蒼緋蔵家の番犬 3~現代の魔術師、宮橋雅兎~

百門一新

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宮橋雅兎の用事

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 午後に日が傾き出している。

 やがて到着したのは、県を超えた先にあった緑の続く山々だった。スポーツカーは迷わず一つの田舎道を真っすぐ進んで山に入ると、落ち葉に埋め尽くされたちょっとした土肌のスペースに停車した。

「ここが、その骨を返す目的地なんですか?」

 下車した雪弥は、山道を登り始めた宮橋の背中に問い掛けた。

 木々に遮られた日差しが、細い獣道を照らし出していた。むっとした初夏の熱気は、植物の涼しげな環境の中で半減されていて、歩く二人の足元からは落ち葉と土を踏む音が上がっている。

「まぁね。『母鬼』と呼ばれる物語の地はいくつかあるが、ここは『子が討たれ葬られた場所』とでも言うべきか」
「説明されている気はするのに、しっくり理解に至らないのは、僕が文献やら歴史やらを知らないせいですかね……」

 地元では有名な場所だったりするのかな、と雪弥は辺りを見やる。けれど普段から人が訪れているような形跡や、歴史的何かとして保存されているような看板もない。

 すると、前を歩く宮橋が「別に『しっくり理解しなくても』構わないさ」と肩を竦めた。

「正確に言えば、ここを通して繋がっている場所に用がある」
「はぁ……。また不思議な事を言いますね」
「君、今面倒になって考えを全部放り投げたろ。まぁ付いてこれば分かる――ああ、でも君は『こっち側』を見る目は持っていないから、視認出来ないかもしれないな」

 雪弥は、山道を登っていくスラリとした背中を眺める。そうしたら彼が、肩越しに目を向けて来て「いいかい、雪弥君」と人指し指を立てた。

「境界線というのは、世界の呼吸のように動いている。このまま急にポッと『飛び込む』事になるだろうけれど、慌てず騒がず、君はただ僕が骨を返すのを待っていればいい」

 理解も求めず一方的に語った宮橋が、ふっと気付いたように前を見る。


「ああ、そろそろ『来る』な」


 何が、と雪弥は尋ねようとした。

 だが直後、ふっと世界が闇に呑まれた。

 何も見えない、温度もなく風もない。傾斜の上に立っていたはずなのに、地盤が真っすぐなのを感じ取って、前触れもない状況の変化に身体の動きを止めた。

 本能的な条件反射のように五感が研ぎ澄まされ、壊すべき物と殺すべき生き物を探す。

 すぐに察知したのは、近くにいる宮橋の落ち着いた『鼓動』と『呼吸音』だった。そしてこの場には、敵意や殺気とは違う不思議な『気配と匂い』が満ちている。

 先に言われていた説明と指示を思い出した雪弥は、一時的に警戒状態を解いた。ただただその気配と匂いが不思議で、なんだろうなと黒一色を眺めやる。

 不意に、闇の中から、男性用の着物の袖と白い手が現われた。

 黄色く長い爪を持ったその掌が差し出されると、その向かいから、またぼんやりと見覚えのある宮橋のスーツの袖と手が浮かび上がる。

「姫の子の骨、送り届けてくれたこと感謝する」

 小さな骨を掌に受け止めた手が、ゆっくりと握られて野太い男の声が聞こえた。

 なんとも不思議な光景だった。見えるのは、やりとりされる手だけだ。相手だけでなく宮橋の姿も黒く塗り潰されていて、雪弥の目には留まらないでいる。

「【異なるモノ】の匂いがする」

 すん、と何者かが匂いを嗅ぐような音がした。

 すると、続いてこう言う宮橋の声が聞こえてきた。

「ついでに聞いておこうと思って、連れてきた――君らは、そこにいる『彼』を知っているかい?」
「かなり昔、面差しがよく似た男なら見かけた」
「僕が訊きたいのは『そっち』じゃないよ」

 宮橋がぴしゃりと言う。

 やりとりしていた声が止まった。ややあってから、野太い声が「我からの骨の礼、か」と算段し終えたように言って、こう続けた。

「ならば答えよう、『匂いは知っておる』とも。けれど、元々のソレがなんであるのかは知らぬ――我ら【見えないモノの領域】のモノでないからだ」
「そうか」
「ついでの礼だ」

