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第40話:ティーカップに沈んだ嘘
しおりを挟む1.午後三時の騒動
「――この紅茶、毒でも入ってるんじゃなくて?」
咲良の店内に、冷たい声が響いた。
白いレースの手袋を添えたティーカップが、カウンターの上でカシャンと揺れる。
口元に涼しい笑みを浮かべていた女――香坂凛々子は、店内の注目を一身に集めながら、わざとらしく肩をすくめた。
「舌がしびれるような味がしたのよ。おかしいと思わない? 私はね、日々五百種類の紅茶を味わってるの。誤魔化しは通用しないのよ、プリン屋さん」
カウンターの向こうで紅茶を注いでいた咲良が、目を瞬かせた。
「えっ……そ、そんな……! うちの紅茶はずっと変えてないし、ちゃんとした葉を使って――」
「ちゃんとした、の基準がそちらと私で違うのでしょうね。残念ですけど、これはもう“スイーツ評論家”として書かざるを得ないわね」
まどかが咲良の方へ歩み寄る。
「お店に出した紅茶、他のお客さんは普通に飲んでたみたいですけど……」
「あなた、ここの人?」
「いえ、ただの――非番の警察官です。通報が必要そうだったら、今すぐにも」
凛々子が少しだけ表情を引きつらせた。
その後ろから、テーブル席でスプーンをくるくる回していた男が立ち上がる。
「凛々子、やめよう。誤解かもしれないだろ」
「佐伯、あなたは黙ってて。紅茶の味も分からないくせに」
「俺のカップには何も入ってなかったぞ?」
「それはあんたの舌が鈍いからよ!」
ふたたび騒然となる店内に、橘直哉がプリンを一口すすって言った。
「……なんで俺が甘いもん食ってる時に限って、事件のにおいがしてくるんだよ」
⸻
2.紅茶の謎と霧島の天然ボケ
しばらくして騒ぎも落ち着き、咲良がこっそりと直哉とまどかの元にやってくる。
「本当にごめんね。非番なのに……助けてくれて」
「べつに通報されたわけでもないですし。俺は甘いもん食ってただけですし」
「まあ、あの人がほんとに“毒が入ってた”とか言い出したら、一応捜査にはなるかなあって思って……」
「霧島。あの言い方、“火に油”って知ってるか」
「え? え? でも、言ってることおかしかったですよね?」
直哉がため息をつきながらも、悪びれた様子はない。
「……でもさ、舌がしびれるって、どんな感じなんでしょう。ちょっと、体験してみたいかも」
ぽつりとまどかが言った一言に、直哉がスプーンを止めた。
「おい。そういうのを“フラグ”って言うんだぞ」
「ふらぐ……?」
「もういい」
⸻
3.ティーカップの温度差
橘は手袋をつけたまま、凛々子の使ったティーカップを手に取り、皿の裏を撫でる。
指先が止まったのは、カップのソーサー裏、小さな銀色のシールのようなもの。
「……これ、なんだ?」
咲良がのぞき込む。
「あれ? こんなの最初から貼って……ない、と思う。え、なに? これ磁石?」
直哉は眉を寄せたまま、まどかを見る。
「霧島。そこのレジ横に置いてあったやつ、取って」
「これですか? あっ……携帯式のカイロ?」
「そう。USB充電式のポータブルヒーター。形状も薄いし、底が磁石になってる。……つまりだ」
カチリ、とソーサーに磁石が吸い付く音。
「このソーサーの下にヒーターをくっつけておけば、中の紅茶だけ、じわじわと温め続けられる。気づかれずにな」
まどかが目を丸くする。
「……そんなの、どうやって置いたんでしょう? 誰にも気づかれずに」
直哉が腕を組んで呟く。
「注文時。カウンターにトレイが出て、咲良が一度下がった数秒間。そのときに佐伯が――」
「――“そっとトレイの裏からくっつけた”ってこと?」
直哉がうなずく。
「カップ自体がやけに温かかったのは、ヒーターで加熱され続けてたから。
しかもメントール系のアロマオイルを微量入れておけば、温度によって味が大きく変わる。
高温だと、しびれるような苦味になる」
まどかがぽつりと呟く。
「……でも、その細工って、誰に気づかれてもおかしくなかったですよね? バレたら大ごとになるかもなのに、なんでそんなこと……?」
直哉はゆっくりと視線をカウンター奥へ向けた。
⸻
4.惚れられて、動揺して。
その日の夜、事情聴取のために呼び出された佐伯は、驚くほど素直に口を開いた。
「……あの人が、俺を“評価してる”んじゃなくて、“所有してる”んだって気づいたのは……一年前くらいかな」
「別れたいけど、逆らえない。だから――向こうから“別れたい”って言ってくれるように細工した、と」
「でも、霧島さんの言葉でちょっと救われたんですよ。あの、“しびれる味も、ちょっと体験してみたいかも”って――。あの一言が、なんか……」
「……ちょっと待て。それ、現場で聞いてたのお前か?」
「はい。すみません、たぶん、恋しちゃいました」
「待てや」
直哉がテーブルを軽く叩く。
「勝手に惚れてんじゃねえ。うちの部下だぞ」
「だからこそ! 控えめに言って、お似合いだとは思ってましたが、僕ならきっと――」
「黙れ。次はお似合いとか言ったらプリン投げるぞ」
⸻
5.ふたりと、スイーツと。
夜の咲良の店。
事件も片付き、再び落ち着いた空気の中。
橘直哉はプリンにスプーンを差し込み、隣の霧島をちらりと見る。
「……まったく、また惚れられてるし」
「えっ? わたし? ……ええっ!? いやいやいや、私そんなつもりなかったですけど!? えっ、えっ、橘さん、なんで睨んでるんですか?」
「睨んでねぇよ。……っつか、プリンやるから黙ってろ」
「やった!」
直哉はぼそっと呟いた。
「……ほんと、天然って罪だな」
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