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不思議な二人(穏やかじゃないドライブ)
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ファミリーレストランを出たのは、数十分前の話である。
青いスポーツカーは滑るように進むし、初夏の日差しの熱をしのぐように冷房も掛けられて窓も閉め切られているから、さぞや静かなドライブになるのだろうか――という雪弥の推測は、物の数分で裏切られた。
「はははははっ! どくがいい一般庶民共ッ、この刑事の僕のお通りだぞ!」
意味もなく赤いサイレンを車上に設置し、宮橋が実に愉しげに国道を爆走する。緊急を要する事態もないというのに、ハンドルを右へ左へと切って次々に車を追い越していた。
運転技術はかなり上級だ。クラッチを上手い具合に切り替え、タイミングよくアクセルとブレーキを操作し、スポーツカーの重さを活かしてカーブも高速で難なく曲がる。
雪弥は青いスポーツカーの助手席で、なんだかなぁという表情でいた。窓の外からずっと聞こえているサイレンの音は、雪弥の鋭い聴覚を叩いて煩い。
「宮橋さん。今擦れ違った車から、クラクションもらいましたけど」
「気にするな。僕は絶対に当てない」
「そういう事じゃないんですけど……」
まぁ、ぶつかったら屋根でも吹き飛ばして、外に連れ出せばいいのか。
護衛も任務に含まれていたなと思い出して、雪弥はそう考えて引き続き見守る事にした。そうしたら目も向けていないというのに、隣の宮橋が楽しさを消して真面目な横顔をした。
「おい、雪弥君」
「はい、なんですか?」
「先に言っておくが、僕の車の屋根を破壊したらただじゃおかないぞ」
出会ってからずっと思っているのだが、なんで分かるのだろう。そもそも雪弥としては、これまで見てきた『刑事』とイメージが違っていて慣れないでもいた。
「先月、馬鹿三鬼のせいで一台『海に落とす事になって』、先月に買い換えたばかりだ。本当は黄色が好みだったが、急きょで在庫がなくて仕方なくの青だった」
つまりは百パーセントは気に入っていない。それでも自分の愛車である、というようなニュアンスで宮橋が真剣な声色で言い、雪弥はますます困ってしまった。
「好みの色は知りませんけど、一体、何をどうしたら海に落とす事になるんですか?」
「緊急事態だった、人命がかかっていたからな」
さらっとだけ宮橋が言う。
愛車を海に突き落とす緊急事態って、なんだろうなと疑問が浮かぶ。雪弥は黒いコンタクトをした目をチラリと窓に向けて、またしても数台がこのスポーツカーに追い抜かれたのを見た。
「このサイレンと爆走、宮橋さんが怒られません?」
「ぎゃーぎゃー騒がれたり気絶されるよりマシだが、そうやって心配されたのは初めてだな。君は真面目なのか? いいか、これが出来るのが醍醐味なんだぞ」
かなり怒られそうな事を口にしながらクラッチを切り替えて、宮橋が隣の県まで伸びる国道へと青いスポーツカーを走り向けた。比較的車道は空いていて、輸送車や会社のマークが入った車からチラチラ目に留まった。
その時、宮橋が胸ポケットを探った。
「何かあった時に面倒だ。君の携帯番号を、僕のものに登録しておいてくれ」
言いながら、目も向けずにひょいっと投げて寄越された。
咄嗟に両手を膝の上で広げたら、綺麗なカーブを描いて携帯電話が手に落ちてきた。しばし見下ろしてしまった雪弥は、連絡が取れるようにしておいた方がいいかと考えて、今回は任務用にと持たされなかったので、自分のプライベートの携帯電話を取り出した。
直後、急ブレーキが掛かって身体が前のめりになった。
青いスポーツカーが、ブレーキの煩い音を立てながらドリフトで路肩に急停車する。シートベルトに押さえられた雪弥は、とくに驚いた様子もなくチラリと眉を寄せた。
「いきなりなんですか?」
訝って目を向けてみると、宮橋がこちらの何かを凝視していた。視線の先を追った雪弥は、それが自分の携帯電話に呑気な表情でぶらさがっている『白豆』に向けられていると気付いた。
