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第三章 グッバイ、ハロー

【第十話 秘密】10-2 キョウって友達いたの?

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「だんごの匂いがするぞ!」

 勢い良く開いた襖。そんなに勢いを付けたら跳ね返るか壊れそうなものなのに、流石は絶妙な力加減の為せる技。襖は一発で完全に開き、そこから微動だにしなかった。

うらら様!」

 襖の向こうにいた人物に、私は自分が笑顔になるのを感じながら声をかけた。するとその人、麗様は「おう、一葉」と男らしい返事と共にニッとこちらに笑いかけてくれた。
 ちなみに麗様はショートカットの似合う女性だ。私よりも背は低いけれど、露出多めな洋服から出た部分が示すとおりかなりの筋肉質。それでも女性らしい曲線を失わないような鍛え方をしているから器用だなと思う。

「……誰だ?」

 顔を強張らせたキョウが小声で私に尋ねてくる。彼の反応は急に襖が開いた驚きのせいだけじゃないだろう。
 初対面の時に壱政様を恐れていたように、キョウは麗様のこともまた怖いのだ。そしてその反応は正しい。だって――

「壱政様のお師匠様みたいな人だよ。壱政様より強くて適当だから気を付けてね」
「ああ、なるほど……?」
「自分の感情に正直で、理性なんて捨てちまえ的な? ちっちゃい大怪獣って呼ぶ人もいるの」
「……気を付けるよ」

 今日の彼は顔を引き攣らせっぱなしだ。そろそろ表情筋が痙攣しないのかな。
 なんて考えていると、部屋に入ってきた麗様と入れ替わるように、レイフが「お茶持ってくるね」と出ていった。お茶はともかくおだんごはあるのかな。なければ壱政様のがなくなるんだろうなぁ……。

「……なんでいるんだ」
「なんだ、私がいたら不満か? お前だって用もないのに来てるだろ」

 嫌そうな顔をする壱政様の隣に麗様がどっかりと腰を下ろす。そしてそのまま彼女の手によって壱政様のお皿から当然のようにおだんごが一本攫われていった。
 壱政様は麗様が現れた時点で諦めていたのか、長い溜息を吐いただけ。後で私のをあげよう。

「壱政様は虫干しに来たんですよ」

 せめて今は麗様のおだんご消費スピードが落ちるようにと私が話しかけると、彼女はうんと顔を歪ませて「虫干しィ?」と声を上げた。

「そんなんいつでもできるだろ。今はそんな暇ないはずだがなァ、壱政」

 ニヤニヤした麗様が壱政様に顔を近付ける。見ようによっては大人な場面なのだけれども、顔を寄せられた壱政様が物凄い不機嫌顔なものだから卑猥な印象は皆無だ。

「仕事サボってまで虫干しって何だよ。麗様に言ってごらん? ん?」

 おだんごを頬張りながら麗様が問いかける。綺麗な切れ長の三白眼は相変わらず愉しそうに弧を描いているけれど、その持ち主が発した言葉があまりに意外すぎて、私は「壱政様がサボり……?」と小さく首を傾げた。

「やることはやってる。ただの休暇だ」
「ほーう? まァそうさなァ、ご褒美欲しいよなァ。ここのところお前、一葉のためにあちこち頭下げまくってたし」
「麗」

 諌めるような低い声で壱政様が麗様の名前を呼ぶ。彼は麗様には強く出られない立場なのに、その強い声が彼女の話は本当だと言っているようで私は余計に訳が分からなくなった。
 だって壱政様が私のために頭を下げていただなんて初耳だし、そうしてもらう心当たりもない。というかそもそも信じられない。

「……どゆことです?」

 ぽつりと零せば、麗様が「なんだ聞いてないのか」と目を丸めた。わざとらしい表情なのは気付かなかったことにしよう。

「一葉がハンターに会ったのに放置した件、かなり大事になってな。一時は執行官に不適格だって話にまでなったんだよ。でもこいつがお偉いさん方と交渉して、今回の仕事で適正を示せれば処分保留にしてもらえることになったんだ」
「え……えぇ!?」

