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第11話: カフェとシークレットと“あんた”呼ばわり
しおりを挟む朝の捜査一課。
すでに数人の刑事がデスクに着き、コーヒー片手に書類とにらめっこしていた。
その中に、ひときわ背の高い新人刑事・霧島まどかの姿がある。
彼女は今日もキリリとスーツを着こなし、背筋をピンと伸ばしていた。
――のだが。
(……うう、また直哉さんと並ぶと浮く……)
ふと隣のデスクに目をやると、ベテラン刑事の橘直哉が背を向けてブーツの紐を調整している。
今日も例の必殺アイテム・シークレットブーツがしっかり装備されていた。
(見なかったことにしよう……)
まどかはそっと視線を外しつつも、内心ではちょっとクスリとしていた。
「霧島、お前、また変なとこ見てんじゃないだろうな」
直哉の低めの声がすっと飛んでくる。
「えっ!? い、いえ、全然!まっったく!……目、悪いんで、誰かと思ってただけです!」
「ああ。お前、極度の近眼だったな。よく刑事やってんな」
「うるさいですよ、あんたっ!」
「あんた……?」
直哉がゆっくり振り向き、口の端をピクつかせた。
まどかは自分の口から飛び出た言葉にハッとして、バツの悪い笑みを浮かべる。
「し、失礼しました、“橘さん”。つい、取り調べモードに入って……」
「……そういう取り調べ、見たことねぇけどな」
そこへ、課長が書類をひらひらと持って近づいてくる。
「おしゃべりはそのへんにしておけ。次の現場だ。
表参道のカフェ『ル・プティ・ジュエル』。昨夜、宝石盗難があった。だが不可解な点が多くてな」
直哉とまどかは目を合わせる。
「カフェ、ですか?」
「スイーツ、あるんですか?」
まどかと直哉、揃って声を上げたが、温度差は激しかった。
表参道の裏手、白いレンガ造りの小さな建物。
ガラス張りのエントランスには「Le Petit Bijou(ル・プティ・ジュエル)」というエレガントな文字が掲げられ、店内からはほのかに焼き菓子と果実の香りが漂っていた。
「おお……良い匂い……!」
まどかが目をきらきらさせながら鼻をすんすん鳴らす。
「仕事中だぞ」
と、直哉は冷静に言いながらも、口元に甘い期待がにじみ出ていた。
(この店……テレビで見たやつだ。限定の“ガトー・レーヴ”が……)
彼は一歩足を踏み入れた途端、目を細めた。
「……まさか、こんな香りの中で宝石が盗まれるとはな」
「逆に、犯人がスイーツに気を取られてしまった可能性は?」
「お前と同じだな」
「こらっ、私はちゃんと仕事してます!」
カラン、とドアの鈴が鳴る。
中はガラスのショーケースが美しく並び、パステルカラーのマカロンや煌めくジュレが宝石のように飾られていた。
警察の現場検証はすでに終了しており、テープも外されていた。
中では年配のオーナーと、カフェ店員数名が緊張した面持ちで待っていた。
「橘刑事と霧島刑事です。本日より本件を担当します」
直哉が手帳を見せ、落ち着いた声で名乗る。
「お忙しいところ、ありがとうございます……。まさかこの店で、こんなことが……」
と、オーナーが恐縮しながら応じた。
「盗まれたのは宝石。常連の奥様が、スイーツを食べ終える直前に気づいたとか」
「ええ。シャルロット様というお客様で、毎週火曜の18時にいらっしゃるんです。
あの日もいつも通り、決まった席で、“幻のガトー・レーヴ”を……」
まどかがメモを取りながら目を細める。
「それ、食べてみたかったやつ……。いえ、違う、“その限定スイーツ”の提供時間って決まってるんですか?」
「え、ええ。18時30分から5分間だけです。日持ちしないので、その時間帯に予約のお客様にだけお出ししています」
「ふーん……」
まどかは頷きながら、ショーケースに釘付けになっている直哉に気づく。
「……ちょっと、見すぎ。涎、出てますよ」
「出てねぇよ……!」
小さく咳払いをして、直哉は真顔に戻った。
「とにかく、昨日の出入りは? 客とスタッフ、全員の名前と動線を洗わせてください」
「もちろん。すぐにリストを……」
そのとき、奥からスラリとした若い女性スタッフが現れた。
ふわりと香るのはフローラルな香水。視線がまっすぐに――まどかを見つめる。
「霧島さん……ですよね。私、テレビで見たことあります。こんなに、素敵な人だったんですね……」
