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第四章
第25話 楽しくない話だから聞かなくてよろしい
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ずいずいとノエが歩いて行く。彼に腕を引かれている私は転ばないように早歩きで着いていく。
掴まれた腕がちょっと痛かったけれど、なんだか今は話しかけづらかった。
「――悪かったな」
私の部屋に着いた後、ノエは私を室内に促しながら小さく呟いた。
「……それは何に対して?」
部屋に入る足を止めて、入り口にいるノエに問いかける。
問いかけられたノエはまさか聞き返されると思っていなかったのか、少し目を見開いた。
「何って、その……ペイズリーと揉めて……?」
「それだけ?」
「いや……怖い思いさせたし……」
「引っ張られた腕も痛かった」
「げっ……それもごめん」
ノエは私の腕を持って、袖を捲くる。少し赤くなっていたそこを見て眉を顰め、小さく「ごめん」と再び呟いた。
そんなノエの様子が、なんだか親に叱られた子供のようで。彼には珍しい姿にどうしたものかと思っていると、ノエは躊躇いがちに「それから――」と口を開いた。
「――ペイズリーの言ってたこと……あれは本当」
あれ、とはノエが仲間を売った話だろう。詳しく聞きたいことではあったけれど、聞くのが怖い話でもある。
だから私は「うん」と言うことしかできなくて、ノエがそれに困ったようにしているのも分かったのに、うまく言葉を繋げられなかった。
「聞きたい?」
「……ちょっと怖い」
「なら今度にしようか」
「……それは嫌だ。ちゃんと今聞く」
私が言うと、ノエは「そっか」と言って部屋に入ってきた。ソファに向かい合って座って、しばし沈黙。
「客観的に、っていうか端的に言うと……――俺は人間だった頃に自分の都合で、自国の人間を敵国に売りました」
妙に丁寧な口調は、ノエが気まずく思っているからだろう。普段おちゃらけているせいで分かりやすい。
「以上、かな」
「主観的に言うと?」
「えー? それも言うの?」
「それを言わないなら何を話そうと思ったの」
「そりゃそうか」
やっと笑ったノエはいつもよりも少し元気がない。聞かない方がいいのかもしれないという考えが一瞬頭を過ぎったけれど、ラミア様はノエに私の質問には答えろと言っていたし、ノエもそれを了承していた。ということはノエ自身、ある程度は話す気があるのだろう。
「まあ、ムカつく奴らを消すために別のムカつく奴らをけしかけた、的な?」
「どれだけムカついてたの」
ノエはふざけた感じで言っているけれど、消すというのは多分殺してしまうとか、そんな意味合いな気がする。
自国とか敵国とかあまり現代では個人が口にすることはないけれど、ノエが人間だったのは四百年も前の話。ノエがどこの国の人かは分からないものの、それくらいの頃って人間もしょっちゅう戦争をしていたはずだ。彼の育った環境も、常識も、おそらく私とは全く違う。
「後悔してるの?」
「ん?」
「仲間を裏切ったこと。ほら、ペイズリーさんに言われて怒ったじゃん。だからノエにとっては後ろめたいことなのかなって」
なんでだろうか。ノエが仲間を裏切ったという話を聞いたのに、そんなに彼を軽蔑したくはならない。確かに衝撃的で驚いたけれど、仲間を裏切るという行為と私の知るノエという人物がうまく紐付かなかったからかもしれない。
「後悔はしてないよ。仲間って言っても同じ国の人間ってだけだし、俺にとってはただのムカつく奴らだったから」
だからこの言葉も妙に納得できた。
やったことは酷いことなんだろうなとは思うものの、ノエとしては仲間を裏切ったわけではないのだ。まあ裏切られた方はたまったもんじゃないだろうけどさ、ノエってそういうの気にしなさそうだし。って考えると、なかなかやばい奴だなこの男。
「……ムカつくだけで、その、消しちゃうの?」
「じゃあどんな理由なら、人は人を消して――殺していいと思う?」
「そんなのっ……」
