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第四章
第23話 たくさん食べなさい
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ぱちん、ぱちん。糸が切られる音。
うつ伏せになってその音を聞きながら、私は羞恥心に耐えるしかなかった。
§ § §
「――あ、つっぱらない」
抜糸を終えた後に服を着ながら、先程まであった背中の違和感が消えたことを確認する。と言ってもノエに「まだ派手に動かしちゃ駄目だよ」と言われているから、着替えの動作の範囲で分かることだけだけど。それにちょっとだけ痛いしね。
ちなみに当然のように私の怪我の手当てをしてくれているノエだけれど、お医者さんではないらしい。「長く生きてるとこれくらいできるのよ」と言っていたので、やっぱり吸血鬼って暇なんじゃないかなと思う。
「明日には痛みもなくなると思うけど、念の為そのあと何日かは無茶な動きは禁止」
「傷開いちゃうの?」
「ビリっとね」
「うわっ、痛そう……」
他の擬音ではなく「ビリっと」と言うあたり、なんか妙に想像しやすくて背筋がひやっとなった。
お陰で抜糸前の一悶着のことは忘れられそう。そりゃノエに全部手当てされたと知った時は恥じらいとか色んな感情が爆発しそうになったけどね、そのあと抜糸の準備するノエの態度を見ていたら、きっと極力色々と見ないようにしてくれたんだろうなと分かったし。
てっきり「もう見られてるんだから気にしない」とか言って豪快にいくのかと思ったけれど、背中を出すのも包帯を解くのも、ほとんど私のやりたいようにやらせてくれた。
ってことで、ノエは今回私の背中しか見ていない。まあそれが当たり前なんだけど、一応乙女の心にご配慮いただいたことは報告しておく。
「そういえば、ほたるさー」
だから普通にノエの顔も見ることができる。よく考えれば相手はおじいちゃんだし、今更小娘一人の生肌にきゃーきゃー浮かれたりはしないだろう。そういうところは大人だ。流石おじいちゃん。
「肋浮いてんのって元から?」
「そんなにしっかり見たの!?」
前言撤回。浮かれないかもしれないけれどがっつり見てた。
「そりゃ見るだろ。で、どうなの? 前から?」
「なんでそんな当然のように肯定できるの?」
私が間違ってるのか? いや、間違ってはいないはずだ。
私がそのまま考え込んでいると、ノエが立ち上がって私を持ち上げる。え、なんで?
「なになになに!?」
「いいから質問に答えなさい。今見てきていいから」
「は!?」
そのままノエは私を洗面所に押し込んで、自分は退室。ドアの向こうから「そのガリッガリ具合は元からですかー?」と投げやりな声が聞こえる。
わけが分からなかったけれども、私はそんなにガリガリと言われるような体型でもないぞ。確かにうっすら肋骨は見えるけれど、ダイエット情報は常に気になるお年頃。
一体なんなんだと思いながら、それでも一応言われたとおりに服を捲くって鏡で確認。
「……あれ、痩せた?」
なんか前より骨が主張している気がする。横からも見てみると、やっぱりこちらも記憶より薄っぺらくなっているように感じた。
あらダイエット成功、やったわ! ……とは言えない。だって私はノクステルナに来てからよく食べよく眠っている。そりゃ昨日今日は寝てばかりでそんなに食べていないけれど、たった二日でこんなに痩せるかと言われると、そんな簡単に痩せるなら誰も苦労しないわと言いたくなる。
それに、なんかこの痩せ方嫌だ。元運動部だからそれなりに健康的な体つきの自負はあったのだけど、これはどう見ても不健康な雰囲気。
