仮想空間に巻き込まれた男装少女は、軍人達と、愛猫との最期の旅をする

百門一新

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10章 夢人と宿主~そしてエル達~(11)

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 少年は、自分よりも華奢なエルの背中へ目を向けた。

 揺るぎのないエルの強い眼差しと、絶対に逃げないという姿勢に眩しい勇気を覚えて、途端に自分が恥ずかしくなった。

 けれど、仕方がない。少年はこの状況がとても恐ろしく、自分には逃げる事しか出来ない事を、よく知っているのだ。

 その時、俯きかけた少年の耳に、不意に何者かの声が飛び込んだ。それは、背中から伸びる影が足元から絡みつくような、ねっとりとした悪寒を孕んでいた。


――生まれたばかりの『オチビさん』ではないのだから、少しは役に立ちなさい。君の小さな『主』の躯すら守れないのなら、今すぐに、全てを手放す事を選択しなさい……


 脳裏に直接響く言葉が、悪魔のような舌舐めずりをして、少年を嘲笑った。


――少しの時間も稼げない出来損ないなのであれば、この『私』が、君と取って変わってやりましょう。


 強い悪寒が、少年の足の先から頭の天辺まで駆け抜けた。

 後方から、姿の見えない恐怖が迫るような錯覚に襲われた瞬間、少年は痛い事はされたくないし、、誰にも傷ついて欲しくない自分の想いに気付いた。『夢人』として何も出来ないよりも、やって後悔する方がずっと良い。

 ピークに達した恐怖のせいか、不思議と、力が腹の底から湧き上がって来るのを感じた。少年は、頭の向こうで嘲笑う恐ろしい気配を振り払うように、――叫んだ。

「このまま何も出来ないなんて、絶対に嫌だ!」

 四人の人間と一匹の猫が、声に驚いて彼を振り返った。

 少年は集まる視線を無視し、敵へと意識を集中した。両足の震えが止まらない。かなり怖いが、やるしかないと腹を括る。

『夢人』として開眼した少年の瞳に、鼠男達を動かす『力』の流れを映し出した。これまで見た事もない、禍々しい赤黒い『力』は太い茨のように絡み付いて、まるで操り人形を手繰る糸のように外の『夢世界』から繋がっている。

 その『力』が、ぐっとうねるのを見て、鼠男達は、すぐにでも動き出してしまうだろうと察した。

 もう、時間がない。

 少年は、己の世界の『力』の波を、一気に足元へと引き寄せた。『夢人』としての本能に従い、この世界を構築する『力』を自身の手の上に集中させた。

               ※※※

 少年が動かし始めた『力』の波は、四人と一匹の目にも映った。

 青や黄や黄緑の淡い光が少年の手元に集まり始め、小さな嵐を呼び寄せた。エル達の身体を荒々しい風が取り囲み、視界を眩い光りの洪水が襲った。その息も出来ぬほど激しい風が身体を打ちつけて、途端に何も見えなくなってしまった。


 数秒後、不意に風が止んで、空気の匂いが変わった。

 エルは、浮遊感を覚えて目を見開いた。先程までとは異なる場所に自分がいる事に気付いた。


 見開いた視界の先には青い空が広がり、遥か眼下には、どこまでも続く広大な青い海が広がっていた。風はすっかり凪いでおり、鳥が呑気な様子で太陽の下を横切っていくのが見えた。

 ああ、上空から間近に見る空って、こんな感じなんだなぁ……

 一瞬エルは、現実逃避のように、そんな事を考えた。状況がすぐには把握出来ず、ほんの僅かな浮遊感と静寂に、嫌な予感を覚えつつ、ゆっくりと首を傾けた。

 そこには、エルと同じように青い空に投げ出された男が三人いた。

 エル達は、しばし何ともいえない顔で、お互いの姿を唖然と見ていた。沈黙する一同の間で、少年が両手両足を広げて感極まった笑顔を浮かべ、こう叫んだ。

「やったぁ! 地理移動を発動出来たんだ! 俺、こんな事も出来るんだなぁ!」

 少年は感動したように「やれば出来るじゃん、俺」と頬を濡らせたが、――これは落下が始まる前の、一瞬の浮遊に過ぎない。

 エルは我に返り、肩から消えているボストンバッグに気付いて、大慌てで視線を走らせた。それを察したスウェンも素早く目を走らせ、少し離れた位置にあったボストンバッグを、セイジが青い顔で慌てて引き寄せた。

