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第50話:煙の向こうのハラスメント
しおりを挟む「ホント使えねー。マジで何回言わせるの?」
涼木唯人の声が、工場内の機械音の合間を縫って響いた。
その顔は笑っているようでいて、目は全く笑っていない。
坂口は思わず身を縮める。
「……す、すみません……」
返す声は蚊の鳴くような小ささだった。
その日、坂口は機械に左手を挟まれ、病院へ救急搬送された。
ライン上の非常停止ボタンはなぜか押されておらず、誰も異変に気づけなかった。
事故として処理されかけたその現場に、特別案件対策係──**通称:際物係《きわものがかり》**が派遣された。
「またウチか……」
南雲がぼやきつつも、真顔で現場を歩く。
「でも、事故の割に……ちょっと違和感ありますね」
霧島まどかはしゃがみ込み、機械の一部を指差した。
「ここ、誰かが部品を一度外してから戻してる形跡があります」
「うん……不自然に見えるね」橘直哉が隣で頷く。「それにしても……」
南雲が煙草をくわえたまま、誰もいない喫煙所を眺める。
「ここの“愚痴会”は有名やで。俺、前に内部告発受けたことあるんよ」
「告発……?」まどかが目を丸くする。
「坂口さんの前にいた新人、実は自殺未遂してる」
「えっ!?」
「しかもな、その前には定年手前のパートのおばちゃんが辞めとる。“毎日からかわれるのがキツい”ってな」
直哉は黙って、坂口のロッカーを開いた。そこに小さなノートがあった。
めくると、震える文字で綴られていた。
『怖い』『また言われた』『誰も助けてくれない』
『辞めたい』『でも逃げたくない』『でも怖い』
ページが歪むほど、涙で濡れた痕があった。
「……これは、もう事故じゃない」直哉が低く呟いた。
「でも、証拠が……」
まどかが不安そうに言うと、南雲が口を挟む。
「見たんや。坂口が怪我した時、笹木って奴が直前まで現場におった。しかも、あの人、ミスしても絶対認めへん。“俺だけが頑張ってる”タイプや」
「誰それ?」
「クセの強い、ハイエナ系のおっさんや。上司には愛想笑い、部下には無言圧。おまけに挨拶だけはしっかりするのがまたムカつく」
まどかが素直に「わかりにくいですね~」とつぶやくと、南雲がすかさずツッコミを入れた。
「ほらな橘くん! この子、刑事というより、もはや“癒し枠”や!」
直哉は苦笑しつつも、調査記録を開いた。
「でも、笹木の作業記録、確かに改ざんされてる」
さらに工場内の休憩室に仕込まれた会話記録に、涼木の声がはっきりと残っていた。
「やべ、坂口やらかした。まぁ、アイツ使えねーし」
「……え、非常停止? そんなん自分でなんとかするでしょ、フツー」
数日後──
「これ……録音です」
南雲が工場の休憩室から回収した音声データを再生する。
《──マジでアイツ、またやらかしたよ。使えねーって言ってんのに、わかんねーかな?》
乾いた笑い。複数の笑い声。
だが誰一人、「やめろ」とは言っていない。
「……こりゃ、ダメやな」
南雲が呟くように言った。
まどかは視線を落としたまま、手元のノートを開いた。
「坂口さんの作業ノートです」
そこには丁寧すぎるほど細かく手順が書かれていた。
「“怒られるのが怖い”“涼木さんが怖い”“でも仕事は好き”……」
直哉はそっとページを閉じた。
「笑い者にされても、居場所がほしくて我慢してたんだな」
—
事情聴取の場。
まどかはまっすぐ涼木を見つめた。
「“いじり”だって仰ってましたが、それで誰かが命を絶とうとしても、笑っていられますか?」
「そ……そんなつもりじゃ……!」
涼木の声は震えた。だが、まどかは表情を変えずに続けた。
「“そんなつもりじゃなかった”って、言葉だけじゃ、心は戻ってきません」
—
数日後。会社は涼木唯人を懲戒処分とし、管理職からの更迭と減給処分を下した。
さらに、ハラスメント対策チームの新設と、内部相談窓口の拡充も発表された。
笹木についても、証言の信憑性や行動の不誠実さが指摘され、配置換えとなる。
「……ま、ざまぁって気にもなれんけどな」
南雲が呟く。「もう少し誰かが早く声をあげてればって、そう思ってまうわ」
—
その帰り道。
直哉とまどかは、坂口が入院する病院の前に立っていた。
面会時間は過ぎていたが、ふたりとも足が止まらなかった。
「……坂口さん、きっとまた笑えるようになりますかね」
まどかが呟く。
直哉は静かに答える。
「俺たちがそのきっかけを作る仕事をしてる……そう思わなきゃ、やってられないよ」
まどかはうつむき、ぽつりと呟いた。
「こういうのって……“救えた”って言えるのかな」
直哉は少し黙った後、穏やかに微笑んだ。
「わからない。でも、“見つけられた”とは思うよ。暗い中で、手を差し伸べられたって意味で」
まどかの目が潤む。
だけど、少し笑って、「そうですね」と小さく頷いた。
———坂口の病室
「……ありがとうございました」
目に涙を浮かべ、坂口が深く頭を下げる。
「……あたし、もう一度、ここで頑張ってみたいんです」
まどかはその手をそっと握った。
「頑張りすぎないでくださいね。雨が降っても……傘、誰かが差してくれますから」
南雲がやってきて、しみじみと。
「ほんま、あんたが言うと傘も花もカレーもうまそうに聞こえるな」
直哉が、そっと微笑んだ。
——
この日、夜空には星が一つ、かすかに瞬いていた。
誰も気づかない場所で、それでも光を放ち続けていた。
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