アザー・ハーフ

新菜いに

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第十一章 不審と誘惑

45. 選択肢

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『手を組まないか?』

 目の前の人物が発した思いがけない言葉に、蒼の思考が止まった。
 この人は一体何を言っているのだろう――レオニードの意図も分からず、蒼は訝しむ表情を隠すことなく言葉を返す。

「手を組むって、どういう……?」
「そのままの意味だ」
「……それが分かりません。私にメリットがないですし、貴方にだって──」
「お前にメリットはあるだろ? 俺はお前を殺すためにここに連れてきた。手を組んで役に立つと示せれば俺の気が変わるかもしれない」
「そんな……」

 とんでもないことを言われた、と蒼は言葉を失った。勿論賓客扱いされるとは思っていなかったが、殺すためと明確に口に出されるとぞっとするものがある。これが別の人物の言葉ならまだ冗談だと取れたかもしれないが、このニヤニヤと意地の悪い笑顔を浮かべる男が言うと、本当にそうなのだと実感し疑うことすらできなかった。
 もし本当に殺す気なら、確かに生き延びるには──そう考えかけて、蒼は顔を俯かせた。命惜しさにレオニードという悪人に加担する、最悪それしかないと思ってしまった自分が嫌だった。それなのにそうする以外の方法が思い浮かばない状況にも無力感を覚える。

 そんな蒼の心境を悟ってか、レオニードは畳み掛けるように言葉を続けた。

「それに俺は、相手の弱味を握って無理矢理言うことを聞かせるような人間なんだろ? お前が自主的に協力しなきゃお前の弱味……そうだな、母親あたりでも人質に取るか?」
「なっ……貴方には良心というものがないんですか!?」
「あるぞ? だから可哀想なお前に、面白いことを教えてやる」
「何を……」

 レオニードは蒼の目を見つめると、ぞっとするような笑みを浮かべた。

「俺と涼介は、対等だ」

 その言葉を聞いた瞬間、蒼の頭からすっと血の気が引いた。対等――それは弱味を握られて仕方なくレオニードに加担しているという涼介の言葉とは、全く異なる意味を持つ。

 ――本当に対等なら、なんで涼介さんはそんな嘘を……?

 レオニードという人間と、同類だと思われたくなかったのだろうか。その心情なら理解できないこともないが、それだけの理由で嘘を吐く必要があるだろうか。
 蒼はぐるぐると考えの纏まらない頭に手を当てると、「証拠は……?」と、どうにか声を絞り出した。

「証拠ねぇ……昔から友人関係って言っても信じられないんだろう?」
「当たり前です。ただでさえ私は貴方の言葉が信用できないんです。こんな話、信じられるわけないじゃないですか」
「リョウスケの口から聞ければいいか?」
「……貴方が言わせたんじゃないと、判断できれば」

 蒼が渋々そう答えれば、レオニードはニヤリと笑う。
 ちょうどその時、ローテーブルに置かれていたスマートフォンの画面が光った。蒼の位置からではその内容を見ることはできなかったが、レオニードは画面を一瞥し、「いいタイミングだな」と呟く。そしてどこからかテーブルの上に置かれていた物とは別の見覚えのあるスマートフォンを取り出すと、ひらひらと振って蒼に見せびらかした。

「それ、私の……!」
「預からないわけないだろ?」

 悔しげな顔を浮かべる蒼を横目に、レオニードはスマートフォンの操作を始めた。ロックに困った素振りを見せなかったのは、恐らく蒼が寝ている間に設定を変えたからだろう。少しして操作する指の動きを止めると、レオニードは画面を蒼に向けた。

「この番号、リョウスケだな」
「……いいんですか? 私の携帯からかけたら、涼介さんにこの状況がバレますよ」
「先に俺に喧嘩売ってきたのはあいつだ。それにもうサクと合流しているらしい。バレたところで、サクが近くにいたら下手なこともできないだろうさ」
「……なんで、朔さんのこと知ってるんですか?」
「お前が俺と手を組むなら教えてやるよ」

 そう言って、レオニードは通話ボタンを押した。「喋ったら、分かるよな?」、冷たい視線でそう念を押されれば、蒼は助けを求めることを諦めるしか無かった。
 蒼の表情に余計なことをする気はないと判断したのか、レオニードは通話をスピーカーに切り替える。二人しかいない部屋に響いた無機質な音は、すぐに止まった。

「もしもし?」
「ようリョウスケ、気分はどうだ?」
「気分って?」
「アオって女、どこにいるか分かってるだろ?」
「お前にしては、随分丁寧にやったじゃないか」

 始まった会話に耳を傾けながら、蒼は涼介の声を見知らぬ人のもののように感じていた。
 彼が自分に話しかける時は、口調に優しさを感じるのだ。それを一切感じさせない声色に、自分の知る涼介がやはり嘘なのではないかと疑ってしまう。

 レオニードはちらりと蒼を見やると、口元に笑みを浮かべながら会話を続けた。

「誰かさんを見習ったんだ」
「へぇ?」
「なぁリョウスケ、もう隠しごとはなしにしよう」
「隠しごと?」
「あぁ、そうしたらこの女は無事に返してやるよ。悪い話じゃないだろう?」

 嘘だ──蒼はレオニードを見ながら、そう思った。自分に手を組もうと提案しておいて、何もさせないまま解放するはずがない。彼の浮かべる薄い笑みも、どことなく適当なことを言っていると思わせるものだった。

「割に合わないな」
「そうか? リョウスケには大した損はないだろ?」
「お前に、だよ。こんな手の込んだことまでして彼女のことを捕まえたのに、そんな簡単に手放すのか?」
「あぁ、俺はお前とを深めたいだけだからな。お前が気にかけてる人間のことをわざわざ痛めつけるようなことはしないさ」

 レオニードがわざとらしく蒼に目配せをする。これで自分の身の振り方が決まる──蒼は緊張で身体を強張らせた。
 レオニードの言葉を信じるかどうかは、涼介が彼との対等性を否定しないことが条件だ。

「俺とお前の友情なら、もう十分だろ?」
「隠しごとをしてるのに?」
「してないだろ。こんなことになって、苦労を分かち合える人間なんてお前くらいしかいないんだから」

 ――もう訳が分からない……。

 蒼は混乱で涙が出そうになるのを俯きながら必死に堪えた。
 わざとらしく友情だなんて言葉を使うのは、単にレオニードに合わせているだけかもしれない。もしそうならこのやり取りは不毛だ。涼介がレオニードと対等である証にはならない。

 ──でも……。

 涼介の言葉遣いは、どことなく朔との会話を思い出させるものだった。自分に対しては愛想良く柔らかい言葉を選んでいるように感じられるのに、朔やレオニードとの会話にはそれがない。朔はともかくレオニードへの言葉遣いは、敵対心故の無愛想というよりは、飾っていない、そんな印象を蒼に与えた。

 ――これじゃあ、友人関係だっていう言葉は……。

 顔を顰める蒼の気持ちなど気遣ってもらえるわけもなく、二人の会話は続く。すぐに知らない話題になったが、蒼はただそれを聞き流すことしかできなかった。

「ならリョウスケ――なんであの日、あんなすぐにЛюдаリューダの家に来れたんだ?」
「……お前だって、あの日は朝まで来れないって話じゃなかったか?」
「俺の話はいいんだよ。計画じゃお前は朝まで倉庫にいるはずだった。なのにあの状況ですぐに俺たちと合流できたってことは、すでに近くまで来ていたってことだ。あぁ、別に今答えなくていい。答える気になったら、直接言いに来いよ」

 最後は涼介の返事を待たないまま、レオニードは通話を終了した。当たり前のように彼のポケットに仕舞われる自分のスマートフォンに何の感情も抱けず、蒼は力なくそこに座っている。

「これが脅されてる奴の態度か?」

 レオニードに投げかけられたその言葉は、蒼の中にずしんと重くのしかかった。涼介は脅されて仕方なくレオニードに従っている――全くそれを感じさせない態度だったことは、否定のしようがなかった。

「……いつから」
「ん?」
「いつから、涼介さんは嘘を……? だって貴方の話が本当なら、涼介さんとは友人だって……! でも朔さんは、全くそんなこと知らない様子でした。二人はずっと一緒にいたはずなのに……そんなの、涼介さんが朔さんにずっと嘘を吐いていたってことなんじゃ……」