「君、なんだその気持ち悪い人形」
「え? 白豆ですけれど」
雪弥が当たり前のように答えた途端、車内が沈黙に包まれた。
じっとこちらを見ていた宮橋が、雪弥とへんてこな阿呆面のコスマット人形をたっぷり見比べた。ハンドルを握ったままの彼は、やがて「ふぅ」っと吐息をこぼして項垂れてこう言った。
「………………君は、ソレを『飼っている』のか……」
「あれ? よく分かりましたね」
一目で察してもらえたのは初めてで、雪弥はにっこりと笑った。自分でも『ペット』が飼えるのだと分かってもらえたようで嬉しい。
すると宮橋が、溜息を吐きながら前髪をかき上げた。
「なんだかなぁ……。君の事が、余分に色々と分かってくる気がするよ」
そう言いながら、彼は再び車を発進させて、青いスポーツカーを車道へと戻した。
スピードは飛ばしていたものの、車が少ないせいか左右へハンドルを切るような暴走はなかった。宮橋はやや疲れたような思案顔で「クレーンゲームの景品か……」「好みというわけでもなさそうだが、なんで愛着が湧くのか分からん……」と独り言を呟いている。
不意に、どっ、と車体に鈍い衝撃を感じた。
まるで車体の左を体当たりでもされたみたいだった。携帯電話を彼に返した雪弥は、自分のものを『白豆が窮屈にならないように』ジャケツトの内側にしまっていたところだった。
なんだろうなと思って車窓へ目を向けた。けれど衝撃を覚えた助手席側からは、衝突したような物、もしくはその距離圏内に車やバイクなども確認出来なかった。
宮橋がチラリとバックミラーを見て、不自然にハンドルを切って車線を変更する。
すると、またしてもドッと同じ場所から鈍い振動を感じた。車窓から外の様子を覗き込んでいた雪弥は、その際、風が物体感をもって揺れるのを瞳孔開いた目で視認して、不思議に思ってすぐに窓を開けていた。
ごぉっと風が肌に触れて、前髪がバサバサと音を立てて舞った。やっぱり、こうして見ても、ぶつかってしまうような物は見当たらなくて不思議に思う。
「確かに空気が揺れる感じがしたんだけどなぁ……」
つい、そう疑問を口にしてしまったら、車を追い越すように車線変更しながら宮橋がこう言ってきた。
「さすがの動体視力だ、君の目に間違いはないよ。忌々しい事に、僕の車に体当たりしている『ヤツ』がいる」
「体当たりしている奴……? でも、何もないですけど」
「君の目に見えないだけさ」
宮橋が、こちらに横顔を向けたまましれっと答える。
またしても、きゅっとハンドルが切られてスポーツカーが車線変更する。何かが空気を押すような音を耳で拾った雪弥は、そちらを横目に留めつつしばし考えた。
「見えないのに『ある』とか、ありえるんですか?」
「ふっ――考えてその質問か」
君は素直なのかね、と宮橋が小馬鹿とも自嘲ともとれない笑いをこぼした。彼は独り言のように「普通なら『もっと疑う』」と呟くと、雪弥が向くのに気付いて視線を返した。
「ありえるのさ。君が目に留めている世界以上に、この世は色々と混じり合って複雑なんだよ。それに関わる機会があるのか、それとも縁がないままに終わるかの違いさ」
宮橋が、片手をハンドルから離して手振りを交えて言う。
雪弥はなんと言えばいいのか分からず、首を少しだけ傾げた。開いた窓から入り続けている風が、灰と蒼が混じり合ったような色素の薄い髪を揺らしている。
「僕も仕事上、色々とありえなさそうな研究や実験は見てきましたけど、やっぱりよく分からないです。そもそも、どうして僕に教えてくれるんですか?」
「正確に言うと、教えているわけじゃないさ。ただ一方的に論じてる。実に忌々しい事に一部の連中が、僕の事を『魔術師』と呼ぶように、僕は魔術師(それ)らしくもあるというわけだ」
「魔術師?」
「おっと失礼、ただの定義と有りようからの呼び方さ。現代における魔術師というのは、理(ことわり)を見、中立に立ち、それでいて――『理解されなき物語を知る者』」
そもそも本当の魔術師はもう死んだ、と宮橋は不思議と明るいブラウンの目で見据える。その美麗で不敵な笑顔を前に、雪弥はやっぱりガラス玉みたいな目だなという印象を覚えた。
「はたして君は僕を信じるかい、雪弥君?」
