2 / 42
里帰りから戻ったそのエージェント/回想
しおりを挟む
西大都市は、経済発展のため国によって建てられた市だ。そこを中心に隣接する市も急激に都会化し、二十世紀に入った今では有名な大都会として知られている。
そこには、立派な市役所や水道局や裁判所などに紛れるようにして、国の秘密組織である国家特殊機動部隊総本部があった。ひとまとめに「特殊機関」と呼ばれており、組織は各役割に応じて枝分かれに続いて各地にいくつもの支部を置いている。
特殊機関の人間は、総じて「エージェント」と一括りに呼ばれてもいた。
彼らは、高い戦闘能力・殺傷技術を持った軍人である。能力と実績によってナンバーを与えられており、トップクラスである一桁の数字の席はたった九人しかない。
そんな中、特殊機関のトップである「ナンバー1」の部屋は、特殊機関総本部の最上階にあった。そこは国の重要人物達だけでなく、二桁台のエージェントも緊張する場所なのだが――。
広い部屋の中央にある、応接席の大きな上質の黒ソファの一つに、ブラック・スーツに身を包んだ一人の青年が、緊張感とは全く無縁の様子で足を上げて寝転がっていた。
数時間前の深夜、一旦の里帰りから戻ってきた「ナンバー4」、蒼緋蔵雪弥である。
特殊機関では、本名ではなく偽名やニックネームなどで呼び合う。しかし、彼は正式にエージェント入りしても、堂々とそのまま「雪弥」と名乗っている風変わりで――それでいて、こう呼ばれている有名な最年少の一桁エージェントである。
『碧眼の殺戮者』
品を感じる綺麗な顔立ち、癖のない灰色(グレー)とも蒼色(ブルー)ともつかない薄い色素の髪。美しく澄んだブルーの目をして、一見するとどこにでもいる無害な青年である。
だが、先日の任務で、とうに成人しているはずの彼が高校生として潜入捜査を行った事。そして、そこで『大量に処理』した事も、特殊機関本部では新たな話題の一つになっていた。
その時、しばらく席を離れていた部屋の主が戻ってきた。
彼は自動扉をくぐって部屋に入るなり、歩き進みながら、ふと、二つあるうちの一つのソファに目を留めて顔を顰める。
「おい。お前、ここが私の仕事部屋だという事を忘れてはいないだろうな?」
「覚えていますとも。コロンと葉巻臭いんで、間違えるはずがないでしょう」
ふっと目を開けて、雪弥は答えた。
特殊な黒のコンタクトを取られた、クッキリとしたブルーの目を向けられた相手が、途端にむぅっと顰め面を強くして唇を尖らせる。
「ったく、そうやっていちいち返すところが可愛くない」
そうぐちぐち言いながら向かう男は、特殊機関のトップエージェント――ナンバー1だった。太い骨格と鍛え上げられた筋肉を持った、厳つい強面の大柄で屈強な男だ。
脅迫じみた威圧感さえ覚える顔には、白い傷痕が浮かんでいる。煙草よりも葉巻を好み、太い指にはデカい宝石や銀といったいくつかの指輪をはめていた。
ナンバー1が、冷たい珈琲をテーブルへ置いた。雪弥がソファに座り直すと、彼は向かい側にどっしりと腰を下ろして「やれやれ」といった顰め面で葉巻を取り出した。
珈琲を口にした雪弥は、いつもとは違う微糖具合と珈琲の『雑な苦味』に気付いた。
「リザさん、いないんですか?」
可愛い顔をチラリと顰めて、そういえば彼の秘書の姿が見えないなと辺りを見やりる。するとナンバー1が、ぶすっとした顔でこう言い返した。