 何それ初めて聞いたんだけど。というか微妙に聞いている話と違う気がするぞ。
 キョウに会ったことを報告せず放置したのは確かに問題になったと聞いている。で、面倒なことになったから壱政様に尻拭いは自分でしろと言われた。その働き次第で処分が軽くなるっていうのは麗様の言う通りなんだけど、あの時の壱政様の話しぶりでは事前に交渉してあっただなんて雰囲気は微塵もなかったのに。

「しかもなァ、なんか最近よく分からん調べごとするのに大嫌いな奴にまで協力頼んでたし。ま、あいつがやるのが確実だからっていうのもあるんだろうけどな。いやァ、しっかし壱政ってばブチ切れながら頼みごとするもんだから笑った笑った。あんなキレ方、一葉がガキの頃壱政の膝に涎垂らしまくった時以来だな」
「調べごとって、キョウの……?」

 それ以外に思い当たらず確認するように壱政様を見れば、すっと目が逸らされた。ああ、これ本当のことなんだ。キョウの両親の件は簡単に済むって言っていたし実際にすぐ調査結果を持ってきてくれたけれど、本当は結構苦労して調べてくれていたということ……?

「からかいに来たなら帰れ、麗。お前だってそんな暇はないはずだ」
「だんごを食べに来たんだよ」

 ギロリと人を殺しそうな目で壱政様が睨むのに、麗様は余裕そうにニヤニヤと笑ったまま。
 気まずい私は事情が飲み込みきれていない様子のキョウと目を合わせて、とりあえずおだんごを食べて時間を潰そうと試みる。でも今全部食べちゃうと後で壱政様にあげる分がなくなっちゃうなと思っていると、「お待たせしました」とレイフが麗様の分のお茶を持って現れた。

「おだんごはもう用意してなくて……こっちのおまんじゅうでもいいですか?」
「おう、いいぞ。相変わらず気が利くな」
「ありがとうございます。じゃあ僕は少し用があるので外しますね。何かあれば呼んでください、麗様」

 そう愛想良く笑ってレイフはいそいそと部屋を後にした。前から思っていたけれど、レイフは麗様を苦手に思っていそうな気がする。
 彼が麗様に敬語を使うのは序列の関係だと思うのだけど、執行官同士はあまりそういうのにはこだわらない。麗様も執行官だし、レイフも元とはいえ執行官だったから二人は対等に話していても良さそうなのに、私がレイフと知り合った時にはもうこういう感じだったからずっと分からないままだ。

 なんて考えながらレイフを見送っていると、やはりどこか微妙な表情をしているキョウが目に入った。キョウもこの場から離脱したいからだと思っていたけれど、これは本当にそういう顔なのだろうかと疑問が過ぎる。

「キョウ、どうしたの? なんかちょっとレイフのこと気にしてるみたいだけど」

 私が声をかけると、キョウははっとしたように「いや……」と呟いた。

「なんかあの人の声、どこかで聞いたことある気がして……」
「ふうん? でもレイフはここからあんまり出ないと思うけど……知り合いに似てるとかじゃなくて?」

 キョウは吸血鬼を見分けることができるから、以前どこかで会ったなら記憶に残っているだろう。それはキョウも同感らしく、「多分そうだと思う」と頷いた。

「ただその知り合いも思い出せないから、なんかすげェ気持ち悪いんだよ。そんなに候補なんていねェのに……」
「同僚なら分かりそうだしねぇ……あとは学校の先生とか? ていうかキョウって学校行ってたの?」
「だからアンタは俺をなんだと思ってるんだよ。けどそれも違うな……同級生の奴らなら分かるだろうから、学校関係もなさそうな気がする」
「キョウって友達いたの?」
「……声くらいなら分かるだろ」

