マリオネットララバイ 〜がらくたの葬送曲〜

新菜いに/丹㑚仁戻

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第六章

第37話 気になるのそれ?

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 暗い、暗い、檻の中。
 冷たい石の床の上で、私は膝にノエの頭を乗せて俯いていた。さっきからいくら顔を触っても、ノエの瞼はぴくりともしない。お腹の傷はどういうわけかいつの間にか塞がっていたのに、こうして直接触れていないとノエが生きているのか分からなくなる。

「ノエ……」

 早く目を覚ましてと願いながら、冷たい頬を撫でた。


 § § §


 突然感じた嫌な気配は一つではなかった。
 咄嗟に顔を上げると、そこにいたのは何人もの男たち。服装は割と綺麗だったから、多分従属種ではないのだろう。
 彼らは口々に吸血鬼の言葉で何か言っていたけれど、何を言っているかは私には分からない。ただ時折聞こえるのはノエの名前。それから従属種を指す単語。
 たったそれだけでも、相手が私達が誰かを認識しているのは明らかだった。未だマヤさんの匂いで誤魔化せているらしい私はともかく、ノエのことを知っている。

 もしかしたら、ノエを助けてくれるかも――そう淡い期待を抱いたけれど、彼らの悪意ある視線がそれを掻き消す。
 その視線の先にいたのは意識のないノエ。気付いた瞬間私は再びノエの頭を抱き締める。彼らの意図は分からないものの、ノエに良い感情を抱いていないのは確かだ。だから何もされないように、ノエに必死にしがみつく。それが彼らの前で意味をなすとは思えなかったけれど、私にできるのはこれくらいしかない。何か言いたくても日本語が使えない。

「――――?」
「――――」

 私がノエを庇っている間も、男たちの会話は続いていた。何を話しているか全く分からないというのは私の中の不安をどんどん煽る。
 やがて話し声が止まったかと思えば、突然強い力でぐいと身体を後ろに引かれた。

「嫌ッ……――!」

 咄嗟に出てしまった日本語に慌てて口を噤む。けれどそんなこと意にも介していないのか、私の身体を引く力は緩まない。

「……ッ!」

 それが私をノエから引き剥がそうとしての行為だとは明らかだった。
 なら絶対にノエを離すもんか――歯を食いしばって、掴まれた箇所が痛むのも無視をする。
 そうしていたら不意に力が緩んで、どうしたのだろうと思った瞬間、頭を強い衝撃が襲った。


 § § §


 目が覚めたら、頭が酷く痛かった。
 殴られたからだとすぐに分かったけれど、どうにも頭の内側からも痛んでいる気がする。
 殴られた後に変な頭痛があるってまずいのではと思ったものの、自分の視界にそれよりもまずいものが映ったからどうでもよくなった。

「ノエ!」

 石の床の上に倒れるノエの姿。生きているのは分かったけれど、いくら揺すっても目を覚まさない。
 改めて助けを呼ぼうとしてやっと周りに目をやると、自分たちが檻の中にいるのが分かった。背後の一面以外柵だから檻だと思ったけれど、もしかしたら牢かもしれない。違いなんてよく分からない。それに今はそんなことどうでもいい。

 ここは一体どこなんだ。誰が何のために私達をこんなところに閉じ込めているんだ。
 次々に浮かぶ疑問の答えを探そうと辺りを見渡しても、分かったのはノストノクスの牢みたく周りに他の部屋はないということだけ。学校の教室くらいの広さの部屋、その一角が檻になっている。ここから一番離れた位置にあるのは階段だろうか。あまり明るくないから確信が持てなかったけれど、ただ扉があるだけには見えない。
 それ以上は、何も分からなかった。意識のないノエと共に、そこに閉じ込められているという事実。ただそれだけが目の前に突きつけられていた。

 ――そのままずっと、私はノエと檻の中にいた。
 どのくらい時間が経っただろう。ノエの持っていた懐中時計は彼らに奪われてしまったのか、ここにはない。もしあったとしてもあれは座標を指定するものだし、見方も知らないから時間が分かるとは限らないけれど。

 このままずっと、ここに閉じ込められたままだったらどうしよう。
 そう不安に思うと同時に、私のお腹がぐうと鳴る。なんて間抜けな音。朝にノクステルナの宿で食べたきりだったから仕方がないのかもしれないけれど、どうしてこんな時までお腹が空くんだろう。