「私が特別に淹れてやったんだ。感謝しろ」
「正直あんまり美味しくないです」
ズバッと言われたナンバー1は、コノヤローという具合に口許を引き攣らせながら「同じ珈琲メーカーなんだが……」と呟いた。
「リザには、少し用を頼んでいる」
気を取り直すようにして、彼はそう答えてシガーライターで葉巻に火を付ける。豪快に吐き出された煙を見ないまま、雪弥がテーブル越しの開いた距離にもかかわらず、付き合いの始まった十代の頃から、変わらず続いている仕草で片手を振っていた。
リザは、ナンバー1の秘書として仕事を手伝っている女性エージェントだ。秘書業がメインで現場に入る事は少なく、最も美しいと評判のある女性でもあった。
「昨夜の件、後処理は全てウチでやっておいた。調査については『蒼慶(そうけい)』と連携して進め、蒼緋蔵邸の周囲には、念のため優秀なエージェントを置いてある」
互いが珈琲を少しやったところで、ナンバー1が唐突に切り出した。
雪弥は、その報告を冷静に聞きながら「そうでしょうね」と相槌を打ち、珈琲カップをテーブルに戻した。
「近くにいたのには、気付いていましたから」
増えていた人間の気配は察知していた。とはいえ『嗅ぎ慣れない匂い』もあって、『ひとまず殺しておこうかと思って』出たところで、自分の直属の暗殺起動隊第四番部隊が接触してきたのだ。応援として他の部隊班と共に待機していた、後はお任せください、と――。
――だから、どうかお鎮まりください、我らが「ナンバー4」。
まるで皆殺しにするのはおやめください、とお願いされているみたいだった。部隊長である夜狐(やぎつね)を、あの時、雪弥は不思議に思って見つめていたものだ。
昨日、雪弥は久々の休みを使って、約二十年振りに本家である蒼緋蔵邸を訪れていた。来月の次期当主就任式を控えた長男の蒼慶(そうけい)が、蒼緋蔵家副当主の座に『腹ちがいの弟・雪弥』の名を上げた件について、本人にはっきり断りを入れるためだ。
蒼慶は蒼緋蔵本家の長男で、愛人の子である雪弥の腹違いの兄だった。今年で二十八歳。西洋人のような長身に、赤みかかった髪をした美男子だ。
次期当主となる事が決まっている彼は、一族のとある本を手にしなければならなかった。それに付き合って兄の目的が達成出来たのは良かったものの、一つの騒ぎが起こって、雪弥は『実家』でも殺しを行ってしまった。
そして、彼のそばにいられないと思って屋敷を出た。
そもそも自分が、彼の弟としてそばにいられるはずもないだろう。昔も今も「愛人の子」と一族から嫌われ、今は特殊機関の「ナンバー4」としてある。
家族の平和と平穏を守りたいのだ。
だから、自分はあそこに相応しくない――のだとは思う。
よくは分からないのだけれど、多分、何かが彼らと違っているのだという感覚を、薄らとは感じている。
どうして分かってくれないんだろうなと、結局のところ最後まで「私の一番そばにいて、私を助けろ」と言っていた兄を思い出しながら、雪弥は自分の白い手を見下ろした。
「………………戦うのを初めて直に見たはずなのになぁ」
どうして、最後まで兄さんは、僕を信じるんだろう。
そう独り言を口にして、不意に『初めて』というわけでもないのかと思い出す。母に連れられて屋敷に通っていた頃、幼い二人と一緒に誘拐されそうになった事があったのだ。
――ッ、雪弥止まれ! 俺も緋菜も無事だ、だから『殺すな』っ!
