仮想空間に巻き込まれた男装少女は、軍人達と、愛猫との最期の旅をする

百門一新

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6章 迷路と残酷な一つの事実(8)

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「そうなるかな。『夢』は記憶や理想や願望、恐怖といった精神面が色濃く反映されるもので、使われたのが人間だと想定すると、例えば二番目の支柱の人は、最近見た映画の設定やシチュエーションの中に黒い服の男たちがいた、とも連想される。――まぁ、これは推測でしかないよ、どうとでも考える事はできるし」

 完全なバーチャル世界なのに、同時に『夢』も関わってくるのも妙な話だよ、とスウェンは思案気に宙を見やった。

「『エリス・プログラム』が未完成だった頃は、個人の記憶が見えてしまう事もあったらしいけれど、そもそも精神を電気回路で繋げて、頭の中にリアルな偽物の世界を作り上げるなんて机上空論だ」

 スウェンの語りは、次第に独り言のような口調になった。しかし彼は途中で気付いたのか、話題を切り替えるように声の調子を戻して、こう続けた。

「つまり、急きょ作り上げられたらしい支柱には一人の人間が使われていて、六つのセキュリティー・エリアには、【仮想空間エリス】とは違った独立した世界設定がある。――とはいえ、僕が推測するに、当初の支柱は防衛の役割ではなく、『エリス・プログラム』の再構築と崩壊の歯止めのためのものだったんじゃないかと思うけど」

 実は研究が中止されていた時点で、『エリス・プログラム』は原因不明の崩壊を始めていたのだとスウェンは語った。システムと完全に停止状態に入り、だからこそ、再稼働するなど誰も考えていなかったのだ、と。
 
「マルクは、『エリス・プログラム』の製造については関わっていないけれど、初期のメンバーの一人ではあった。不可能を限りなく可能に近づけられるこの世界で、自分の知る知識を総動員して支柱を作ったんだろう」

 簡単に人間を殺して支柱を作る、という発想そのものが恐ろしいが、エルは同時に引っ掛かりも感じていた。

 何故そんな事をする必要があったのか。

 そもそも、どうやって停止状態のシステムを、たった一人で稼働させる事が出来たのだろう? 

「あの『支柱』を少し調べてみたけど、一つの支柱に、一人の人間の身体が丸ごと使われている可能性も出て来たよ」

 スウェンが話す声を聞いて、エルは彼に注意を戻した。

「でも、結局のところ現時点では謎ばかりだ。支柱がそうだとすると、他にも人間が使われている可能性はあるけれど――まだ憶測の域でしかない」
「でも、話しを聞いていると、以前からずっと関わってきたみたいに詳しいなぁって思うよ」

 エルが半ば感心すると、スウェンの笑みが僅かに曇った。

「――目を通しただけの資料や情報を、僕は人よりも少しだけ、早く記憶して処理してしまえるだけさ。僕の頭は、僕が意識しなくとも勝手に効率のよい分析を始めてしまう、病気みたいなものなんだよ」

 スウェンはそう述べると、考えの読めない眼差しをログとセイジのいる方へと向け、髪を後ろへと撫で上げた。

「そして多分、これも僕の『憶測』でしかないのだけれど、支柱に出来る人間は限られていたのではないかと思う。『エリス・プログラム』については、エリス以外の人間では第二の類似プログラムすら造る事は出来なかったらしい」

 それも不思議な話だよね、と呟くスウェンの横顔は、どこか冷ややかでもあった。

「彼らに共通する条件については予想もつかないが、マルク自身も、分からないまま支柱を作り上げたと僕は推測しているよ。時間はなかっただろうし、支柱によって精度にバラつきがあるように感じる。一つ目の仮想空間なんて、セキュリティーとしてはほとんど役に立たない状態だったからね」

 仮想空間としての大きさ、世界感などの構築完成度。セキュリティーとして外部からの侵入者に対する力の大きさに、差があるのだとスウェンは語った。五感に受ける感覚に関しては、現在いる三番目のセキュリティー・エリアの方が、断然完成度が高いように思われる。

 それはエルも感じていた事だったので、「確かに」と肯けた。生身の肉体なので確証はないが、匂いやリアルさについて考えると、この世界は現実世界に比較的近いとも言える。

「今の段階でほぼ推測が固まっている事は、マルクが造ったセキュリティー・エリアの製造・維持には、材料となる人間が必要だった。未だに戻らない二十九人の被害者については、マルクがエリス・プログラムを新たに構築する為に、今回の支柱とは別に、二十九人もの人間を犠牲にしたんじゃないかって事だ」
「そういえば、さっき『集めて作る』とか言っていた人形がいたけど、そういう意味だったのかな」

 エルは、思い出してそう言った。【仮想空間エリア】に、二十九人もの人間を投入したということなのだろうか?

 スウェンは、「どうだろうね」と沈んだ声で答えた。

「疑問点はいくつもある。何故彼が『エリス・プログラム』を新たに稼働しなければならなかったのか。そして、彼がいう『集めて作る』とは具体的にどういう事なのか、それによって何を引き起こせるのか……これだけの犠牲を出してでも成し遂げる価値があるとするならば、それは、一体何なのだろうというのが最大の疑問だよ」
「じゃあ、その為にアリスも連れ去られてしまったのかなぁ」
「――分からない。もしかしたら、彼にとって必要な何かが謎のままだったから、解明のためにアリスを攫った可能性もあるけれど」

 スウェンは、アリスの名前が出た際、気にかけるような眼差しをログの背中に向けた。ログはこちらを見ないまま、問題ないと教えるように片手だけを少し上げて応えていた。

「他に想定される最悪の事態といえば、マルクが、アリスを殺してしまう可能性だろうね。彼は、アリスの両親とは長い付き合いがあり、アリスとも交流がある事から、誰もその線を考えたくはないようだけど……ふふ、彼は愛した子供を手に掛けるような、ひどい人間ではないらしい」

 スウェンが、不意に目尻に皺を刻むような薄笑いを浮かべた。

 ああ、彼はマルクたちのような職種の人間たちを、一切信用していないのだ。

 スウェンは既に、アリスは死んだものと想定している可能性もある。思い返せば、研究について語るスウェンは、胸の奥に隠した嫌悪感を僅かに滲ませていたようにも思えた。澄んだ彼の青い瞳は、拒絶や憎悪によって美しく研ぎ澄まされ、静かな表情の下で科学を呪っているとも見て取れる。

 エルは、嘘笑いを作り慣れたスウェンの顔を、正面から見据えた。


「科学者は、嫌い?」


 唐突にエルが問い掛けると、スウェンの長い睫毛がピクリと震えた。

 しかし彼は、すぐに爽やかな笑顔を浮かべて見せた。彼からは、エルの背後に残酷な血の海が見えているはずなのに、スウェンはまるで美しい草原に立つようなくつろいだ表情を自然に作り上げていた。
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