52 / 62
5章 忘れられた国
52話 剣の先
しおりを挟む
「……おや、来客か。気付きませんで」
フードの女から、先程までの興奮が消える。一変して淡々と、聞き覚えのある声は言葉を紡ぐ。
「宣戦すらせず無作法な連中と思っていたが、まさかここまで土足で乗り込んで来るとは」
「ちょ、ちょちょちょ、サミュエル君、剣を降ろしてください! 駄目ですよ、そんな危ないこと!」
腰を浮かせ、慌てた様子の村長が机に手を付く。指先に当たったインク瓶が、ことりと倒れた。
「ていうか……えっ、マルケンさん、クローイさんも! どうしてここに」
「ポリさん、あなた、危機感なさすぎですって」
マルケン巡査部長も呆れ果てた様子である。
さっと前へ出たクローイが、男とフードとの間に割って入る。クローイの背に隠された男は情けない程狼狽え、視線をそこら中に転がしていた。
「なるほど、サミュエル。夢想家のサミュエル……元国民か。懐柔されたばかりでなく、恩を仇で返そうとは。全く、嘆かわしい」
低く唸るように、フードの女は呟く。突き付けられる剣など意に介さず、ゆっくりと、勿体ぶるように身体を反転させる。
顔を隠す朽葉色の布は深く、鼻先まで優に隠れている。唯一覗く唇が、春先の花のように色づいていた。
「命令した筈だ、任務を終えるまで帰って来るなと」
「まさか、王……?」
気付いた瞬間、全身から力が抜けるようだった。
全ては王の為、国の為。ただその為だけに育てられたサミュエル。身体の髄まで染み込む「王」への敬愛は、どうしても取り除かれなかった。
「彼女、ええと……この村の村長さんだそうで。しばらく、お世話になってたんです」
「お世話になってたとか、そういうレベルじゃないですよ!」
クローイの指摘に、男は目を瞬かせる。自分が今、どのような状況にあるのか――未だに理解していないのだろう。呑気にも程がある。
大きな子供と評したルシンダの言葉は、あながち的外れではないのかもしれない。
「と、とにかくですね、サミュエル君。剣を降ろしましょう? 別に何かされたとか、そういう訳じゃないですし。お願いがあったらしくて……」
「お願い?」
首を捻るクローイを横目に、マルケンが歩み出る。太い無骨とした指が、机をなぞった。
「へえ、設計図か」
天板には紙が散らばっていた。黄ばんだどの紙面にも、多様の図が描かれている。それを一枚拾い上げて、
「これ、ポリさんが描いたんですか?」
「は、はい」
「全部?」
「ええ、頭を捻り過ぎて熱が出そうです」
へらりと男は笑う。
一方のマルケンは目を細めたきりで、それ以上応じようとはしなかった。代わりに鋭い眼光を王へ向ける。
「村長なら、どうしてポリさんに設計図を描くよう迫ってるのかな? 自分で描けばいいだろうに」
「何、アイディアが尽きた、ただそれだけだ。折角のMMOサーバーなんだ、協力してもよかろう」
「ならば最初から友好的に、平和的にお願いすればいいでしょう。どうして村人を嗾けたり、初心者狩りを」
「……全て把握済みか」
王の手がオリハルコンの刃に伸びる。皮膚が削がれることも厭わず、剣身を掴む。細い手首を赤色が一筋伝った。それが少年と――自ら命を絶った少年と重なる。
悲鳴こそ堪えたものの、強張った指から柄が離れた。
「サミュエル君……?」
男が目を丸める。いくら鈍感でも、異変には気付いたらしい。探るような色が瞳に映った。
対する王は満足げに口角を持ち上げると、
「我が国民は、やはり優しい者ばかりだ。さあ、サミュエルよ。今一度チャンスをやろう。一人残ればいい。その女を殺せ、『プレイヤー』の健を切れ」
王の手が剣を拾い上げ、サミュエルに押し付ける。
「どうした? これを済ませれば、お前もこの国で暮らせるようになるのだぞ。友人のイアンと共に。最高の名誉であろう」
ピクリと手が止まる。
イアン。脳裏に映るのは、最期の顔だった。
勝ち誇ったような、狂気のような、しかしどこか寂しげな血塗れの顔。それがじっと、責め立てるようにサミュエルを見つめている。
彼はもうこの世にはいない。それなのに、ここに残る必要はあるだろうか。男やマルケン、クローイを殺してまで、この国に価値を見出せるだろうか。