そんな事を問われた。
よく分からない人だ。否定するには、それなりの根拠と理由がいるだろう。信じるも何も、と雪弥は思って、袖口を少し緩めて動きやすくしつつこう答えた。
「あなたが有るというのなら、その見えないヤツというのは『有る』んでしょう。僕は今、あなたのパートナーで護衛任務も兼ねています――で? 下僕(ぼく)はどう動けばいいですか?」
「へぇ、随分あっさりしているんだな。仕事柄、細かい事も気にしそうだと思っていたけれど」
「だってそこに『有る』というのなら、僕は何モノだろうが殺すまでですよ」
すると宮橋は、どこかおかしそうに愉しげな調子で相槌を打つ。
「そりゃ随分物騒だ」
言いながら、またしてもバックミラー越しに何か見た様子でハンドルを切った。アクセルを踏んでスピードを上げた際、何かがタイヤの横を擦る音がした。
やっぱり何かいるみたいだ。
雪弥は、興味津津といった様子を窓から顔を出して覗き込んだ。でもどんなに目を凝らしても、吹き抜けていく風の音に混じる妙な抵抗音しか分からない。
「衝撃音から推測するに大きそうなのに、風を受けている音量と合わないなぁ……」
「雪弥君、それ以上身を乗り出すと『コンタクトが外れる』よ」
不意に、投げ掛けられた言葉に「え」と声がもれた。
思わず振り返ったら、前方を見据えている宮橋が口許に笑みを浮かべたまま「用意はいいかい」と言ってきた。その目は、初めて試すような、ワクワクしている感じが伝わってくる。
「僕がこれから右に車線変更すると、ヤツが飛び込んでくるのが『視え』た。つまりハンドルを切って二秒半後、君は方位八時の方角を『思いっきり斬れ』ばいい」
「はぁ、なるほど……?」
まぁ斬れというのなら、と雪弥は右手を構えてバキリと指を鳴らして爪を伸ばした。黒いコンタクトの下で、瞳孔が開いた目が淡くブルーの光りを帯びる。
「僕はいつでもいいですよ、宮橋さん」
窓の方を見て、雪弥はそう答えた。
その途端、宮橋が「よしきた」とハンドルを切って車線変更した。ぐんっと車体が揺れる中、雪弥は一、二……と秒数を数えながら窓から身を乗り出す。
何も見えない。
でも、――不意に強い不快感がゾワリと込み上げた。
雪弥の獰猛な獣の目が、空気の一点をロックオンする。ただただ猛烈に殺したくなって、一気に思考が赤く染まる。自分の領域(テリトリー)を侵略されているような不快感だ。
ぴったり二秒半。
気付いたらそこ目掛けて、雪弥は自分の爪を振るっていた。
不思議な事に、空気とは別の『何か』を斬った感触がした。ぞわぞわとした身の内側に途端に広がったのは、ああ、殺してやったぞと低く嗤うような錯覚的な満足感で――。
「ははっ、さすがは化け物退治の三大大家の番犬だ!」
そんな宮橋の声が聞こえて、雪弥はハタと我に返った。
「予想以上に凄まじい切れ味だ。あのバカデカいモノも、あっさり真っ二つにするとは畏れ入る――まさか『見えないモノ』も引き裂くとはね!」
大変満足そうな声を聞きながら、助手席に座り直した雪弥は不思議そうに自分の手を見た。確かに何かを『斬った』感触が残っていた。でも、これまで『斬り裂いて』きた、あらゆるものと質感が違っている気がする。
人間や動物と、骨格や肉の付き方も少し違っていて、実に奇妙。
とはいえ、それがどんな生き物に似ているのかと問われても答えるのは難しい。
化け物退治と聞いて、先日兄が話していた蒼緋蔵家の事が脳裏を過ぎった。しかし自分には関係ないだろうという認識からか、意識は元の長さに戻した爪先に残る感触に引っ張られて、やっぱり気になってそちらを考えてしまう。
「なんだろう。やたらと骨があるみたいな……?」
「ははは、まぁ確かに、そこそこ骨は多そうなヤツだったよ」
見えないのが幸いなくらいさ、と宮橋は言った。
青いスポーツカーは滑るように進むし、初夏の日差しの熱をしのぐように冷房も掛けられて窓も閉め切られているから、さぞや静かなドライブになるのだろうか――という雪弥の推測は、物の数分で裏切られた。
「はははははっ! どくがいい一般庶民共ッ、この刑事の僕のお通りだぞ!」
