竜の瞳の行く末は

三浦常春

文字の大きさ
10 / 22
1章 ヴァーゲ交易港

10話 カメール

しおりを挟む
 赤髪をなびかせて、すべての砂虫を斬り伏せた彼女は、これまでに見たことがないほど長い剣を担いでいた。
 高い位置にある切っ先で空を貫き、時折動いては、曇った光を刀身に映す。

 女性は、オルティラと名乗った。

「私が来る前にも随分と虫がいたんだね。お疲れ様、色男さん」

「…………」

 そう笑い掛けられたカーンの気配が尖る。それに構わずオルティラは、子供のように無邪気な笑みを浮かべていた。

 彼らの相性はあまりよくないようだ。僕の顔には自然と苦い笑みが浮かんでいた。

「ありがとう、オルティラ。助かったよ」

「何、礼には及ばないさ」

 相棒の代わりに伝えた、感謝の言葉。それにオルティラは、少し照れ臭そうに頬を緩めた。その表情だけは、乙女のようだった。

 僕はゆっくりと立ち上がる。先の解毒で使い果たしていた魔力も集まって来た。お蔭で僕は、ようやく立ち上がることができる。

 本当に不便な身体だ。

 顔をしかめた僕を、カーンが支えようとする。

「大丈夫だって」

 そう呟いて、僕は大きな手を押し退けた。

 そんな僕たちの後ろを、オルティラの瞳が覗き込んだ。そこには今なおへたり込む男がいる。ベンノを侵していた毒はある程度抜けたようだが、それでも万全とは言い難い。

 彼は己が気力を絞り出すように、顔を顰めていた。

「さて。怪我人がいるんだろ? 近くに隊商が来ている。そこに合流しよう」

「隊商?」

 聞き慣れない言葉だ。僕は尋ねる。するとオルティラは目を瞬かせた。

「あれ、知らないのか。地元民じゃないの?」

「ここ出身はベンノ――彼だけ」

「なるほどね」

 彼女は頷く。そしてふいと視線を空へとやると、

「隊商っていうのは、商人が商品を移送する際に組む隊列というか、まあ、そんなようなものだよ。キャラバンとも呼ばれるそうだ」

「オルティラも、その一員なの?」

「そうとも言える。私は隊商に雇われていてね。まあ、簡単に言うと護衛をしていたわけだ。そうしたら虫の大群を見かけて……追ってみたらこの有様だよ」

 そう言ってから、オルティラは壁際に座り込んだ青年に肩を貸す。

 いくら背丈ほどもある大剣を振り回す戦士といえど、成人男性を支えることなどできるのだろうか。重そうな鎧を纏い、愛刀を担いだまま。

 心配になって剣を預かると申し出たのだが、彼女はそれを明るく断って、

「よっこいしょ」

 と、軽々と立ち上がってみせた。

 彼女が怪力なのか、それともベンノが想像以上に痩せていたのか。真相は定かではないが、ただ一つ言えることは、彼女の行動が、男の尊厳を見事に打ち砕いたという事だけだった。


   ■   ■


 合流した隊商の中には動物の姿もあった。

 細い縄で繋がれた四足の生き物。それは馬のようにも見えたが、ずんぐりとしており、何よりも背には、荷物の他に見たこともない大きなコブを乗せていた。

 長い睫毛を瞬かせて、それはこちらに顔を向ける。馬よりも顔は丸く、目は温厚に垂れ下がっている。間抜けだが愛嬌のある顔だ。

 僕はそれをまじまじと観察した。

「これ、何て名前の動物? 初めて見た!」

「カメールだよ」

 応じた男は、剥き出しの腕に汗を浮かべ、カメールから荷を降ろす。

 大きな負担となっていたのだろう、荷物から解放されたカメールは安堵した表情だった。満足気に鼻を鳴らして砂を掻く。

 そんなカメールの様子には目もくれず、男は無常にも作業を進めた。

「ちょっと手伝ってくれ」

 そう声を掛けられたオルティラは、言葉の通りに男に手を貸す。

 山のように積まれた荷物をカメールから降ろしたのは、今なお動きに障害を残すベンノのためだった。

 僕たちはそれを察していたが、カメールにはまるで想像がつかなかったのだろう。穏やかだった表情は、すぐにげんなりとしたものへと変わる。歯の隙間から、重々しい溜息が洩れた。

 感情豊かな動物だ。これほど感情を表に出す動物も珍しい。言葉はなくても、その表情、その仕草から、彼の気持ちは手に取るように分かった。
 彼は獣人である、真の獣ではない。そう明かされても、納得できるほどに。

