仮想空間に巻き込まれた男装少女は、軍人達と、愛猫との最期の旅をする

百門一新

文字の大きさ
104 / 159

15章 深い森(3)

しおりを挟む
『お願イ、モウ、時間がナイの……守ラナ、きゃイケナイ、ノニ…………アの場所を離れて、しまったら………………ワタシタチが守、ラナければいけナ、大切なモノ、壊れ、テ――』 

 その時、栗色のテディ・ベアが、白いテディ・ベアを押しのけた。

 狂ったように笑い続ける栗色のテディーベアが、身体ごと首を回し、穿った双眼で至近距離からエルの姿をガチリと捉えた。エルが恐怖に身構える暇もなく、白色のテディ・ベアも競うように眼前に迫った。

 途端に、どちらも壊れた人形の亡霊のように、口を揃えて呪われた言葉を捲くし立て初めて。

『早く来て早く来て早く来て早く早く早く早く早くはやくはやくはやく――』

 不意に、言葉が途切れた。

 黒い涙を流し続けていた栗色のテディ・ベアの口元が、ピタリとその動きを止めた。白いテディ・ベアも、青い瞳を宙に向けたかと思うと、途端にその意思を失って闇の中を力なく漂った。

 全ての悪夢が静止したような光景だった。

 糸が切れたように、二匹のテディ・ベアは闇の中を力なく浮遊した。ふわり、ふわりと漂うリアルな幻覚を、エルは茫然と見つめるしかなかった。
 

『――己が選んだ運命を、果たせ』


 身体を圧迫するような重々しい声が落ちて来た。男とも女ともつかない地鳴りのような声が、テディ・ベア双方の虚ろな眼の向こうから、エルに問い掛け続けた。

『理の使者が、殻を持つ事は許されぬ』――『殻は命を宿すモノの領分である』
『殻は精製と創造で命を造り』――『理は根源と狭間を繋いで核を守る』
『お前は、あの時選んだ』
『命持つ者に許された【選択】を、我らは尊重する』

 まるで頭部に心臓が宿ったように、脈打つ痛みがエルを襲った。

 大量に流れ込んでくる情報が、思考回路を圧迫し始め、全身に痛みが回った。あらゆる筋肉が軋み、身体のあらゆる筋肉や内臓、骨を損傷したような痛みは耐え難く、エルは思わず膝をついてしまった。

 ……ああ、そうか。これは、俺の身体が覚えている過去の記憶なんだ。

 複数の人間が重なったようなあの声も、この痛みも、全ては今のエルが覚えていない過去のものだ。彼女は自分が今、過去と現在の光景を、抽象的に見せられている事に気付いた。

 エルは知らず人形を押しのけ、痛みに抗いながら闇の中を進んだ。

 少しでも身体を動かせていなければ、ひどい痛みや眩暈に倒れてしまいそうだった。骨が砕けたように腕が重く痛む。――いつだったか、壊れてしまった彼女の腕を掴んで、もう一度壊してしまった大きな男がいた気がするが、よく思い出せなかった。


 しばらく進むと、ぼんやりと浮かぶ灯りがあった。霞む目を凝らしたが、いくら集中したところで、風景ははっきりと輪郭を描いてはくれなかった。

 更に近づいてみると、それは切り取られた闇の中に佇む、一人の人影である事に気付けた。

 エルは、ぼんやりと浮かぶ光りに目を凝らしながら、もう少し足を進めた。

 小奇麗な青と白のフリルが可愛らしい、ワンピースドレスを着た少女が、癖のないストレートの長い金髪を足元に広げて座り込んでいた。その傍らには、彼女の半分の背丈もない幼い女の子が、膝丈までしかない白いワンピース姿で、ぺたりと地面に尻をついていた。