意味もなく赤いサイレンを車上に設置し、宮橋が実に愉しげに国道を爆走する。緊急を要する事態もないというのに、ハンドルを右へ左へと切って次々に車を追い越していた。
運転技術はかなり上級だ。クラッチを上手い具合に切り替え、タイミングよくアクセルとブレーキを操作し、スポーツカーの重さを活かしてカーブも高速で難なく曲がる。
雪弥は青いスポーツカーの助手席で、なんだかなぁという表情でいた。窓の外からずっと聞こえているサイレンの音は、雪弥の鋭い聴覚を叩いて煩い。
「宮橋さん。今擦れ違った車から、クラクションもらいましたけど」
「気にするな。僕は絶対に当てない」
「そういう事じゃないんですけど……」
まぁ、ぶつかったら屋根でも吹き飛ばして、外に連れ出せばいいのか。
護衛も任務に含まれていたなと思い出して、雪弥はそう考えて引き続き見守る事にした。そうしたら目も向けていないというのに、隣の宮橋が楽しさを消して真面目な横顔をした。
「おい、雪弥君」
「はい、なんですか?」
「先に言っておくが、僕の車の屋根を破壊したらただじゃおかないぞ」
出会ってからずっと思っているのだが、なんで分かるのだろう。そもそも雪弥としては、これまで見てきた『刑事』とイメージが違っていて慣れないでもいた。
「先月、馬鹿三鬼のせいで一台『海に落とす事になって』、先月に買い換えたばかりだ。本当は黄色が好みだったが、急きょで在庫がなくて仕方なくの青だった」
つまりは百パーセントは気に入っていない。それでも自分の愛車である、というようなニュアンスで宮橋が真剣な声色で言い、雪弥はますます困ってしまった。
「好みの色は知りませんけど、一体、何をどうしたら海に落とす事になるんですか?」
「緊急事態だった、人命がかかっていたからな」
さらっとだけ宮橋が言う。
愛車を海に突き落とす緊急事態って、なんだろうなと疑問が浮かぶ。雪弥は黒いコンタクトをした目をチラリと窓に向けて、またしても数台がこのスポーツカーに追い抜かれたのを見た。
「このサイレンと爆走、宮橋さんが怒られません?」
「ぎゃーぎゃー騒がれたり気絶されるよりマシだが、そうやって心配されたのは初めてだな。君は真面目なのか? いいか、これが出来るのが醍醐味なんだぞ」
かなり怒られそうな事を口にしながらクラッチを切り替えて、宮橋が隣の県まで伸びる国道へと青いスポーツカーを走り向けた。比較的車道は空いていて、輸送車や会社のマークが入った車からチラチラ目に留まった。
その時、宮橋が胸ポケットを探った。
「何かあった時に面倒だ。君の携帯番号を、僕のものに登録しておいてくれ」
言いながら、目も向けずにひょいっと投げて寄越された。
咄嗟に両手を膝の上で広げたら、綺麗なカーブを描いて携帯電話が手に落ちてきた。しばし見下ろしてしまった雪弥は、連絡が取れるようにしておいた方がいいかと考えて、今回は任務用にと持たされなかったので、自分のプライベートの携帯電話を取り出した。
直後、急ブレーキが掛かって身体が前のめりになった。
青いスポーツカーが、ブレーキの煩い音を立てながらドリフトで路肩に急停車する。シートベルトに押さえられた雪弥は、とくに驚いた様子もなくチラリと眉を寄せた。
「いきなりなんですか?」
訝って目を向けてみると、宮橋がこちらの何かを凝視していた。視線の先を追った雪弥は、それが自分の携帯電話に呑気な表情でぶらさがっている『白豆』に向けられていると気付いた。
「君、なんだその気持ち悪い人形」
「え? 白豆ですけれど」
雪弥が当たり前のように答えた途端、車内が沈黙に包まれた。
じっとこちらを見ていた宮橋が、雪弥とへんてこな阿呆面のコスマット人形をたっぷり見比べた。ハンドルを握ったままの彼は、やがて「ふぅ」っと吐息をこぼして項垂れてこう言った。
「………………君は、ソレを『飼っている』のか……」
「あれ? よく分かりましたね」
一目で察してもらえたのは初めてで、雪弥はにっこりと笑った。自分でも『ペット』が飼えるのだと分かってもらえたようで嬉しい。
すると宮橋が、溜息を吐きながら前髪をかき上げた。
「なんだかなぁ……。君の事が、余分に色々と分かってくる気がするよ」
