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第13話:嘘つきの隣で
しおりを挟む木曜日の午後、霧島まどかはいつになくゆっくりと歩いていた。
非番の日、久しぶりに時間を持て余して、何か面白いものはないかとスマホをスクロールしていたとき、あるスレッドが目に止まった。
《毎週木曜、同じ花を持って現れる女がいる。話しかけると、必ず嘘をつく。でもその嘘が、ちょっとだけ優しい》
そんな話にまどかは目を奪われ、気づけばその喫茶店を検索していた。
「いとはし」──駅からほど近い古びた喫茶店。
レビューには「昭和の香りが残る店」「静かで時間が止まってるみたい」とあった。
店のドアを押すと、鈴の音がささやかに鳴った。
木の香り、ゆるやかなジャズ、古い掛け時計のカチカチという音。
カウンターには初老のマスターが一人、客は数人だけ。
「……あら」
まどかは思わず声を漏らした。角の席に見知った背中──橘直哉が、新聞を読みながらアイスコーヒーをすすっていた。
「よう。おまえも来たか」
「なにしてるんですか、こんなとこで」
「非番。おまえもだろ?」
まどかは軽くうなずき、橘の向かいに腰を下ろす。いつも通り、なんとなく気を遣わなくていい相手。
「ネットで見て……気になって」
「都市伝説のやつか。あの“花の女”の話」
まどかは少し驚いた。
「橘さんも、それ見て来たんですか?」
「ま、興味本位さ。嘘をつく女って、どんなもんかと思ってな」
そう話していたまさにそのとき、扉のベルが再び鳴る。
午後2時15分。時間ぴったりに、白いワンピースをまとった女性が現れた。片手には、白と薄紫の花を抱えている。
静かにカウンターに会釈をすると、彼女は奥の席──いつも座っていたのだろう、迷いなくそこへ向かう。
「ブレンドをひとつ」
小さく注文した声が、店内にかすかに響いた。
そして、数分後。
彼女はカップに口をつけ、ゆっくりとテーブルに戻す。
──その直後、彼女の体が音もなく崩れた。
「っ……!」
まどかはすぐさま駆け寄った。橘も立ち上がり、カップを確認する。
「意識は……ある?……返事、できる?」
女性は薄く目を開けようとしたが、すぐに閉じた。脈はある。呼吸もある。ただ、意識がない。
橘は落ち着いた手つきでスマホを取り出し、救急要請をする。
テーブルの上には、彼女が持っていた花束が置かれていた。
まどかが目を止めたのは、そこにひっそりと添えられた、赤い糸で縫い付けられたメモだった。
「……“嘘が、あなたを守ると思ったの”?」
その言葉が、静かな店内に、不穏な響きを残した。
救急車が到着したのは、それから十数分後だった。
三好亜子──そう書かれた診察券が、彼女の財布から見つかった。
意識は戻らないまま、彼女は搬送された。
まどかと橘は非番だったため、その場にとどまり、簡単な事情聴取に協力した。
橘は、医療関係者に頼んでカップと花束の成分検査を依頼。
ごく微量だが、植物性の鎮静成分が検出された。
「中毒ってほどじゃねえな。……でもわざわざ花束に仕込むかね?」
「メッセージカードもおかしい。“嘘が、あなたを守ると思ったの”。誰かからの忠告か、脅しのようにも読める」
その日の夜、まどかは《いとはし》の常連とされる花屋を訪ねた。
「栞(しおり)」という店主の女性は、喫茶店での三好の行動をよく覚えていた。
「毎週、同じ時間に、白い花を選んでいかれましたよ。アリッサムとレースフラワー。香りがほんのりあって、控えめな花たち」
「彼女、誰かと会ってたんですか?」
「さあ……私はお見かけしたことないけど、“彼にまた会うの”ってよく言ってました」
まどかは首を傾げる。
「“また”って?」
「“毎週、同じ時間に来てくれるの。木曜日の午後2時半。だから、私も来るって決めたの”って。笑ってましたよ。とても穏やかな顔で」
翌日、橘は別ルートで三好の過去を洗っていた。
勤務先の記録から、数年前まで脚本制作会社に勤めていたことが判明。
その会社には現在人気脚本家となっている──竹下諒の名前があった。
「なんか噂もあるな。昔つきあってたらしい。共同執筆とか、ゴーストとか」
「じゃあ……あの“彼”って、竹下諒?」
「そうかもしれねえ。ただ、竹下のSNSもスケジュールも、ここ数か月で《いとはし》に立ち寄った形跡はない。完全に切れてるみたいだな」
まどかの脳裏に、再びあのメモの言葉が浮かぶ。
“嘘が、あなたを守ると思ったの”
三好亜子は、なぜそんな言葉を残したのか?
