氷の森で苺摘み〜女装して継母のおつかいに出た少年が王子に愛される話〜

おりたかほ

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第十六章 翳りゆく部屋

6 春の女神

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6 春の女神


 窓の外は夕暮れ。王宮の松明や灯りが灯されていく。ジュンは、一つ伸びをすると言った。

「三つ目の説はどう思われますか」
「えっ」
「ビョルン殿が、王宮の侍女だった貴方のお母様と恋をしたという説ですよ」

 母さんが王妃様に仕えていたなんて、聞いたこともなかった。

「貴方のお母様はアリスとおっしゃるのでしたね」
「うん」

 アリスというのはありふれた名前だし、僕は母さんの旧姓を知らなかった。

 母さんのことを恋しがる僕に、マフとメアリはよく、母さんがどんな人だったかを教えてくれた。二人は、亡くなった母について尋ねる子供に、余計なことを吹き込むようなことはしなかった。

 優しく、信仰深く、身体を壊すまではとっても働き者だった。楽しそうによく笑う人だったって……。

 だから僕の中でも、母さんはそんな人だった。まさか母さんが、王妃の怒りをかい、父さんと駆け落ちをした過去を持っていたなんて、考えたこともなかった。

 小さい頃、父さんはよく、母さんとの出会いを語ってくれた。「転がってきた林檎を拾い上げたら、母さんがいた」。それで「父さんは雷に打たれたみたいにしびれた」って。まるでおとぎ話の決まり文句みたいに言うんだ。

 具体的にどんな状況だったのか、何もわかりやしない。父さんは、そうやって僕の質問をはぐらかしていたのかもしれない。

 でも、当時の僕にとってはそれで十分だった。炉端で聞くお決まりのフレーズと父さんの笑顔。それが好きだったんだ。何回もその話をねだった。

 その時ふと、思い出したことがあった。朧げな記憶から、すうっと霧が晴れていく。僕が見た、父さんと母さんの笑顔。久々にありありと思い出した。

「父さんは、母さんのことをよく春の女神様って呼んでた」
「春の女神?」
「そうだよ。すると母さんは真っ赤な顔をして、やめてって言うんだ。笑いながら」

 記憶を取り戻したのが嬉しくて思わず言ってしまったものの、すぐに恥ずかしくなった。だからなんだというのだろう。ジュンは僕の顔をじっと見たまま黙っている。

「ごめん。どうでもいい情報ばっかりで……」

 ジュンは首を振った。

「芥子畑で眠る貴方を見た時に、誰かに似ていると思ったんだ……」

 ジュンはそう呟きながら僕の頬に手を当てた。

「春の女神なら、叙勲の間にいますよ」
「えっ?」

 いきなり何のことなのか。僕が目をぱちくりさせると、ジュンは笑った。

 お城の広間のうちの一つに、叙勲の間がある。騎士たちの任命の儀式はそこで執り行われるのだとジュンは説明した。

「騎士たちから『春の女神』と呼ばれている像があるんです。あとでご案内しましょう」
「母さんと何か関係があるの?」
「……偶然かもしれませんが、その像の面立ちが、『アリスさん』によく似ている」

 ジュンにその名前で呼ばれていたのは、つい三日前のことなのに、遠い昔のような気がした。

「貴方はお母様によく似ていると言われていたのでしょう?」
「う、うん」
「春の女神によく似たアリスという名の侍女と言えば、覚えている人もいるかもしれません」

 そんな聞き方があるだろうか。恐れ多くも女神様の像に似ているだなんて。母さんが生きていたら、顔を真っ赤にして首をふったことだろう。僕はそんな母さんを想像して、ちょっと笑った。

