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第12話:悪戯に咲く毒の花
しおりを挟む深夜2時、雨は降っていなかったが、湿った空気が路地裏にまとわりつくように漂っていた。
繁華街の一角、ネオンの明かりが鈍く瞬くキャバクラ『LUXIA(ルクシア)』の前で、パトカーのライトがじわじわと赤青を繰り返していた。
橘直哉は、シークレットブーツのかかとを気にしながら、現場へと歩みを進めた。
「で? 今回もまた、派手な現場ね……」
背後から聞こえたのは、相棒・霧島まどかの声。
警察の制服から私服に着替えたばかりの彼女は、いつもより少しだけ派手なピアスをつけている。
現場がキャバクラと聞いて、無意識に気を張っているのかもしれない。
「被害者は朝比奈ルカ、28歳。店のナンバーワンホステスだったそうだ。店のVIPルームで意識不明になっていたのを、同僚が発見。
救急搬送されたが、死亡が確認された」 そう言って、直哉は資料を見ながら眉をひそめた。
「酒に混ざってたのは睡眠導入剤。でも量が多すぎる。自殺か、事故か、あるいは……」
「他殺か。――でもそれって、本人が薬を持ってたってこと?」
「バッグから同じ成分の錠剤が出てきてる。妙だろ? 自分で盛った可能性はあるが、酒を誰が用意したかが鍵になりそうだ」
VIPルームの扉が静かに開かれた。
現場保存用のビニールシートの内側に、ルカの遺体がまだ安置されていた。
彼女は黒いドレスを身にまとい、まるで眠るように横たわっていた。
整った顔立ちに、微笑みの痕跡すら残して。
「……きれいな人だね」
まどかがつぶやくように言った。
直哉は、その言葉の裏にあるものを感じ取った。羨望なのか、哀れみなのか。それとも、別の何かか。
「でも、ただのきれいな人が、こんなふうに突然死ぬってのは、やっぱりおかしいよね」
「そうだな。だからこそ、俺たちがいるんだ」
直哉はふっと笑って、ビニールシートの中に視線を戻した。 その横で、まどかの目がすっと鋭くなる。 ――何かが、始まろうとしていた。
「朝比奈ルカさんに関係のありそうな人物を、ひとまず控室で待たせています」
現場の巡査が告げると、まどかはノートを片手ににこやかに頷いた。
「じゃあまず、同じ店で働いてた子からお願いできますか?」
控室に入ってきたのは、鮮やかな赤いワンピースを着た女性。華やかさの裏に、どこか憔悴の色を隠しきれない。
「葵です。相沢葵。ルカとは……まぁ、一応仲良かったです」
「“一応”というのは?」
直哉が口をはさむと、葵は口元をきゅっと引き結んだ。
「彼女、ナンバーワンだったから。客を取られたって怒る子もいたし……。でも私は、そういうの、気にしてなかったです」
まどかが優しく声をかける。
「最後に彼女と話したのはいつ?」
「営業前にメイクルームで。あの子、いつも通りでしたよ。ちょっと疲れてる感じはあったけど……まさか、死ぬなんて」
話すうちに、葵の目元が赤くなる。だが直哉は、葵の指先が微かに震えているのを見逃さなかった。
(この女……何か、隠してるな)
葵が退室すると、まどかがぽつりと呟いた。
「優しい目をしてたけど、涙は出てなかったですね」
直哉はまどかの横顔を見て、小さく頷く。
「それに、爪の間にラメが残ってた。ドリンクを作ってたって言ってたが、VIPルーム担当じゃなかったはずだ」
続いて入ってきたのは、ルカの元恋人とされる男――
「工藤悠斗。……もう関係ないですけどね、あいつとは」
ふてぶてしい態度で椅子に座ると、煙草を取り出しかけて直哉に止められる。
「……まぁ、俺が疑われるのもわかるっすよ。昔、ちょっと揉めたことあったし」
「揉めた、って?」
「別れた後もしつこく連絡してて、ルカに通報されかけたんすよ。でもマジで、もう吹っ切ってました。事件当夜? ああ、ネトゲしてました。ログ残ってますよ」
調べてみると、確かにログイン履歴は本物だった。
「無理して作ったアリバイじゃないみたいだね……」
最後に呼ばれたのは、店の人気ホスト・白石レン。