 〝いた〟ってはっきり言わないってことは多分そういうことなんだろう。……あんまり触れないようにしよう。

「そういやァ、一葉。この人間の小僧はなんだ?」

 私がキョウと話していると、麗様が思い出したとでも言いたげな声で問いかけてきた。そういえば紹介するのを忘れていたなと思いながら「ハンターのキョウです!」と言えば、「ハンター?」と怪訝そうな声が返される。

「なんでハンターなんかがここにいるんだよ」
「ッ……壱政さんと取引をしているので」

 キョウが答えれば、麗様は「へえ?」と笑みを浮かべた。じわりと全身を覆ったのは威圧感、ごくりと鳴ったのはキョウの喉。
 千年近く生きているらしい麗様は、その小さな身体に似合わず存在感がある。しかもその長い時間のほとんどを武術の鍛錬に費やしてきたから気迫もそこらの人とは桁違い。だからキョウが恐れるのは当然で、庇ってあげたいけれど私も正直言って動けない。

「俺から提案したんだ。だからあまりからかうな」

 助け舟を出してくれたのは壱政様だった。麗様は「えー?」と言いながら首をぐらんと壱政様の方に傾けて、「お前の代わりに試してやったんだよ」と笑った。

「いらん世話だ。それより麗、お前本当にこんなところで油売ってていいのか?」
「そうだなァ……」

 麗様が部屋の出口に視線を向ける。身体が軽くなった私はキョウの無事を確認すると、彼女の視線の先に目をやった。
 でもそこにはレイフが閉めていった襖があるだけで、遠くに別の何かの気配があるわけでもない。

「ま、ここはお前に乗ってやるよ。私は忙しいからな、あっちからもこっちからも引く手数多で細かいことは気にしてられんのよ」
「手伝うか?」
「まさか。運動不足解消にも足りんくらいだ」
「……えっと、そんなにたくさん従属種がいるんですか?」

 二人の会話の意味は完全には分からなかったけれど、なんとなく麗様が対処しなければならない問題がたくさんあるんだなということだけは分かった。彼女が書類仕事をするイメージはないし、本人も運動不足がどうと言っているからきっと捕まえなきゃならない相手がいるのだろう。となると、最近の外界の様子から考えれば従属種――モロイの可能性が高い。
 そしてその私の考えは間違ってはいなかったようで、こちらを見た麗様は「あァ」と気だるそうに頷いた。

「せっせと手駒こさえてる奴がいるみたいでね。やんなっちまうよなァ、本当」
「うわー……」

 麗様が動いているということは、ハンター達の手が回っていないということだ。単純に人手が足りていないというよりは、彼らにはまだ発見できていない集団がいるのかもしれない。
 そこのところどうなんだろうと思ってキョウの方を見ると、ちょうど彼が「そもそもの話で悪いんだが」と口を開いたところだった。

「アンタ達は普段は別の世界で暮らしているって言っていたよな? だけど既に二人以上アンタら以外の上位種がいることが分かってる。アンタらの世界とこっちを行き来するには申請がどうのって言っていたのに、なんでそんなに上位種がいるんだ? 名前が分かってないってことは、アンタらの管理から漏れてるってことだろ?」

 キョウが言っているのは以前捕まえたモロイから得た情報だ。私達で二人のモロイを捕まえた後、彼らをモロイにしたのはそれぞれ別の上位種だということが分かった。つまりその時点で外界にいる上位種は二人、更に先日捕まえた男も入れると三人はいたことになる。
 で、既に捕まえた方はともかく、最初の二人の方は何の情報もまだない。正規の手順を踏んでいるなら名前くらいなら分かるはずだとキョウは言いたいのだろう。

