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第十一章 イチマルキウ
5 イチマルキウ(領主視点)
しおりを挟む5 イチマルキウ(領主視点)
書店を出ると真っ直ぐイチマルキウに向かう。店主の助言を無視するようだが、今を逃すわけにいかないと思った。
ビョルンという商人について、もう少し情報が得たい。それに、夜のイチマルキウのいかがわしい噂も気になった。
皇女の手紙の主は、ビョルンの船の乗組員……むしろビョルンその人なのではないか。ギルドの代表として王宮に出入りしていたビョルンならば、王妃と面識があったとしてもおかしくはない。また、姿を見せなくなり死んだと噂される時期も、彼が皇女のもとで暮らしていた期間にほぼ一致する。
彼が「神隠し」にあったという噂についてはよくわからない。が、小生が城に呼び戻された年の出来事だという点が引っかかる。単なる偶然とは思えなかった。
***********
城ともみまごう壮麗な建物。イチマルキウとは東の国の古い言葉で「王宮」の意味。海路を切り開いた商人の誇りが詰まった、俗世の王宮だ。
丘の上の城と、麓のイチマルキウは、対になってシブヤの聖俗を象徴するようだった。
陳列窓からは、光が煌々と溢れ出している。キャンドルで照らされた大理石の階段をあがり、蔦模様の金細工で縁取られたガラス扉の前に立つ。
真紅の制服を着た従業員が、両開きのドアを開けて微笑みかけてくる。城の門番の百倍愛想がいい。
エントランスは広く、中央に螺旋状の踊り階段が伸びていた。美しいドレスや帽子、宝飾品の数々が、まるで美術品のように陳列されている。
「こんばんは。お手伝いしましょうか?」
カウンターにいた男が、小生に声をかけた。顔には化粧をほどこしている。
「えーっと、ありがとう……」
小生はどうもこの店の雰囲気が苦手だ。
「何かお探しですか?」
「うーん、いや、特に欲しいものがあるわけじゃないんだ……」
「なるほど、わかります。どうぞご自由にご覧ください」
ご自由にと言いながら、ずっと付いてくる。手に取るもの、目を止めるもの、いちいち解説してくれる。
「それは舶来の毛皮ですね……しかし、もっと軽くて暖かなものをお探しでしたら、こちらの新素材がおすすめですよ」
「はあ……」
どうにも市場とは勝手が違う。しばらく男の言いなりになって、あちこち商品を見て回った。そうこうするうちに、店内の大きな時計が刻を打った。
「それにしても……お客様は実に美しい」
男は鏡の前に立たせた小生に、訳のわからぬヒダの沢山ついた服をあてがいながら言った。
「当店で働く気はございませんか? どんな服でもあなたが着れば、飛ぶように売れること間違いなしです……」
鏡越しに男は微笑んだ。
「お世辞が上手だね」
「お世辞などではございません……」
男は小生の耳元に口を近づけた。香水とおしろいの匂いがきつくて、息を止めなくてはならなかった。男は言った。
「この店には、あなたのような美しい方にぴったりなお仕事もございますよ……」
先ほどまでの甲高いセールストークとは、明らかに声のトーンが異なっていた。小生は男の顔を見つめた。男は小生の顎に手を添えた。
「あなたなら数ヶ月……いや数週間で、お城持ちのご身分になれるかもしれない」
城なら間に合っているし、世辞もたくさんだ。小生は首を振った。
「仕事といえば……」
これ以上の買い物ごっこは遠慮して、本題を切り出すことにした。
「実は僕の身内が、以前この店に付き合いがあったと聞いて来たんです」
ほう、と店員は首を傾げた。
「店員さんは、ここでは長いんですか?」
「私は、数年ほど前から勤務しております」
「そうですか……長く勤めている方にお話が聞きたいんだけどな」
店主は留守だと男は言った。
「本日は王宮での定例会議がございまして」
確かに今日の昼、王宮でギルドの集まりがあった事を思い出す。議事録に名前もあったし、廊下で会った小柄な男性がそう名乗っていたじゃないか。
