英雄の可愛い幼馴染は、彼の真っ黒な本性を知らない

百門一新

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二章 引き受けた仕事の先で(1)

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 ティーゼは、少しのお金と細い剣を持ち、パレードの行進に参加していた花馬車の荷台に乗り込んで隣町を超えた。

 花で飾り付けられた大型の馬車は、速度がゆっくりのため時間はかかったが、通い慣れたギルト支部に行くと、受付嬢のマリーに、珍しくも満面の笑顔で出迎えられた。

「ちょうど頼める人がいないか探していたところなのよ! お祭り騒ぎで、誰も仕事をしないんだもの。ついでだし、国境近くの町まで行ってみない? 行きだけなら、列車のチケットが余ってるからサービスしてあげるわよ!」
「……いつもなら『あんたに出来そうな仕事を探すのも大変なのよ』とか開口一番に言われるのに、この待遇は一体……?」
「素直に喜びなさいよ。帰りのチケットだって、これから何とか探して、サービスで付けてあげるわ」

 首を捻ったティーゼに対して、魔族であるマリーは、大きく尖った耳を上下に動かし、不満げに頬を膨らませた。二十歳も年上だとは思えない、可愛らしい怒りの表情だった。

 ティーゼはしばらく考えた後、「オーケー」と答えた。

「どうせなら、そこまで行こうと思っていたんだ。ちょっと見て回りたいし、帰りは自分でなんとかするよ」
「あら、珍しいわね。何よ、しばらく帰ってこないつもり?」
「お祝いに便乗して、ゆっくり楽しんで来ようかと思って。この国は広いけど、もしかしたら隣国にいい土地もあるかもしれないし」

 ティーゼは、冗談口調でそう答えた。

 すると、マリーがギョッとしたように目を剥いて立ち上がった。

「え、嘘。冗談よね? あんた、ここを出ていく気なの?」
「どうしたの? 出て行くなんて言ってないけど、驚きすぎじゃない?」
「だって、なんかまるで帰ってくる気がないみたいな……」
 
 彼女が毒気を抜かれたような顔をするので、ティーゼは怪訝に思いながらも「マリーは知らないの?」と取り繕った。

「このお祭り騒ぎの間は、どこもかしこも割引サービスが太っ腹なんだよ。今贅沢しないでいつするのッ」
「そういえば、あんたって昔から食い気が勝ってたわね……」

 この酒豪め、とマリーは忌々しげに椅子に座り直した。

「まぁ、程々にしなさいよ。それから、あまり心配もかけないでちょうだい、世界の平和のためにも」
「あはは、大袈裟だなぁ。で、依頼の内容は?」

 ティーゼが促すと、マリーは深い溜息を吐きながら、一つの手紙を差し出した。

「あんたが関わると、大袈裟になりかねないのよ」

 マリーは口の中で不安を滲ませたが、ティーゼは全く心当たりがなかったので、黙って手紙を受け取った。

「行き先は国境沿いにある、ランベルの町よ。この手紙を、ルチアーノ・バルド・セクターまで渡して。一軒だけ白亜のバカでかい屋敷があるから、行けばすぐに分かるわ」
「バルドって事は、魔王直属の人なの?」

 人間族の王族貴族の名に、デクターがついているのと同じように、魔族の中でも生粋の魔王派で、高い地位を与えられている者にはバルドが付けられていた。現魔王は、二百年前に代替わりしたばかりで、とても温厚派だという事でも有名だ。

 今世代の魔王は、考え方も人間寄りで、人間族の王とも親しい関係を築いており、国内にいくつか屋敷が建っているとも聞いていた。

 そこまで考えて、ティーゼは一つの可能性に思い至った。

「あ。もしかして、ランベルの町の屋敷って、魔王の別邸だったりする?」

 ティーゼが尋ねると、マリーは「そういうところね」とぼかして答えた。彼女にも、依頼主や依頼先の個人情報を守る義務はあるので、ティーゼは、肯定の眼差しだけを受け取って素直に引き下がった。

