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ろうでい

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七話 『風来の、猫』

(6)

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――


ポンの姿を見なくなったのは、三日前からだった。


いつもならば夏や私、悠を朝に見送っていたはずだったが、三日前の朝から姿を見ていない。
気まぐれな猫だ。一日だけなら違う場所に行っていると思うだけだが……もうそれが三日続けてになる。
朝も、夜も、彼は姿を見せていない。

寝床を変えただけならばまだいい。
ひょっとしたら誰かに拾われて、案外幸せに暮らしているかもしれない。

しかし……いざこうして、いつものんびりと玄関先でくつろいでいた彼の姿が見えなくなるのは、寂しいものだった。
愛猫をたくさん連れてきた時はどうなるかと思っていたが、結局この家を離れてしまったのだろうか。

寂しさを感じているのは、私達だけではなかった。

「…………」

「にゃん」

夕暮れ時。

私の顔を見ると、オレンジ色の茶トラはすぐに家の裏手の方へと逃げていってしまった。
昨日はいつもいる三毛猫もいた。彼女も私を見ると逃げてしまったが。

……ポンが、彼女達を捨てるのだろうか?
誰かに拾われるならまだしも、自分から気に入り、彼女を連れ込んでいたこの場所を離れるなんて事……あるのだろうか。

「……ポン……」

考えたくない事が頭に浮かぶ。

不慮の事故。
散歩をしている時に……ポンに何かがあったのではないか。

この辺りに信号機はなく、車は一直線に道を通っていく。
……猫が轢かれているのは、田舎ではよく見る光景だ。

……ポンも、ひょっとしたら……。

――

「……ふう」

「お疲れ様、夏。手伝ってくれてありがとね、疲れてるのに」

「ん、いいって。そんな忙しくなかったし」

「あはは、夏が手伝ってくれたからだよ」

今日はやや夕飯時は忙しかった。
お客さんは数名の職人さんの団体と、観光に来ている家族連れが一組。合宿でも無く十人以上が宿泊する時は、仕事としてはやや忙しくなる。
今日のメニューは鶏のから揚げと水菜サラダ。小松菜と油揚げの煮浸しに、獲れたてのナスのからし漬物に味噌汁だ。
食事を終えたお客さんを見送り片付けをして……今は夜の21時。
洗い物は夏も手伝ってくれたおかげで、この時間に終える事が出来た。あとはお父さんとお母さんで朝食の準備をしておくので、私と夏は家の方へ戻っていく。

数歩、二人で歩き……玄関の外灯に照らされて、悠がいた。
辺りをキョロキョロと見ていたが、私達二人を見つけるとこちらを向いてくる。

「おかえり。柚子ちゃん、夏ちゃん」

「ただいま、悠」

「お手伝いしなくてごめんね」

「いいんだよ。悠はピンチヒッターなんだから。……それより、外に出てどうしたんだ?」

夏が言うと、悠は少し言いづらそうにしていたが……やがて口を開く。

「……ポン。帰ってきてないかな、って」

「……ああ」

多分、民宿の中で一番ポンの事を心配に思っているのは……悠だろう。
野良猫だとは、本人も理解している。突然いなくなるのも、仕方ない事なのだとは以前に言っていた。
けれど……頭では分かっていても、寂しいものは寂しいのだ。
あれだけ可愛がっていた猫が突然来なくなったのだから、当然の感情である。夏は膝に手をつき、悠に優しく言った。

「心配だね、悠……」

「……うん」

気丈な妹だ。いなくなる事はいつかあると思っていたから……涙は見せない。
無表情な事が多い彼女だが、その顔の奥の感情が暗いのは分かる。

「柚子ちゃん。ポン……死んじゃったのかな」

「……」

私は少し考えて……悠に言う。

「そうかもしれないね」

「姉貴……ちょっとは否定しなよ……」

「でも……ポンは野良猫だったし、そういう事があるのはみんな理解してたと思うしさ。隠しても仕方ないよ、きっと」

「……ん、まあ……それも、そうかな……」

その事実を、皆きっと頭のもやの中に隠していたのだろう。自分で、その悲しい事実を認識しないように。

「……そっか。ポン……」

悠も、それを認識し、噛みしめようとしている。夏も、私も……家族みんな、同じ気持ちだ。
最初は勝手に住み着いただけの猫だったが……この一週間で、彼は私達の中で大きな存在になってしまっていた。
それは嬉しい事であったが……悲しい事になってしまった。

……でも。
それだけじゃないはずだ。


「色々考えられる事があると思うよ、悠。ひょっとしたら誰かに拾われたのかもしれないし、居心地のいい別の場所を見つけたのかもしれな。案外、幸せに暮らしてるかもね、あはは」

「……」

しかし、悠の表情の曇りは消えない。
私は言葉を続けた。

「……きっと、ポンだけじゃなくて、みんなそうなんだよ。人でも、猫でも……大好きなものが見えなくなったら、それだけで不安になっちゃうよね。
でも……それはきっと、私達が、心配に思っているだけ」

「……」

「お母さんから聞いたんだけどさ、ポンって、元々家で飼ってた猫なんだって。それが突然外の世界に放り出されちゃって……とっても不安だったと思うよ。
それで、たまたまこの民宿に行きついて……人に触れあう事が出来た。だから、きっとポンも嬉しかったと思う」

「……そう、かな」

「そうだよ。あんなに懐いてくれたんだもん。私達も、ポンも……とっても幸せだった。
次に行くところが何処であろうと……その事実だけは絶対に消えない。……だから、大丈夫だよ、悠」

「……」

「ポンは、幸せだった。私達も、幸せだった。……それだけで、十分に思う。
私達の見えない場所に行っても……ポンがいた事だけは、絶対に消えたりしないよ。
ポンはきっと、また違う場所でも……幸せに暮らしてるよ」

「……そう……かな……。……うん、そうだね」

私の言葉を、悠はゆっくり噛みしめてくれた。

私達は、ポンと一緒に暮らしていたワケではない。
たまたま流れ着いた、この民宿で仲良くしていただけ。……ただ、それだけだったのだ。

それでも彼の事を心配してしまうのは、それ以上の絆が私達に出来ていたから。

でも、その絆があるのなら。
その人を、その猫を想う心があるのなら。

きっと、見えない場所にいても、幸せを願う事が出来る。
ポンが幸せに暮らしていると、信じる事が出来るのだ。


「……ありがとう、柚子ちゃん。夏ちゃん。
……ポン、きっと……元気にしてるよね」

「うん。保証するよ。どこいってもあの子は、幸せにしてる」

「……なら、よかった。わたし、もう寝るね」

「ああ、おやすみ、悠」

悠の顔に、微かに笑顔が戻った。
私達二人に手を振ると、悠は家の玄関を開けて中に入っていく。

月明りが照らし、虫の鳴き声が聞こえる、夜の田舎。
夏と私は、外の景色を見ながら、話した。

どこかに野良猫がいないか、ぼんやりと探しながら。

「いいコト言うじゃん、姉貴」

「んーん。素直に思ってる事を話しただけだよ」

「……私も、悠と同じ気持ちだったけど……おかげで踏ん切りついたよ。ポン、きっと元気にしてるよな」

「……うん。そうだよ、絶対」

「ああ、そうだな」

満月が、雲から顔を出し、暗い田舎の夜を明るく照らす。

きっとこの月明りの下で、ポンも幸せに暮らしていると……私達姉妹は、そう願った。

――
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