氷の婚約指輪

桜井正宗

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1.婚約破棄

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「婚約破棄だ、出ていけ!」

 怒り狂った強い口調で宮中伯ウィリアム様は言った。
 わたくしはその言葉が信じられなかった。あの優しかったウィリアム様の態度が急変して、今日になってそんな別れの言葉を口にしたのだから。

「ど、どうしてですか? わたくしに愛想が尽きたとでも?」
「ああ、ハッキリ言ってやろう。ライラ、お前の姉であるデルタと結婚する。だから、もういいんだ」

「……え、デルタお姉様?」

「そうだ。デルタはこう言っていた。妹のライラは、この俺の財産目当てだとな! だから、愛はないと。それを聞いて失望したよ」


 そんな……わたくしは真剣だったのに。
 そうか、お姉様がウィリアム様に嘘を吹き込んで――わたくしだけが幸せになるのが許せなかったのね。


「それはお姉様の嘘です! 目を覚ましてください!」
「ええい、目障りだ。衛兵! 衛兵!」


 衛兵を呼ばれ、わたくしは腕を掴まれる。そのまま連行されていく。……嘘、嘘。こんなの嘘よ。現実じゃない。悪い夢よ。

 酷い、酷い、本当に酷い。

 お姉様ってば、わたくしから奪うの?

 全てを奪う気なの……。


 わたくしは、実家を出てまでウィリアム様に人生を捧げるつもりだったのに。


「――きゃぁっ」


 屋敷から摘まみだされて、わたくしは転ぶ。
 なんとか話を聞いてもらおうと屋敷へ戻ろうとするけれど、衛兵によってはばまれた。


「これ以上近寄ると処刑する」
「そ、そんな……分かりました」


 通れない以上、諦めるしかなかった。

 きびすを返し、わたくしは帝国の街をアテもなく彷徨さまよう。

 頭痛がする。
 吐き気がする。
 手が、足が震える。

 どうして、わたくしが捨てられなければならないの。もう直ぐで幸せを掴めると思っていたのに。

 噴水広場の前で立ち尽くしていると、見覚えのある男性貴族が通りかかった。

 氷のように美しい青年だった。
 金の髪、アクアマリンの瞳。

 名家エヴァンスの徽章バッジを胸に添えるケイシー・エヴァンス。このクレセントムーン帝国に知らぬ者はいない、英雄的存在。それが彼だった。

 他の女性も羨望の眼差しを向けていた。

 そんな彼は“氷結公爵”の異名で知られ、大変クール。わたくしもその飄々ひょうひょうとした態度で歩いて行く様を何度も目撃していた。

 あまりに塩対応なので、女性の噂も聞かないほど。

 いっそ、わたくしを連れていって欲しい……。


 けれど、その隣にわたくしは相応しくない。そう思った。


 だから、噴水周辺に設置されているベンチへ腰掛け、落ち込んだ。


 溜息を吐き、今後の人生に絶望。
 頭を抱えていると、複数の気配を感じた。

 ふと、顔を上げると――。


「やあ、お嬢ちゃん」
「こんなところで一人かい?」
「おじさんたちと一緒に来るといい」


 明らかに治安の悪そうな服装。不衛生な見た目をしていた。噂の盗賊団かもしれない。だから、わたくしは立ち去ろうとした。


「も、申し訳ないのですが、わたくしはちょっと一人になりたいので……」

「待てよ、お嬢ちゃん。悪いようにはしないからさ」
「や、止めて下さい! 触らないで……!」


 不潔な手で触れられそうになり、わたくしは身を引く。けれど、それでも男達はしつこい。わたくしをどこかへ連れていこうとした。


「抵抗するな! お前を今の美人の状態で売り飛ばすんだからよ!」
「わ、わたくしを? や、やめて!」

「恨むなら、宮中伯を恨め。アイツがお前を売っていいって言うからよ」


 ……ウィリアム様、わたくしを捨てるのね。

 本気なんだ。
 もう愛していないんだ。

 だから……だから、こんな犯罪者を使って……。


 涙がじわじわあふれて、わたくしは泣き崩れる。


「……っ」
「あははは! このお嬢ちゃん泣いちまったぞ。けどな、泣いても誰も助けてくれねぇ。聞いたぜ、お嬢ちゃん……家も財産も捨てて宮中伯を選んだんだって? じゃあ、もう売るものと言えば――分かっているな?」


 腕を掴まれ、抵抗する。
 けど、わたくしの細腕では抜け出せなかった。

 悔しい……どうして、こんなことに。

 これから、わたくしはどこかへ売り飛ばされてしまうの?

 どうすればいいの……。


 強引に腕を引っ張られ、わたくしは連れていかれる。……あぁ、わたくしはもう“商品モノ”でしかないんだ。

 誰も助けてくれない。

 噴水の周辺にいた人たちは、見て見ぬふり。

 関わりたくはない空気を出していた。


 もういい、わたくしはいっそ……え?


 突然、頬が冷たくなった。
 身も凍るような吹雪に見舞われ、視界が一瞬で真っ白に。

 びゅうびゅうと冷気が漂い、嵐となった。

 突然、どうして?


「その女性を離してもらおうか」


 そんな厳しくも優しい声が響く。


「誰だ! くそっ、視界が悪くて……うあぁぁぁッ!」


 わたくしの腕を掴んでいた男が吹き飛ばされたようだった。


「……え? え? いったい、何が起きたの?」


 風はどんどん強くなり、季節外れの雪が舞う。それは塵のように降って、男達に強く降り注いだ。やがて、声が“ダイヤモンドダスト”と叫んだ。

 次の瞬間には、視界が晴れた。
 そして、わたくしはその光景に思わず驚愕きょうがくした。

 あの大男三人が氷漬けになっていた。

 カチコチの氷の像。

 周辺には雪が積もり、地面が白くなっていた。


 これを誰が……あ。


 青い瞳の中にわたくしの姿が映し出されていた。


「困っていそうだったから助けた。迷惑、だったかな……?」
「いえ、大変助かりました。命の恩人です」
「そうか。それは良かった。僕はケイシー・エヴァンス。ただの料理人コックさ」
「存じております。エヴァンス様は英雄ですから……って、コック?」


 彼は少し困った顔をして――けれど、優しい瞳を向けて下さった。なんて神秘的で儚いの。今にも消えてしまいそう。あの雪のように。
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