「……ノエ」
「はあい?」
服を直してからドアを開ける。そこにはノエが壁にもたれて立っていて、ふざけた雰囲気がいつもよりも少ないから急に不安になった。
「ちなみになんだけど……痩せてたら何か問題が?」
声が小さくなってしまったのは仕方がない。
だってよく考えてみたらさ、会話が微妙に噛み合ってなかったんだよね。
『肋浮いてんのって元から?』
『そんなにしっかり見たの!?』
『そりゃ見るだろ。で、どうなの? 前から?』
はい、ここ。これ私はノエに下心があると思ったんだけど、実はお医者さん的な立場からの言葉だったんじゃないだろうか。
となると、しっかり相手の身体を確認するのは当然のこと。そして何かしらの懸念があったから私にそれが元からかどうか聞いたのだ。
それはつまり、以前より痩せるということ自体に問題がある可能性がある。
ノエは私の質問に少しだけ眉根を寄せて、「やっぱ最近か」と呟いた。ああもう、なんかその先聞きたくないんだけど。
「種子に食われてるな」
「一応聞くけど、何を?」
「命?」
いつものへらっとした笑顔でノエが答える。うん、今その顔は違うんじゃないかな。
「なんで急に……」
確かにノエは、種子を持っていると命を食われると言っていた。だからそこに異論はないのだけど、こんなに急にその徴候が現れたことが分からない。だって今まで自分の命が残り僅かだと言われても、健康すぎて全く実感が湧かないくらいだったのに。
「傷の治りが早くなるくらい種子の影響が強く出てるんだから当然。ていうか今のほたる、だいぶ吸血鬼と一緒だし」
「え?」
「昨日は言わなかったけど、襲われた時に一瞬だけ紫眼――吸血鬼の目になってたのよ。見たことあると思うけど、紫色のあれな」
「いや……え? 私もう吸血鬼なの……? っていうか種子は勝手に発芽しないんじゃ……」
ああ待って、本当に混乱してきた。
あの目は紫眼と呼ぶんだ、というのは置いといて。
種子は親かその他の吸血鬼が何かしないと発芽しないって前にノエが言っていた気がする。気がするけれど、だいぶ吸血鬼と言われたらその記憶自体が間違いなんじゃないかって気もしてくる。
「発芽はしてない、影響が出てるだけ。だから別に喉も渇かないだろ?」
「喉……?」
「血を飲みたくならないでしょってこと。だからほたるはまだ人間だよ。ここまで影響が出るって聞いたことないんだけど、生きてるし匂いも人間だし、まあまだ大丈夫ってことで」
「いやいやいや、そんな適当な!」
その結論はおかしいだろう。人間だと断言してもらえるのはありがたいけれど、ノエにも想定外のことが私の身体に起こっている。それなのにその原因はそっちのけで、現状だけ見て「まあまだ大丈夫」はどう考えても大丈夫じゃない。ちゃらんぽらんは個性でも、今はもっとちゃんとして欲しい。
「前例がないんだよ。ほたるが寝てる間にラミア様とも話したけど、結局よく分からなくってさ。普通は種子を長く持ちすぎると、命を吸われて衰弱して死ぬ。多少催眠は効かなくなることもあるけど、ほたるみたいに種子が宿主を動かすことなんてないんだよ。まあ勝手に発芽することだけは有り得ないから、そこは安心していい」
「でも……! それに影響が強く出てるって、それだけ寿命が縮むってことじゃないの!?」
「それは今までと変わらないだろ? ただその影響が目に見えるようになってきたから、ちょっとは対策した方がいいだろうけど」
そう考えればそれだけ、なのか? ラミア様も大丈夫だと言ってるなら大丈夫なのかもしれないけれど、本当にそれで問題ないの?