 お母さんが死んで、お父さんが多分……スヴァインで。そのスヴァインに、ノエは傷付けられて。

「ッ……」

 ああ、駄目だ。泣くな。今は私がしっかりしないと、誰がノエを守るの。
 そう気を引き締めようとすると、またお腹がぐうと鳴る。なんなのもう、もう少し真面目に考えさせてよ。

「……くっ」

 ほらまた音が鳴った。一体私の身体はどれだけ空気が読めないんだ。
 そう思って顔を顰めたけれど、動かしてもいないのになんだが膝が揺れている気がする。

「……ふふっ」
「……ノエ?」
「はあい?」
「……ノエ?」
「だから返事してるでしょ」

 そう言って私を見上げるノエは、笑いをこらえるような顔をしていた。「さっきからぐうぐう鳴らしちゃって……!」と手で口元を覆っているけれど、思い切り目が笑っている。
 ああ、馬鹿にされている――普段だったら怒るはずなのに、私の視界はどんどん滲んでいって。

「ノエ!」
「うおっ」

 膝に乗せたノエの頭に思い切り抱きつく。ノエは最初驚いた声を上げたけれど、すぐに私の頭に手を置いて、「心配した?」と小さく尋ねてきた。

「心配したに決まってんじゃん……! もう目が覚めないかと思ったのに……!」
「これくらいで吸血鬼は死なないよ。ちょっと重症だったから気絶してただけ」
「気絶は十分死にかけだよ!」
「そう? そんなこともないと思うけど」

 話しながら、ノエはよっこらせと身体を起こした。それを見てやっと私ももう大丈夫だと安心できたものの、胸の部分が破れた服と、そこに染み付いた血の痕にどうしても不安が拭いきれない。

「で、どんな状況?」

 けだるげに髪をかき上げながらノエがこちらを見る。私が自分の分かる範囲のことを説明すると、ノエは「うわー」と顔を顰めた。

「座標いじる暇なかったからな。変なとこ落っこちたか」
「なんか荒野みたいなところだったよ」
「なるほど。ちなみにノクステルナはわりとあちこち荒野だよ」

 つまり役に立たない情報だと。しょうがないじゃないか、ノクステルナのことなんてほとんど知らないんだし。

「ノエ、もう身体は平気?」
「平気だよ、傷もないだろ? だからそんな顔しない」
「でも、その怪我……私を庇ってくれたんだよね? 申し訳なくて……」
「折角頑張ったんだから、ごめんよりありがとうの方がいいなー」
「う……ありがとう」

 私が言うとノエが満足そうに笑う。それだけで、僅かに残っていた不安が和らいだ気がした。

「なんで私達はこんなとこに連れてこられたんだろう」
「それは連れてきた本人に聞かないと分かんないな。まァ、弱ってる俺って魅力的だし?」
「へえ……?」

 出たよ、ノエの適当な説明。多分ちゃんと説明されれば分かるような何かしらの魅力というかメリットがあるんだろう。前に話してくれた、ラミア様にスカウトされたって話もきっとそうだ。でもノエは全然説明してくれないから、本当にただの痛い人にしか見えない。

「それよりまだ匂い玉は取られてないから、ちゃんと従属種のふりは続けるように」
「うん」
「まァほたるにも俺の血がべったり付いてるし、匂いだけじゃそうそうバレないとは思うけど……っていうかそれ気持ち悪くない? なんかごめんな。せめて手くらいは洗い流せればいいんだけど」
「仕方ないじゃん。それにノエの血だしそこまで気にならないよ」
「あー良かった。『ノエ臭いのやだ!』とか言われたらちょっとへこんでたわ」

 いや、血に対してそんな加齢臭みたいなことは思わないけれども。私が呆れたように見ていると、ノエはふざけた表情をしまって窺うようにこちらに視線を向けた。

「何?」
「ほたるは大丈夫?」
「何が?」
「何がってほら……色々?」

 そう言われて、少し前まで考えていたことが脳裏に浮かぶ。ノエが目覚めた安心で頭の隅に追いやられていたけれど、一度意識した途端次々に思い出していった。

「……そりゃしんどいよ。しんどいし意味も分かんない。しかもノエにこんな怪我までさせられて、悲しいのか辛いのか怒ってるのか自分でもよく分からない」

 お母さんの死、お父さんの正体、そして彼の私に対する認識――それはどれも苦しいものだったけれど、ここで目が覚めてからはどういうわけか、フィルターがかかってしまったみたいにそれらの感情と距離があるような感覚がしていた。自分の感情なのに、いつものように上手く表に出すことができない。感情自体が見えない膜に覆われてしまったように、近くにあるのに触れられない。
 よく分からない感覚に顔を顰めると、ノエはそっと私の髪を撫でた。