なんでこんなことを聞くんだろう。それまでぼかして言っていたのをわざわざ変えてまで、どうしてこんな質問をしてくるんだろう。
人が人を殺してもいい理由なんて有るわけがない――そう言い切りたいけれど、復讐とか死刑とかなら、しょうがないよねと理解はできてしまう。
だからと言ってそれは殺していい理由なのかどうかも分からなくて、私は「……分かんないよ」と小さく呟いてノエの答えを待った。
「そ、分かんないのが正解だと俺は思うよ。俺は俺のやったことを正しいことだとは思ってないけど、間違っていたとも思わない。俺は『こいつらを消せるなら他がどうなっても構わない』って思ったからやった、それだけのことだよ」
「……それは、ムカついただけじゃなくない?」
「そうね。確かに心底憎んでたかも」
へらっとノエが笑う。いつもどおりの顔だけど、発言とは全く一致しない。
「なんでそんなに憎んでたの?」
「まあ色々よ。楽しくない話だから聞かなくてよろしい」
そう言って肩を竦めたノエはちょっとだけ困ったような表情。多分これ以上は深入りするなということなんだろう。だから私はそれ以上その理由を聞くことはできなくて、代わりに別の質問をノエの投げかけることにした。
「憎んでたから、仲間とも思ってないから裏切った、ってことは……ノエは自分が仲間だと思ってる人たちのことは裏切らないの?」
聞いてから答えづらい質問かもしれないと気付いたけれど、ノエは意外にも「時と場合によるかな」と即答する。
「序列があるから、ラミア様のことだけは何があっても裏切れないだろ? んでそのラミア様が他を裏切れって言ったら、俺は従うしかない」
「ああ、そっか……」
そういえば吸血鬼には絶対に覆せない序列があるんだ。ノエが即答できたのは、その序列に即して物事を考えているからだろう。でも今知りたいのはそういうことじゃないんだよな。
「じゃあ序列関係なく、ノエの気持ちとしてはどう? 私とかエルシーさんを裏切れって言われたらさ」
私が尋ねると、ノエはちょっと眉間に皺を寄せた。怒っているのではなく、これは考えている顔。エルシーさんはともかく私を喩えに出すのは少しおこがましいかと思ったものの、何も言われないのでほっと胸を撫で下ろす。気を遣ってくれているだけかもしれないけれど。
ノエはそのまま少しの間うーんと頭を捻ったかと思うと、ゆっくりと口を開いた。
「裏切りたくはないな。でも命令ならしょうがないって割り切ると思うよ」
「潔いね」
「だって現実的に親に逆らうのは無理だし」
「じゃあノエはいずれ私を裏切るかもしれない、と」
「そうそう、そう思ってくれてたほうが俺も楽だわ」
再びへらっと笑うノエは、やっぱりいつもどおり。でもそれがなんだか悲しい。
自分はいつか裏切るかもしれないと相手に承知してもらった上で付き合う――吸血鬼同士なら言葉にせずともそういうものだと思うのかもしれないけれど、なんかそういう関係って寂しい気がする。でもだからと言って、その前提を覆す方法なんて私には浮かばなくて。
「なら私を裏切る時は予め言ってね」
これが精一杯。
でもノエは「……は?」と目を丸めているので、これだけじゃあやっぱり伝わらないようだと思った私は言葉を付け足す。
「何か事情があって私にとって不都合なことをしなくちゃいけなくなった時、先に言ってねって言ってるの」
「いや、それは分かるけど……ほたるはそれでいいの? 結局俺は裏切るってことだろ?」
「良くないけど、いい」
私の言葉に、ノエはわけが分からないという表情を浮かべる。うん、その気持ちは分かるよ。でも私だって説明が難しいんだ。
「えっとね……先に言ってくれれば、ノエが何をしても私のことを本当に裏切ったってことにはならないかなって。少なくとも私はそう判断する」
相変わらずノエは怪訝な表情。そして「……馬鹿なの?」と呟く。失礼な。
「馬鹿だよ。馬鹿だからこんな方法しか浮かばないの。ノエが積極的に私を裏切りたいなら別だけど……嫌々そうしなきゃならないなら、私のことを裏切りたくはないって言ってくれたノエが辛いじゃん」
きょとんとした表情で聞いていたノエは、少し固まった後に私の頭に手を伸ばしてきた。なんだろうと思っていると、頭をぐりぐり撫でられる。何故。
