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緑の溢れる庭園に、ルーチェは一人立っている。城の中庭で開催される会食会場に、ルーチェはエリアスと待ち合わせをせずに一人で現れたのだ。
一週間ぶりの登場、そしてエリアス王子のそばにいないルーチェを、周囲は珍しいものを見るような目で眺めている。
けれどルーチェは気にすることはない。これからは一人で生きていくと決めたからだ。
「ルーチェ、元気になったんだね」
その低く柔らかな声に、ルーチェの肩がかすかに跳ねる。誰が声をかけたのかなど、考えるまでもない。
振り向いたその先にいたのは、見慣れた金髪の青年――まさしくエリアス王子だった。
「エリアス様……!」
「病にふせっていると聞いて、とても心配したんだよ」
エリアスはまるで一週間前の出来事など何もなかったかのように、いつもと同じ優しげな笑みを浮かべているものの、彼をずっと見つめ続けてきたルーチェだけが、こちらにどこか探るような視線を向けているのに気が付いた。
「……ありがとうございます。すっかり元気になりました」
ルーチェは礼儀正しく応じた。だが、その声色には以前のような甘えも、縋るような熱もなかった。エリアスはそれが不審なのか、ルーチェを穴の開きそうなほどにじっと見つめている。
「あ……あの……」
かつてないほどに強い視線を向けられて、ルーチェは怯む。お礼の手紙は書いたし、約束もしていないから、失礼には当たらないはずなのだが──。
「私、なにか粗相を……」
「いや。今日は一段と可愛いね、ルーチェ」
エリアスはルーチェに向かって、にっこりと微笑んだ。
その言葉に、かつてなら頬を赤らめて喜んでいただろう。けれど、今はもう違うのだ。
ルーチェはまっすぐにエリアスの目を見つめ、控えめな笑みを浮かべた。
「ありがとうございます」
「そんなドレスを持っていたんだね」
「今日は……好きな色を着てみたんです」
「そうだったのか。君の柔らかい髪色とよく馴染んでいるよ。これからは好きな色を着るといい」
エリアスは微笑みながらうなずき、そのまま何気なくルーチェの頬に触れようと手を伸ばしてきた。
「あっ」
ルーチェは反射的に一歩、後ずさった。その動きはわずかだったが、エリアスの表情に一瞬、戸惑いの色が浮かんだ。
「ルーチェ……?」
「……なんでも、ありません……では、私、ご挨拶がありますので失礼しますね」
笑顔のままルーチェは彼に背を向けゆっくりと、それでいて明確に距離を取った。
「ルーチェ、待って」
エリアスは追いすがるようにルーチェのそばへ寄ると、控えめな声で問いかけてきた。
「僕、何かしたかな?」
低く押さえた声が、耳のすぐ近くで響いた。熱を帯びたような声にルーチェの胸がどきりと揺れる。
「君の気に障ることをしたなら、謝る。どんな些細なことでもいいから教えてくれないか……」
「い、いいえ」
エリアスの言葉を、今度はルーチェが遮った。
「……エリアス様に不満など、あるはずもありません」
言い終えてから、ルーチェはほんの一瞬だけ視線を泳がせた。けれどすぐに顔を上げ、穏やかな目でエリアスを見つめ返す。
この一言がたぶん最後のやりとりになるだろうと、ルーチェは思っている。
「ご自身に悪いところがあったなんて思わずに、自分の判断を信じてください」
そんなルーチェを、エリアスは目を細め、訝しげに見つめた。
「今日の君は普段とまったく違って見える。まるで別の女性のようだ」
「そうでしょうか?」
ルーチェは動揺を悟られぬよう、極力平静を装った。けれど胸のうちでは心臓がばくばくと跳ねている。
「……今までの私は、少し子供っぽいところがありました。何かと殿下に甘えてばかりで……。でも、私も先日成人いたしましたし、今後は少しおとなしくしてみようかと思いまして」
それは飾りのない言葉だった。エリアスは眉をひそめたまま、しばらくルーチェを見つめていたが、やがてふっと小さく息をついた。
「……そうか。君がそう決めたのなら」
それ以上、エリアスは何も言わなかった。ただルーチェの言葉を受け止めるように、静かにうなずいた。
「はい。それではエリアス様、ごきげんよう」
これは別れのあいさつだ。
ルーチェは背筋を伸ばして、彼の記憶にいつまでも残り続けるようにと願って、美しい礼をした。
「ああ、ルーチェ。また後でね」
ルーチェは微笑んだまま、小さく一礼をして背を向けた。足取りは慎重で、けれど迷いはなかった。まっすぐ前を見て、庭園を進んでいく。