 地面に降ろされた荷物はというと、作業をしていた男性やオルティラが分けて背負うことになったようだ。代わりにオルティラは自分の荷物、大剣をカーンに預ける。僕は何も持たせてもらえなかった。

 一応僕たちは部外者だ。だから荷物を、いずれ商品と成り得る物を、無闇やたらに触らせるわけにはいかない。そんな配慮からの選択らしいが、カーンからしてみれば、迷惑極まりない話であろう。軽く同情した。

「そういえば、港の方から知らせが来てたっけ」

 そんなやり取りが僕の耳に届く。ベンノを乗せていた男と、隊商の先頭を行く男の会話だった。

「ああ、来てたな。〈砂漠の薔薇〉を取りに行った奴が――ってアレか」

 その言葉に、僕ははとする。僕たちが砂漠地帯にまでやって来た目的は、それだったのだ。

 行方不明となったディアナの幼馴染にして、ベンノの店先で出会った男性。その捜索のため、この意地悪な大地を歩んできた。オアシスを訪ねるためでも、隊商と合流するためでもない。

 僕は会話を続ける二人に近付いて、こっそりと会話に紛れ込む。

「オアシスに死体があったから、もしかしたらその中にいるかも」

「死体? ……誰か担ぎ込まれたのか?」

「ええっと、多分、砂虫に襲われたんだと思う。オアシス中に虫の死体も転がってたから」

「あり得ない」

 男性は目尻を持ち上げる。先程までの温厚とした様子は、すっかり消え去っていた。

「砂虫は砂漠の掃除人だ。生きているモノには手を出さない。奴らはサソリやネズミすら襲わないんだ」

「でも、僕たちは見たんだ。砂虫が人を――ベンノを襲っているところを。それに、実際に襲われた! ね、オルティラも知ってるでしょ?」

 僕はオルティラに助けを求める。彼女はきょとんとしていたが、すぐに間抜けな詠嘆を洩らした。

「見た見た、あの虫ね。確かに襲われてたねー、かなーり襲われてた。なるほど、あれが砂虫か。初めて見た」

 納得した様子でオルティラは頷く。

 知らなかったのか。僕は少しばかり意外だった。砂漠を歩くに当たって調べていると、もしくは聞いていると、すっかり思い込んでいたのだ。

 オルティラの言葉を聞いて、流石に信じない訳にはいかなかったのだろう。居心地悪そうに唇をもぞもぞと動かして、男はカメールの顎を撫でた。

「オルティラが言うなら……まあ、仕方ないか。信じ難いけど」

 訝しげな男は、やがて隊列を組む人々へと声を掛けた。オアシスへ寄る、と。それに応じる威勢のよい声。

 彼らの遠征は、これが初ではないのだろう。指示は滞りなく通り、数頭のカメールを中心とした列は、ゆっくりと歩み始めた。

「はー、参った。また戻らないとじゃん。先に言ってくれればよかったのに」

 文句を言うオルティラ。

 そういえば彼女は、あの惨状を殆ど見ていなかったのか。僕たちが彼女と出会ったのは、オアシスから離れようと進んだ時だ。すっかり彼女も現場に居合わせたとばかり錯覚していた。

 オルティラは、慣れ慣れしくも僕の肩へとぶつかってくる。彼女にとってはじゃれ合いのつもりなのだろうが、僕にとっては牛に突き飛ばされたも同然の衝撃だ。

 よろめく僕の後ろで、空気がピリリと張り詰めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

クラス転移したら種族が変化してたけどとりあえず生きる

あっとさん
ファンタジー
16歳になったばかりの高校2年の主人公。 でも、主人公は昔から体が弱くなかなか学校に通えなかった。 でも学校には、行っても俺に声をかけてくれる親友はいた。 その日も体の調子が良くなり、親友と久しぶりの学校に行きHRが終わり先生が出ていったとき、クラスが眩しい光に包まれた。 そして僕は一人、違う場所に飛ばされいた。

最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。

みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。 高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。 地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。 しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。

おばさんは、ひっそり暮らしたい

波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。 たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。 さて、生きるには働かなければならない。 「仕方がない、ご飯屋にするか」 栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。 「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」 意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。 騎士サイド追加しました。2023/05/23 番外編を不定期ですが始めました。

卒業パーティーのその後は

あんど もあ
ファンタジー
乙女ゲームの世界で、ヒロインのサンディに転生してくる人たちをいじめて幸せなエンディングへと導いてきた悪役令嬢のアルテミス。  だが、今回転生してきたサンディには匙を投げた。わがままで身勝手で享楽的、そんな人に私にいじめられる資格は無い。   そんなアルテミスだが、卒業パーティで断罪シーンがやってきて…。

処理中です...