氷の森で苺摘み〜女装して継母のおつかいに出た少年が王子に愛される話〜

おりたかほ

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第二十章 王の部屋

8 地上の霜(領主視点)

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8 地上の霜(領主視点)



 眠れない。あれから何日経ったかもわからない。目を開けたら、辺り一面が銀色に染まっていた。

 雪でも降ったのかと思った。

 何のことはない。月光が辺りを満たしていただけ。

 眠れない。食べ物も喉を通らない。足は湖を目指した。

「僕は夜通しここに立っていられる」

 空を見上げた。星で埋まっているはずの夜空には、大きな月がかかっていた。

「アリオト……」

 視界はぼやけて月も崩れた。僕は俯いて湖に手を浸した。

 袖が張り付き、やがて膨らむ。ふらりと立ち上がり、水底を踏んで進む。

 いつしか胸を浸し、髪を柔らかに巻き上げ、水は甘やかに揺れながら、僕を包んでいった。

ーーアリオ……

 つぶやいた瞬間、水が肺になだれ込む。

ーーごぼっ!

 それは、小生が我に返ったのとほぼ同時だった。


***************


「ぷあっ……げほっ!」

 小生は派手に水を撒き散らしながら、しゃかりきに陽気なイルカのように水面に飛び出した。

 そしておそらく夜の水辺で求愛中のカエルもドン引きしたであろうほどの激しいえづきを繰り返しながら、水際まで戻った。

「うっ、さぶっ!」

 服はぐっしょり濡れて、体に重く張り付いていた。

 ぬかるんだ土を踏んで無様な音を立てつつ東屋に入ると、ベンチに仰向けに寝そべった。

「何やってんだ、俺は……」

 小生は部屋着のままであった。寝室からここまでどうやって来たのか、全く記憶になかった。

 そもそも、アリオトが消えてからどれくらいの月日が流れたのか……。



 ふと、驚いて小生を見下ろしていたファラダの目を思い出す。



 ……そうだ。あの後すぐに、小生はアリオトを追いかけようとした。羽交締めにしてくるジュンを、可哀想に、ぶん投げた記憶がある。

 とにかく追いかけなくてはならない。その一念に取り憑かれていた。階段を駆け下り、庭を走った。

 だが、厩でファラダーー小生の白い馬ーーの紐を解いていたところで家臣たちに捕まり、鎮静剤を打たれたんだ。

 ひどいよなあ。馬もびっくりの猛獣扱いだ。一応言語を解する人間で領主なんだけどな。問答無用でベッド行きだ。

 断続する夢の合間に目覚めては、僕を覗き込んでいるジュンや王妃達に、呂律の回らない口でオトの弁解を試みていたのをうっすら覚えている。

 月の形を見るに、意外とまだ、そんなに時間は経っていないのかもしれない。せいぜい一日か、二日だろう。

 そういえば、皇女様は王妃にお会いになれただろうか。小生がこんな事になったせいで、面会はまた流れてしまったに違いない。

「不甲斐ない……」

 こんなに理性を失うなんて、信じられない事だった。自分はほとほと領主に向いていないと痛感する。

 大暴れして、気絶させられて、バカみたいだ。小生がもう少し冷静であれば、あの場でできたことはたくさんあったじゃないか。

 王妃にビョルンとの関係を尋ねる。皇女を呼びだす。王妃宛ての手紙の内容をあらためる。陰謀の可能性を探る。アリオトの出生を明かし、その保護を求める。

 アリオトが白鳥になって飛んでいくなんてことさえなければ、小生はそんなシナリオに沿って動くはずだった。

 だが今や、そんな悠長な事をしている場合ではない。玉座にまつわる陰謀を暴き、アリオトの身の安全を保障している暇などない。

 何が起きたのだろう。アリオトを呼び、鳥に変えたあの声は、誰のものだったのだろうか。

ーー言っても皆にはわからないだろう。

 だが、小生の胸には確信に近いものがあった。

ーーあれは、妖精の仕業だ。

 小生はアリオトの話を信じた。僕が目にしたのは明らかに魔法だった。

 だが、氷の森へ向かえ、なんていう領主の指示を、家臣たちが聞き分けるはずがない。錯乱していると思われるのがオチだ。

「へくしっ!」

 夜風が体温を奪っていく。髪は氷のように冷たい。小生は凍える身を起こして、東屋を後にした。

 ここで死んでも、何もならない。死ぬくらいなら、まだ出来ることがあった。

 僕は厩に忍び込んだ。目が合ったのはお忍び用の栗毛ではなく、あの日アリオトを乗せた白い馬だ。

「ファラダ」

 馬は悲しげな目で僕を見て、鼻をすり寄せてきた。

「アリオトのところへ」

 馬は大人しく背筋を正し、僕が手綱の紐を解くのを待っていた。

 指がかじかんで手間取ったが、今回は追っ手に捕まることもなく連れ出すことができた。居並ぶ馬たちの黒い目だけが、ゆっくりと僕らを追った。

 厩をでしなに、従順なファラダが足をとめた。

「どうした?」

 ファラダはドアの横の壁に掛かったマントを鼻で指した。厩番の男のマントだ。

 賢い馬の勧めに従って、小生は厩番のゴワゴワしたマントを羽織った。奪われ続けていた体温が留まり、染み渡るように暖かくなっていく。

 小生は獣と藁の匂いのするマントのフードを目深にかぶり、声色を変え、裏門を難なく通過した。











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