マリオネットララバイ 〜がらくたの葬送曲〜

新菜いに/丹㑚仁戻

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最終章

第59話 そのへんは慣れかな

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「――人、全然いないね」

 一日前の記憶と照らし合わせて、私は目の前の光景に小さく呟いた。

「これがいつもどおりよ」

 そう言いながら、ノエは手に持っていた懐中時計型の鍵をポケットにしまった。以前失くしてしまったのだけれど、昨日私を助けに来る前に新しいものをもらっていたらしい。
 本当は用意するのにもっと時間がかかるはずだったものの、私の安全を確保するためだと言ってエルシーさんが大急ぎで都合してくれたのだそう。お陰で昨日ノエと私は逃げることができたから、エルシーさん様様だ。

 そして今、私達の視線の先にはノストノクスがあった。ノエの外界の家で支度を整え、ここに戻ってきたのだ。
 ノエはいつもどおりと言うものの、視界いっぱいに広がる光景は完全にいつもどおりとは言えなかった。私はノストノクスを外から見たことは一度しかないけれど、それでも以前と変わってしまったのだと分かる。青い光に照らされたノストノクスの巨大な建物の中央部分には瓦礫が散らばり、以前のような荘厳な佇まいに混じって荒廃的な雰囲気を醸し出していたから。

 ノエが言うには、あそこは正門があった場所らしい。ノストノクスはその建物の周りをぐるりと高い壁に囲われていて、通常は正門と裏門から出入りする。とはいえ吸血鬼や従属種の身体能力であれば、いくら堅牢な造りであっても本来爆破することなく入ることができるらしい。それなのにわざわざ派手に壊したのはある種のパフォーマンスなのだそうだ。
 これから仕掛けるぞ、覚悟しろ――そんなような意味があって、これをすることで士気も上がるとのこと。昨日ノストノクスの中で逃げる時にノエの言った『爆破は挨拶みたいなもん』という発言は、これを意味していたのだ。

「物騒な考え方……」
「ま、一種の伝統的な? だからノストノクスも一見一つの建物に見えて、実はところどころ独立するように造られてる。一箇所破壊されて全部使い物にならなくなったら困るからな」

 だからあれだけ正門付近が派手に壊れているのに、他の部分は無事なのだろう。外に人がいなくなったせいで廃墟に見えなくもないけれど、ノエが言うには恐らく中はほぼ通常通り機能していると考えて問題ないそうだ。

「って言ってもそこらじゅう荒らされてるだろうし、エルシーも死んだってことになってるから、中の奴らは大慌てだろうけどな」
「エルシーさんの話って私を見つけるためだったんじゃないの? もう別に生きてるって隠さなくてもいいと思うんだけど」

 しかもエルシーさんがいないことで内部の人達が大変な思いをするのであれば、早く教えてあげた方がいい気がする。

「そうしたらまたここに昨日の連中が戻ってくるよ。エルシーを死んだことにしたのはほたるを見つけるためでもあるけど、集まってた連中にさっさとお引取り願うためでもあったしな」
「そうなの?」
「エルシーは一応ノストノクスのトップだから、そんな奴が死んだって知ればノストノクスに不満を持って集まってた連中もちょっとは冷静になるのよ。しかもほたるだって見つからないし、ここにいたって仕方ないって考えるだろ」

 あれ、エルシーさんって裁判長じゃなかったっけ。一番偉い人だから裁判長になるのか、それとも兼任しているのかどっちなんだろう。
 しかもエルシーさんは本来序列的には一番上ではないのにそういう立場に就いているし。彼女がそれほど優秀なのか、クラトスの言っていたようにノストノクスのシステム自体に問題があるのか……うーん、分からない。

 にしても吸血鬼ってなんだか意外とさっぱりしているな。体制に疑問を持つ過激派と呼ばれるような人もいるから、結構ねちっとした性格の人が多いのかと思っていた。
 いや、疑問を持つこと自体は何ら不思議ではないんだけどさ、過激なことをしちゃうってことはそれだけモチベーションがあるってことじゃない? となるとそのモチベーションはどこからくるのってことで。感情から来るのかと思っていたけれど違うのかな。日本に住んでいるとデモを含めたそういう活動は結構遠くに感じるから、考えるにしても材料が少なすぎて難しい。
 私も吸血鬼になったけれど気持ちとか考え方が急に変わったわけではないので、こういう感覚的なこととかシステムの話とかはさっぱり分からない。

 でもそのよく分からないことのお陰で、私達は割と簡単にノストノクスに戻ってくることができたのも事実。まだここに人が溢れていたなら、こうしてのんびりと外から様子を眺めていられなかっただろう。
 この状況はノエの想定どおりではあるのだけれど、もし違っていたとしても私達はここに戻ってくる必要があった。

 だって、そうしないとこの先を生きられないから。


 § § §


『だからほたるが言うようなことを言ったら、ただの役立たずだってその場で殺されて終わると思うよ。最悪ほたるなんて俺の仕事の邪魔をしたってことで他の吸血鬼の見せしめに――……なってみる?』
『なんて?』