ふと、当時ブチリと切れて、よく覚えていなかったそんな一瞬が脳裏を過ぎっていった。車を壊しながら『持ち上げた』ところまでは、覚えているのだけど。
そう考えたところで、雪弥は蒼慶(あに)繋がりで「あ」と思い出した。
昨日、何も考えずに蒼緋蔵低を出た後、一度も携帯電話には触れていなかった。音とバイブ機能を切って上着の内側に入れていたそれを、ぎこちなく少しつまんで、取り出そうかどうしようか逡巡していると、ナンバー1が気付いたような表情を浮かべた。
「お前、まさか」
「……その『まさか』です」
雪弥は、視線をそらしたまま静かに携帯電話を取り出した。プライベートの携帯電話にぶらさがっている白いマスコット人形のストラップ――『白豆』が、相変わらず緊張感もない表情もあって、揺れているさまが楽しそうにも見える。
それをナンバー1が目に留めて、「ぶはっ」とこぼした口を素早く押さえる。
そんな中、雪弥は恐る恐る携帯電のボタンを押した。その途端、画面ぎっしりに並んだ『蒼緋蔵蒼慶』の名に、くらりとして一気に血の気が引く。
「…………なんか、見ているだけで怖い」
しつこく続いている着信履歴は、深夜三時でブツリと途絶えてしまっている。ただただ素直な感想を述べた雪弥を、ナンバー1が「あ~……」となんとも言えない表情で眺めた。
「でも僕は、ちゃんと言いたい事は本人に伝えたんです」
言いながら携帯電話をしまって、開き直ってしまおうというような態度でソファに身を預けた。
「僕が副当主だなんて、そもそもありえない話でしょう。迷惑を掛けたくなくて、距離を置いて、一族としての権利もないのに名字があるだけで色々と言われて……」
ずっと長く付き合ってきた上司に、ポツリと白状するように、ただ一人の青年として告げる。
実を言うと、これまでの蒼緋蔵家の一族の人間の反応が、大人になった今考えてみると、全部が全部悪いとは思えなくもなっているのだ、と。
「だってあの家ではまるで、僕の方が異分子だ」
雪弥は皮肉気に唇を小さく引き上げると、自嘲するように目を細めてそう言った。
囁くように述べたその言葉は、広がった静寂に溶けていった。ナンバー1が新たに吐き出した葉巻の煙が、彼の手前まで広がって天井へとゆらいで消えていく。
「事情は、だいたいのところ察してはいる」
しばらく間を置いて、ナンバー1が葉巻をもう二回ほどやって、珈琲を口に流し込んでからそう言った。
「だが私は、個人の家庭事情までは踏み込まんし、こっちの仕事をしながらソッチをどうするのか決めるのはお前だ。私も優秀なエージェントを失うのは、大きな痛手だからな。あの遠慮も知らんクソ若造には、そちらの依頼を無償で、しかも一番に対応すると話は付けてある」
「あ。やっぱり兄さんと面識があるんですね。昨日、特殊機関の人員を蒼緋蔵邸近くに用意していたのも、前もって個人的なやりとりがあったせいですか?」
思い付いて口にした雪弥の言葉を、ナンバー1は無視した。話をそらすように金の大きな腕時計を見やると、「まぁいい」と言って葉巻を灰皿に置いて立ち上がる。
そばまで来たかと思うと、唐突に彼がスポンッと首から何かを引っ掛けてきた。
「なんですか、これ」
雪弥は、首からさげられてしまったそれを見下ろした。
そこには県警のマークが入っており、雑な感じで『新人研修』と大きく印字されていた。試験的特別ブログラム、という小さな表記が下側に入ってもいる。
「許可証だ。ああ、服はそのままでいいぞ。『刑事』だからな」
「は……?」
身を起こしたナンバー1が、その場に立ったまま葉巻を手に取って口で吹かす。雪弥が身に馴染んだ仕草のごとく手で煙を払う中、唐突に彼が命令を下した。
「相棒不在中の、とある刑事の臨時のパートナーとして、護衛がてら話を聞いてこい」
「話を聞く……? というか護衛って?」