「それはほたるにかけられた催眠が解けてきてるからだよ」
「……どういうこと?」
「多分、かなり長い間ほたるは奴の洗脳下にあった。もう洗脳自体は解けてるだろうけど、また頭が処理しきれてないんだよ。何せ今までの現実と折り合いをつけなきゃいけないからな。感情も多少麻痺してると思うよ」

 それは今までの私の記憶がまるごと塗り替えられてしまうということだろうか。スヴァインが私にどれだけの催眠をかけていたかは分からないけれど、少なくともお父さんに関することはすべてデタラメだったのだ。そのお父さんの記憶があまりないのは幸いだけど、他にも何かいじられていたのだとしたら考えるのが怖くなる。

 すべての催眠が解けた時、私は私のままでいられるのだろうか。

「……完全に解けたら、ちゃんと怒れる?」

 私が尋ねると、ノエは驚いたように目を丸めた。

「気になるのそれ?」
「そりゃそれだけじゃないけど……でも、少なくともノエに怪我させたことは怒りたい。それから多分、お母さんを……殺したってことも。お母さんを悲しませ続けたことも。今はまだ『辛い』が大きい気がするけど、なんか怒りたい気もする」
「物騒だなー」

 ノエは困ったように言ったけれど、その顔は少し嬉しそうだった。なんでだろう、ノエの喜ぶポイントが時々よく分からない。

「そうだ、頭は痛くない?」
「頭? 殴られたところと……なんか内側が痛い」
「見せて」

 そう言って手を伸ばしてきたノエに、私は言われたとおり頭を差し出す。ノエはお医者さんではないけれど、ノクステルナでの怪我は全部ノエに治療してもらっているので、私にとって彼は主治医のようなものだろう。そんな相手に見せてと言われれば、間髪入れずに患部を差し出す私は患者の鏡だと思う。

「あー……コブになってるけど、まあもうすぐ治るでしょ」
「便利な身体だなぁ……」
「頭の中が痛いのは弱くなってきた?」
「いや全然、なんかちょっと強くなってるような気がする」

 私が答えると、ノエは「もっと酷くなるよ」と言って私の頭をぽんと叩いた。いや、頭痛い人にやることじゃないでしょ。という文句を言いたかったけれど、その前の発言の方が気になったので引っ込める。

「酷くなるの?」
「そう、多分頭割れそうなくらい」
「え、なんで?」
「洗脳が一気に解けるから」
「……おおう?」
「絡んだ紐とかもそうだろ? 最初はなかなか解けないけど、ある程度解けたら一気に元通り。それと一緒だよ、一気に色々戻る時にガツンと来る」

 ノエはさわやかに言うけれど、言われた方はたまったものじゃない。

「それは……すぐ終わるの?」
「人による。奴がどれだけ手加減してくれてるかによるけど」
「……手加減は期待できないと思う」

 最後に見たスヴァインの姿を思い出す。あの冷たい眼差しは、私のことをなんとも思っていない目だった。最初に動きを封じられた時だって、「人間なら死んでる」だなんて言うあたり殺す気でやったんだと思う。
 いつから自分がスヴァインのことをお父さんだと思い込んでいたのか分からない。でも彼だってしばらくは娘だったはずの私にそんなことをするくらいだから、元から手加減なんてしていないはずだ。
 それに幼い頃お父さんに優しくしてもらった記憶だって、スヴァインだと思い込んでいるだけで本当は本物のお父さんにやってもらったものかもしれない。そう考えるとスヴァインは一度も私にお父さんとして接していなかったとしてもおかしくはないから、尚更手加減は期待できないだろう。

「とりあえず今は休んでな。起きて欲しい時は起こすから寝ててもいいよ」
「……流石に檻では眠れないよ」

 私が言い終わった時、部屋の奥からキィと音が響いた。
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