 光りの中でぼんやりと輪郭を描く、顔のよく見えない少女が、鳥の囀りのような声で女児に笑い掛けた。

「あなた、知らないの? 特別な一つの存在を除いて、『夢人』は『表の子』と『裏の子』に分かれて、必ず二人一緒で生まれて来るのよ。それぞれは絶対に会う事がなくて、二つの世界は、いつも背中あわせなの」
「ふうん」

 幼い女の子には、まだ難しい物事は理解出来ない。女の子は少女の話しを聞きながら、ようやく腰まで届いた黒髪を、意味もなく手で握りしめては解いていた。

「でもね、私は片割れを持たないまま生まれた不安定な存在だった。こんな私でも『夢守』としての姿を持てて、ある程度の『力』を持たせる事が出来るぐらい、初めて『宿主』になってくれた女の子は、強い力を持っていたのよ」
「きょうだいなの?」
「違うわ。私達『夢人』は、初めての『宿主』の心を写し取って、その夢世界に形造られるの。でも、そうね……『表の子』と『裏の子』であれば、兄弟みたいなものかしらね。私達が、この広い世界で一人ぼっちにならない、唯一の繋がりみたいな相手だから」

 語り掛ける声が弱々しくなり、どこかぼんやりと独り言を続けるような声量になった。

「――『表の子』の不安も悩みも、全て『裏の子』が引き受けて無に返すといわれているの。だから、『夢守』となった子は皆、『宿主』が持つ負の感情の一つも知らないまま、キレイなままでいられるのね」

 聞き手である幼い女の子は、自分の小さな手で遊ばせていた髪が絡まってしまい、なかなか解けず、少し焦りを覚えて「どうしよう」と呟いた。

 少女が困ったように微笑み、長い指で女の子の黒髪を梳きながら「無理やり引っ張っちゃ駄目よ、傷んでしまうわ」と言った。その声色は、とても優しかった。

「あなたには、難しい話だったわね、ごめんなさいね」

 女の子の髪を整えてあげたところで、少女が小首を傾げた。

「それにしても、不思議な子ねぇ。あなたは人間なのに、『魂』も『心』も身体に置いてきたまま意識一つで、異界の境界線上まで簡単に入り込んで来るんですもの。どうしてか、どらの世界の影響も受けないで、安定させて馴染ませてしまう」

 エルは、彼女の達の姿をみてすぐ、言葉を失っていた。

 特に語る少女の向こうにいる、艶やかな黒い長髪を持った女児を、エルは誰よりもよく知っていた。オジサンの家の子になってしばらく、何度も鏡の中で見ていた、忘れられない自分の物だった。

 この覚えがある光景も、過去の映像だとは理解していた。しかし、どうして、今まで忘れてしまっていたのだろう?

 エルの過去を再現したまま、少女は女児に話し続ける。

「『裏の子』がいない私は、力がまだ二分されていない……本来なら安定し、余分な『力』を無くして成長するまで『理』に抱かれているはずだったのに、そのまま『夢守』になってしまった」

 本来であれば、生物に関わる『夢人』は、生物に影響を与えてしまう力を持ってはいけない。そのルールが破れてしまっている特殊な状況を、少女は静かに嘆いていた。

「ひとたび『力』の発動が始まれば、私は成長のたびに、『宿主』の『未来』を食べてしまうわ。私には、それがとても恐ろしいの。歪んだ力はね、大きくなってしまうと、いずれは爆発して崩壊してしまうのよ。――どうして私は、人の中に生まれてしまったの?」

 絶対のはずの『理』が犯したミスであるのなら、それを修正するために、既に何か用意されているとは理解している。けれど、ただの『夢人』の一人でしかない少女には、『運命』まで知ることは叶わない。

 どうして、私を人間に引き合わせたの?

 夢世界の『理』は、運命と相性から『宿主』を選定する。彼らは全ての『夢人』を『子』として愛しているから、過ちを犯すはずがないのに……

 すると、女の子が、少女のワンピースの裾をつまんだ。

「生まれてきて、よかったよ。わたし、お姉さんのこと、好きよ。お姉さんも、その子のことが、とてもすきなんだよね」
「……そうよ。好きなの、愛しているのよ。一人ぼっちでも耐えられるぐらい、私はきっと、あの子の事が好きなの。それなのにどうして、私は普通の『夢守』として、あの子を守り続ける事が出来ないのかしら」

 語る声は次第に震え、少女はとうとう膝の上に顔を押し付けて泣き出してしまった。

「少しずつ、あの子の『夢』の中で成長を促されて、私の歪みは大きくなっていくのよ。いずれ自分の事も分からなくなって、暴走して、私は大切な彼女の『核』を壊してしまうのだわ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】神から貰ったスキルが強すぎなので、異世界で楽しく生活します!

桜もふ
恋愛
神の『ある行動』のせいで死んだらしい。私の人生を奪った神様に便利なスキルを貰い、転生した異世界で使えるチートの魔法が強すぎて楽しくて便利なの。でもね、ここは異世界。地球のように安全で自由な世界ではない、魔物やモンスターが襲って来る危険な世界……。 「生きたければ魔物やモンスターを倒せ!!」倒さなければ自分が死ぬ世界だからだ。 異世界で過ごす中で仲間ができ、時には可愛がられながら魔物を倒し、食料確保をし、この世界での生活を楽しく生き抜いて行こうと思います。 初めはファンタジー要素が多いが、中盤あたりから恋愛に入ります!!

無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……

タマ マコト
ファンタジー
王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。

中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています

浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】 ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!? 激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。 目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。 もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。 セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。 戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。 けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。 「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの? これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、 ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。 ※小説家になろうにも掲載中です。

断罪まであと5秒、今すぐ逆転始めます

山河 枝
ファンタジー
聖女が魔物と戦う乙女ゲーム。その聖女につかみかかったせいで処刑される令嬢アナベルに、転生してしまった。 でも私は知っている。実は、アナベルこそが本物の聖女。 それを証明すれば断罪回避できるはず。 幸い、処刑人が味方になりそうだし。モフモフ精霊たちも慕ってくれる。 チート魔法で魔物たちを一掃して、本物アピールしないと。 処刑5秒前だから、今すぐに!

お兄様、冷血貴公子じゃなかったんですか?~7歳から始める第二の聖女人生~

みつまめ つぼみ
ファンタジー
 17歳で偽りの聖女として処刑された記憶を持つ7歳の女の子が、今度こそ世界を救うためにエルメーテ公爵家に引き取られて人生をやり直します。  記憶では冷血貴公子と呼ばれていた公爵令息は、義妹である主人公一筋。  そんな義兄に戸惑いながらも甘える日々。 「お兄様? シスコンもほどほどにしてくださいね?」  恋愛ポンコツと冷血貴公子の、コミカルでシリアスな救世物語開幕!

神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

【完結】奇跡のおくすり~追放された薬師、実は王家の隠し子でした~

いっぺいちゃん
ファンタジー
薬草と静かな生活をこよなく愛する少女、レイナ=リーフィア。 地味で目立たぬ薬師だった彼女は、ある日貴族の陰謀で“冤罪”を着せられ、王都の冒険者ギルドを追放されてしまう。 「――もう、草とだけ暮らせればいい」 絶望の果てにたどり着いた辺境の村で、レイナはひっそりと薬を作り始める。だが、彼女の薬はどんな難病さえ癒す“奇跡の薬”だった。 やがて重病の王子を治したことで、彼女の正体が王家の“隠し子”だと判明し、王都からの使者が訪れる―― 「あなたの薬に、国を救ってほしい」 導かれるように再び王都へと向かうレイナ。 医療改革を志し、“薬師局”を創設して仲間たちと共に奔走する日々が始まる。 薬草にしか心を開けなかった少女が、やがて王国の未来を変える―― これは、一人の“草オタク”薬師が紡ぐ、やさしくてまっすぐな奇跡の物語。 ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

処理中です...