「えっ?」
直哉が思わずぴくっと反応した。
(……またかよ)
店の奥、小さなバックヤードに設けられたテーブル席に、容疑者となる関係者4名が呼び集められていた。
直哉とまどかは、それぞれ手帳を手にして順番に対面する。
⸻
■容疑者①:オーナー・村瀬エイジ(60代・男性)
表情は穏やかだが、やや挙動不審。
「シャルロット様の宝石が盗まれたと聞いて……まさかうちの店で……」
直哉は静かに訊ねる。
「昨日の18時半、お店にいましたね?」
「もちろんです。私はずっとレジ横で接客をしておりました」
まどかがメモを取りつつ首をかしげる。
「でも、防犯映像では18時40分ごろに、カウンター奥の扉から出入りする姿が映ってましたよね?」
「えっ……あ、ああ、あれは……ちょっと……トイレに……」
(おや……?)と直哉が目を細める。
⸻
■容疑者②:スタッフ・羽田ノア(20代・女性)
先ほど、まどかに熱い視線を向けてきた女性スタッフ。
長身で端正な顔立ち、よく通る声と自信満々の態度が印象的。
「霧島さん……こんな形でお会いするなんて、思ってもみませんでした」
まどかはちょっと引き気味。
「……羽田さん、事件当時は?」
「シャルロット様のテーブル担当でした。“ガトー・レーヴ”を運んだのも私です」
直哉が食い気味に尋ねる。
「宝石が消えたのは、その直後ですよね」
「そうですね……でも私は、そのまま厨房に戻ってます。すぐに証明できます」
「厨房の誰かと話した?」
「ええ、パティシエの佐野さんと少しだけ」
まどかが小声で、
「……この人、すっごい落ち着いてて逆に怪しい」
「あとお前に対してテンション高ぇのも逆に怪しい」
⸻
■容疑者③:パティシエ・佐野龍之介(30代・男性)
白いコック服に身を包んだ寡黙な男。頬には小さな火傷の痕がある。
話しかけてもほとんど目を合わせない。
「……俺は、“レーヴ”の仕上げで手が離せなかった。ずっと厨房にいたよ」
声は低く、語気は強め。
「羽田さんが戻ってきたの、覚えてますか?」
「……来たよ。でも話なんかしてない」
羽田ノアの証言と微妙に食い違っている。
まどかがそっと直哉に耳打ちする。
「えっ、どっちが嘘ついてるんでしょう……まさか、どっちも……?」
「その可能性が高い」
⸻
■容疑者④:常連客・堂島エリ(40代・女性)
高級ブランドに身を包んだ常連客。盗まれた宝石の持ち主――ではなく、その隣のテーブルにいた人物。
「シャルロット? あの人、いつもイヤミったらしく宝石見せびらかしてたから……狙われるのも当然よ」
「事件当時は?」
「スマホを見てたわよ。ちょうど新作バッグの情報が出てて。……犯人なんか、見てないわね」
だが、まどかがぼそっと。
「この人のバッグ……事件前に見たときは茶色だった気がするけど……」
直哉がすかさず目配せ。
羽田ノアの証言に続き、パティシエ・佐野龍之介の言葉を聞いた瞬間、まどかの眉がきゅっと寄った。
「え……あれ? 羽田さんは“話した”って言ってましたよ?」
佐野は鼻で笑っただけで、それ以上口を開こうとしない。
(証言が食い違ってる……)
まどかは手元のメモを見つめながら、ぽつりとつぶやいた。
「でも……私が厨房の前を通ったとき、二人とも目を合わせてなかったんですよね……なんか変な距離感で」
直哉は無言で頷いた。
さりげなく羽田の手元を見やると、香水の香りがスイーツの香りに混ざって強く漂っていた。
気づいていないふりをしながら、彼は視線を次の人物へ移す。
オーナーの村瀬は、ちらちらと時計を気にしながら汗を拭っていた。
口調こそ丁寧だったが、まるで**“自分に話題が振られないこと”を祈っている**ように見える。
「レジにいたって言ってたけど、映像には18時40分に裏口から出入りする姿が……」
まどかがぼそっとつぶやく。
直哉は軽く片眉を上げると、さらに視線を向けたのは堂島エリ。
やたらとシャルロットに対して嫌味を吐きながらも、本人はどこか落ち着かない様子でバッグを何度もいじっている。
しかも――
(そのバッグ、店に入ったときは別の色じゃなかったか?)
直哉はごくりと小さく喉を鳴らす。
⸻
◆直哉の心の声
(羽田と佐野の証言は微妙にズレている。
厨房で何かを隠した? あるいは――犯行そのものに関わった?)