「ほう。なかなかいい質問だ、チビっ子」
「チビ……!?」

 麗様にチビ呼ばわりされてキョウが思い切り顔を歪めた。そりゃまあ明らかに麗様の方が小さいからね。キョウだって日本人男性の中では背の高い方に分類されそうなのに、急にチビと言われれば文句の一つでも言いたくなるだろう。でも文句を言わないのは麗様が怖いからかな。可愛い奴だ。

「例えば、お前の目の前にでっかい川があるとしよう。対岸が見えないくらい幅があって、肥溜めみたいにきったない川だ。そしてお前は対岸へと渡りたい。さァどうする?」

 突然始まった麗様のたとえ話に、キョウは「は?」と首を傾げた。だけど意味があることだと思ったらしい。すぐに考えるように眉間に皺を寄せて、「よく分かんねェけど……」と口を開いた。

「普通に橋か舟を探すだろ」
「うっわ、平凡な答え」
「はァ!?」

 あ、キョウってば凄い顔。

「ま、普通はそうするだろ? 私達執行官や正式な手順を踏んだ奴は橋なり舟なりで渡ってるんだよ。なんでそれができるかって言ったら、そこに橋や舟があるからだ」
「はあ……」

 キョウはほんの少しだけ表情を元に戻したけれど、まだまだ怪訝そうな顔のまま。いまいち麗様が何を言いたいのか分からないのだろう。

「つまりは安全で確実なルートを作って、それを正式採用してるってこと。じゃァそれができる前はどうしてたか。んなもん、泳いで渡ってたに決まってるだろ?」
「……正式じゃないルートが存在してるのか?」
「そういうこと。危険だしだるいことも多いしで基本的には避けるが、それしか方法がない奴には選択肢なんてない。んで、そんなだだっ広い川なんて全部は見張れない。だからお前さんが疑問に思ったような状況になるってことだ」

 そこまで言うと麗様は「いやァ、我ながら天才的講義だったな」と言って、お茶をずずずと啜った。キョウはまだ納得しきれていない様子だったけれど、麗様は見ていない。生徒に寄り添わないタイプの先生らしい。

「普通は余程のことがない限りその道は使わない。今が異常なんだ」

 麗様の代わりに壱政様が補足すれば、キョウは顔を彼の方へと向けた。

「どうにかならないのか?」
「無理だな。外界と繋がる道はノクステルナにいくつもあって、全部見つかっているわけじゃない。そんなもの見張りきれないだろう? それに死ぬことだって珍しくないから、本来はそこまで厳重に見張る必要もないんだよ。まあ、稀に麗みたいな物好きもいるけどな」
「もしかして麗様が時々行方不明になるのって……」
「そういうことだ」

 呆れたような壱政様の声に、私は思わず麗様の方を見てしまっていた。正規ルート以外の道の危険性は私も知っている。罪人の追跡中にそこへ入り込まれてしまったらもう追いかけるのを諦めるくらいなのに、彼女は自分から進んでそこに飛び込んでいるということだ。

「なんだよ、スリルがあって楽しいぞ? どれだけ時間がかかるか、どこに出るかすら分からない。いやァ、一回どこぞの海の底に出た時は詰んだと思ったね。慌てて海面まで浮上したら身体中から血が吹き出てさァ。何あれ圧力? 爆笑したら口から血がドバドバ出てくんの。海面から顔出てるのに溺死しそうになったよな」
「笑えないですよ……」

 活火山の火口に出たらどうするんだろう。流石にマグマ相手じゃ吸血鬼だってほぼ即死になるはずだ。

「要するにだな、そういう道を通ってくる奴は私並に面白い奴か、肝が座ってるかのどっちかだ。でもなァ、こないだ一葉が捕まえてきた奴はどう見ても小物だろ? ってことは――」
「麗、未確定のことを不用意に話すな」
「はいはい」

 壱政様に止められて麗様はそれ以上言わなかったけれど、続いていたであろう言葉はなんとなく分かってしまった。キョウもそれは同じだったらしく、怪訝そうな顔で見てくる彼に、私もまた同じような表情を返すことしかできなかった。
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