 突然楽しそうに恐ろしいことを言い出したノエ。何故急にそんな話になるのか分からなくて首を傾げれば、ノエはふむ、といまいち締まらない顔で話し出した。

「スヴァインとアイリス両方に命を狙われるかもしれない、でもどっちもいつ来るか分からない。俺にスヴァインを始末させるためにそっちが終わるまでアイリスが手を出してこない可能性はあるけど絶対ではないし、その後で結局殺されるかもしれない。ということで俺は今困ってます」
「うん」
「だけどそもそもの話、アイリスがクラトスを逃した件について命令違反じゃないと納得してくれれば、少なくともアイリスに狙われる可能性はなくなる。だろ?」

 それが無理だからどうしようという話をしていたのだけれど、ノエはぼけてしまったのだろうか。
 ついさっきノエ自身が否定したのだ。事実だけ見てアイリスがノエの命令違反ではないと判断してくれることはあっても、実際に起こったことの中にアイリスにそう思ってもらえるものがないからきっと無理だろうって。
 それなのに名案だと言わんばかりの顔で言われても私はちょっとついていけないぞ。

「それができたら苦労しないってことじゃなかったっけ?」
「できるかもしれないって話」

 あ、ノエぼけてなかった。よかった。
 ノエは私を見ながら、「成功する可能性は低いけど、やらないよりマシでしょ」といたずらっ子のような顔でにっと笑った。

「ってなわけで、ノストノクスに帰ります」
「……ん?」


 § § §


 ノエの家での話を思い出して、本当にこの男は説明しないなと溜息を吐いた。だって急に『ってなわけで、ノストノクスに帰ります』って言われても、その『ってなわけで』っていうのがどんなわけなのかさっぱり分からない。
 一応ノエには説明を求めたのだけれど、「不確定事項が多すぎて、今話すとほたる絶対混乱すると思うけどいい?」と憐れむような目で言われてしまえば黙るしかなかった。なんなんだ、この男は。人に対して説明する前からそんな目を向けるな。

 でもノエが話す前からそんなことを言うのは初めてだし、その言葉を否定してまで説明してもらってやっぱり分かりませんでした、というのは辛いので私は大人しくしていることにした。なんだかんだノエって説明上手いんだよ。今までノエの説明でよく分からなかったことって、彼自身が意図的にはぐらかしたものくらいしかないし。

 、私はノエと一緒にノストノクスに帰ってきた。つまり理解できないまま彼にくっついて来ただけ。切ない。
 でも例の如くノエの部屋にこっそり戻ってきたら、その気持ちはどこかに吹き飛んだ。出る前は綺麗に片付いていたはずなのに、今見たら泥棒でも入って暴れたのかってくらい荒らされていたから。
 確かにここに来るまでも荒れていた。ノエの言うとおり正門破壊の影響は正門近くの建物以外にはそんなになさそうだったけれど、あちらこちらに大勢が押しかけたのだと分かる痕跡が残っていて、昨日現場にいなかったとしても一目で大変なことが起きたのだと分かる状態だった。

 そして問題のノエの部屋。ノエは執行官の部屋には皆入りたがらないと言っていたのに、その彼の部屋も明らかに家探しをされたように荒れていた。幸い窓ガラスは割られてはいなかったので、散乱したゴミを片付ければすぐに使える状態にはなったのだけれど。部屋のドアは力技でこじ開けられたらしく、鍵が駄目になっていた。

「ま、今もう誰が入ってきたところで、それがスヴァインじゃなければ問題ないから安心しな。アイリスも危ないけど、流石にこんなすぐ来ることはないだろうから」
「……問題ないって、相手を洗脳しろってこと? あれどうやるのか分からないんだけど、とりあえずして欲しいこと言えばいいの?」
「別に口で言う必要はないよ、言葉にするのはおまけみたいなもんだから。言わなかったら相手は自覚がないまま操られるだけだし」

 ああ、そうなんだ。てっきり言葉で言わなければならないのかと思っていたけれど、そういうわけではないと。つまり言葉では大して意味がないから、やっぱり自力で紫眼になる必要があるのだろうか。私がうーんと考えていると、ノエが話を続けた。

「洗脳なんてしなくても、ほたるを殺そうとすることは相手が勝手に避けてくれるよ。殺意がないと普通にやってくるけど。まァ催眠とかそういう色々は追々教えてあげるから、今は気にしなくていいよ」

 気にしなくてもいいと言われても気になるのだけれど。それより殺意がないと普通にやってくるというのは、命に関わらない怪我なら負わされそうになるということだよね?
 ノエだってリード達に拷問っぽいことをされたようだし、今の私よりも序列の高いノエでもそうなのだから、私にはもっと簡単にできるのだろう。
 そんなことを考えながら顔を顰めると、ノエがへらっとした笑顔を浮かべた。

「怪我したところですぐ治るって」
「でも、痛いんじゃないの……?」
「そりゃそうよ。そのへんは慣れかな」
「慣れたくない……」

 そういう慣れは求めていません。確かに私もノクステルナに来てからちょこちょこ大きい怪我はしたけれど、治療で針をちくちくされるのすら痛かったんだから絶対慣れない気しかしない。

「とりあえずエルシーに会いに行かないと。何をするにせよ、あいつと話さないことには始まらないし」
「エルシーさんが偉いから?」

 エルシーさんはノストノクスのトップ。となるといくら死んだふりをしているとはいえ、やはり彼女に話を通すのが筋なのだろう。と思ってノエに聞いてみれば、「いや」と否定される。

「アレサと話したいからだよ」

 アレサ――その名前を聞いた瞬間、私の身体が強張った。
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