(村瀬オーナーの“トイレ”はおそらく嘘。裏口から外に出る必要なんてなかったはずだ。
店の金じゃなく、客の宝石が盗まれたのに、どこか他人事に見える)
(堂島のバッグの色が変わってる? あり得ないことじゃないが……
替えのバッグを持ってきていた? いや、**“何かをバッグに入れた痕跡”を消すために”**入れ替えた可能性がある)
(みんな、何かを隠してる。そして、誰もシャルロット本人の様子を気にしていないのも、妙だ)
(……これは単なる盗難事件じゃない。
“誰が盗ったか”だけじゃなく――
**“誰が盗まれたことにしたのか”**が、この事件の本質かもしれない)
霧島、シャルロット本人と話してみろ」
直哉がぽつりと言った。
「はいっ!」
気合の返事をしたものの、まどかの足元は少しふらついていた。
それもそのはず――シャルロットはまどかがテレビに出たことのある“有名人”だと知っている客で、さらにファッション誌の常連でもある。
思わず背筋が伸びる。
カフェの中庭、日傘の下に座っていたシャルロットは、指先に細いグローブをつけたままカップに口をつけていた。
「……あなたが、霧島さん? まぁ、写真より素敵ね」
「え、あ……どうも……。あの、事件について、少しお話を……」
「ええ。盗まれたのは、ダイヤのピアス。片方だけ」
シャルロットはゆっくりと首を傾けた。
「気づいたのは、ケーキを食べ終えたあと。紅茶を飲んだとき、耳元が軽いなって気づいて……」
まどかは手帳にメモを取りながら、あることに気づく。
「……えっと、そのピアス、どちらの耳でした?」
「左よ。どうかしたかしら?」
「左耳が店の奥側でしたよね。私もあの席に座ったことあるんですけど、奥側って……すごく甘い香りがこもるんです」
「ええ、確かに。昨日は特に、ガトー・レーヴの香りが強くて……」
(……ガトー・レーヴの香り……甘さでごまかす……!)
まどかの天然な記憶と感覚が、突然一本の線で繋がった。
⸻
Scene:直哉の詰め将棋
店内に戻ったまどかは、鼻息を荒くして直哉のもとへ駆け寄った。
「橘さん! 香りです! 甘い香りが、左側に強く残ってたんです!」
「……なるほど」
直哉はポケットから、昨日の提供メニューと座席配置のメモを取り出した。
「昨日、香りの強い“ガトー・レーヴ”を出した時間は18時30分。シャルロットの席は厨房寄り。
そして、左耳からピアスが盗まれた。だけど、ピアスなんて、香りで紛らわせるものじゃない。普通なら気づくはずだ」
「でも、香水とスイーツの香りが混ざってれば……わかんなくなります!」
「そういうことだ。――“近づかれても気づかない状況”が仕組まれていた。
つまり、シャルロットのすぐそばにいた誰かが、左側から手を伸ばしたんだ」
「でも羽田さんは右側のスタッフで、佐野さんは厨房に……。
あっ、となりの席の――堂島さん!」
直哉はニヤリと笑った。
「そのとおり。堂島エリは、事件後にバッグを替えてる。
左側に座っていれば、シャルロットの耳元に手を伸ばすのも簡単だ。
さらに、彼女は宝石には興味がないふりをしていたが――“盗まれると思ってた”と言ったのはおかしい。予言者かよ」
「それに……あのバッグ、見覚えあります。テレビで!」
「おそらく、盗品を他の客のバッグに一時的に入れて、あとで持ち去るつもりだった。
が、タイミングを外した。だから慌ててバッグごと持ち帰った。――証拠は、堂島エリの持ち物に残ってる」
⸻
Scene:事件解決、そして余韻
数時間後――
堂島エリのバッグからは、片方のピアスと小型のジュエリーツールが見つかり、犯行を認めた。
動機はシャルロットへの嫉妬と、過去に起きた小さな確執。
華やかな店内で起きた地味な盗みは、こうして終わりを迎えた。
まどかは深く息を吐く。
「疲れました……。なんか、犯人より甘い匂いにやられた感じです……」
「俺は事件より“幻のガトー・レーヴ”が気になって仕方なかったけどな」
「こらっ、刑事失格!」
「……お前にだけは言われたくねぇ」
ふいにまどかが、そっと視線を逸らして言う。
「……でも、今日の橘さん、ちょっとかっこよかったですよ」
直哉の心臓が、跳ねた。
「なっ……」
「――あんたって、たまには、頼れるんですね」
「また“あんた”かよ!」
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