氷の森で苺摘み〜女装して継母のおつかいに出た少年が王子に愛される話〜

おりたかほ

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第十七章 観劇会

1 夜の女王

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1 夜の女王


「痛む?」
「大丈夫ですよ、これくらい」

 上演を控えた小劇場。席についたジュンは今、頬杖をついて不機嫌極まりない顔をしていた。

 ジュンの綺麗な白い額には、大きなみみず腫れができていた。ジュンはあの時、仰け反ってフクロウのキックを華麗にかわしたものの、ほんの少し爪がかすってしまったのだ。

 僕たちはジュンの額の消毒と身支度を慌ただしく済ませ、小劇場に駆け付けたのだった。

 夜会服に身を包んだジュンは、舞台から抜け出て来た役者ではないかと思うほど華がある。ジュンの到着に会場の貴婦人たちが一斉に色めき立つのが僕にも分かる。

 代わる代わる、色んな人たちがジュンに挨拶に来る。ジュンは慇懃に応対する。

 でも、どんなに親しげに話しかけられようと、ジュンの方は絶妙なよそよそしさと冷たさをキープしており、決して会話を弾ませまいとする固い意志が感じられた。
 
 皆、どうもジュンのご機嫌が麗しくないのを悟ると、そそくさと別の席に移動して行ってしまう。これでは晩餐会の時と同じだ。ジュンの隣には誰も座っていなかった。

「もうちょっとトーマを見習ったらどうかな」
「どういう意味です」
「いや……別にいいんだけどね」

 沈黙に耐えかねて、僕は演目と出演者の書かれた小さなカードを読み上げた。

「演目は魔法の笛……」

 ジュンは、目を閉じて足を組み、僕が読み上げるのを黙って聞いていた。

「夜の女王は、サプライズゲストだって」

 寝ているのかと思っていたジュンが、急に身動きをした。

「見せてください」

 ジュンは僕からカードを取り上げると、まじまじと眺め始めた。

「自分のがあるでしょうに……」

 手持ち無沙汰になってしまった僕は、辺りをキョロキョロと見回した。

 小劇場とはいうものの、舞台の周りには豪華な金の彫刻や壁画がびっしりと施されていて、見飽きることがない。二階にも席がある。

 中二階の貴賓席には、東の国の皇女様の姿もあった。扇子を振ってくれたような気がした。僕に向かってなのかどうか分からなかった。

 何度も目が合うので、とりあえず会釈はしたものの、かなりの距離があるし、勘違いである可能性は高かった。

 舞台の下の楽団が音を取り始めた。いろんな楽器の音が重なっていくのに比例して、僕も少しずつワクワクしてきた。

「まずい……」
「え?」
 
 会場の照明が徐々に落とされ始めた。次第にざわめきは消えていく。弦楽の音が響き合う中、ステージの幕だけが輝いている。

「……た……いい……」

 ジュンが何か言ったが、ホワーンホワーンと管楽器が鳴る音でよく聞こえなかった。

「なあに?」

 真っ暗な会場に、ファンファーレが響く。ジュンは僕の耳元に口を寄せた。

「今夜、熱を出したケイトは、勝ち組です……」

 意味がわからず、僕はジュンの方を見た。

「第一幕が終わったらすぐ帰りましょう。いいですね」
「え、何で……」

 序曲が始まった。走るような旋律には、聴き覚えがあった。僕はあっという間に、音楽に惹きつけられていった。

 めくるめく歌劇にうっとりしていると、舞台が暗転した。いよいよ、夜の女王の登場、という時になって、隣のジュンがモゾモゾモゾモゾし始めた。

「どうしたの?」
「いや、私の考えすぎであればいいのですが……」

 スポットライトが、銀色の衣装に身を包んだ夜の女王を照らし出した。彫りの深い意志の強そうな横顔には、どこか見覚えがあった。

「ぐっ……」

 ジュンが妙な呻き声をあげた。隕石でも胸に当たったかのようにかがみ込むと、僕にしがみついてきた。

 同時に、会場からは大きな拍手と歓声が上がった。何が起きたの。僕はジュンと会場を交互に見回した。

 僕がオロオロしている間に、夜の女王は悲しげなアリアを歌い上げ、大喝采を浴びながら舞台を去っていった。


*****************


 第一幕が終わると、ジュンは僕を急かせてホールを出た。

「どうしたの?」

 小劇場の控え室には、僕たちに続いてどんどん人が出てきていた。ジュンは人目を避けるようにして、僕をさらにバルコニーの方に連れていった。

 人気のない片隅を見つけると、ようやくジュンは僕に事情を話してくれた。

「母です」
「ん?」
「夜の女王を歌っていたのが、私の母なんです」

 ええーっと声が出そうになる僕の口を、ジュンが手で塞いだ。

 言われてみれば、夜の女王は、ジュンにそっくりだった。

「歌手だったんだね」
「いや、下手の横好きですよ。サプライズゲストなんて堂々としていられる神経が謎すぎます」

 僕には、プロの歌手と見分けがつかなかった。むしろ迫力があって、この劇団で一番すごい歌手なんだと思い込んでいた。