ああ駄目だ、分からない。そりゃそうだ。ラミア様っていう千年は生きているであろう人すらも分からないと言っているのに、私みたいな吸血鬼のことをよく分かっていない人間が考えたところで分かるはずもない。
だから今考えるのは、ノエの言う対策。そんなのがあるのか、なんでもっと早く言わないんだ――色々不満はあるけれど、とりあえず「対策があるの……?」と素直に聞いてみる。
「たくさん食べなさい」
「は……?」
おかしいな、聞き間違いだろうか。
「だから、種子に取られる以上に栄養を摂りなさいって」
「いや……え? それだけ……? 血を飲めとかって話じゃなくて……?」
嫌だけど、それくらいは覚悟してたんだけどな。
あまりにも簡単かつ効果が定かではない対処法にノエを見上げれば、ノエは呆れたような顔をしていた。この野郎め。
「ほたるは人間だから、血を飲んだってそんなに効率よく栄養は摂れないよ。飲んだ血がそのまま種子に届くわけでもないしな」
「でも……」
「種子に殺されそうになる直前は本当にやばいから。そういうのも含めて、とりあえず栄養を摂れって話」
そこまで言ったノエは、「ってことで、ご飯を食べに行きます」と未だ納得できないでいる私を部屋から引きずり出した。
うつ伏せになってその音を聞きながら、私は羞恥心に耐えるしかなかった。
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「――あ、つっぱらない」
抜糸を終えた後に服を着ながら、先程まであった背中の違和感が消えたことを確認する。と言ってもノエに「まだ派手に動かしちゃ駄目だよ」と言われているから、着替えの動作の範囲で分かることだけだけど。それにちょっとだけ痛いしね。
ちなみに当然のように私の怪我の手当てをしてくれているノエだけれど、お医者さんではないらしい。「長く生きてるとこれくらいできるのよ」と言っていたので、やっぱり吸血鬼って暇なんじゃないかなと思う。
「明日には痛みもなくなると思うけど、念の為そのあと何日かは無茶な動きは禁止」
「傷開いちゃうの?」
「ビリっとね」
「うわっ、痛そう……」
他の擬音ではなく「ビリっと」と言うあたり、なんか妙に想像しやすくて背筋がひやっとなった。
お陰で抜糸前の一悶着のことは忘れられそう。そりゃノエに全部手当てされたと知った時は恥じらいとか色んな感情が爆発しそうになったけどね、そのあと抜糸の準備するノエの態度を見ていたら、きっと極力色々と見ないようにしてくれたんだろうなと分かったし。
てっきり「もう見られてるんだから気にしない」とか言って豪快にいくのかと思ったけれど、背中を出すのも包帯を解くのも、ほとんど私のやりたいようにやらせてくれた。
ってことで、ノエは今回私の背中しか見ていない。まあそれが当たり前なんだけど、一応乙女の心にご配慮いただいたことは報告しておく。
「そういえば、ほたるさー」
だから普通にノエの顔も見ることができる。よく考えれば相手はおじいちゃんだし、今更小娘一人の生肌にきゃーきゃー浮かれたりはしないだろう。そういうところは大人だ。流石おじいちゃん。
「肋浮いてんのって元から?」
「そんなにしっかり見たの!?」
前言撤回。浮かれないかもしれないけれどがっつり見てた。
「そりゃ見るだろ。で、どうなの? 前から?」
「なんでそんな当然のように肯定できるの?」
私が間違ってるのか? いや、間違ってはいないはずだ。
私がそのまま考え込んでいると、ノエが立ち上がって私を持ち上げる。え、なんで?
「なになになに!?」
「いいから質問に答えなさい。今見てきていいから」
「は!?」
そのままノエは私を洗面所に押し込んで、自分は退室。ドアの向こうから「そのガリッガリ具合は元からですかー?」と投げやりな声が聞こえる。
わけが分からなかったけれども、私はそんなにガリガリと言われるような体型でもないぞ。確かにうっすら肋骨は見えるけれど、ダイエット情報は常に気になるお年頃。
一体なんなんだと思いながら、それでも一応言われたとおりに服を捲くって鏡で確認。
「……あれ、痩せた?」
なんか前より骨が主張している気がする。横からも見てみると、やっぱりこちらも記憶より薄っぺらくなっているように感じた。
あらダイエット成功、やったわ! ……とは言えない。だって私はノクステルナに来てからよく食べよく眠っている。そりゃ昨日今日は寝てばかりでそんなに食べていないけれど、たった二日でこんなに痩せるかと言われると、そんな簡単に痩せるなら誰も苦労しないわと言いたくなる。
それに、なんかこの痩せ方嫌だ。元運動部だからそれなりに健康的な体つきの自負はあったのだけど、これはどう見ても不健康な雰囲気。
「……ノエ」
「はあい?」
服を直してからドアを開ける。そこにはノエが壁にもたれて立っていて、ふざけた雰囲気がいつもよりも少ないから急に不安になった。