 身体が沈み始めたと感じた瞬間、前触れもなく急速な落下が始まった。

 青い空と海に感動してしまった先程の自分に後悔し、エルは、落下の恐怖に長く甲高い悲鳴を上げた。耳元を切る風で、自分の悲鳴がよく聞こえない。

 一番体重のあるログやセイジが、一同の中で少し先を落ちた。ログは、落ちながら少年の襟元を掴まえると、自身の最速の落下に彼を巻き込んだ。

「バカヤロー! 今すぐどうにかしやがれ!」
「うきょぉぉぉぉおおおおお!? 落ちてるぅぅぅうう!」
「てめぇが落としたんだろうがッ! 早くなんとかしろ!」

 少年は激しく動揺しつつも、何か解決策がないかと表情を目まぐるしく変える。

 その様子を見て、エルは落下の恐怖もあって気が遠くなって来た。このまま海に叩きつけられでもしたら、生身のエルとクロエは、確実にただでは済まないだろう事が容易に想像出来た。

 スウェンが、ようやく少年とログのもとへ追いついた。スウェンは、少年とログの足を捕まえると、少年の方に鋭い声で指示した。
「君ッ、下に何か柔らかい着地点を作るんだ!」

「海に柔らかい着地点なんてないよぉ! うわぁぁぁぁあああああん!」
「それでも『夢』の中の住人かい!? もっと創造力を働かせなよ!」

 セイジはクロエを抱えて、その様子を見守っていた。軍人である彼らは、だいたい経験しているのだろうから高所も格段苦手ではないのだろう。

 そう推測しながらも、エルは、意識を保つのがようやくだった。

 少年はその間にも、頭を抱えて打開策を考え続けていた。

「海に着地点って何ッ? 潜水艦とか軍艦!?」
「阿呆か! セイジはともかく、んなのに当たったら俺らはひとたまりもねぇぞ!」
「そうだね、身体が頑丈なセイジはともかく、僕らは彼みたいに、潜水艦を叩き割りながら着地する芸当はないからねぇ……」

 スウェンが、途端に困った笑顔を浮かべて冷静に述べた。

 悠長な四人を脇に、エルは強い眩暈まで覚え始めていた。落下で身体のバランスが上手く取れないし、先程から視界が上下して気持ちが悪い。何でもいいから、早く地面に無事辿り着きたいと思った。

 その時、エルは少年に伝えやすい子共じみた発想を思い付いた。何もないよりはましだろうと思え、エルは、少年と男達に向かって叫んだ。

「クラゲの風船とかは!? 砂浜まで飛ばしてくれるトランポリンみたいなやつ!」

 すると、少年が緊張感の抜けた顔で「なるほど」と相槌を打った。

「それ、面白そうだね」

 そんな彼の呟きが上がった瞬間、エル達は柔らかい場所に落下していた。

 それは大きく弾むと、エル達の身体を再び飛ばし上げた。一同が飛ばされた海面の先には、別の大きな空気袋が浮かんでおり、一同はバウンドする衝撃に非難の声と悲鳴を上げながら、次々に巨大な風船の上を進んで行った。


 落下地点は海上であったが、トランポリン形式でどんどんエル達は移動を続け、あっという間に白い砂浜が目前に迫った。


 まずは、ログが柔らかい砂地に顔面から突っ込んだ。スウェンが受け身を取るように体勢を整えて上手く着地し、素早く振り返ってセイジに合図を出し、クロエの入ったボストンバッグを受け止めた。

 その直後、セイジが身体を捻ってスウェンの隣に尻から着地し、続いて飛んで来るエルを受け止めるべく身構えて、抱き込むように全身で受け止めた。

 最後に飛んで来たのは、例の少年だった。彼は、砂地に頭から突っ込んだログの背中に衝突するように着地し、彼の頭部を更に砂の中に押し込んだ。

 ああ、これは死んだな。

 その光景を目撃してしまったエル達は、視線もそらせずに沈黙した。少年は状況を把握していないのか、尻の下にログを埋めたまま、楽しそうな顔で笑った。

「俺、こんな事も出来たんだなぁ」

 くふくふ、と少年が続けて含み笑いした。

 肩まで砂に埋まった大男の身体が、途端に怒りでぶるぶると震え始めた。
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