氷の森で苺摘み〜女装して継母のおつかいに出た少年が王子に愛される話〜

おりたかほ

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第二十五章 昼の森

4 蛙の王子様(領主視点)上

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4 蛙の王子様(領主視点)上


 水から引き上げられた時、確かにアリオトに抱かれていると思った。

 唇が触れた気がした。

 だが、視界に飛び込んできたのは、赤い髪にゴツい体のびしょ濡れのおっさん。しかも、どアップだ。

「?!?!」

 僕は衝撃のあまり、一気に意識を取り戻した。飛び起きようとした。が、腹の奥から水が溢れて、しばらく動けなかった。

 溺れて大量の水を飲み込んでいたらしい。おっさんは背中をさすってくれる。

 ついさっきまで人口呼吸を施してくれていたような気がするのは、気のせいだろうと思いたい。

 僕は川で死にかけて、アリオトの夢でも見ていたのだろう。

 びっくりしたものの、この人は命の恩人だ。礼を言わねばならない。そう思ったのに。

「ありが…ど……」

 声を出した瞬間、喉の奥から何かが込み上げてきた。体が勝手にくの字になる。ずるずるっという口元の感触に怖気がたつ。

 僕の口から飛び出したもの。それは……。

「カエルですね」

 おっさん、いや、服装を見るにどこぞの奥さまだろうか……は僕が認めまいとしている事実をさらりと言ってのけた。

「………」

 僕は呆然としてカエルが川に飛び込むのを眺めていた。ゴツい奥さまは、すごいだの、手品だの、呑気なことを言って笑っている。

 僕は正直それどころではなかった。

 確か、僕は妖精の家で「賭け」をしたんだ。

 権力と美貌と知性を失った状態で、三日以内にアリオトと真実の愛のキスをする。そうすればアリオトを妖精の手から解放することができる。そういう約束をしたんだ。

 妖精が僕の額に手をかざして、魔法をかけたところまでは覚えている。だが、それ以降の記憶が、ない。悪い夢でも見ているようだ。

「どうぞ、私の屋敷へ」

 奇妙な赤毛のおっさんは、僕をひどく心配してくれている。

 だが、今は一人になりたかった。人目につかないところにいるのが得策だということは本能的にわかる。

 なんせ、僕の手足は醜くねじれ、腰は立たず、顔も触れた限りではひどく変形してしまっている。口からは言葉の代わりにヒキガエルが湧いてくる。

 普通なら、僕は化け物扱いだ。この人が特別剛毅なだけ。このおっさんのように親切な人は、稀だろう。

「助けてくれてありがとうございました。しかし、もう十分です。私のような化け物を連れ帰ったりしたら、貴方にまでご迷惑がかかるでしょう」

 ……そう、言いたいのに。口を開けばヒキガエルが飛び出す。自分でも気持ち悪くて眩暈がするくらいだ。他人から見たらどんなにおぞましいことか。だが、おっさんは平然としている。

「遠慮はいけませんよ」

 そういうなり、僕の体をひょいと持ち上げて、肩に乗せてしまった。僕はほふられる羊の如く、はたまた海賊に攫われる奴隷のごとく担ぎ上げられた。

「ちょっと、ちょっとお待ちください! 何をしてるんです?!」

 離してくれと訴えようとするのだが、カエルが喉から出てくるのにさえぎられ、ちゃんと伝わらない。僕は目を白黒させて、手足をジタバタするだけだった。

 おっさんは僕を馬の背に乗せながら言った。

「ファラダ、屋敷までこの人を乗せてあげてね」

 ファラダ? 僕は思わず暴れるのをやめた。僕の白馬と同じ名前だ。

 そういえば、僕のファラダはどうしただろう。姿がない。

 僕の記憶は混乱していて、朧に霞んでいる。だが、自分のことに構っている場合でなかったことだけは確かだ。僕は急いでこの川を遡る必要がある気がする。そしてファラダとアリオトを探さなきゃいけない。