「何かと騒がしい事に巻き込まれる男らしくてな。相棒をあてても長く続かないらしい。だが宮橋財閥の二男であるし、そこの課で『とくに彼に関しては』単独行動は好まれていない」
「? 個人的な事情は分かりませんけど、いやだから僕、別に聞く話もない――て、うわっ」
首を傾げた直後、雪弥は彼の大きな手に後ろ襟を掴まれた。そのまま持ち上げられ、ツカツカとナンバー1に自動扉まで運ばれてしまう。
「えっ、ちょ、待ってくださいよッ。そもそも任務期限は?」
「そんなの、私が知るわけがないだろ」
「は?」
自動扉を出て、廊下で雪弥をポイッと放り投げ、ナンバー1が堂々と言う。
「臨時のパートナーとしての、向こうの仕事が片付いたタイミング。それでいてお前が、話を聞いて納得した頃合いで『任務終了』だ」
「……それ、かなりざっくりすぎません?」
「相談事があるなら奴に任せろと、蒼慶に言われて私の方でも頼んである。とりあえず、それまでこっちのエージェント業も休みだし、蒼慶から急かす連絡がくる事もないとは言っておく」
以上、とつらつら一方的にナンバー1が告げて、自動扉が閉まった。
そこには、立派な市役所や水道局や裁判所などに紛れるようにして、国の秘密組織である国家特殊機動部隊総本部があった。ひとまとめに「特殊機関」と呼ばれており、組織は各役割に応じて枝分かれに続いて各地にいくつもの支部を置いている。
特殊機関の人間は、総じて「エージェント」と一括りに呼ばれてもいた。
彼らは、高い戦闘能力・殺傷技術を持った軍人である。能力と実績によってナンバーを与えられており、トップクラスである一桁の数字の席はたった九人しかない。
そんな中、特殊機関のトップである「ナンバー1」の部屋は、特殊機関総本部の最上階にあった。そこは国の重要人物達だけでなく、二桁台のエージェントも緊張する場所なのだが――。
広い部屋の中央にある、応接席の大きな上質の黒ソファの一つに、ブラック・スーツに身を包んだ一人の青年が、緊張感とは全く無縁の様子で足を上げて寝転がっていた。
数時間前の深夜、一旦の里帰りから戻ってきた「ナンバー4」、蒼緋蔵雪弥である。
特殊機関では、本名ではなく偽名やニックネームなどで呼び合う。しかし、彼は正式にエージェント入りしても、堂々とそのまま「雪弥」と名乗っている風変わりで――それでいて、こう呼ばれている有名な最年少の一桁エージェントである。
『碧眼の殺戮者』
品を感じる綺麗な顔立ち、癖のない灰色(グレー)とも蒼色(ブルー)ともつかない薄い色素の髪。美しく澄んだブルーの目をして、一見するとどこにでもいる無害な青年である。
だが、先日の任務で、とうに成人しているはずの彼が高校生として潜入捜査を行った事。そして、そこで『大量に処理』した事も、特殊機関本部では新たな話題の一つになっていた。
その時、しばらく席を離れていた部屋の主が戻ってきた。
彼は自動扉をくぐって部屋に入るなり、歩き進みながら、ふと、二つあるうちの一つのソファに目を留めて顔を顰める。
「おい。お前、ここが私の仕事部屋だという事を忘れてはいないだろうな?」
「覚えていますとも。コロンと葉巻臭いんで、間違えるはずがないでしょう」
ふっと目を開けて、雪弥は答えた。
特殊な黒のコンタクトを取られた、クッキリとしたブルーの目を向けられた相手が、途端にむぅっと顰め面を強くして唇を尖らせる。
「ったく、そうやっていちいち返すところが可愛くない」
そうぐちぐち言いながら向かう男は、特殊機関のトップエージェント――ナンバー1だった。太い骨格と鍛え上げられた筋肉を持った、厳つい強面の大柄で屈強な男だ。
脅迫じみた威圧感さえ覚える顔には、白い傷痕が浮かんでいる。煙草よりも葉巻を好み、太い指にはデカい宝石や銀といったいくつかの指輪をはめていた。