「……馬鹿だなー」
ぐしゃぐしゃにされた髪でノエがどんな表情をしているかは分からなかったけれど、その声はとても優しい気がした。
掴まれた腕がちょっと痛かったけれど、なんだか今は話しかけづらかった。
「――悪かったな」
私の部屋に着いた後、ノエは私を室内に促しながら小さく呟いた。
「……それは何に対して?」
部屋に入る足を止めて、入り口にいるノエに問いかける。
問いかけられたノエはまさか聞き返されると思っていなかったのか、少し目を見開いた。
「何って、その……ペイズリーと揉めて……?」
「それだけ?」
「いや……怖い思いさせたし……」
「引っ張られた腕も痛かった」
「げっ……それもごめん」
ノエは私の腕を持って、袖を捲くる。少し赤くなっていたそこを見て眉を顰め、小さく「ごめん」と再び呟いた。
そんなノエの様子が、なんだか親に叱られた子供のようで。彼には珍しい姿にどうしたものかと思っていると、ノエは躊躇いがちに「それから――」と口を開いた。
「――ペイズリーの言ってたこと……あれは本当」
あれ、とはノエが仲間を売った話だろう。詳しく聞きたいことではあったけれど、聞くのが怖い話でもある。
だから私は「うん」と言うことしかできなくて、ノエがそれに困ったようにしているのも分かったのに、うまく言葉を繋げられなかった。
「聞きたい?」
「……ちょっと怖い」
「なら今度にしようか」
「……それは嫌だ。ちゃんと今聞く」
私が言うと、ノエは「そっか」と言って部屋に入ってきた。ソファに向かい合って座って、しばし沈黙。
「客観的に、っていうか端的に言うと……――俺は人間だった頃に自分の都合で、自国の人間を敵国に売りました」
妙に丁寧な口調は、ノエが気まずく思っているからだろう。普段おちゃらけているせいで分かりやすい。
「以上、かな」
「主観的に言うと?」
「えー? それも言うの?」
「それを言わないなら何を話そうと思ったの」
「そりゃそうか」
やっと笑ったノエはいつもよりも少し元気がない。聞かない方がいいのかもしれないという考えが一瞬頭を過ぎったけれど、ラミア様はノエに私の質問には答えろと言っていたし、ノエもそれを了承していた。ということはノエ自身、ある程度は話す気があるのだろう。
「まあ、ムカつく奴らを消すために別のムカつく奴らをけしかけた、的な?」
「どれだけムカついてたの」
ノエはふざけた感じで言っているけれど、消すというのは多分殺してしまうとか、そんな意味合いな気がする。
自国とか敵国とかあまり現代では個人が口にすることはないけれど、ノエが人間だったのは四百年も前の話。ノエがどこの国の人かは分からないものの、それくらいの頃って人間もしょっちゅう戦争をしていたはずだ。彼の育った環境も、常識も、おそらく私とは全く違う。
「後悔してるの?」
「ん?」
「仲間を裏切ったこと。ほら、ペイズリーさんに言われて怒ったじゃん。だからノエにとっては後ろめたいことなのかなって」
なんでだろうか。ノエが仲間を裏切ったという話を聞いたのに、そんなに彼を軽蔑したくはならない。確かに衝撃的で驚いたけれど、仲間を裏切るという行為と私の知るノエという人物がうまく紐付かなかったからかもしれない。
「後悔はしてないよ。仲間って言っても同じ国の人間ってだけだし、俺にとってはただのムカつく奴らだったから」
だからこの言葉も妙に納得できた。
やったことは酷いことなんだろうなとは思うものの、ノエとしては仲間を裏切ったわけではないのだ。まあ裏切られた方はたまったもんじゃないだろうけどさ、ノエってそういうの気にしなさそうだし。って考えると、なかなかやばい奴だなこの男。
「……ムカつくだけで、その、消しちゃうの?」
「じゃあどんな理由なら、人は人を消して――殺していいと思う?」
「そんなのっ……」
なんでこんなことを聞くんだろう。それまでぼかして言っていたのをわざわざ変えてまで、どうしてこんな質問をしてくるんだろう。
人が人を殺してもいい理由なんて有るわけがない――そう言い切りたいけれど、復讐とか死刑とかなら、しょうがないよねと理解はできてしまう。