分からない。どちらの手を取るべきなのか。どちらを取りたいのか。
失って初めて気付く。自分の大部分がイアンによって形成されていたのだと。
「やめてください! サミュエル君が嫌がってるでしょう!」
クローイの背からぬるりと這い出て、男は王へと詰め寄る。朽葉色の袖には、今尚剣がある。サミュエルが受け取れずにいる、最高品質の剣が。
王は『プレイヤー』を殺さない。しかしそれは、王の前に『プレイヤー』がたった一人だけ存在していた場合のことだ。
二人いる現状においては、どちらかを斬り捨てることに躊躇いはしないだろう。これまで反抗的な態度ばかりを見せてきた男から、新参の男へ乗り換えるなど、容易に想像できた。
サミュエルは王の手から剣をひったくる。改めて手にした武器、それは、剣とは到底思えない程に重かった。
剣とは誰かを害するものである。誰かに向けてこそ意味を成す。しかしどちらにも――王と男のどちらにも、それは向けられなかった。
情けないことに、自分にも。
「サミュエル君、そんなのポイしちゃってください! 無理して持たなくていいんですよ!」
「いや、ポリさん。一応それ、うちの所有物なんで。捨てられると困ります」
「そうなんですか! あら~、お借りしちゃってすみません。さっき落としてたけど、傷とか付いてないですか? 大丈夫?」
呑気なものである。全く緊張感がない。先程のキリリとした表情はどこへ行ったのやら、その変わり様は、実は二重人格者と説明されても、膝を叩いて納得できる程だ。
しかし彼らしい。迷っているのが馬鹿らしくなる。
サミュエルは叱咤するように唇を噛んで、柄を握り直した。
「王――アンタにはもう従わない。僕はここから出て行く。もう二度と、戻ることはない」
剣を水平に、腰を落とす。村長を背に、王を前に。
あの少年に誓ったのだ。村を守る、村長を守る。その為には、慕い、恋い焦がれてきた王を殺す必要がある。友人の努力を全て無に還して。
「その必要はない」
マルケンはずるりと、王のフードを引き摺り降ろした。
フードの女から、先程までの興奮が消える。一変して淡々と、聞き覚えのある声は言葉を紡ぐ。
「宣戦すらせず無作法な連中と思っていたが、まさかここまで土足で乗り込んで来るとは」
「ちょ、ちょちょちょ、サミュエル君、剣を降ろしてください! 駄目ですよ、そんな危ないこと!」
腰を浮かせ、慌てた様子の村長が机に手を付く。指先に当たったインク瓶が、ことりと倒れた。
「ていうか……えっ、マルケンさん、クローイさんも! どうしてここに」
「ポリさん、あなた、危機感なさすぎですって」
マルケン巡査部長も呆れ果てた様子である。
さっと前へ出たクローイが、男とフードとの間に割って入る。クローイの背に隠された男は情けない程狼狽え、視線をそこら中に転がしていた。
「なるほど、サミュエル。夢想家のサミュエル……元国民か。懐柔されたばかりでなく、恩を仇で返そうとは。全く、嘆かわしい」
低く唸るように、フードの女は呟く。突き付けられる剣など意に介さず、ゆっくりと、勿体ぶるように身体を反転させる。
顔を隠す朽葉色の布は深く、鼻先まで優に隠れている。唯一覗く唇が、春先の花のように色づいていた。
「命令した筈だ、任務を終えるまで帰って来るなと」
「まさか、王……?」
気付いた瞬間、全身から力が抜けるようだった。
全ては王の為、国の為。ただその為だけに育てられたサミュエル。身体の髄まで染み込む「王」への敬愛は、どうしても取り除かれなかった。
「彼女、ええと……この村の村長さんだそうで。しばらく、お世話になってたんです」
「お世話になってたとか、そういうレベルじゃないですよ!」
クローイの指摘に、男は目を瞬かせる。自分が今、どのような状況にあるのか――未だに理解していないのだろう。呑気にも程がある。
大きな子供と評したルシンダの言葉は、あながち的外れではないのかもしれない。
「と、とにかくですね、サミュエル君。剣を降ろしましょう? 別に何かされたとか、そういう訳じゃないですし。お願いがあったらしくて……」
「お願い?」
首を捻るクローイを横目に、マルケンが歩み出る。太い無骨とした指が、机をなぞった。
「へえ、設計図か」