ナンバー1が、冷たい珈琲をテーブルへ置いた。雪弥がソファに座り直すと、彼は向かい側にどっしりと腰を下ろして「やれやれ」といった顰め面で葉巻を取り出した。
珈琲を口にした雪弥は、いつもとは違う微糖具合と珈琲の『雑な苦味』に気付いた。
「リザさん、いないんですか?」
可愛い顔をチラリと顰めて、そういえば彼の秘書の姿が見えないなと辺りを見やりる。するとナンバー1が、ぶすっとした顔でこう言い返した。
「私が特別に淹れてやったんだ。感謝しろ」
「正直あんまり美味しくないです」
ズバッと言われたナンバー1は、コノヤローという具合に口許を引き攣らせながら「同じ珈琲メーカーなんだが……」と呟いた。
「リザには、少し用を頼んでいる」
気を取り直すようにして、彼はそう答えてシガーライターで葉巻に火を付ける。豪快に吐き出された煙を見ないまま、雪弥がテーブル越しの開いた距離にもかかわらず、付き合いの始まった十代の頃から、変わらず続いている仕草で片手を振っていた。
リザは、ナンバー1の秘書として仕事を手伝っている女性エージェントだ。秘書業がメインで現場に入る事は少なく、最も美しいと評判のある女性でもあった。
「昨夜の件、後処理は全てウチでやっておいた。調査については『蒼慶(そうけい)』と連携して進め、蒼緋蔵邸の周囲には、念のため優秀なエージェントを置いてある」
互いが珈琲を少しやったところで、ナンバー1が唐突に切り出した。
雪弥は、その報告を冷静に聞きながら「そうでしょうね」と相槌を打ち、珈琲カップをテーブルに戻した。
「近くにいたのには、気付いていましたから」
増えていた人間の気配は察知していた。とはいえ『嗅ぎ慣れない匂い』もあって、『ひとまず殺しておこうかと思って』出たところで、自分の直属の暗殺起動隊第四番部隊が接触してきたのだ。応援として他の部隊班と共に待機していた、後はお任せください、と――。
――だから、どうかお鎮まりください、我らが「ナンバー4」。
まるで皆殺しにするのはおやめください、とお願いされているみたいだった。部隊長である夜狐(やぎつね)を、あの時、雪弥は不思議に思って見つめていたものだ。
昨日、雪弥は久々の休みを使って、約二十年振りに本家である蒼緋蔵邸を訪れていた。来月の次期当主就任式を控えた長男の蒼慶(そうけい)が、蒼緋蔵家副当主の座に『腹ちがいの弟・雪弥』の名を上げた件について、本人にはっきり断りを入れるためだ。
蒼慶は蒼緋蔵本家の長男で、愛人の子である雪弥の腹違いの兄だった。今年で二十八歳。西洋人のような長身に、赤みかかった髪をした美男子だ。
次期当主となる事が決まっている彼は、一族のとある本を手にしなければならなかった。それに付き合って兄の目的が達成出来たのは良かったものの、一つの騒ぎが起こって、雪弥は『実家』でも殺しを行ってしまった。
そして、彼のそばにいられないと思って屋敷を出た。
そもそも自分が、彼の弟としてそばにいられるはずもないだろう。昔も今も「愛人の子」と一族から嫌われ、今は特殊機関の「ナンバー4」としてある。
家族の平和と平穏を守りたいのだ。
だから、自分はあそこに相応しくない――のだとは思う。
よくは分からないのだけれど、多分、何かが彼らと違っているのだという感覚を、薄らとは感じている。
どうして分かってくれないんだろうなと、結局のところ最後まで「私の一番そばにいて、私を助けろ」と言っていた兄を思い出しながら、雪弥は自分の白い手を見下ろした。
「………………戦うのを初めて直に見たはずなのになぁ」
どうして、最後まで兄さんは、僕を信じるんだろう。
そう独り言を口にして、不意に『初めて』というわけでもないのかと思い出す。母に連れられて屋敷に通っていた頃、幼い二人と一緒に誘拐されそうになった事があったのだ。
――ッ、雪弥止まれ! 俺も緋菜も無事だ、だから『殺すな』っ!