あんな温厚そうな店主が裏でいかがわしい商売の噂をたてられているなど、考えもしなかった。小生は執事の嘆く通り、ぼんくら領主だ。
「店主は、まだお帰りにはならないの?」
会議はとっくに終わっているはずだ。
「おそらくギルドの皆さんと飲み屋をまわってくるでしょうから、帰りは深夜になるかと」
何はともあれ、運は良かった。代表には小生の顔が割れているのだ。イチマルキウの闇に踏み込むなら、彼のいない今を狙うしかなかった。
「さっきのお仕事の話、もう少し詳しく聞かせて欲しいな」
化粧した店員は意味ありげに頷くと、小生を店の奥へと案内した。
**********
応接間もずいぶんとキラキラしい。クリスタルのシャンデリアに赤いビロードのソファ。
向かい合って座ると、小生は男が話を切り出すより前に本題に入ってしまった。あまり、長居はできないのだ。
「……ビョルンという名前を聞いたことはありませんか」
小生の父かもしれない人の名前。東の国に縁の深い商人でもある。祈るような気持ちで口にしたのだが。
「ビョルン……?」
ビョルンという名前を聞いた途端、店員の顔は不意にこわばった。
「これはこれは……想像以上の上玉だ」
小生の聞き間違えでなければ、男はそう独りごちた。
「君、柘榴夫人のお使いだったんだね?」
意味不明なことを問われた。柘榴夫人とは誰のことやら、お使いというのがなんのことやら、小生には全くわからない。
「……あなたは?」
不毛な会議で培った、質問に質問で返すという秘技。
男は自分を、この店の支配人だと言って笑った。とりあえず、彼からもう少し話を聞き出したいところだ。
ビョルンの身内だと名乗ったことで、小生は柘榴という人物のお使いだと勘違いされた。柘榴夫人……聞いたことはないが、イチマルキウにお忍びで通う貴族の一人だろうか。
「ずいぶん遅いから心配していたんだよ。どこに行ってたんだい?」
男の口調はいつの間にか、従業員に対するそれに変わっていた。
「道に迷って……」
適当に話を合わせる。何が可笑しいのか、男は膝を叩いて笑った。
「二日も迷っちゃった?」
よく分からんが二日も遅刻した理由が迷子なら、そりゃ笑うか。早速ミスったかと焦る。
「困った子だね。せっかくの舞踏会を逃してしまったじゃないか」
一昨日の城での舞踏会のことを言っているのだろうか。
「まあいい……とりあえず無事に着いてよかった」
二日も遅刻したのに納得しているところを見ると、かなり僻地からの使いなのかもしれない。
いろいろと遠回しに探ってみたが、手紙や物を届ける使いでもないようだ。手ぶらである言い訳をせずに済むのはありがたいが、依然として状況がわからない。
「いいさ、少なくとも店長の留守中に来てくれたのは褒めてあげる」
あの人の良さそうな店長は、支配人のこうした動きを把握していないのかもしれない。
「それはたまたまです。僕は最低限のことしか知らないので……どうか今後の、具体的な指示をくださいませんか」
要するにお使いの内容が知りたいのだが、さすがに不自然だったろうか。相手の様子を伺う。
「実際、勝手が分からず、かなり時間を無駄にしました。またヘマをやらかさないとも限りません」
意外にも、男は満足げな顔で頷いた。
「大丈夫、詳細はここで私から説明するように申しつかっているから」
男は足を組んでにっこりと微笑んだ。
「まず君には、王宮に行ってスケシタを探してもらいたい」
「スケシタ?王宮で?」
「本物が城のどこかにある」
王宮から、模造品ではなく、本当の魔力のこもったスケシタを盗み出して来て欲しいという。
いろんな意味で、ありえないお使いだった。脳裏にはツッコミが百ほども渦巻くが、黙って話を聞き終えた。
「侵入罪と窃盗罪に問われる私の身はどうなりますか」
「大丈夫、無事に帰ったら、この店で君の身の安全は保証する」
「身の安全と引き換えに、一生ここで働かされるということですか?」
「飲みこみがはやいね」