 涼介が嘘を吐いている――その事実を受け入れざるを得なくなった時、蒼の中に最初に浮かんだのは朔のことだった。
 朔と涼介が二人して自分を騙していたならまだしも、朔すらも欺かれている。彼の涼介に対する、気を許したような雰囲気を間近で感じたことのある蒼にとって、それは看過できない問題だった。

「あぁ、あいつは俺とサクを近付けたくないだろうからな。ずっとじゃないか?」

 なんでも無いことのように発せられた言葉に、蒼の顔が悲痛に歪む。

「ずっと、って……なんで……」
「俺に聞いたって仕方ないだろ。それより、お前はどうしたいんだ?」
「え……?」
「お前は俺に囚われている。今のところそのうち殺す予定だ。だが恐らく、サクがお前を助けに来るだろう──但し、あいつを何年も騙しているリョウスケと一緒にな。多分すぐ来るぞ? 時間が経てば経つほど、あいつは自分が不利になると思ってるだろうからな」

 唐突に説明された状況に、レオニードの意図が分からず蒼は眉を顰める。

「それからリョウスケは俺に対して後ろめたいことがある。あいつの優先順位はどうなると思う?」
「優先順位って……」
「まさかお前を助けることが一番だとでも? 違うな、十中八九俺をどうにかすることだ。本当なら俺に疑われていると分かった今、一時的に姿をくらませてもおかしくない。だがリョウスケはサクがお前を助けることを望むから、仕方なくここに来なきゃならない。さあ、邪魔なのは誰だ?」

 なんで今そんなことを答えなければならないのだろう――蒼はまだ涼介が朔に嘘を吐いているという現実を受け入れきれていない。それなのに何故余計なことを考えなければならないのかと不満に思ったが、目の前の人物は沈黙を許してくれそうになかった。
 だから渋々その答えを考え始めた蒼だったが、レオニードの言う涼介の“後ろめたいこと”の内容が分からなければ、彼にとっての深刻さの度合いが分からない。しかしレオニードの言葉からすれば自分を助けることは一番ではない上に、涼介にとってここに来るのは本来避けたいことらしい。となれば真っ先に切り捨てられるのは――浮かんだ答えに、当然か、と蒼は眉根を寄せた。

「……私?」
「お前は放っておいても何もできないだろう?」

 予想外の返事に蒼の目が見開かれる。何もできないと言われたことは不服だったが、それ以上にその言葉が指す本当の意味に気付き、蒼は言葉を失った。
 涼介にとって邪魔なのが自分でないとすれば、残る人物は一人しかいないのだ。

「でも、そうしたら、あとは……」
「そうだ、サクしかいない。あいつにとって一番邪魔なのはサクだ」
「そんなわけ……」
「リョウスケは、サクを利用するだけして殺すつもりだろうな」

 思いがけない発言に、蒼は心臓が掴まれるようだった。

「なっ……なんでいきなり朔さんを殺すだなんて話になるんですか!? 今話していたのは私を助けるかどうかのはずで……!」
「それはきっかけに過ぎない。この状況じゃリョウスケはサクと二人でここに来なきゃならない。だが一人ならまだしも、サクがここに来るのは都合が悪い――なら、邪魔者は消すしかないだろ? 消すなら最大限利用してからと考えるのは当然のことだ」
「消すって、そんな簡単に……! こんな話、流石に信じられると思いますか!? 確かに涼介さんは朔さんに嘘を吐いているかもしれません。でも……でも! 二人の絆は本物です! あの二人は、本当にお互いを信頼し合って……それを殺すだなんて……!」

 殆ど泣き叫ぶようにして、蒼はレオニードの言葉を必死に否定しようとした。涼介が朔を騙しているというのも受け入れられないが、殺そうとしているというのは決してあってはならないと思ったのだ。
 しかし今にも零れ落ちそうなほど目に涙を溜めている蒼に対し、レオニードはなんてつまらないものを見せられているのかと言わんばかりに大きな溜息を吐いた。

「絆ねぇ……。そんな青臭いもんがリョウスケの中にあるとは思えないがな」
「貴方にはそう感じられるかもしれません。貴方は平気で人を痛めつけるような人ですから。でも、涼介さんは──」
「あいつにどんな理想を抱いてるか知らないが、俺とそう変わらないぞ?」

 言い返そうと開いた口は、何の言葉も発することができなかった。既に涼介の嘘を知ってしまったせいで、自分が知る彼が作り物である可能性が頭を過ってしまう。どうにかその考えを否定しようとしたが、仮に涼介がレオニードの言うとおりの人物だった場合、朔が殺されかねないと思ったのも事実だった。

「……もし、涼介さんが朔さんに危害を加えるつもりだとして、貴方に加担したらそれはどうにかなるんですか?」
「勿論。俺は涼介からサクを守ってやりたいからな。お前に手伝ってもらった方がやりやすい。それがお前の気にしていた、俺のメリットだ」
「どうして……」

 レオニードが朔を守りたい理由が分からない。目の前の男が何故朔を知っているのかも分からないが、少なくとも彼はこの男と直接面識はないはずだ。
 しかも朔はレオニードを敵と見做しているどころか、自分の復讐相手だと信じている。

 ――けど、もし。もし涼介さんだけじゃなくて、朔さんも嘘を吐いていたとしたら……?

 今まで朔が自分に話した、レオニードとの関係性も嘘なのかもしれない――自分の置かれた状況のせいで、蒼の考えは悪い方へと傾いてしまう。

「身内を守るのは当然のことだろう」

 静かに放たれた言葉に、こらえていた涙がつうっと一筋、蒼の頬を伝った。

「身内、って……」

 掠れた声が蒼の口から漏れる。
 身内とは血縁関係のことだろうか。だとすれば、レオニードに会ったことがないという朔の言葉はもう信じられなくなってしまう。当然、血縁関係であってもその存在を知らないまま一生を終える相手だっているだろう。だが振礼島という狭い環境で、そんなことが有り得るのだろうか。
 レオニードが一方的に朔のことを知っている――その可能性を自ら否定しかけた時、蒼の中に一つの考えが浮かんだ。

 ――身内って、仲間って意味もあるんじゃ……?

 例えば、ミハイル。彼はヴォルコフという男の部下だったはずだ。それなのにレオニードと一緒にいたのは、レオニードが自分の父親であるヴォルコフの部下を、まるで自分のもののように扱っていたからだったはず。ということは、ヴォルコフの部下に対しても身内という言葉を使うのではないか。

 かなり強引だったが、それであれば朔が嘘を吐いていることにはならない。何故なら朔がヴォルコフの仲間であったとしても、必ずしもレオニードに従っていたとは限らないからだ。

 ――けど、タトゥーが……。

 ヴォルコフの組織の人間にあるという火蜥蜴サラマンダーのタトゥー。それが朔にあれば先程の考えはかなり現実味を帯びるはずだったが、蒼の記憶の中にそれはなかった。最近でこそ朔は家の中でもきちんと服を着るようになったが、蒼が指摘するまではそうではなかった。なるべく見ないようにしていたのもあるが、そうでなくてもタトゥーという目立つものがあれば気が付くはずだ。

 朔が自分に嘘を吐いている――それを否定できる考えを裏付けるものが見つからないことに気付くと、その途端、再び蒼を不安が襲った。
 身内という言葉が指す意味が何にせよ、朔はレオニードと彼自身の関係を知っていたのか、それとも知らなかったのか。知らなかったのならいい。だが知っていた場合、朔との今までのやり取りが全て信じられなくなる。涼介の嘘を知らされた直後で、それを受け入れることなど蒼にできるはずもなかった。

「リョウスケには朔を殺す理由があるが、俺にはない。さあ、どうする?」
「……でも、朔さんが私を騙していたとしたら――」
「それは本人に聞かなきゃ分からないだろ。聞く前にリョウスケに殺されるかもしれないがな」
「そんな……!」

 考える時間がなかった。いや、目の前の人物はわざとそうしているのだろう。それだけは蒼の中で確かだったが、他はレオニードの言うとおり朔本人を問いたださなければ分からない。
 身内の意味ならレオニードが答えてくれるかもしれないが、本当のことを言う確証はない。それにどんな意味にしろ、蒼に話した時に朔がどういうことを意図していたのかは、彼自身にしか分からないのだ。

「答えは決まっただろう?」

 始めから選択肢などなかったのだ。それに気が付いたところで、蒼にはどうすることもできなかった。
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