 すっ、と闇の中で、長い爪をした指先が向こうを示す。

「続けざまの異者の訪問とは珍しい。地に足を踏み入れた、警戒せよ」


 プツリ、と何かが遮断されるような聴覚への違和感。


 直後、風景は元に戻っていた。

 五感が温度と音を拾う。闇は、瞼の裏にでも消えてしまったのだろうか、という奇妙な感覚があった。雪弥はさわさわと草葉を揺らす山道を、ぼんやりと眺めながらゆっくりと瞬きをした。

 そこには、先程と同じようにして宮橋が立っている。少し上を登り掛けた状態で足を止めて、切れ長の明るいブラウンの目でこちらを見下ろしていた。

「意外と混乱はないみたいだね」
「何がなんだか、という感じです」

 声を掛けてきた彼に、雪弥は一部ぼんやりとしたままのように感じる頭を叩いて答えた。

「それに、なんか――闇一色というのも、懐かしい気がして」

 一切の光も差さない場所。それが、とても落ち着けた。

 恐らくは気のせいだろう。そう思いながら雪弥はポツリと呟いたが、ただただ宮橋はじっと見つめてくるだけだ。やっぱりその美貌と目は作り物みたいで、考えが読めない。

「声だけは聞こえていたんですけど、警戒しろとはどういう意味ですか?」

 思考を切り替えて尋ねる。

 すると宮橋が動き出して、雪弥のいる方まで向かってきた。

「どうやら僕ら以外にも、ここに入ってきた者がいるらしい。それを警戒しろと『彼』は教えてくれたわけだが、恐らく相手は『君の客人』だ」
「僕の?」

 わざわざ山に来るまでの『客人』に覚えはない。

 雪弥がそう思って顔を顰めると、目の前に立った宮橋が、自分よりも低い位置にある彼の顔を見下ろして「そんな反応をされてもな、事実だ」とキッパリ言ってのけた。

「『見た』だけだったから、僕もどこで会うのかまでは分からなかったんだが、どうやらココだったらしい。ああ、先に言っておくが、僕は中立の立場として姿を『不認識』させてもらう」
「はぁ? あの、それどういう――」
「とにかく下ろうか。話を聞かない事には、相手の用件は分からない」

 そのまま背中を押されて、来た時とは逆に前頭に立たされてしまった。ぐいぐい押して戻りを促す宮橋を、雪弥は肩越しに見やって「あのですね」と声を掛ける。

「道順、ぼんやりとしか覚えてないんですけど、僕が前でいいんですかね?」
「おい君(きみ)、僕をナビ代わりにして最初(ハナ)から覚える努力をしなかったな? この微妙な青年身長、このまま縮ませてやってもいいか」

 イラッとした様子で、後ろから宮橋にガシリと頭を掴まれた。冷やかに睨んでくる美しい目から、ひしひしと怒りが伝わってきて、雪弥は「すみません」と反射的に謝った。

「反省しますんで、ぐりぐりするのやめてくれませんかね……」
「チッ、ノーダメージか。頭も小さいくせに意外と頑丈なのが、更にイラッとするな。――まぁいいさ、向こうから勝手に接触してくるから、君はそれまでただ歩いていればいい」

 背中から、宮橋の大きな手が離れていった。一時的に歩く順番を変えているだけのようだと分かった雪弥は、ひとまずは「了解」と簡単に答えて前へと目を向けた。

 用件がある相手、と断言する物言いは不思議だった。

 でも、もし宮橋が言うような相手が本当に来ているというのなら、わざわざここまで追って来たようにも感じる用については、雪弥としては知りたくもあった。

 それであるのならば、自分が前にいるのも賛成である。その相手が攻撃者の類(たぐい)であったとしたのなら、宮橋(かれ)が後ろにいれば自分は真っ先その相手を殺せる。

「雪弥君、今、何を考えている?」

 よそに視線を流し向けてスーツの袖口を整え直していたら、後ろから声を掛けられた。

「何も」

 雪弥は、戸惑いも置かずにそう答えた。意識もせずに口からこぼれ落ちたその回答は、随分冷やかな響きでもって発されていた。
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