そう言いながら、彼は再び車を発進させて、青いスポーツカーを車道へと戻した。
スピードは飛ばしていたものの、車が少ないせいか左右へハンドルを切るような暴走はなかった。宮橋はやや疲れたような思案顔で「クレーンゲームの景品か……」「好みというわけでもなさそうだが、なんで愛着が湧くのか分からん……」と独り言を呟いている。
不意に、どっ、と車体に鈍い衝撃を感じた。
まるで車体の左を体当たりでもされたみたいだった。携帯電話を彼に返した雪弥は、自分のものを『白豆が窮屈にならないように』ジャケツトの内側にしまっていたところだった。
なんだろうなと思って車窓へ目を向けた。けれど衝撃を覚えた助手席側からは、衝突したような物、もしくはその距離圏内に車やバイクなども確認出来なかった。
宮橋がチラリとバックミラーを見て、不自然にハンドルを切って車線を変更する。
すると、またしてもドッと同じ場所から鈍い振動を感じた。車窓から外の様子を覗き込んでいた雪弥は、その際、風が物体感をもって揺れるのを瞳孔開いた目で視認して、不思議に思ってすぐに窓を開けていた。
ごぉっと風が肌に触れて、前髪がバサバサと音を立てて舞った。やっぱり、こうして見ても、ぶつかってしまうような物は見当たらなくて不思議に思う。
「確かに空気が揺れる感じがしたんだけどなぁ……」
つい、そう疑問を口にしてしまったら、車を追い越すように車線変更しながら宮橋がこう言ってきた。
「さすがの動体視力だ、君の目に間違いはないよ。忌々しい事に、僕の車に体当たりしている『ヤツ』がいる」
「体当たりしている奴……? でも、何もないですけど」
「君の目に見えないだけさ」
宮橋が、こちらに横顔を向けたまましれっと答える。
またしても、きゅっとハンドルが切られてスポーツカーが車線変更する。何かが空気を押すような音を耳で拾った雪弥は、そちらを横目に留めつつしばし考えた。
「見えないのに『ある』とか、ありえるんですか?」
「ふっ――考えてその質問か」
君は素直なのかね、と宮橋が小馬鹿とも自嘲ともとれない笑いをこぼした。彼は独り言のように「普通なら『もっと疑う』」と呟くと、雪弥が向くのに気付いて視線を返した。
「ありえるのさ。君が目に留めている世界以上に、この世は色々と混じり合って複雑なんだよ。それに関わる機会があるのか、それとも縁がないままに終わるかの違いさ」
宮橋が、片手をハンドルから離して手振りを交えて言う。
雪弥はなんと言えばいいのか分からず、首を少しだけ傾げた。開いた窓から入り続けている風が、灰と蒼が混じり合ったような色素の薄い髪を揺らしている。
「僕も仕事上、色々とありえなさそうな研究や実験は見てきましたけど、やっぱりよく分からないです。そもそも、どうして僕に教えてくれるんですか?」
「正確に言うと、教えているわけじゃないさ。ただ一方的に論じてる。実に忌々しい事に一部の連中が、僕の事を『魔術師』と呼ぶように、僕は魔術師(それ)らしくもあるというわけだ」
「魔術師?」
「おっと失礼、ただの定義と有りようからの呼び方さ。現代における魔術師というのは、理(ことわり)を見、中立に立ち、それでいて――『理解されなき物語を知る者』」
そもそも本当の魔術師はもう死んだ、と宮橋は不思議と明るいブラウンの目で見据える。その美麗で不敵な笑顔を前に、雪弥はやっぱりガラス玉みたいな目だなという印象を覚えた。
「はたして君は僕を信じるかい、雪弥君?」
そんな事を問われた。
よく分からない人だ。否定するには、それなりの根拠と理由がいるだろう。信じるも何も、と雪弥は思って、袖口を少し緩めて動きやすくしつつこう答えた。
「あなたが有るというのなら、その見えないヤツというのは『有る』んでしょう。僕は今、あなたのパートナーで護衛任務も兼ねています――で? 下僕(ぼく)はどう動けばいいですか?」
「へぇ、随分あっさりしているんだな。仕事柄、細かい事も気にしそうだと思っていたけれど」
「だってそこに『有る』というのなら、僕は何モノだろうが殺すまでですよ」
すると宮橋は、どこかおかしそうに愉しげな調子で相槌を打つ。