天板には紙が散らばっていた。黄ばんだどの紙面にも、多様の図が描かれている。それを一枚拾い上げて、
「これ、ポリさんが描いたんですか?」
「は、はい」
「全部?」
「ええ、頭を捻り過ぎて熱が出そうです」
へらりと男は笑う。
一方のマルケンは目を細めたきりで、それ以上応じようとはしなかった。代わりに鋭い眼光を王へ向ける。
「村長なら、どうしてポリさんに設計図を描くよう迫ってるのかな? 自分で描けばいいだろうに」
「何、アイディアが尽きた、ただそれだけだ。折角のMMOサーバーなんだ、協力してもよかろう」
「ならば最初から友好的に、平和的にお願いすればいいでしょう。どうして村人を嗾けたり、初心者狩りを」
「……全て把握済みか」
王の手がオリハルコンの刃に伸びる。皮膚が削がれることも厭わず、剣身を掴む。細い手首を赤色が一筋伝った。それが少年と――自ら命を絶った少年と重なる。
悲鳴こそ堪えたものの、強張った指から柄が離れた。
「サミュエル君……?」
男が目を丸める。いくら鈍感でも、異変には気付いたらしい。探るような色が瞳に映った。
対する王は満足げに口角を持ち上げると、
「我が国民は、やはり優しい者ばかりだ。さあ、サミュエルよ。今一度チャンスをやろう。一人残ればいい。その女を殺せ、『プレイヤー』の健を切れ」
王の手が剣を拾い上げ、サミュエルに押し付ける。
「どうした? これを済ませれば、お前もこの国で暮らせるようになるのだぞ。友人のイアンと共に。最高の名誉であろう」
ピクリと手が止まる。
イアン。脳裏に映るのは、最期の顔だった。
勝ち誇ったような、狂気のような、しかしどこか寂しげな血塗れの顔。それがじっと、責め立てるようにサミュエルを見つめている。
彼はもうこの世にはいない。それなのに、ここに残る必要はあるだろうか。男やマルケン、クローイを殺してまで、この国に価値を見出せるだろうか。
分からない。どちらの手を取るべきなのか。どちらを取りたいのか。
失って初めて気付く。自分の大部分がイアンによって形成されていたのだと。
「やめてください! サミュエル君が嫌がってるでしょう!」
クローイの背からぬるりと這い出て、男は王へと詰め寄る。朽葉色の袖には、今尚剣がある。サミュエルが受け取れずにいる、最高品質の剣が。
王は『プレイヤー』を殺さない。しかしそれは、王の前に『プレイヤー』がたった一人だけ存在していた場合のことだ。
二人いる現状においては、どちらかを斬り捨てることに躊躇いはしないだろう。これまで反抗的な態度ばかりを見せてきた男から、新参の男へ乗り換えるなど、容易に想像できた。
サミュエルは王の手から剣をひったくる。改めて手にした武器、それは、剣とは到底思えない程に重かった。
剣とは誰かを害するものである。誰かに向けてこそ意味を成す。しかしどちらにも――王と男のどちらにも、それは向けられなかった。
情けないことに、自分にも。
「サミュエル君、そんなのポイしちゃってください! 無理して持たなくていいんですよ!」
「いや、ポリさん。一応それ、うちの所有物なんで。捨てられると困ります」
「そうなんですか! あら~、お借りしちゃってすみません。さっき落としてたけど、傷とか付いてないですか? 大丈夫?」
呑気なものである。全く緊張感がない。先程のキリリとした表情はどこへ行ったのやら、その変わり様は、実は二重人格者と説明されても、膝を叩いて納得できる程だ。
しかし彼らしい。迷っているのが馬鹿らしくなる。
サミュエルは叱咤するように唇を噛んで、柄を握り直した。
「王――アンタにはもう従わない。僕はここから出て行く。もう二度と、戻ることはない」
剣を水平に、腰を落とす。村長を背に、王を前に。
あの少年に誓ったのだ。村を守る、村長を守る。その為には、慕い、恋い焦がれてきた王を殺す必要がある。友人の努力を全て無に還して。
「その必要はない」
マルケンはずるりと、王のフードを引き摺り降ろした。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
34
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる