仮想空間に巻き込まれた男装少女は、軍人達と、愛猫との最期の旅をする

百門一新

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18章 エルの始まりと、終わりへと動き出す運命(5)

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『――まぁ、ちょうど良いでしょう。彼には、メッセンジャーになって頂きましょうか。幸い、こちらの声は聞こえているようですし、役に立ちます。出来るだけプログラム主導権を奪還してもらい、脱出の為の出力権限に関しては、完全に制御可能まで持って行って頂きましょう』

 アリスや、スウェン達が脱出するためのルートの事が、とエルは頭の中を整理した。

「えぇと、つまり、出口に関わることは全部取り返しておいてって事でいいのかな」
「はい。エリスが吸収してしまった精神体は、そこに絡め取られていますから、そのプログラムの拒絶を解除して頂ければ『私』が解放する事も可能ですし、――アリスを含めた人間達を、全員ここから出してしまえる事が出来ます』
「分かった。出口を確保する為の作業と、出来るだけプログラムの暴走を抑えてもらうって事だね」
『左様でございます。私は機械に関しては無力ですから、そちらは彼らに任せるしかありませんね。彼らの方で準備が整えば、後は私の方で片付けますので』

 エルは、ホテルマンとの通信を終了した後、表情の見えない男に手短に話して聞かせた。

 男は尻餅をついたまま、「はぁ」「なるほど」と気の抜けた返事をするような仕草で、相槌を打っていた。

「プログラムの制御奪還とか、出力値だとか難しい事はよく分からないけど、ここから皆を脱出させる為に協力して欲しい。俺も、きっと皆を助けられるように頑張るよ」

 長らく話しを聞いていた男が、ふと、危うげな足取りで腰を上げた。

(突然の事で混乱しちまってるんですが、――まぁ、それはいいか。暴走を出来るだけ最小限にとどめて、脱出に関わるシステムに関しては全て奪還する、通信手段はないにしても、あの怪しい『ナイトメア』が俺らのサポートに回って、そっちで手筈を整えるって訳ですよね? 多分、その原理からいくと、アリスの件も併せてどうにかなりそうですが……君は?)

 唐突に幽霊が声を発した事について、エルが驚いていると、男が煙で曇った頭をかきながら言葉を続けた。

(あ~……恐らく、君が報告にあった『エル君』って少年ですかね。俺の見解、間違ってますか?)
「いや、間違ってはいないけど……お前、喋れたんだなぁと思って?」
(その件に関しては、俺もびっくりしてます。さっきまで声が出ませんでしたもん)

 軽い口調でそう言ってのけた幽霊のような男が、ぼんやりと笑ったような気がした。

(でも、あんたの話を聞いていて思ったんですがね。あんたは、他人の事ばかりですね。無理して背伸びしなくてもいいっつうか、そもそも『エル』ってだけ情報を渡されても、困るんすよねぇ。うちとしては、あんたがどこの誰だか探したいところなんですよ。軍人は後処理を全部こっちに押し付ける癖に、協力的じゃねぇし、困ったもんです)

 エルは「そうなのか、ごめん」と思わず苦笑した。

 けれど、やらなければならない事があるのだ。今は誰にも明かせない、エルとホテルマンだけの秘密だが、必ず最後の犠牲が必要になる事を思いつつ、エルは、どうにか微笑んで見せた。

「俺を探す必要はないよ。俺は所長さんって人に助けられたけど、結局は、事故で死んだ事になっていて、『エル』は育ててくれた人が付けてくれた名前たし……だから、大丈夫なんだ」

 エルは、本来ならば過去に死んでいるはずの人間なのだ。助けたいと願った過去を思い出した時から、ここから帰れない決意は出来ていた。

 すると、煙男が、顔の眉辺りに影を作って腕を組んだ。

(大丈夫って、どういう事っすか? まるで死にに行くみたいな言い方だなぁ。くそっ、ハイソンさんの胃も限界だし、所長とっ捕まえて訊き出さなきゃならないっすね……)

 男は、エルがよく分からない事を口にした。ハイソンという名前に関しては、スウェン達から何度か聞いた覚えがあるので、恐らくは外の研究員とは推測出来るが。

 胃が限界って、すごく大変な状況って事だよな……?

 ログが時々、外の連中は気ままなもんだというような事を口にしていたが、そんな事はなかったじゃないかと思ってしまう。会った事もない『ハイソンさん』の苦労を想像して、エルは労いの言葉を思い浮かべてしまった。

(事情は分かりませんけど、それでも、あんたは今、生きているでしょうに。俺が見る限り、あんたは相当強いし、最後まで足掻けばいいじゃないっすか? 何に悩んでいるのかは予想もつかねぇっすけど、サポートならしますよ)
「でも俺は、自分の本当の名前も、下だけしか覚えてないし、その、やらなきゃいけない事があって――」

 初めて会った人間に、足掻け、なんて言われるとは思っていなかったから、エルは何となく慌ててしまった。

 すると、煙男が腕を組んだまま首を傾げた。

(物覚えが悪いって話っすか? それなら問題ねぇでしょ。自分の大事な名前があるんなら、それだけで上出来っすよ。やらなきゃいけない事が大き過ぎるってんなら、誰かと分け合えばいいだけでしょう。俺達は戦場に置いては非力ですが、機械の中じゃあ水を得た魚って奴もいますし、頼まれた事はきっちりやっておきますんで、任せて下さいよ)

 男の言葉が、エルの胸に突き刺さった。少しでも希望を見せられる事が、エルには痛かった。

 姿はハッキリと確認出来ないが、恐らく彼は、良い奴なのだろう。言葉の端々に性格の軽さが滲み出ているような気もするが、実のところ、しっかりしている風でもある。

 エルは、男がどんな顔をしているのか気になった。見られない事を、そして今後も確認する機会がない事を、寂しく思った。

(だから他人ばかりじゃなくて、あんたも自分の事、しっかり考えて下さいよ。俺、結構あんたの事気に入ったし、終わったらジュースでも奢ってやりますんで、そんな時は話ぐらい聞かせて下さい)
「……俺、いちようお酒も飲める年齢なんだけど」
(マジっすか。日本人にしても小さ――いや、幼過ぎません? いくつっすか?)
「…………二十歳」
(うーわ、そりゃあすげぇ詐欺っぽいわぁ。あ、なんかそろそろ起きる気配――……おっと、俺『クロシマ』って言いますんでッ、よろしく!)

 失礼な物言いをした男の姿が揺らぎ、煙だけで構成されたような身体が、途端に風に舞って消えていった。

 もう少し長引けば危なかったかもしれないと安堵しつつ、エルは首の後ろに覚える殺気に身構えた。先程の地上型戦闘機の比にならない、大きな二足歩行の地響きが地面を伝わり始めた。

 巨大な何者かの足音が、大地を揺らす音を聞いてエルは身構えた。

 建物に残されていた硝子が揺さぶり落とされ、地面に落下して砕け散る。次第にその足音は大きくなり、不意に、建物の壁を巨大な鉄の腕が掴んでいた。

 先程の戦闘兵器の倍はある装甲の腕が、鋭い三本の指を器用に使い、コンクリートの壁にめり込んだ。建物の影から現れたのは、丸みを帯びたボディを持った三メートル以上はある大型の地上型戦闘兵器だった。全身に生き物のように絡みついた電気ケーブルが、ボディの装甲を更に増幅させ膨らんでいた。

 しっかりと大地を掴んで踏み歩く二本の脚、二本の腕の先には指のような三本の鋭い凶器が付いており、頭頂部には、防弾ガラスに守られた見通しの良い運転席があって半分以上が電気ケーブルに覆われていた。
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