「蒼緋蔵家の番犬 1~エージェントナンバーフォー~」

百門一新

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その青年、碧眼のエージェント(2)

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 内臓と筋肉が軋む音が聞こえ、男が胃液を吐き散らしながら飛び上がった。ほんの数秒、男の太い両足が地面から浮いた時、青年は左足を軸に身体を捻るように足を振り上げる。

 脂肪で膨らんだ横腹に回し蹴りを入れられた男が、乱闘から弾き飛ばされてビル壁に打ち付けられた。先程ナイフを取り払われた男が、半狂乱で「よくもノブさんを!」と青年に襲いかかる。

 彼が放った拳を避けるように屈んだ青年は、「何か用?」と悠長に電話での会話を続けた。しかし、その碧眼は拳を突き出した男を素早く捕えていて、青年は掌で無造作に虎の突きを作ると、勢いよく男の胸へ打ち込んだ。

 一点に集中した衝撃は、男の肋骨を砕いてその背を盛り上げた。男は肺にたまった空気を一気に吐き出すと、声にもならない苦痛に意識を飛ばし掛けて、霞んだ目を見開いた。その脇へとすっと身を入れた青年は、その男が胸部を抑え込む前に肘で背中を突いて地面に叩きつける。

「この野郎!」

 眉毛のない細面の若者が、口から溶け縮んだ歯を覗かせながら吠えたのは、仲間の身体が地面を砕いた直後だった。若者がカッと怒りを滲ませて黒い銃を構えるよりも速く、青年は地面を蹴ると飛び上がって反回転した。

 その勢いを足に乗せたまま、若者の右肩に強烈な踵落としを入れる。めり込んだ細い足から重々しい音を上げた若者の肩は、巨大な鉛玉が叩きこまれたように一瞬で押し潰れた。

 湿った静寂に、人の喉から発せられたとは思えないほどの奇声が上がった。

 肩の原型を失った若者の右腕はだらりと垂れ、粉砕された骨に酔って神経が圧迫されて痙攣を起こしていた。そこから銃が滑り落ちると同時に、地面に降り立っていた青年の髪が揺れ動いて、砕かれた男の右肩下に彼の左足が入った。

 若者の奇声がくぐもり途切れた時、後ろで竹刀を構えていた中年のスキンヘッド男が「え」と声を上げた。目前に迫った若者の身体を避け切れず、ひゅっと喉が締まるような嗚咽をもらして壁に叩き付けられる。持っていた折れた竹刀が弾け飛び、乾いた音を上げて転がり落ちた。

 立ち残っていた二人の男は、次々にやられていく仲間を前に動けなくなっていた。場が静まり返った時、オカッパ刈りの男がようやく覚悟を決め、風船のように膨らんだ身体をぶるぶると震わせながら地面から日本刀を拾い上げる。

 そのそばで、虎柄のシャツとタイツに身を包んだ長身の男が、視線を向けてきた青年を見て息を呑んだ。つい恐怖で冷静さを失い、武器も持たずにわっと飛び出す。日本刀を構えた男が「待て!」と太い叫びを上げたが、男は今まで何人もその手で沈めてきた強靭な拳を青年へと振りかざした。

「くそぉ! よくも俺の仲間を、畜生――」

 言葉の語尾が低く濁って反響した。

 携帯電話を右手に持ち替えた青年が、自然な仕草で左手を払う。人を殴った事もなさそうな細い手が、目にも止まらぬ速度で彼の左頬を弾き、男の身体はいびつに曲がってその場で反回転していた。

『雪弥、この前の話なのだが……』
「前にも言ったけど、僕は何も要らないよ。権利だってもともとないし、財産も何もかも亜希子さんたちのところで構わないから」

 携帯電話から続く言葉がもれかけた時、地面に崩れ落ちた男がくぐもった声を上げた。ただ一人残った男は、戦意を喪失したように激しく震え出す。

 肉厚のある彼の手から日本刀が滑り落ち、日本刀は鋭利な輝きを一つ上げて硬い地面に弾け上がった。

『仕事中か……?』

 腰を抜かした男が地面に崩れ落ちる中、電話の向こうから心配するような声が上がった。まるで化け物でも見るような瞳を向けて来るその男に、青年はゆっくりと歩み寄りながら「まぁね」と電話に答えて肩をすくめる。

「た、助けてくれっ」

 全身を震わせ、顔を汗と涙で濡らして男は狼狽した。そんな男の前で立ち止まった青年の携帯電話から、溜息をついたような重々しい息がもれる。

『私はお前の意見を尊重するつもりだが、少々こじれた話になっていてな。他の者が納得していないのだ』
「それは、僕が正妻の子ではないのに、父さんの名字をもらっているからでしょう?」

 青年は答えて苦笑した。恐怖する男の小さな丸い瞳を見つめ、そっと携帯電話を離す。

「少し眠ってもらうだけだから」

 青年はぎこちなく微笑みかけると、肉厚のある首に軽い打撃を与えて男の意識を奪った。場が静まり返ったことを確認し、面倒臭そうに溜息を一つついて携帯電話を持ち直した。

「父さん、僕はあなたからもらった名字は使っていないよ。もともと、そんな事にも興味はないし、次の当主や役員選に口出しするつもりはないからって、皆にはそう言ってくれないかな」
『……雪弥、それが難しい事になっているのだよ。これから私も用事がある、時間が空いたら電話をしなさい』

 そう言って電話が切られた。青年は再び溜息をついて、別の場所に電話を掛け直す。

「あ、僕だけど。うん、任務は完了したから、処理班を寄こして」

 青年はそれだけ言って電話を切った。

 彼は大きく背伸びを一つして、ふと、建物の間から覗く夜空を見上げた。月明かりに照らされるようにして、身体に吸いつくような黒い服を着た人間が一人、建物の屋上に立ってこちらを見下ろしている事に気付く。

 それは暗視カメラを搭載した、白い狐の面をかぶった特殊暗殺部隊であった。青年は見慣れた彼を見つめながら、静まり返った静寂にカメラがズームアップする音を耳にした。


「ナンバー4、任務完了を確認。すみやかに本部へ帰還していただきたい」


 仮面越しに抑揚ない声色がもれ、青年は苦笑して「やれやれ」と肩を落とした。

「はいはい、今すぐ戻るよ」

 青年は答えながら、月の周りに無数に存在する星へと視線を向けた。不意にその碧眼が不思議な色を帯び、瞳孔がすうっと小さくなる。

「……やだなぁ。買収した衛星から、ちゃっかり見てるんだもんなぁ」

 呟いた青年の瞳が、透明度の高いブルーの光りを帯びた。彼の視力は通常の人間の数倍以上はある。見ようと思えば、機器に頼らずとも近くの衛星の存在を確認するくらいまでは見る事が出来た。

 屋上に立っていた者は、暗視カメラ越しに浮かび上がる二つの光りを見つめ、耳にはめた無線マイクから次の指示を待った。
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