 前払いとして受け取った報酬は、手紙を渡すだけの簡単な仕事にしては弾んでいた。物騒などない道のりなのだが、手紙の送り主に関しても、相当身分のある人間らしいと推測出来た。

「先に言っておくけど、列車でも一日は掛かる距離よ。田舎町だから祭りなんてやってないだろうし、騎士団の小さな支部があるだけの田舎町で観光にもならないから」

 出掛けようとするティーゼに、マリーが頬杖をついたまま声を掛けた。

 ティーゼとしては、知らない土地が楽しみなのだ。英雄となった幼馴染が心配性過ぎて、これまで一日以上も家を開ける距離に出向いた事はなかった。ギルドの仕事を本業にしないで欲しいと頼まれて、ハーブのビスケットを売り続けているのである。

 気分のむくままに、もしかしたら、そのまま国境を超えるかもしれない。

 続く言葉を笑顔で誤魔化し、ティーゼは、ギルドを後にした。

              ◆

 国境行きの列車には、乗客が一人もいなかった。

 車掌にチラリと話しを訊いたところ、英雄の帰還によって、祝いのため多くの人間が王都に集まっているらしい。今一番注目の集まる国の中心から、わざわざ列車で離れようと考える若者は少ないとも語った。

 季節は春だ。長閑ですごしやすい日差しの中、まるで貸し切りのような列車の旅は最高だった。

 たった一人の乗客だからと、中年の車掌はティーゼに親切で、仮眠室も無償で提供してくれた。


 国境沿いにある深い森に面した、ランベルの町に到着したのは、翌日の正午前だった。車掌は、祝日の間は一日に一本しかないので、帰りの予定を立てる際には気を付けるようにと、ティーゼに説明した。


 ランベルの町は、ティーゼが想像していた田舎町とは違い、道も整然としていた。小振りな住居が多く、大きな飲食店が一軒、酒屋が二軒、騎士団の支部と宿泊棟が建っていた。

 街には穏やかな気性の人が目立ち、祝いの騒がしさというよりも、祝日ののんびりとした時間が流れていた。

 大通りをしばらく歩くと、深い森の前に佇む、大きな館が目に止まった。王都で見掛けるような広大な敷地を囲む塀に、頑丈そうな鉄の門扉、そこから覗く屋敷は、白亜の別荘館のように清潔感が漂っていた。

 屋敷は静まり返っており、使用人の姿は一人もなかった。

 ティーゼは、呼び鈴もついていない敷地の門の前で、しばらく悩んだ。屋敷の玄関扉まで行けばなんとかなりそうな気もしたが、断りもなく鉄の門扉を開け、長い石畳の上を踏み歩いて進んで良いものか判断がつかない。

 立派な家を訪ねるような経験はなかったので、礼儀作法については分からなかった。貴族の振る舞いや礼儀に関しても、ティーゼの知識は乏しい。

「うーん、もしかしたら魔族なりの作法とかもあるかも……?」

 それはそれで困る。マリーに、もう少し詳しく訊いておくべきだった。

 しばらく首を捻って呻っていたティーゼは、ふと、門が音を立てて開いた事に気付いた。そちらへと目を向けると、灰色の髪と赤い瞳をした、細身の長身な男が一人立っていた。

 男は貴族の正装服を着込んでおり、やけに奇麗な顔をしていた。通った鼻筋の先には形の良い薄い唇があり、肌は町娘よりも断然白い。こちらを見降ろしてくる鋭い眼差しも、作り物のように切れ長で整っていた。

「我が主の門の前で百面相をして、一体何をされているのですか」

 冷やかに告げられると同時に、愛想の一つもない顔で秀麗な眉がそっと寄せられて、それだけで露骨に不愉快だという感情が器用に伝わって来た。
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