『容疑者は君に夢中?〜捜査一課の恋と事件簿〜』

キユサピ

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第29話 :優しい檻と、甘い嘘

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1. 優しい檻

「……もう一人、まだ、あの部屋にいます……」

その夜、保護された少女は震える声でそう呟いた。
顔には小さな擦り傷、瞳の奥には怯えと、なぜか“後ろめたさ”が滲んでいた。

その証言を受けて、警察が踏み込んだのは都内の古びたアパートの一室。
無施錠のドアの奥、カーテンを閉め切った部屋の隅で――もう一人の少女がじっと座っていた。

彼女の名は黒川紗月(17)。
穏やかな顔で、ベッドに座り込んだまま、警察の呼びかけにも表情を変えなかった。

「私はここにいたいんです。……連れて行かないでください」

そこにいたのは、“助けられる側”ではなく、まるで“守るべき場所を奪われそうな”少女のようだった。



2. それでも彼女は言う

「橘さん、これ、ほんとに監禁なんでしょうか」

まどかが資料をめくりながら呟くと、隣でコーヒーに砂糖を三本も入れていた橘が顔を上げた。

「確かにな。自分からいたって言ってるし、扉に鍵もなかった」

「でも、見てください。日記の記録。食事の時間も会話の内容も、“彼”が全部決めてる」

「見えない“枠”で囲まれてたってことか……まどかの言う通りかもな」

まどかは頷いた。
自由に見える空間が、実は“優しさ”という名の鎖で縛られていたとしたら。
自分から望んだと思わせる監禁ほど、根が深いものはない。



3. 出会い ― 咲良という人

その日の夕方。
まどかは聞き込みの帰り、偶然立ち寄ったプリン専門店「凪月」で、**咲良(25)**という女性と出会う。

店内には優しい香りと、色とりどりの手づくりプリン。
カウンターの奥、咲良は静かにまどかの目を見つめた。

「ニュースで見ました。あの子の目……昔の私みたいでした」

咲良は、自らの過去を語った。
10代の頃、年上の男に「そのままでいていい」と言われ続け、囲われるように暮らしていたこと。
すべてが穏やかで、優しくて、でも――自分で何も選べなかった日々。

「“そのままでいい”って、ほんとは甘くて怖い言葉なんです」

その言葉に、まどかはドキリとする。
かつて、自分も――「理想の女の子」として扱われることに、微かな違和感を抱いていたからだ。



4. 対面 ― 檻の中の少女と、元・囚われ人

「少しだけ、誰かの話を聞いてみない?」

まどかの提案で、保護された紗月と咲良が、面会室で対面することになった。
紗月は最初、警戒したように俯いていたが――咲良が口を開くと、その肩がほんの少しだけ揺れた。

「あなたのことは知らない。でも、私もかつて……“優しさに閉じ込められた”人間だったの」

咲良は語った。
毎日「無理しなくていいよ」「そのままでいいよ」と言われる心地よさ。
しかし、それがいつの間にか“選択の自由”を奪い、
“本当の自分”を見失わせていたこと。

「……でも私、それでもその人を嫌いになれなかったの。
 だから、あなたの気持ちも、ちょっとだけ分かるつもり」

その言葉に、紗月が静かに顔を上げた。

「……私も、嫌いになれない。
 “変わらなくていい”って、救いの言葉に聞こえた。
 でも……もしかして、“変わらせたくなかった”だけだったのかな」

その瞳には、はじめて“迷い”と“問い”が浮かんでいた。



5. 手渡された甘さ

咲良がまどかから受け取った小さな包みを、そっと紗月に差し出した。
中にはプリンと、手書きのメッセージカード。

「好きに食べて。甘いのが苦手なら、残してもいいから」

紗月はそれを見つめ、ゆっくりと――ほんの少しだけ、笑った。

「……私、選んでいいの?」

「うん。選んでいいよ。残しても、食べても」

プリンをひとくち口にした紗月の目に、涙がにじんだ。

「……甘い。けど、逃げられる甘さだね」



6. 夜風の中で

事件は送検され、紗月はケア施設での生活に移ることになった。
まどかと橘は、帰り道の歩道橋の上で、夜風を感じていた。

「“そのままでいい”って言葉、やっぱりちょっと怖いな」

まどかが呟くと、橘が横で頷いた。

「だから、たまに“変わってもいい”って言ってくれる人の方が、信用できるかもな」

「それ……今の私に言ってます?」

「さあ? プリン買ってくるか?」

「……はい、はい。どうせ甘党でしょう」

二人の会話が夜に溶けていく。
まどかの心のどこかにあった、見えない“檻”が、少しだけ軋んだ音を立てて、ほどけた気がした。

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