男は、この店での夜の仕事について話し始めた。
実はこの店の地下は会員制の酒場になっていて、そこで貴族を接待する若者を雇っているらしい。書店で話を聞いた時から嫌な予感はしていたが、案の定と言ったところだった。
「君ならすぐパトロンがつくだろう。有力者に気に入られれば、お城住まいだってできる。悪くない話だろ」
「そうですね……実際に、見せていただいてからお返事することは?」
「ここでの仕事をかい?」
状況を偵察して帰り、見過ごせないことがあるようなら、何か手を打たなければならない。
「君に拒否権はないのはわかってる? お使いという名目で、君はこの店に売られたのさ」
小生は無言で男を見つめた。
「君は本当に綺麗だ……飾り気のない美の前では、どんな化粧も虚しく思える。美を追求するものにとって、これほど妬ましいものはない」
支配人は小生の隣に移動してきて、ソファの背もたれに腕を回した。
「前妻の子なんだってね」
支配人の囁きに、小生は思わず顔を上げた。
「柘榴夫人にはさんざん虐められたんだろう? だけどここなら大丈夫、僕は君を悪いようにはしないから……」
そう言いながら男は小生の髪を撫でた。
「僕のこと、よくご存知なんですね……」
声が震える。小生は今、柘榴なる人物の継子と勘違いされているのだ。
あとひとつ、知りたいのは、彼女とビョルンとのつながり。確信はないが、カマをかけてみる。
「父については、義母から何か聞いていますか?」
「ビョルン殿については……そりゃ、莫大な遺産に感謝なさっていることだろうよ」
男は笑った。
あまりに残酷な言葉、残酷な事実に、吐き気がした。
間違いない。柘榴夫人はビョルンの後妻。つまり小生は今、ビョルンの息子本人と間違われている。本来ならばビョルンのご子息が、ここに売られ、この仕事を請け負っていたはずなのだ。
だが、その本人は今どこに? 彼は詳しい事情も知らずに家を出されて、少なくとも二日はどこかをさまよっているのだ。小生の、弟かもしれない人が……。どうしてこんなことになったのだろう。
「ああ、そんな美しい瞳を拒める者なんていやしない……仕方ない、少しだけだよ」
男は、地下の酒場を見せてくれると言う。
「ただし、何を見たとしても、君にはもはや拒否権はない。口外すれば命もない。それでもいいね」
支配人は指で、小生の頬を撫でた。小生はうなずいた。これで接待とやらの実態が明らかになる。
「柘榴酒を」
男が声をかけると、部屋の隅に控えていた少年がやって来て、赤いシャンパンのような酒を小生の目の前でグラスに注いだ。
「まあ、飲みながら話そう……」
仕事の説明に酒を交えるとは、奇妙な感じだった。小生は会釈だけして口をつけなかった。
「当店の自慢の酒だよ。飲んでごらん、疲れが取れるから……」
執拗に勧めてくるので、一口だけ飲んだ。甘酸っぱい妙な味がした。吐き出すこともできず、仕方なく飲み込んだ。支配人は微笑むと、少し準備があるからと、部屋を出て行った。
「仕事の説明に、なんの準備がいるっていうんだ?」
小生は独りごちて、ソファにもたれた。柱時計が目に入る。まずい、晩餐の時間を半刻も回っている。
グラスの中には微発泡の薄赤い飲み物が揺れていた。
皇女ほどではないが、小生も口にするものにはよく注意するように言われていた。薬や毒についても一通りは教え込まれた。
胸に忍ばせていた小瓶を取り出し、中身を飲み干す。効き目があるかは分からないが、一応解毒剤を飲んでおくことにした。
空になった瓶をできるだけ丁寧に拭い、そこにグラスの酒を移した。残りは観葉植物の根元に流した。媚薬か、睡眠薬か。そんな生易しいもので済めば良いほうだ。巷では、記憶を無くす人が出ているというのだ。用心に越したことはない。
小瓶を再び胸もとに収めてため息をつく。
まさか、こんな物が役に立つ日が来るとは思わなかった……。
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