仮想空間に巻き込まれた男装少女は、軍人達と、愛猫との最期の旅をする

百門一新

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16章 白い大地の駅(6)

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 そもそも、スウェンは、恥ずかしげもなく「ホテルマン」と呼べるエルの、幼いとも思える純粋な感性には尊敬を覚えていた。

 何故なら、スウェンなら恥ずかしくて、絶対に口に出来ないからだ。それは、ログやセイジも同じで、存在事態が未知で、そのうえ謎も多いホテルマンの『名前』の一つに関しても、好奇心が湧いた。

 ホテルマンは腕を組むと、「ふむ」と演技臭く首を傾げた。しばし逡巡するような間を置いた後、ふと思い出したように一人相槌を打った。

「ああ、そういえば面白い人間一人がいましたねぇ。機械に名前を付けて、あまりに愛しそうに呼ぶものだから、つい、私を呼ぶ時の名前として使うように言いました」
「へぇ、どんな名前だったの」

 スウェンは、一同を代表してそう質問した。

「ふふ、そうですねぇ。人間は、色々と名前をつけたがる生き物ですが、まぁ実のところ、私も少しだけ気に入ってはいたのですよ。もう使う事もないでしょうけれど――『ナイトメア』だなんて、私には勿体ない名でしたから」

 ホテルマンは思い出し、少しだけ笑った。あの機械の箱には、確かに『心』が宿りかけていたのだ。

 その機械仕掛けのちっぽけな物質は、人間と友達になれるのではないかと微かな『夢』を抱いてもいた。すぐに死に至るような儚い『夢』だったが、これまで見た事のない蛍火のように不明瞭な輝きを放ち、暗黒に居座るホテルマンを手招きしたのだ。

 はじめは、ただの気紛れだった。入りこんだ機械の箱の中には、これまで喰べた事もない不思議な味の『過去』に満ちていた。

 同時に、人間とは、ろくでもない物を造るのだなとあれほど思った事はなかった。異界のモノにとって、機械という代物は波長が合いやすく、相性が悪いのだと実感した。それが、結果として今回の悲劇を大きくしてしまったのだ。

 疲れたクロエを腕に抱いたエルが、こちらを振り返ったので、そろそろ戻ってくるようだと一同は察した。

 ホテルマンは、エルの腕の中にいるクロエと目合わせた。幸福そうに微笑む優しい緑の瞳が、やけに目に沁みた。
ああ、強い願いを秘めた、美しい『夢』を持った女性だ。

「……貴方達がどう思おうと勝手ですが、残念ながら『私』は決して、人間が口にするような『善人』にはなり得ないのですよ」

 それが全てで、それが真実だ。始まりから既に終わりは決まっていて、彼はそのために寄越されてココにいる。

 けれどもし、芽生えたこの不可解な『願い』が、人間でいうところの心なのだとしたら、ホテルマンは、本当は――

 彼は、自身の白い手を見降ろした。エルに差し伸ばされた手を思い返し、初めて触れる事が出来た手の感触を思って、静かに指先を擦り合せた。

 その時、硝子の鈴がけたたましく打ち鳴らされるような、豪快な音が空に響き渡った。

             ※※※

 到着の合図を告げるように、鈴や鐘が混じり合った硝子の鈴のような音が、空から大きく降り始めた。

 空気を震わせる音の大反響に、エルはびっくりして、クロエを抱いたまま空を仰いだ。

 北の方角の空から、一つの列車がやって来るのが見えた。まるで白い竜が鱗を煌めかせて舞い降りてくるように、星の欠片のような光りを散らせながら走る列車の光景に、エルは思わず目を丸くして凝視した。

 美しい装飾が施された列車の車輪が、エメラルドや黄金の輝きを地上に落としながら、空を滑るように進んで来る。

 目を凝らすと、光り輝く硝子のレールが、列車の前方に形作られているのが見えた。車輪が全て通過すると、レールは輝きを放ちながら崩れ落ちていたので、空に響き渡る美しい音色は、そこから発生しているようだとも察せた。

 列車は汽笛を上げ、虹色の煙を噴き上げながら、連なった長い車両を引き連れて地上を目指した。車体の側面には薔薇の彫刻が施され、並んだ窓は銀色で通過性がなく、全てが磨き上げられた列車は、細かなダイヤを散りばめたようにきらきらと輝いていた。

 白い列車は、次第に速度を落としながら高度を下げると、駅の前で緩やかに停車した。

 ブレーキが掛かった際、車体の下から吹き上げた白い煙には、赤や黄色や緑、淡いブルーの色が混じっていた。巻き起こった風は、まるで雪国の吐息のように冷たかった。
 
 五人が用意を済ませて立ち並ぶと、列車の扉が開かれた。

 誰もいない車内は十畳ほどの広さで、結合された他の車両へ渡る扉も付いていなかった。窓際に横付けにされた長椅子があるだけで、大きな外観に対して、室内はやけにこじんまりとしていた。

 ホテルマンに「レディー・ファーストです」と促されて、エルは、車両の手すりを掴み、列者の搭乗口の大きな段差に足を掛けた。

 エルは、列車の中に踏み入った途端、驚いてしまった。一見すると大理石のような固そうな白い床や長椅子は、踏み込むと、膝まで沈んでしまうぐらいに柔らかかった。手触りは上品な動物の毛を思わせて、歩くのも一苦労だった。エルよりも体重のある三人の軍人達は、椅子に辿り着くまでに苦労を強いられた。

 窓側に設置された長椅子も、座ってみると身体が大きく沈んだ。柔らかな素材は弾力があり、無防備に腰を下ろすと、数回は上下してしまう。

 不器用らしいログが倒れ込んだ際、近くにいたホテルマンがその反動でひっくり返った。向かい側に一番に腰かけていたスウェンが、大きく跳ねた拍子に椅子から転げ落ち、廊下の中央でセイジが上手くバランスを取って、転倒を免れた。

 エルは椅子に腰かけたまま、その振動に大きく身体を揺られつつ、車内に苦戦する大きな男達を傍観した。

 彼らは散々な悪態を吐いていたが、エルとしては、まるで太った大きな小動物の腹に乗っているようで少し楽しかった。椅子を手で握ると、動物的な柔らかさを覚えて続けて感動してしまう。ボストンバッグから顔を覗かせたクロエも、手を伸ばして椅子に触れた。

 椅子に辿りつこうと、立ち上がるところから苦戦していたログが、ようやく手すりを掴んだところで、エルを見やった。

「おい、お前だけ楽しそうだな。顔に出てんぞ」
「え。俺、なんか言ったっけ……?」
「だから、その顔やめろ。こっちばっかり苦労している感じで、苛っと来るんだよ」

 すると、その様子を見ていたホテルマンが、ひっそりと眉影を作って「それは大きなお客様の心が狭すぎるだけ……」と言い掛けたが、ログがしれっとした顔で、思い切りその場で尻餅をついた。

 反動で床が大きくしなった拍子に、ホテルマンの身体が宙を舞い、彼は柔らかい天井に頭から突っ込んでしまった。危うく共に転倒しかけたセイジが、椅子にしがみ付いて難を逃れた。

 スウェンが腰かけた椅子にしがみ付きながら、目の前の柔らか過ぎる床に腰を下ろしているログをみて「うわぁ」とぼやいた。

「……ログ、大人げないよ?」
「煩ぇ。そもそも、さっきお前が飛び跳ねなきゃ、俺は転がらなかったんだ」
「え~、それは君の思い過ごしだよ。僕は自分がきちんと席につけるよう、計算して踏み込んだだけだからね」

 それは結局のところ、身体を支える為に四苦八苦していたログとセイジの体重を、スウェンが利用したという事では……?

 エルはそう気付いたが、ログ達が強く文句を言わない様子を見て、心にとどめておく事にした。
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