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第46話: ハンドクリームと、あなたの言葉
しおりを挟む昼過ぎのカフェ。静かな雨音と、ティーカップの微かな音。
「ねえ、直哉さん」
まどかはそっと口を開いた。
カップを両手で包み込みながら、照れたように視線を伏せる。
「お母さまのところに、お見舞いに行かせてもらえませんか?」
直哉は驚いたように目を見開く。
「……急にどうした?」
「ちゃんとご挨拶しておきたいなって思って。橘さんの大事な人だから」
そう言うと、まどかは小さな包みをバッグから取り出して見せた。
「これ、ハンドクリーム。無香料で、手肌に優しいって。看護師の友人がすすめてくれて」
直哉は一瞬黙ったあと、照れくさそうに笑った。
「……ありがとう。母さん、きっと喜ぶ」
•
午後の病室。
柔らかい光が窓から差し込んで、静かな空気が流れていた。
「まあまあ、直哉……ようやく来てくれたのね。しかも彼女まで連れて」
ベッドから笑みを浮かべたのは、橘さやか。
病に伏せているとは思えないほど、その目は明るかった。
「霧島まどかです。本日は突然お邪魔してしまって、申し訳ありません」
まどかは丁寧に頭を下げ、用意していた小さな紙袋を差し出した。
「今日は、お花の代わりにこれを。乾燥しやすいと聞いて……無香料のハンドクリームなんです」
「まぁ……気が利くわね。ありがとう。病院って本当に空気が乾くから、こういうの助かるの」
そう言って、さやかは包みを丁寧に開き、手に取る。
「使うのが楽しみね。あなた……本当に、きれいな人ね」
ふと、さやかが呟くように言った。
まどかは一瞬きょとんとしたあと、首を横に振った。
「そんなこと……私なんて」
「外見のことじゃないのよ。……言葉の選び方、仕草、人を思いやる目。全部がきれいなの。私は昔から、人の“内側”を見るのが得意なの」
直哉が気まずそうに横を向き、まどかは静かに頬を赤らめる。
•
しばらく、さやかが若い頃のエピソードや、看護師時代の話に花を咲かせた。
まどかは真剣に聞き入って、ときに笑い、うなずき、丁寧に言葉を返していった。
「あなたみたいな人が、直哉の隣にいてくれるなんて……私、本当に安心したわ」
「……そんな、大した者じゃありません」
「いいえ、あなたじゃないとダメなのよ」
その言葉に、まどかはふと視線を伏せた。
さやかの手をそっと両手で包み込む。
「お母さま……ありがとうございます」
その声は震えていた。
そして、言葉にならない涙が、ひと粒、まどかの頬をつたう。
「ごめんなさい……泣くつもりじゃ……なかったのに」
「泣きたいときは、泣けばいいのよ。涙は自然に出るものだから」
さやかがそう言って微笑むと、直哉は思わず顔をそむけた。
「……なんだよ、母さん。恥ずかしいだろ」
「ふふ、あんたは昔から素直じゃないの」
•
病院の出口。
夕方の空は少し雨模様だった。
「やっぱり、雨。直哉さんって、やっぱり雨男ですよね」
「そっちが雨女なんじゃないのか」
2人で傘を差し、肩を寄せ合う。
その距離が、もう誰の目にも明らかなほど近かった。
「……さやかさん、素敵な方ですね」
「だろ?あれで昔はバリバリの看護師だったんだぜ」
「うん。でも、どこか……お母さまの言葉って、私の中にすとんと落ちてきて……今もまだ、胸がいっぱいなんです」
まどかはそう言って、傘越しに微笑んだ。
「……泣いた顔、ちゃんと見られちゃいましたね」
「……俺だけの特権ってことで、いいんじゃね?」
「……バカ」
雨音がやさしく響く中、ふたりは肩を並べて歩き出した。
傘の下、確かに、ふたりの未来が見え始めていた。
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