だからと言ってそれは殺していい理由なのかどうかも分からなくて、私は「……分かんないよ」と小さく呟いてノエの答えを待った。
「そ、分かんないのが正解だと俺は思うよ。俺は俺のやったことを正しいことだとは思ってないけど、間違っていたとも思わない。俺は『こいつらを消せるなら他がどうなっても構わない』って思ったからやった、それだけのことだよ」
「……それは、ムカついただけじゃなくない?」
「そうね。確かに心底憎んでたかも」
へらっとノエが笑う。いつもどおりの顔だけど、発言とは全く一致しない。
「なんでそんなに憎んでたの?」
「まあ色々よ。楽しくない話だから聞かなくてよろしい」
そう言って肩を竦めたノエはちょっとだけ困ったような表情。多分これ以上は深入りするなということなんだろう。だから私はそれ以上その理由を聞くことはできなくて、代わりに別の質問をノエの投げかけることにした。
「憎んでたから、仲間とも思ってないから裏切った、ってことは……ノエは自分が仲間だと思ってる人たちのことは裏切らないの?」
聞いてから答えづらい質問かもしれないと気付いたけれど、ノエは意外にも「時と場合によるかな」と即答する。
「序列があるから、ラミア様のことだけは何があっても裏切れないだろ? んでそのラミア様が他を裏切れって言ったら、俺は従うしかない」
「ああ、そっか……」
そういえば吸血鬼には絶対に覆せない序列があるんだ。ノエが即答できたのは、その序列に即して物事を考えているからだろう。でも今知りたいのはそういうことじゃないんだよな。
「じゃあ序列関係なく、ノエの気持ちとしてはどう? 私とかエルシーさんを裏切れって言われたらさ」
私が尋ねると、ノエはちょっと眉間に皺を寄せた。怒っているのではなく、これは考えている顔。エルシーさんはともかく私を喩えに出すのは少しおこがましいかと思ったものの、何も言われないのでほっと胸を撫で下ろす。気を遣ってくれているだけかもしれないけれど。
ノエはそのまま少しの間うーんと頭を捻ったかと思うと、ゆっくりと口を開いた。
「裏切りたくはないな。でも命令ならしょうがないって割り切ると思うよ」
「潔いね」
「だって現実的に親に逆らうのは無理だし」
「じゃあノエはいずれ私を裏切るかもしれない、と」
「そうそう、そう思ってくれてたほうが俺も楽だわ」
再びへらっと笑うノエは、やっぱりいつもどおり。でもそれがなんだか悲しい。
自分はいつか裏切るかもしれないと相手に承知してもらった上で付き合う――吸血鬼同士なら言葉にせずともそういうものだと思うのかもしれないけれど、なんかそういう関係って寂しい気がする。でもだからと言って、その前提を覆す方法なんて私には浮かばなくて。
「なら私を裏切る時は予め言ってね」
これが精一杯。
でもノエは「……は?」と目を丸めているので、これだけじゃあやっぱり伝わらないようだと思った私は言葉を付け足す。
「何か事情があって私にとって不都合なことをしなくちゃいけなくなった時、先に言ってねって言ってるの」
「いや、それは分かるけど……ほたるはそれでいいの? 結局俺は裏切るってことだろ?」
「良くないけど、いい」
私の言葉に、ノエはわけが分からないという表情を浮かべる。うん、その気持ちは分かるよ。でも私だって説明が難しいんだ。
「えっとね……先に言ってくれれば、ノエが何をしても私のことを本当に裏切ったってことにはならないかなって。少なくとも私はそう判断する」
相変わらずノエは怪訝な表情。そして「……馬鹿なの?」と呟く。失礼な。
「馬鹿だよ。馬鹿だからこんな方法しか浮かばないの。ノエが積極的に私を裏切りたいなら別だけど……嫌々そうしなきゃならないなら、私のことを裏切りたくはないって言ってくれたノエが辛いじゃん」
きょとんとした表情で聞いていたノエは、少し固まった後に私の頭に手を伸ばしてきた。なんだろうと思っていると、頭をぐりぐり撫でられる。何故。
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