすぎてしまう。そうなると、陛下を追い落とそうとする派閥はばつかつぎ上げられる危険があった。
 ――小さい頃から大好きなケヴィン兄様とは、結婚できない。
 それならば相手は誰でもよかった。
 だから、十三歳の頃にレオナルド様との婚約話が王命できたときも、どうでもよかった。
 そんな気持ちで婚約したあと、兄様が魔術の修業をするために隣国に行ったと聞かされた。
 もちろん兄様がいなくなったことには落ち込んだのだが、他の人と結婚する兄様を見なくて済むとほっとしたのも事実だった。
 私は別の人と結婚するし、兄様も隣国で幸せな出会いがあるだろう。
 それでいいのだと思っていたのに。
 目の前にいるケヴィン兄様に、私はプロポーズされた……?

「本当に、兄様と結婚してもいいのですか?」

 信じられなかった。
 あれだけ望んでも叶わないと思っていたのに、本当に兄様と結婚していいんだろうか? 
 喜んだあと、やっぱりダメだと言われたら立ち直れない気がする。
 だから、ちゃんと本当だって言ってほしかった。
 けれど、私たちの立場は変わっていないこともわかっている。
 兄様はすべてにおいて完璧かんぺきで、レオナルド様と比べ物にならないくらい優秀だった。
 次の王太子はレオナルド様と決まっているのに、ケヴィン兄様を推す声はいまだなくなっていない。五年もの間隣国に行っていたのにだ。
 兄様がまたこの国に戻って生活するようになったら、王位についてほしいと望む声が出るだろう。
 まして私が妻になれば、間違いなくレオナルド様が困る状況になってしまう。
 まぁ、私との婚約解消を望んだのはレオナルド様なのだけど。
 混乱しながらケヴィン兄様を見つめると、まっすぐな目で見つめ返してくれる。

「ミレーヌが寝ているうちに、兄上と宰相に話をしてきた。レオナルドが婚約解消を申し出たこと、薬のこと……俺がミレーヌにしたことも」

 そう言われた瞬間、兄様としたことを思い出して顔が熱くなった。
 陛下とお父様に話したって……したことを報告したってこと? 
 もうずかしくてどうしたらいいかわからなくなる。


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