それは彼女が誰かに裏切られた結果なのか?
それとも、自分でついた嘘を、誰かに伝えたかったのか──。
霧島まどかは、もう一度喫茶店《いとはし》へ足を運ぶ。
静かな午後。カウンターのマスターに尋ねる。
「三好さん、よく来てたんですよね」
「ええ。ほとんど毎週。5年になります」
「……その間、誰かと一緒に来たことは?」
マスターはわずかに首を振った。
「一度も。いつも一人です。ただ──いつも、同じ席に“向かいの椅子”を引いていました」
「……誰かのための、席?」
「そういうことだったのかもしれませんね」
まどかはその光景を想像する。
白い花を抱え、静かに笑う女性。
5年という月日を、ただ一人で通い続けていた人。
誰かが来てくれると信じて──いや、来ないと分かっていても、その“嘘”を信じて。
そして彼女は、自分で自分に言い聞かせていたのかもしれない。
“嘘が、あなたを守ると思ったの”と──。
数日後、三好亜子がようやく意識を取り戻したという報せが入った。
病室に現れた橘とまどかを見て、彼女は少し驚いたような顔をしたが、すぐに笑った。
「……もしかして、あの喫茶店にいたおふたり、ですよね」
「ええ。偶然、ね」
まどかは椅子を引いて腰かけ、静かに切り出した。
「三好さん、ご自身で薬を用意していたんですね。花束の中に紛れ込ませて。あのメモも、自分で用意した」
驚きはなかった。三好は小さくうなずいた。
「……ごめんなさい。騒がせてしまって。でも、ほんの少しだけ、忘れたかったんです」
「誰を?」
「彼を。……いえ、自分自身を、かもしれません」
三好は5年前のことを語った。
竹下諒と組んで脚本を書き、恋人でもあったこと。
だが彼が注目され始めると、彼女の存在は徐々に“なかったこと”にされた。
「最後に言われたんです。“木曜の午後、話をしよう”って。でも、彼は来なかった」
それでも、三好は喫茶店に通い続けた。約束を信じたわけではない。
「私は、“信じた私”でいたかっただけなんです」
花を抱え、同じ席に向かいの椅子を引いて座る日々。
彼が来ないことはわかっていた。けれど、それでも座り続けることで、自分が無価値だったという事実から目を背けたかった。
「“嘘が、あなたを守ると思ったの”──それ、彼に宛てた言葉ですか?」
まどかの問いに、三好はゆっくりと首を振った。
「いいえ。……私が、私に宛てた言葉です」
沈黙が流れた。
橘が、少しばかりぶっきらぼうな口調で言った。
「だけど……そんな嘘の守りかた、命に関わっちまうぞ」
「……だから、終わりにしたかったんです。花束と、あの席と、一緒に」
まどかは立ち上がり、そっと声をかけた。
「誰かのための嘘じゃなくても、自分のために信じていたことは、ちゃんと意味があったと思いますよ」
三好は、少しだけ泣いたような顔で微笑んだ。
***
数日後、「いとはし」の席には、もう白い花束はなかった。
けれど、まどかはその席を見て思う。
誰かが来るかもしれないと信じること。
来ないと知っていても、待ち続けること。
それは、とても静かな、強さの形かもしれない──と。
***
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