ふと、当時ブチリと切れて、よく覚えていなかったそんな一瞬が脳裏を過ぎっていった。車を壊しながら『持ち上げた』ところまでは、覚えているのだけど。
そう考えたところで、雪弥は蒼慶(あに)繋がりで「あ」と思い出した。
昨日、何も考えずに蒼緋蔵低を出た後、一度も携帯電話には触れていなかった。音とバイブ機能を切って上着の内側に入れていたそれを、ぎこちなく少しつまんで、取り出そうかどうしようか逡巡していると、ナンバー1が気付いたような表情を浮かべた。
「お前、まさか」
「……その『まさか』です」
雪弥は、視線をそらしたまま静かに携帯電話を取り出した。プライベートの携帯電話にぶらさがっている白いマスコット人形のストラップ――『白豆』が、相変わらず緊張感もない表情もあって、揺れているさまが楽しそうにも見える。
それをナンバー1が目に留めて、「ぶはっ」とこぼした口を素早く押さえる。
そんな中、雪弥は恐る恐る携帯電のボタンを押した。その途端、画面ぎっしりに並んだ『蒼緋蔵蒼慶』の名に、くらりとして一気に血の気が引く。
「…………なんか、見ているだけで怖い」
しつこく続いている着信履歴は、深夜三時でブツリと途絶えてしまっている。ただただ素直な感想を述べた雪弥を、ナンバー1が「あ~……」となんとも言えない表情で眺めた。
「でも僕は、ちゃんと言いたい事は本人に伝えたんです」
言いながら携帯電話をしまって、開き直ってしまおうというような態度でソファに身を預けた。
「僕が副当主だなんて、そもそもありえない話でしょう。迷惑を掛けたくなくて、距離を置いて、一族としての権利もないのに名字があるだけで色々と言われて……」
ずっと長く付き合ってきた上司に、ポツリと白状するように、ただ一人の青年として告げる。
実を言うと、これまでの蒼緋蔵家の一族の人間の反応が、大人になった今考えてみると、全部が全部悪いとは思えなくもなっているのだ、と。
「だってあの家ではまるで、僕の方が異分子だ」
雪弥は皮肉気に唇を小さく引き上げると、自嘲するように目を細めてそう言った。
囁くように述べたその言葉は、広がった静寂に溶けていった。ナンバー1が新たに吐き出した葉巻の煙が、彼の手前まで広がって天井へとゆらいで消えていく。
「事情は、だいたいのところ察してはいる」
しばらく間を置いて、ナンバー1が葉巻をもう二回ほどやって、珈琲を口に流し込んでからそう言った。
「だが私は、個人の家庭事情までは踏み込まんし、こっちの仕事をしながらソッチをどうするのか決めるのはお前だ。私も優秀なエージェントを失うのは、大きな痛手だからな。あの遠慮も知らんクソ若造には、そちらの依頼を無償で、しかも一番に対応すると話は付けてある」
「あ。やっぱり兄さんと面識があるんですね。昨日、特殊機関の人員を蒼緋蔵邸近くに用意していたのも、前もって個人的なやりとりがあったせいですか?」
思い付いて口にした雪弥の言葉を、ナンバー1は無視した。話をそらすように金の大きな腕時計を見やると、「まぁいい」と言って葉巻を灰皿に置いて立ち上がる。
そばまで来たかと思うと、唐突に彼がスポンッと首から何かを引っ掛けてきた。
「なんですか、これ」
雪弥は、首からさげられてしまったそれを見下ろした。
そこには県警のマークが入っており、雑な感じで『新人研修』と大きく印字されていた。試験的特別ブログラム、という小さな表記が下側に入ってもいる。
「許可証だ。ああ、服はそのままでいいぞ。『刑事』だからな」
「は……?」
身を起こしたナンバー1が、その場に立ったまま葉巻を手に取って口で吹かす。雪弥が身に馴染んだ仕草のごとく手で煙を払う中、唐突に彼が命令を下した。
「相棒不在中の、とある刑事の臨時のパートナーとして、護衛がてら話を聞いてこい」
「話を聞く……? というか護衛って?」
「何かと騒がしい事に巻き込まれる男らしくてな。相棒をあてても長く続かないらしい。だが宮橋財閥の二男であるし、そこの課で『とくに彼に関しては』単独行動は好まれていない」
「? 個人的な事情は分かりませんけど、いやだから僕、別に聞く話もない――て、うわっ」
首を傾げた直後、雪弥は彼の大きな手に後ろ襟を掴まれた。そのまま持ち上げられ、ツカツカとナンバー1に自動扉まで運ばれてしまう。
「えっ、ちょ、待ってくださいよッ。そもそも任務期限は?」
「そんなの、私が知るわけがないだろ」
「は?」
自動扉を出て、廊下で雪弥をポイッと放り投げ、ナンバー1が堂々と言う。
「臨時のパートナーとしての、向こうの仕事が片付いたタイミング。それでいてお前が、話を聞いて納得した頃合いで『任務終了』だ」
「……それ、かなりざっくりすぎません?」
「相談事があるなら奴に任せろと、蒼慶に言われて私の方でも頼んである。とりあえず、それまでこっちのエージェント業も休みだし、蒼慶から急かす連絡がくる事もないとは言っておく」