「ちなみになんだけど……痩せてたら何か問題が?」
声が小さくなってしまったのは仕方がない。
だってよく考えてみたらさ、会話が微妙に噛み合ってなかったんだよね。
『肋浮いてんのって元から?』
『そんなにしっかり見たの!?』
『そりゃ見るだろ。で、どうなの? 前から?』
はい、ここ。これ私はノエに下心があると思ったんだけど、実はお医者さん的な立場からの言葉だったんじゃないだろうか。
となると、しっかり相手の身体を確認するのは当然のこと。そして何かしらの懸念があったから私にそれが元からかどうか聞いたのだ。
それはつまり、以前より痩せるということ自体に問題がある可能性がある。
ノエは私の質問に少しだけ眉根を寄せて、「やっぱ最近か」と呟いた。ああもう、なんかその先聞きたくないんだけど。
「種子に食われてるな」
「一応聞くけど、何を?」
「命?」
いつものへらっとした笑顔でノエが答える。うん、今その顔は違うんじゃないかな。
「なんで急に……」
確かにノエは、種子を持っていると命を食われると言っていた。だからそこに異論はないのだけど、こんなに急にその徴候が現れたことが分からない。だって今まで自分の命が残り僅かだと言われても、健康すぎて全く実感が湧かないくらいだったのに。
「傷の治りが早くなるくらい種子の影響が強く出てるんだから当然。ていうか今のほたる、だいぶ吸血鬼と一緒だし」
「え?」
「昨日は言わなかったけど、襲われた時に一瞬だけ紫眼――吸血鬼の目になってたのよ。見たことあると思うけど、紫色のあれな」
「いや……え? 私もう吸血鬼なの……? っていうか種子は勝手に発芽しないんじゃ……」
ああ待って、本当に混乱してきた。
あの目は紫眼と呼ぶんだ、というのは置いといて。
種子は親かその他の吸血鬼が何かしないと発芽しないって前にノエが言っていた気がする。気がするけれど、だいぶ吸血鬼と言われたらその記憶自体が間違いなんじゃないかって気もしてくる。
「発芽はしてない、影響が出てるだけ。だから別に喉も渇かないだろ?」
「喉……?」
「血を飲みたくならないでしょってこと。だからほたるはまだ人間だよ。ここまで影響が出るって聞いたことないんだけど、生きてるし匂いも人間だし、まあまだ大丈夫ってことで」
「いやいやいや、そんな適当な!」
その結論はおかしいだろう。人間だと断言してもらえるのはありがたいけれど、ノエにも想定外のことが私の身体に起こっている。それなのにその原因はそっちのけで、現状だけ見て「まあまだ大丈夫」はどう考えても大丈夫じゃない。ちゃらんぽらんは個性でも、今はもっとちゃんとして欲しい。
「前例がないんだよ。ほたるが寝てる間にラミア様とも話したけど、結局よく分からなくってさ。普通は種子を長く持ちすぎると、命を吸われて衰弱して死ぬ。多少催眠は効かなくなることもあるけど、ほたるみたいに種子が宿主を動かすことなんてないんだよ。まあ勝手に発芽することだけは有り得ないから、そこは安心していい」
「でも……! それに影響が強く出てるって、それだけ寿命が縮むってことじゃないの!?」
「それは今までと変わらないだろ? ただその影響が目に見えるようになってきたから、ちょっとは対策した方がいいだろうけど」
そう考えればそれだけ、なのか? ラミア様も大丈夫だと言ってるなら大丈夫なのかもしれないけれど、本当にそれで問題ないの?
ああ駄目だ、分からない。そりゃそうだ。ラミア様っていう千年は生きているであろう人すらも分からないと言っているのに、私みたいな吸血鬼のことをよく分かっていない人間が考えたところで分かるはずもない。
だから今考えるのは、ノエの言う対策。そんなのがあるのか、なんでもっと早く言わないんだ――色々不満はあるけれど、とりあえず「対策があるの……?」と素直に聞いてみる。
「たくさん食べなさい」
「は……?」
おかしいな、聞き間違いだろうか。
「だから、種子に取られる以上に栄養を摂りなさいって」
「いや……え? それだけ……? 血を飲めとかって話じゃなくて……?」
嫌だけど、それくらいは覚悟してたんだけどな。
あまりにも簡単かつ効果が定かではない対処法にノエを見上げれば、ノエは呆れたような顔をしていた。この野郎め。
「ほたるは人間だから、血を飲んだってそんなに効率よく栄養は摂れないよ。飲んだ血がそのまま種子に届くわけでもないしな」
「でも……」
「種子に殺されそうになる直前は本当にやばいから。そういうのも含めて、とりあえず栄養を摂れって話」
そこまで言ったノエは、「ってことで、ご飯を食べに行きます」と未だ納得できないでいる私を部屋から引きずり出した。
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