仮想空間に巻き込まれた男装少女は、軍人達と、愛猫との最期の旅をする

百門一新

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19章 抗う者達の戦場(5)

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 眠りの中で、不意に、抱き締めていた『エリス』の温度のない身体が、じょじょに離れてゆくのが分かった。待って、と声をかけたくても、深く眠り続けるアリスの身体は動いてくれなかった。

 母と同じ気配を持った『夢人』が、遠ざかっていく気配に涙が溢れた。

 それでも、アリスは一人で眠り続けた。完全に『エリス』が起きてしまうまで、眠り続けるのだろう。意識は覚醒しているのに、誰の役にも立てない事が悲しかった。

 不意に、夢から覚める気配がした。

 暖かな掌が頭にあてられ、それは、開かない彼女の瞼からこぼれる涙を拭った。


――頑張ったわね、可愛い子……大丈夫よ、私が、きっと何とかしてみせるから…………


 とても暖かい声だ。暖かくて細い、こんなにも優しい手をアリスは知らなかったから、思わず「お母さん……?」と口にしていた。

 ふっと、優しい人の温もりが消えた。

 無数の音が彼女の聴覚を刺激し、五感が急速に現実へと引き戻され始めた。身体が鈍りのように重く感じて、アリスは、静かに目を開いた。

 目を開いた先にあったものは、荒廃した町だった。セイジ兄さんが走る後ろ姿があり、こちらにジャケットをかけて、ログ兄さんも駆け出すのをアリスは見た。

 ログ兄さんの向こうに見えた華奢な黒コートの背中を見て、アリスは「あ」と声を上げた。夢で見る事しか叶わなかった『あの子』がいたのだ。

 あの子に向かって巨大な瓦礫が放たれると同時に、ログ兄さんが必死な形相で突進しながら「セイジ!」と指示するように怒号した。セイジ兄さんが「分かってるッ」と返して、華奢な『あの子』に向かって「何を突っ立っているんだエル!」と叱るように吠えた。

              ※※※

 大人しいセイジから、初めて怒声する声を聞いて、エルは我に返った。

 野太い大声に驚いたのも束の間で、前に回り込んで来たセイジが、こちらに向かって放たれる巨大な瓦礫を待ち構えた。

 無茶だと叫んだエルの声は、次の瞬間、爆風にかき消されていた。

 大地に両足を踏みしめたセイジが、普段の温厚な表情を余裕なく歪めて額に青筋を浮かべ、両手を突き出してビルの先を受けとめた。落とされた数トンもの瓦礫の衝撃が、彼の両足を伝って地面を叩き割った。爆風と共に細かい瓦礫や土埃が舞い上がり、エルも堪らず尻餅をついてしまった。

 両手で数トンもの瓦礫を受けとめたセイジが、「ぐぅ」と腹の底から呻るような声をこぼした。彼の剥き出しになった腕や首筋や顔に、筋肉の筋がビキリと立っていた。セイジは全身の筋肉で数トンものビルの一角を完全に受けとめると、雄叫びと共に、それを隣のビルへと放り投げた。

 土埃が舞う中、続けて落ちて来たトラック一台分の瓦礫やコンクリートを、セイジは同じように受けとめ、勢いよく投げ返した。

 舞い上がった土埃で視界がすっかり悪くなった前方から、対地上用戦闘機MR6が現れて、その腕を振るった。セイジはそれを強靭な拳で打ち返すと、装甲が剥き出しになった機体の足を無造作に掴み持ち上げ、一気に背負い投げてしまった。

「ログ今だ! 急ぎ解体してくれ!」
「分かってる!」

 叫ぶセイジの脇を、指の関節を鳴らしながらログが駆け抜けた。

 ログは倒れ込んだ機体目掛けて飛び込むと、左手で対地上用戦闘機MR6の腕を叩き付けた。彼の腕に青白い静電気のような光が弾けると同時に、赤黒い紋様が禍々しく浮かび上がった途端、ログの身体から発生した電流のような力が機体を走り抜けた。

 対地上用戦闘機MR6の片腕の内部から破壊音が上がり、ログが触れた箇所から、電気ケーブルが破裂し機器の接合部の崩れが広がった。

 事態を理解したように、対地上用戦闘機MR6が残っていた腕を振り上げた。ログは攻撃を回避するように機体から飛び降りたが、戦闘兵器は彼の動向には目もくれず、壊れ始めた腕を自らの腕で切り落としてしまった。

 ログから距離を取りながら、対地上用戦闘機MR6が、片腕で体勢を立て直した。

『――君の能力は知り尽くしているつもりだ。実に厄介だよ。まるでウィルスのように次々と解体されては困る』
「そらどーも」

 セイジの元まで後退したログが、尻餅をついたエルをちらりと確認し、安堵するような吐息をこぼしながら関心のない声で答えた。

 警戒を解いていないログは、すぐに視線を戻すと、顰め面で改めて対地上用戦闘機MR6をじろじろと眺めやった。

「しっかし、見ない間に随分死体っぽくなったじゃねぇか、マルクさんよ。つか、息出来んのか、その中は」
『これは私の姿を模した人形だ。気にする事はない』
「科学者ってのは、どれも悪趣味だな」

 ログが吐き捨てた。操縦席は既にオレンジ色の液体で満ちており、中に座る人間は、まるでコードに喰い破られた死体にしか見えなかった。

 敵の対応をログに任せて、セイジがエルを振り返りしゃがみ込んだ。彼は無事を確かめるように、慌ただしい手つきでエルの頭、顔、それから両肩を軽く叩いた。

「エル君、大丈夫か。ああッ、切り傷も擦り傷も出来てるッ」
「え。あの、いや、俺は大丈夫だけど、セイジさんの方こそどうなのさ? う、腕とか足とか……」

 エルは遅れて状況を把握し、戸惑いつつもどうにか言葉を返したが、セイジは困ったように微笑んで「ん? 私は平気だけれど」と何でもないように言う。

 セイジは、困惑を隠せないエルを立ち上がらせると、再度身体の状態を確認した。ふと思い出し、「そういえば」と朗報を教えるべく言葉を続ける。

「アリスは無事に救出した。あとはプログラムを破壊するだけだ」
「えッ、そうなの? いつの間に……でも、そうか。アリスは取り返せたんだね」

 あれ? こいつらがいるって事は、アリスをどこかに置いて来たって事だよね?

 それはそれでどうなのだろう、とエルが頭の中を整理しつつ首を捻ったところで、ログが肩越しに彼女を振り返った。

「近くにあった別の戦闘兵器は、俺が壊しておいたぜ。当の入り口を探している間に一周しちまってたみたいだからな。残ってる兵器は、おそらくこいつで最後だろ」
「……お前、また」
「おい、その目はなんだ。俺は迷子になってねぇぞ」

 いや、きれいに一周しちゃった時点で迷子じゃん。というか一周したって事は、スタート地点が塔の入り口近くだったって事だよね? こいつ、馬鹿じゃないのか? そもそも、このバカでかい塔を一周するって、どれだけ時間が掛かったんだろうか……

 言いたい事が次々と脳裏を過ぎったが、まだ敵を叩き潰せ手はいないのだ。エルは、眼差しだけで留めておいた。

 三人は、対地上用戦闘機MR6の向こうに見える巨大な塔の入口を確認した。頑丈な鉄で造られた大きな入口には扉がなく、塔内の薄暗さだけが覗いている。

 その時、大地がまた僅かに振動した。

 世界が崩壊し続ける音が聞こえ、エルは、もう時間がないのだと思い起こされて顔を上げた。

 エルは一刻も早く、仮想空間に入り込んでしまっている人間を、外に連れて出す事について考えた。外から操作を行っているという事は、マルクは恐らく塔にいるのだ。彼の身に何が起こっているのかも、エルとしては早急に確認したかった。

 何故なら、エルの予想が但しければ、彼の方も早く助け出さないと間に合わなくなる。

「――マルクは、きっと塔の中だ。俺が先に向かうから、こっちの方は頼んでいい?」
「クソガキ一人で突っ込む気か? プログラムの心臓部分があるってんなら、そいつは俺の獲物だろ。むしろ、お前とセイジでこいつの相手をしてろ」
「ちょ、ひとまず落ち着くんだ、二人とも」

 セイジが慌てたように言い、二人の仲裁に入った。
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