「さあ行こう」

 ファラダと呼ばれた灰色の馬は、ゆっくりと歩き出した。青灰色の毛並みに雪白の斑の入った綺麗な馬だった。歩調は力強く穏やか。僕の所望とは裏腹に、川べりを後にする。

「ま、待っで……おろし……て……」

 カエルのせいで、僕が言えたのはそれがやっと。

 感謝してる。もう十分。だから、僕のことは下ろしてほしい。ほっといてほしい。この美しい馬に乗って、貴方は一人で屋敷に帰ってくれ。そう願う。

 だが、それを伝える間に、カエルを何匹吐かねばならないだろう。

 黙って逃亡を図ろうにも、この僕の新しい手脚は短くチグハグで、馬の上で落ち着きなくもだもだすることしかできなかった。

 するとおっさんは僕を見上げ、にっこりと笑った。

「心配しないで。取って食ったりはしませんよ」

 人を安心させるような優しい微笑みに、僕は束の間、意識を奪われる。

ーーこの人に、僕はどこかで会ったことがあるのではないか。

 馬は森のほとりを進んだ。小川は遠ざかる。僕は真剣に、ここ数時間の記憶を探った。

 記憶は曖昧だし、思考はあっちこっちに飛んでしまう。とはいえ、いくらか頭が働くようにはなった。

 それで、落ち着いて考えてみて思い出したんだが。そもそも僕が川に落ちたのは……アリオトのせいじゃなかったか。


****************


ーーあの子に会いたい。
ーー名前はなんだっけ。どんな姿だったっけ。
ーー確か夢のように美しかった。

 魔法をかけられた直後の僕は、ファラダの背中に乗って妖精の小屋を後にした時、そんなことくらいしか考えられなかった。

 あのままだったらやばかった。あれでは、アリオトを探しようがない。

 だが幸か不幸か、川で死にかけた衝撃で、知性が少し回復したようだ。

 妖精の家を出てしばらくした頃。たしか森の奥から不思議な歌声が聞こえて、僕の白いファラダが走り出したんだ。そして、小川のせせらぎの前で足を止めた。

 小川のほとりには、白金色の髪の美しい少年が座っていた。岩の上に座り、その小さな白い足を、水に浸していた。

 ファラダが吸い寄せられた歌声は、この少年のものだった。少年は、この世のものとは思えないほど美しかった。

 僕は幼児並みに退化した頭でただ、「探していたのはこの人だ」と思った。そして自分の変わり果てた見た目のことも考えずに、かける言葉も選ばずに、ただふらふらと少年のそばに近寄ったんだ。

 少年は天使のような声で、その馬がほしいとか、羨ましいとか、そんなようなことを言った。僕はすぐにでも馬を差し出そうと思った。急いで馬から降りようとして、地面に頭から落ちてしまった。少年は笑った。

 彼はゆっくりと靴を履くと近寄ってきて、地べたに這いつくばる僕を見下ろした。

 少年からは懐かしいすずらんの匂いがした。僕は衝動的にその脚に触れた。少年は逃げなかった。僕は歓喜に震えながら、愛しい少年の白く滑らかなふくらはぎにすがりつき、キスをした。

 すると少年は、僕の腹と顔とに容赦ない蹴りを入れはじめた。

 恍惚としていた僕は、痛みなど全く感じていなかった。気を失う寸前に、少年は攻撃をやめて、僕の顔を覗き込んできた。少年はその美しい顔を歪めて笑っていた。

 僕は「あれ?」と思った。なんだ、人違いか。目の前にいる人は、僕の恋人ではなかったのだと、その時の僕は思った。

 血が流れ込むので、あの時の僕は、片目でしか少年を見ることができなかった。

 本当にアリオトなのか、よく見て確かめることは叶わなかった。次の瞬間、僕は冷たい川に突き落とされてしまったから。

 透き通った歌声が森を遠ざかる。僕の体は金槌のように水に沈み、全ての音は消えた。



**************



 そして、今に至るというわけだ。

 頭が多少ちゃんと働くようになった今、振り返ってみると、あれは明らかにアリオトだった。

 彼は無事だったんだ。

 まずそのことが、僕を涙ぐませた。この空の下に、確かに彼が存在していることが分かった。それだけで、僕は胸がいっぱいになる。

 彼からしてみれば、森の中で見知らぬ怪物のような男に突然抱きつかれたのだ。怖かったのだろう。足を振って僕を突き飛ばしたからといって、どうして彼を責められるだろう。

 知能がどん底まで落ちていたせいで、せっかくそばにいられるチャンスを逃してしまった。それどころか、可哀想に、アリオトをすっかり怯えさせてしまった。

 アリオトは僕から受け取ったファラダに乗って、シブヤの街の方へ向かったように思う。
 
 だが僕は今、それとは真逆の方向へ運ばれている。うぬぬ、どうしよう。僕には三日しかないのに。

「降ろしてくれ、僕はあの川を遡って、ファラダとアリオトを探さなくては……」

 そう叫びかけて、蛙を吐くだけに終わる。

 身悶え、ずり落ちそうになった僕を、おっさんは熊のような腕でひょいと鞍の上に押し上げ、まるで赤子のようにあやした。

「もうすぐ着きますよ」

 おっさんは僕を見上げて言った。その屈託のない笑顔は、不思議と僕の心を和ませる。そう、アリオトも、こんな笑顔をよく僕にくれた。

 ……っておい、何を考えているんだ僕は。こんな熊のように逞しいおっさんと、子鹿のように可憐なアリオトを比較するなんて。やっぱり頭がおかしくなってる。

「ほら、見えてきましたよ」

 おっさんは前方の屋敷を指差して微笑んだ。

 気持ちは焦る。だが、おっさんの笑顔を見ると、ふにゃりと体から力が抜けてしまう。

 ふと、あの暗い森で、最後に見たアリオトの顔を思い出す。あの時の違和感は、彼の笑みに対する違和感だったのだろう。僕の知る限り、アリオトが、あんな歪んだ顔で笑ったことはなかったから……。

「ご家族はいますか?」

 おっさんは僕に尋ねた。僕は咄嗟に首を振った。おっさんは頷くと、それ以上のことは聞かなかった。ただ明るい声で言った。

「怪我が治るまで、我が家に泊まっていってくださいね」

 結局、僕は、おっさんの親切に甘えることにした。暗い森に出かける前に、もう少しだけ、この人のそばにいたい。

「かたじけない……」

 感謝の言葉は、喉にカエルの湧いてくる感覚と一緒に飲み込んだ。この恩は、言葉以外の形で必ず返そう。

 
















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