以上、とつらつら一方的にナンバー1が告げて、自動扉が閉まった。
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について
沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。
かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。
しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。
現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。
その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。
「今日から私、あなたのメイドになります!」
なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!?
謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける!
カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!
《完結》当て馬悪役令息のツッコミ属性が強すぎて、物語の仕事を全くしないんですが?!
犬丸大福
ファンタジー
ユーディリア・エアトルは母親からの折檻を受け、そのまま意識を失った。
そして夢をみた。
日本で暮らし、平々凡々な日々の中、友人が命を捧げるんじゃないかと思うほどハマっている漫画の推しの顔。
その顔を見て目が覚めた。
なんと自分はこのまま行けば破滅まっしぐらな友人の最推し、当て馬悪役令息であるエミリオ・エアトルの双子の妹ユーディリア・エアトルである事に気がついたのだった。
数ある作品の中から、読んでいただきありがとうございます。
幼少期、最初はツラい状況が続きます。
作者都合のゆるふわご都合設定です。
日曜日以外、1日1話更新目指してます。
エール、お気に入り登録、いいね、コメント、しおり、とても励みになります。
お楽しみ頂けたら幸いです。
***************
2024年6月25日 お気に入り登録100人達成 ありがとうございます!
100人になるまで見捨てずに居て下さった99人の皆様にも感謝を!!
2024年9月9日 お気に入り登録200人達成 感謝感謝でございます!
200人になるまで見捨てずに居て下さった皆様にもこれからも見守っていただける物語を!!
2025年1月6日 お気に入り登録300人達成 感涙に咽び泣いております!
ここまで見捨てずに読んで下さった皆様、頑張って書ききる所存でございます!これからもどうぞよろしくお願いいたします!
2025年3月17日 お気に入り登録400人達成 驚愕し若干焦っております!
こんなにも多くの方に呼んでいただけるとか、本当に感謝感謝でございます。こんなにも長くなった物語でも、ここまで見捨てずに居てくださる皆様、ありがとうございます!!
2025年6月10日 お気に入り登録500人達成 ひょえぇぇ?!
なんですと?!完結してからも登録してくださる方が?!ありがとうございます、ありがとうございます!!
こんなに多くの方にお読み頂けて幸せでございます。
どうしよう、欲が出て来た?
…ショートショートとか書いてみようかな?
2025年7月8日 お気に入り登録600人達成?! うそぉん?!
欲が…欲が…ック!……うん。減った…皆様ごめんなさい、欲は出しちゃいけないらしい…
2025年9月21日 お気に入り登録700人達成?!
どうしよう、どうしよう、何をどう感謝してお返ししたら良いのだろう…
俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。
true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。
それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。
これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。
日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。
彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。
※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。
※内部進行完結済みです。毎日連載です。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる