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第四章

第24話 洗面所に立ち寄らせてください

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 目の前にどんどん運ばれてくる食事。とても美味しい。
 目の前で好きな物だけをちょこちょこつまむ男。大変におかしい。

「……私の栄養なんだけど」

 じっとりとした目で睨めば、目の前の男――ノエは笑う。

「その分他の食べればいいじゃん」
「このっ……――もがッ!?」

 文句を言おうとした私の口に、ノエが素早く食べ物を押し込む。しかもこれあんまり好きじゃなくて避けてたやつなのに。

「好き嫌いは良くないよ、ほたる」

 そう言うノエの顔は、まるで「やれやれ、困った奴め」とでも言いたげな表情。いや待て、本当におかしいからこれ。


 § § §


 たっぷり時間をかけて、出された大量の料理をできる限り胃袋に詰め込んだ。それでも結構残してしまって申し訳なくなる。勿論ノエに対してではなく、作ってくれた人やこの食材の準備に関わった人たちにだ。我が家は出されたものは可能な限り残してはいけませんと教えられているので、料理を残すこと自体に抵抗がある。
 がしかし、量よ。最大限の努力はしたものの、明らかに私の胃袋のキャパを超えている。休み休み食べたけれど、今だって歩いているせいもあってかちょっと気を抜いたらお口から旅立ってしまいそう。

「ノエ」
「ん?」
「腹ごなしに畑を少々散歩したいのですけど」
「そんな時間ないよ」
「なんだって?」

 何も聞いてないんですが。
 ノクステルナでの私の生活において、時間がなくなるということは滅多にない。だって予定なんてほとんどないもの。
 私の予定はノエが管理しているも同然で、そのノエは直前にならないと次の予定を教えてくれない。意地悪ではなくて、彼の人間性(吸血鬼性?)だ。つまり怠惰。面倒臭がり。ちゃらんぽらん。

「あれ、言ってなかったっけ? マヤが来てるんだよ」
「マヤって昨日言ってた従属種の……」

 ノエの言葉に答えながら記憶を辿る。
 確かに昨日、ラミア様が「明日マヤが来る」みたいなことを言っていたな。つまり今日か。

「マヤさんが来たから出発ってこと?」
「いや、挨拶しとけばってこと」

 ああなるほどね、そういうね。聞いてないね。

「もしかしてこの後すぐ?」
「ってか今向かってる」
「洗面所に立ち寄らせてください」
「大丈夫大丈夫、メシ食ってたとこってちゃんと言うから」
「そういう問題じゃない」

 初対面の人に会うのに、身だしなみはちゃんとしたいじゃないか。せめて歯にゴミがついていないかとか、口周りぎとぎとになっていないかとかは確認したい。
 それなのにノエは分かってくれなくて、なんだったら「メシ食ってたとこってちゃんと言うから」ってことは、私の顔にそうと分かる痕跡があるということではないのかしら?
 っていう私の非難もなんのその、ノエは涼しい顔でさっさと歩いてしまう。でもお腹いっぱいで歩みの遅い私に歩調を合わせてくれるところが憎たらしい。こういうことをせずにもっと一人でずいずい進んでくれれば、私だって激しく怒り散らかせるのに。

 仕方ないので廊下にある窓を見て、そこに反射する自分の姿を確認する。外は暗いからそれなりに反射はするのだけど、鏡ではないからいまいち分からない。とりあえず口を閉じた状態では問題なさそうだから極力喋らないようにしよう。挨拶しに行くんだけど。

 そうこうしながら歩いていると、ラミア様の部屋の前に着いた。なるほど、ここでマヤさんとは待ち合わせなのね。ノエは初日以来全く緊張する様子もなく、今日もまた「ちわーす」だなんて適当すぎる挨拶をしながら、ノックもせず扉を開け放った。なんでノエは色々クビにならないんだろう。

「失礼します」

 私はノエとは違って礼儀正しいので、ちゃんと一声掛けてから部屋の中に入る。するとそこには前回と同じ位置にラミア様。それから彼女の前に二人の女性。

「よっ、ペイズリー」
「アンタは呼んでない」
「残念、俺はほたるの保護者なのでー」

 ノエには珍しく、相手を挑発するような言い方。いつものちゃらんぽらんも人によっては馬鹿にされていると感じるかもしれないけれど、それとは違って明確に悪意がある感じ。
 ノエがそんな言葉を向けた相手、ペイズリーさんはそばかすの可愛い女性だった。外国の人の外見年齢はよく分からないけれど、ノエよりも少し大人に見える。確かノエの外見は二十三歳だから、二十代後半といったところかな。
 そんなペイズリーさんの横にいたのは、黒髪の綺麗な女性。私のお母さんと同年代くらいだろうか、この中では一番年上に見えた。

「二人とも喧嘩するな。ほたる、このノエと仲が悪いのがペイズリー。それからこっちがマヤだ」
「は、はじめまして! 神納木ほたるといいます!」
「よろしくね。マヤもそう言ってる」

 そう言ってペイズリーさんは握手をしてくれた。マヤさんは日本語が分からないみたいで、ペイズリーさんが翻訳してくれている。そのマヤさんもにっこりと笑って私の手を取ってくれて、思っていたのとは違う反応になんだか困惑してしまった。
 マヤさんは従属種だと聞いていたから、正直言うとちょっと身構えていたところがある。ノエは私の知る従属種とは全然違うと教えてくれていたけれど、でも私が今まで会った人達ってみんな私を襲ってきたし。それに何より、目が正気じゃなかった。
 だけどマヤさんは至って普通で、本当に同じ従属種かと疑ってしまうくらい。しかもフローラルないい匂いがする。
 ってなことをあれこれ考えたけれど、とりあえず優しくしてもらえるのは嬉しいので、相手にその気持ちが伝わるように私も笑顔を浮かべた。リリと接して分かったけれど、言葉が分からない相手と接する時に表情は物凄い重要だ。

「二人にはもう事情は話してある。匂い玉はすぐに用意できるから、ほたるはちゃんと身体を休めておけ」
「はい!」

 私が元気よく返事すると同時に、ノエが私の腕を掴んできた。なんで。

「んじゃラミア様、もう行っていいっすか? あんま長くここにいるとペイズリーがキレそうなんで」
「その口の利き方を直せと何度言ったら分かるの? ラミア様に失礼でしょ」
「別にこれで怒られたことねーし」
「相手が寛大なことに甘えるなクソガキ」

 ああ、なるほど。ノエはペイズリーさんと仲が悪いから早くここから立ち去りたいのか。
 でもペイズリーさんの言い分は全く間違ってないと思うんだよな。

「ノエは適当すぎると思うよ」
「いいじゃん別に」
「へえ、話が分かる子じゃない。四百年も生きてるアンタよりよっぽどできてる。そうは思わない、ノエ?」
「そりゃまあ、周りの奴がしっかりするのも俺の魅力の一つだし?」

 なんかノエがとんでもないことを言っている気がする。ていうか私はノエに育てられていないから、私がしっかりしていたとしてもそれはノエの魅力じゃない。
 私が薄目でノエを見ていると、ペイズリーさんがふんっと鼻を鳴らした。

「流石、詐欺師は口が上手い。ほたる、この男は都合の良いことばかり言うかもしれないけど信用しない方がいいよ。平気で仲間を裏切るような奴だから」
「え……」
「いつの話してんだよ、ほたるが混乱するだろ」
「混乱するのは説明してないからでしょ? まあできないか、人間時代に仲間を敵国に売った話なんて」

 ペイズリーさんの言葉に、ノエが不快そうに彼女を睨みつけた。

「ほんっと性格悪いな。そっちこそ昔冤罪で火炙りになりかけたって話だけど、あながち冤罪でもないんじゃねーの?」

 そうノエが口にした途端、その場の空気が一気に重くなった。二人の話は気になる部分だらけで聞き返したいのに、息をするのも苦しくて何も言えない。
 空気が重い理由は考えるまでもなかった。ノエとペイズリーさんが放つ雰囲気のせいだ。
 ノエなんて、多分本気で怒っている。裁判の時に周りの人に怒っていたけれど、それよりももっとずっと怒っているのが分かった。

「いい加減にしろ」

 ぴしゃりとラミア様が言い放つ。するとそれまでの重苦しい空気は一瞬で消えて、ノエとペイズリーさんはお互いに顔を背けた。

「無理に仲良くしろとは言わん。だが状況を考えろ。ほたるもマヤも、お前たちの怒りで萎縮してしまっている。マヤなんて巻き込まれたら下手すりゃ死ぬぞ」

 ラミア様の言葉にマヤさんを見るととても青い顔をしていて、額には汗が滲んでいた。巻き込まれたら死ぬというのはよく分からないけれど、従属種だから私よりもノエ達の怒りの影響を受けるのかもしれない。
 ペイズリーさんは慌ててマヤさんに何かを言って、そのまま彼女を抱き締めた。それを見ていたノエは気まずそうに「マヤには悪かった」と言って、私の腕を掴んで歩き出す。

「ちょっと頭冷やしてきます」
「そうしろ。落ち着いたらほたるの質問にも答えてやれ」
「……そうっすね」

 ノエはそのままラミア様の方を振り返らずに、私の手を引いたまま部屋を後にした。
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