「……ユナ、じゃなかった。ルカには……特別な感情がありました」
物静かな青年。だがその目はどこか虚ろだった。
「彼女、最近よく悩んでました。『私、ここにいていいのかな』って」
「何かトラブルでも?」
「それは……俺からは……」
レンは明らかに口を濁した。
(あえて話さない、か。だとすれば、ルカに何か打ち明けられていたんだろう)
事情聴取を終えた帰り道、まどかがぽつんとつぶやいた。
「ねぇ……ルカさんって、本当に自分で飲んだのかな?」
「どういうことだ?」
「もし、自分で飲んだんだとしたら、なんでバッグの中じゃなくて“あの位置”に薬を入れてたのかが変なんです」
直哉は足を止める。
(そこか。そこに、この事件の歪みが潜んでいる)
翌日、まどかと直哉は再び『LUXIA』を訪れ、防犯カメラ映像を確認していた。
ルカが倒れたVIPルームの入り口に設置された天井カメラの映像。そこに、あの夜の登場人物たちが次々と映っていた。
「やっぱりこの子……葵さんだよね。ルカさんのグラスに何かしてる」
まどかが画面を指差す。映像には、ルカの席に近づいた葵が、グラスを手に取り、一瞬視線を周囲に送ったのち、ポーチから何かを取り出す動きが映っていた。
「はっきりと薬を入れた瞬間までは映ってないが……これはもう、状況証拠としては十分だな」
「でも……おかしいの。どうして葵さんがそんなことを?」
まどかは腕を組んで考え込んだ。そして、ふと思い出したように言った。
「あ、そういえば。昨日控室にあったバッグ、持ち手のところに粉みたいなのが付いてたんですよね。ルカさんのバッグじゃなかったと思うけど……」
「……ん?」
直哉が顔を上げる。まどかの無意識の観察力は、たまに核心を突く。
「まどか、それって何色の粉だった?」
「うーん、白っぽくて、ちょっとキラキラしてた。あ、ラメかなって思ったけど、実は薬の粉……とか?」
直哉はハッとする。
「それだ……!」
ラメ。つまり、粉末の中に混ざった微細なグリッター。
前日、葵の指先にあったラメ。ルカの飲み物に入っていた薬。
(量を誤ったのではない。ラメ入りの化粧品に見せかけて、薬を隠すつもりだった……!)
そして――
映像には、ルカのバッグと全く同じデザインのクラッチバッグを、葵が持ち歩いていた姿も記録されていた。
「……偽装だ。ルカのものに見せかけたバッグで、薬を仕込んだ」
直哉は立ち上がる。
「自殺に見せかけた、計画的な殺人だ」
⸻
その日の夕方、取り調べ室。
葵は静かに頭を下げた。肩が震えていた。
「……殺すつもりじゃ、なかったんです。ルカが店を辞めるように、少しだけ眠らせてやろうと……そしたら、量を間違えて……」
まどかは黙って俯いた。
直哉もまた、黙ったまま机の上の書類をめくる。しばらくの沈黙のあと、彼はゆっくり口を開いた。
「……少し、だけ眠らせてやる。――そんな言い訳が、通じると思うか?」
「……」
「お前がやったことは、“悪戯”なんかじゃない。立派な――殺人だ」
⸻
その夜、捜査一課の部屋に戻ったふたり。
まどかは珍しく静かだった。ぼそりと漏らした。
「……あの人、本当に、ルカさんのことを妬んでただけだったのかな」
「妬みってのは、毒になるんだよ。目の前の誰かが眩しすぎると、人は平気で自分を見失う」
直哉は缶コーヒーを2つ取り出して、ひとつをまどかに渡した。
「ありがとう、橘さん」
「別に。お前、泣きそうな顔してたから、糖分でも補充しとけ」
「……優しいですね、たまには」
「“たまには”は余計だ」
そう言いながら、直哉はわずかに笑った。
まどかは静かに缶を開け、一口飲んで、ふっと目を閉じる。
「……にがい」
「甘いやつ買ったはずなんだけどな」
(やっぱ、天然だな)
⸻
🕊エピローグメモ:
• 事件の動機は小さな嫉妬心、ほんの“悪戯心”のつもりだった
• でも、それが人の命を奪ってしまうこともある
• まどかのささやかな観察眼と天然の発言が、事件解決の鍵になった
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