「あの像にちなんでビョルン殿がお母様に付けた愛称だったのかもしれませんよ」 
 
 母さんは照れるかもしれないけれど、僕はその像がとても見たくなった。若い頃の父さんが、そこに母さんの面影を見ていた女神様。

「……その女神様、見てみたいな」

 王宮を去る前に、一目見ておきたかった。僕はジュンに、叙勲の間はどこにあるのかを尋ねた。

「明日にでもご案内しますよ」

 ジュンは微笑んだ。明日か……。僕が出ていくとは思ってもいないジュンの言葉に、胸がちくりとした。

「そういえばジュン、観劇会は何時からなの?」

 ジュンは物憂げにため息をついた。開演は一時間後だという。流石に支度をしないとまずいだろう。僕は立ち上がって、ジュンの着替えをとりに行った。

「行きたくないなあ」
「ええ?」
「ケイちゃんも来ないらしいし……」

 ジュンは子どもみたいにしかめ面をした。

「そもそも観劇など、近衛の仕事ではありません」
「侯爵様として招かれてるんでしょ?」

 僕はジュンに夜会着を手渡した。ジュンは渋々着替え始めた。

「他人事のように言ってますけど、あなたもちゃんと支度してくださいよ」
「僕も?」
「ご自分の役目をお忘れですか」

 ジュンはますます不機嫌そうな顔をした。

「今はまだ、貴方は私の小姓ですよ……たとえ誰かさんの指輪を持っていても」

 僕は慌てて自分の夜会服を取りに行き、衝立の陰で着替えを始めた。

 その時だった。

ーーきゃあーっ!

 一階から、甲高い叫び声が聞こえた。

「何だろう?」
「マーサさんかな」

 ジュンは剣を掴んで部屋を飛び出した。

「うわっ……!」

 廊下からジュンの驚いた声がする。僕は脱ぎかけていたズボンを蹴とばして、ドアに駆けつけた。廊下に顔を出した瞬間、ばさっという風圧に思わず目をつぶった。僕の頭上をすり抜けて、何かが部屋に入っていった。

「大丈夫ですか、オト」

 部屋の奥からはバサバサという羽音と、物が落ちて壊れる音がする。

「あちゃあ……」

 見なくても、何が起きたかは大体予想できた。

「ごめん、僕のフクロウだ……」
「は?」

 僕は部屋に入って、ぐるぐる飛び回っているフクロウの方に近寄っていった。フクロウもこちらに気がつくと、さあっと下降して来て、僕の肩に止まった。

「まあまあ、お二人とも、ごめんなさい!」

 マーサさんが息を切らしながら階段を登ってきた。

「包帯を代えてやろうと思ったら逃げてしまって……」

 マーサさんは、昼間の顛末をジュンに説明した。

 僕はフクロウを落ち着かせるように、そっと羽を撫でてやった。フクロウは、くるくると猫のように喉を鳴らして僕にすり寄ってくる。

「城にフクロウなんて珍しいですね」

 マーサさんから事情を聞いたジュンは、僕のそばに寄って来た。

「落ち着いたみたいだよ」

 ジュンが撫でようとした瞬間、フクロウは鋭い嘴でジュンの指を突こうとした。

「あっ、こら」

 ジュンはすんででかわした様だった。フクロウは舞いあがり、急旋回するとジュンに向かって強烈なキックを繰り出した。

「おっと」
「ジュン! 大丈夫?」

 僕がジュンに気を取られたその瞬間、フクロウの白い姿と羽音がふっと、ろうそくの炎のように消えた。

「えっ……」

 夢か幻を見ているようだった。月明かりに照らされた窓辺に目を凝らすと、そこにはフクロウの姿はなく、代わりに、キラキラと宝石のように光る小さな青い蝶が舞っていた。

 蝶は唖然とする僕たちの目の前で忙しなく羽ばたいていたが、やがて、パチパチと炎のはぜている暖炉に吸い寄せられていった。

「危ない!」

 僕は駆け出して行って、急いで窓を開けた。蝶が、暖炉の炎に飛び込んでいくように見えたからだ。

「こっちからお逃げ!」

 窓から逃げて欲しかった。けれども蝶は、暖炉の中に飛び込んでいき、そのまま姿を消してしまった……。


 

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