「彼女のおハコなんですよ……演目を聴いた時に、嫌な予感がしたんだ……」

 ジュンはどうやら、お母さんがみんなの前で歌うのを聴くのがいたたまれないらしい。それで開演前にモゾモゾし始めたのかと納得がいった。
 
「というわけで、帰りましょう」
「な、何で……最後まで聴いてあげてよ」
「このまま毒母の発狂アリアを聞くくらいなら死んだほうがマシです」

 あまりに酷い言い草にびっくりしたけど、どうやら役のことをかけて皮肉っているらしかった。

「どうしてそんなこというの?」

 大人になると、お母さんとは距離をとりたくなるものなのだろうか。僕には分からない。

「領主様もジュンもいなかったら、お母さんのサプライズは無駄になっちゃう。がっかりするよ……」

 ジュンは僕の顔を見ると、苦笑した。

「そんなこと気にするような人では無いから大丈夫ですよ」

 僕はなんとかしてジュンを客席に戻したかった。

「僕の父さんと母さんのこと、ジュンのお母さんなら何か知ってるかも……」
「え?」
「僕の母さんは、侍女だったかもしれないって、言ってたじゃない」

 上目遣いで僕がそういうと、ジュンは腕組みをして黙ってしまった。

「母から、ご両親の話を聞き出せと?」
「ううん。ごめん。そんなことさすがに頼めないよ」

 僕は俯いて、ジュンに背を向けた。

「今のは忘れて……帰ろう」

 僕がとぼとぼと歩き出すと、ジュンは僕の名前を呼んだ。振り返ると、ジュンは苦々しげに言った。

「わかりましたよ。戻ればいいんでしょう」

 僕はにやりと笑う。ジュンはため息を吐きながら僕の首に腕を回し、髪をわしゃわしゃとかき回した。

「うわあっ」
「なんですか、今の下手な小芝居は。ケイトに似てきましたよ」

 二人でホールに戻ってくると、控え室に残っていた人たちの視線が一気にこちらを向いた。皇女様の一団だった。

「オト!」

 皇女様が笑いながら僕に近付いてきた。僕とジュンは畏まって頭を下げた。

「また会えて嬉しいわ」

 僕とジュンは跪くと、皇女の差し出した手をとり、恭しくその甲にキスをした。僕は二人の間から一歩下がった。

「コカブ夫人の歌声は圧巻ね」

 皇女様はジュンのお母さんの歌を褒めちぎったが、ジュンは苦々しく謙遜する。

「領主様がご欠席なんて、残念ね……」

 ジュンと皇女様は二人きりでしばらく話しておられた。どうやら皇女様はこの休憩時間にコカブ夫人に挨拶に行って、明日、王妃とコカブ夫人のもとを訪問する約束を取り付けたのだそうだ。

「それで、領主様にも同席のお願いをしたいのだけど……」

 皇女様は、領主様宛の手紙を持っていた。明日の訪問の旨をすぐに伝えたいらしい。でも、侍女たちは観劇を楽しみにしているから、席を外させるのが忍びない。そこで手紙の取り持ちは執事長さんに頼もうと思ったのに、どこにも姿がないのだそうだ。 

「もしよろしければ私が」

 ジュンは名乗りをあげた。

「まあ、ありがとう。でも、いいのかしら。これからが母君の見せ場じゃない?」
「いえ、皇女様のご所望とあらば、すぐにでも」

 ジュンは小劇場を出る口実ができたと内心大喜びに違いない。

「だめよ、やっぱり隊長殿には頼めないわ」

 皇女はチラと僕の方を見やった。

「皇女様、よろしければ、私が」
「まあ、オトが行ってくれるの?!」

 皇女様は嬉しいわと叫びながら僕をぎゅっと抱きしめた。

「もう我慢できない! 今夜は一段と美しいのね! 劇場に入ってすぐにあなたが目に入ったわ!」

 皇女様は堰を切ったように東の国の言葉で何やら言いながらキスを浴びせてくれる。初めて見た周りの人たちは驚いて、目を丸くしている。僕はもう、皇女様のスキンシップには何となく耐性ができていることに気がついた。

「皇女様……」

 ジュンが咳払いしながら周りに目をやる仕草をすると、皇女様はようやく僕を離してくれた。

 皇女様から手紙を受け取った僕は、一礼すると小劇場を出た。

「オト!」

 ジュンが追いかけてきて、僕の耳元に囁いた。

「あなたは私の親戚ということになっています。しかし、母にはまだ口裏合わせができていません」
「あ……」

 僕はそんな設定すっかり忘れていた。

「あなたは帰ったほうがいいかもしれません。手紙を届けたらそのまま屋敷に帰っていいですよ」

 僕は頷いた。ジュンにはいろいろ気を揉ませてしまって、申し訳ない気持ちだ。

「皇女様があなたについて母に何か言っていないといいのですが……とにかく、私は辛抱して母に会ってから帰ることにします。あなたのご両親のことをそれとなく聞いてみましょう」
「ありがとう……お母さんとゆっくり話してきてね」

 ジュンはしかめっ面をした。笑って歩きかけた僕にジュンはいった。

「オトも……領主様によろしく」

 僕は振り返った。ジュンはどことなく寂しそうな顔をして立っていた。

「領主様には会わないよ……部屋付きの侍従さんに手紙を預けたら、まっすぐ帰るから」

 僕とジュンは、無言でぎゅっとハグをして別れた。 





  



 
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