背後からもう呼び止められることはなかったが、エリアスがずっと去ってゆく背中に視線を投げかけていたことに、ルーチェは気が付いていなかった。
一週間ぶりの登場、そしてエリアス王子のそばにいないルーチェを、周囲は珍しいものを見るような目で眺めている。
けれどルーチェは気にすることはない。これからは一人で生きていくと決めたからだ。
「ルーチェ、元気になったんだね」
その低く柔らかな声に、ルーチェの肩がかすかに跳ねる。誰が声をかけたのかなど、考えるまでもない。
振り向いたその先にいたのは、見慣れた金髪の青年――まさしくエリアス王子だった。
「エリアス様……!」
「病にふせっていると聞いて、とても心配したんだよ」
エリアスはまるで一週間前の出来事など何もなかったかのように、いつもと同じ優しげな笑みを浮かべているものの、彼をずっと見つめ続けてきたルーチェだけが、こちらにどこか探るような視線を向けているのに気が付いた。
「……ありがとうございます。すっかり元気になりました」
ルーチェは礼儀正しく応じた。だが、その声色には以前のような甘えも、縋るような熱もなかった。エリアスはそれが不審なのか、ルーチェを穴の開きそうなほどにじっと見つめている。
「あ……あの……」
かつてないほどに強い視線を向けられて、ルーチェは怯む。お礼の手紙は書いたし、約束もしていないから、失礼には当たらないはずなのだが──。
「私、なにか粗相を……」
「いや。今日は一段と可愛いね、ルーチェ」
エリアスはルーチェに向かって、にっこりと微笑んだ。
その言葉に、かつてなら頬を赤らめて喜んでいただろう。けれど、今はもう違うのだ。
ルーチェはまっすぐにエリアスの目を見つめ、控えめな笑みを浮かべた。
「ありがとうございます」
「そんなドレスを持っていたんだね」
「今日は……好きな色を着てみたんです」
「そうだったのか。君の柔らかい髪色とよく馴染んでいるよ。これからは好きな色を着るといい」
エリアスは微笑みながらうなずき、そのまま何気なくルーチェの頬に触れようと手を伸ばしてきた。
「あっ」
ルーチェは反射的に一歩、後ずさった。その動きはわずかだったが、エリアスの表情に一瞬、戸惑いの色が浮かんだ。
「ルーチェ……?」
「……なんでも、ありません……では、私、ご挨拶がありますので失礼しますね」
笑顔のままルーチェは彼に背を向けゆっくりと、それでいて明確に距離を取った。
「ルーチェ、待って」
エリアスは追いすがるようにルーチェのそばへ寄ると、控えめな声で問いかけてきた。
「僕、何かしたかな?」
低く押さえた声が、耳のすぐ近くで響いた。熱を帯びたような声にルーチェの胸がどきりと揺れる。
「君の気に障ることをしたなら、謝る。どんな些細なことでもいいから教えてくれないか……」
「い、いいえ」
エリアスの言葉を、今度はルーチェが遮った。
「……エリアス様に不満など、あるはずもありません」
言い終えてから、ルーチェはほんの一瞬だけ視線を泳がせた。けれどすぐに顔を上げ、穏やかな目でエリアスを見つめ返す。
この一言がたぶん最後のやりとりになるだろうと、ルーチェは思っている。
「ご自身に悪いところがあったなんて思わずに、自分の判断を信じてください」
そんなルーチェを、エリアスは目を細め、訝しげに見つめた。
「今日の君は普段とまったく違って見える。まるで別の女性のようだ」
「そうでしょうか?」
ルーチェは動揺を悟られぬよう、極力平静を装った。けれど胸のうちでは心臓がばくばくと跳ねている。
「……今までの私は、少し子供っぽいところがありました。何かと殿下に甘えてばかりで……。でも、私も先日成人いたしましたし、今後は少しおとなしくしてみようかと思いまして」
それは飾りのない言葉だった。エリアスは眉をひそめたまま、しばらくルーチェを見つめていたが、やがてふっと小さく息をついた。
「……そうか。君がそう決めたのなら」
それ以上、エリアスは何も言わなかった。ただルーチェの言葉を受け止めるように、静かにうなずいた。
「はい。それではエリアス様、ごきげんよう」
これは別れのあいさつだ。
ルーチェは背筋を伸ばして、彼の記憶にいつまでも残り続けるようにと願って、美しい礼をした。
「ああ、ルーチェ。また後でね」
ルーチェは微笑んだまま、小さく一礼をして背を向けた。足取りは慎重で、けれど迷いはなかった。まっすぐ前を見て、庭園を進んでいく。
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