「そりゃ随分物騒だ」
言いながら、またしてもバックミラー越しに何か見た様子でハンドルを切った。アクセルを踏んでスピードを上げた際、何かがタイヤの横を擦る音がした。
やっぱり何かいるみたいだ。
雪弥は、興味津津といった様子を窓から顔を出して覗き込んだ。でもどんなに目を凝らしても、吹き抜けていく風の音に混じる妙な抵抗音しか分からない。
「衝撃音から推測するに大きそうなのに、風を受けている音量と合わないなぁ……」
「雪弥君、それ以上身を乗り出すと『コンタクトが外れる』よ」
不意に、投げ掛けられた言葉に「え」と声がもれた。
思わず振り返ったら、前方を見据えている宮橋が口許に笑みを浮かべたまま「用意はいいかい」と言ってきた。その目は、初めて試すような、ワクワクしている感じが伝わってくる。
「僕がこれから右に車線変更すると、ヤツが飛び込んでくるのが『視え』た。つまりハンドルを切って二秒半後、君は方位八時の方角を『思いっきり斬れ』ばいい」
「はぁ、なるほど……?」
まぁ斬れというのなら、と雪弥は右手を構えてバキリと指を鳴らして爪を伸ばした。黒いコンタクトの下で、瞳孔が開いた目が淡くブルーの光りを帯びる。
「僕はいつでもいいですよ、宮橋さん」
窓の方を見て、雪弥はそう答えた。
その途端、宮橋が「よしきた」とハンドルを切って車線変更した。ぐんっと車体が揺れる中、雪弥は一、二……と秒数を数えながら窓から身を乗り出す。
何も見えない。
でも、――不意に強い不快感がゾワリと込み上げた。
雪弥の獰猛な獣の目が、空気の一点をロックオンする。ただただ猛烈に殺したくなって、一気に思考が赤く染まる。自分の領域(テリトリー)を侵略されているような不快感だ。
ぴったり二秒半。
気付いたらそこ目掛けて、雪弥は自分の爪を振るっていた。
不思議な事に、空気とは別の『何か』を斬った感触がした。ぞわぞわとした身の内側に途端に広がったのは、ああ、殺してやったぞと低く嗤うような錯覚的な満足感で――。
「ははっ、さすがは化け物退治の三大大家の番犬だ!」
そんな宮橋の声が聞こえて、雪弥はハタと我に返った。
「予想以上に凄まじい切れ味だ。あのバカデカいモノも、あっさり真っ二つにするとは畏れ入る――まさか『見えないモノ』も引き裂くとはね!」
大変満足そうな声を聞きながら、助手席に座り直した雪弥は不思議そうに自分の手を見た。確かに何かを『斬った』感触が残っていた。でも、これまで『斬り裂いて』きた、あらゆるものと質感が違っている気がする。
人間や動物と、骨格や肉の付き方も少し違っていて、実に奇妙。
とはいえ、それがどんな生き物に似ているのかと問われても答えるのは難しい。
化け物退治と聞いて、先日兄が話していた蒼緋蔵家の事が脳裏を過ぎった。しかし自分には関係ないだろうという認識からか、意識は元の長さに戻した爪先に残る感触に引っ張られて、やっぱり気になってそちらを考えてしまう。
「なんだろう。やたらと骨があるみたいな……?」
「ははは、まぁ確かに、そこそこ骨は多そうなヤツだったよ」
見えないのが幸いなくらいさ、と宮橋は言った。
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200人になるまで見捨てずに居て下さった皆様にもこれからも見守っていただける物語を!!
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2025年3月17日 お気に入り登録400人達成 驚愕し若干焦っております!
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2025年6月10日 お気に入り登録500人達成 ひょえぇぇ?!
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「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
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