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偏食の吸血鬼は人狼の血を好む・50
しおりを挟む夜、ホテルの窓から雪道を見ていた。
1人の女が角から曲がって現れ、俺を窓に認めると指で呼ぶ。俺は踵を返してコートと鞄を掴むと部屋を出て、急足でホテルをチェックアウトした。
道を跨ぎ、壁に背をつけて寒そうにコートの前をかき合わせている細い身体の女に近づく。元の顔立ちがわからないほどの濃い化粧に安っぽい香水。いかにも娼婦だと言わんばかりだ。だがそれが大事なのだ、この手の商売は。
「見たわよ」
女は単刀直入に言った。
「どこだ」
「この先に小さい酒屋があるでしょ、そこで。あそこは裏で薬捌いてるから」
俺は頷いた。デニムのポケットからチップを出す。
だが女はそれを押し留め、俺の胸に触れた。
「アンタと寝てみたい。たまにはいい男と寝なきゃ、やってらんないから」
苦笑し、女の辛い仕事を思った。
よく見ればまだ若い。だが目は疲労にくすんでいて、哀れにもわずかにドラッグのにおいがした。
「すまんな。俺はインポでよ」
そう言い、その手に金を握らせる。それが優しい嘘かどうかはわからないが、女は笑って「なんだ。役立たず」と言った。
「たまにはいいものでも食え」
そう言って、俺は女を置いて角を曲がり酒屋に向かう。キャップのひさしをさらに下げ、フードをかぶる。極力顔は見られたくない。
汚れた雪が道路脇を埋めている。路面が少し凍っていて歩きづらかった。暗い道にポツンと光る酒屋を通り過ぎ、裏手に回った。街灯は乏しいが夜目はきいた。ビンケースが積まれた影で男がやりとりしているのが見えた。
黒いコートの男が、エプロンの男から何かを受け取っている。俺はそれを物陰から見守った。
(デミ…)
黒コートのフードから見えた顔は、確かにあの時タブレットで見た男だ。ブルネットカーリーの髪は見えないが、丸メガネはかけている。まばらな無精髭、それに強い腐敗したような血のにおいに顔を顰めた。
(嫌でも覚える臭いだ)
デミが金を払った気配はなかった。マフィアからの配給なのかもしれない。大きな取引があった後、定期的に支払われるのだろうか。だとしたら、この店が行きつけということも考えられた。
俺は客のフリをして、デミの背後につく。エプロンの男は店主だろうか、いかにも大酒飲みだと言わんばかりの太鼓腹だ。
「今日はもうねえよ」
デミの肩越しに、店主が投げやりに言う。
口調を変え、デミの背中に言う。
「みたぜ、アンタ…大量に、買っただろ。ちょっとわけてくれよ」
デミの横顔が見えた。
「その身体に、薬など効くまい」
覇気のないしわがれた声だった。目だけが眼鏡越しにギラリと光る。見事なエメラルドだった。吸血鬼のそれだ。
瞬時にバレたのだとわかる。ポケットの中の手がもぞりと動くのがわかった。耳をそば立てると、遠くから雪を踏む数人が近づいてくる。こんな寒夜にうろつく奴などそうはいない。おそらくデミが手下を呼んだのだろう。
「一度、顔を拝んでおきたくてな」
俺はキャップのひさしを上げて、まっすぐデミを見た。
背は高い。この粗悪な街にいて、スーツをまとっている。だが黒一色だ。骨ばっでギスギスとした首筋が見える。一見病人のようだ。歳の頃は50近くに見えるが、もう少し若いかもしれない。
デミは白い息を吐きながら、フードを取る。カーリーの髪はオールバックになでつけられ、背中でウェーブを描いているようだ。
スーツの見立てに自信はないが、レオニスが来ているようなてかりがある。いいものなのかもしれない。
「本当に人狼が生きていたとはな、驚きだ」
「聞き飽きたセリフだ」
「直々にやってくるとはな、さすがと言える」
時代がかった言葉使い。俺が知る今の吸血鬼より、寓話の吸血鬼に近い。
「お前とやり合っても何の実りもない。こちらは勝ち目がない。そうだろう?」
「手下を呼び寄せながら言うことじゃねえな」
「私が去るまでに、時間は欲しいからな」
思いの外、物静かな男だった。しわがれた声は囁くようだが、耳に残る。
「何故、レオニスを狙う」
切り込む。時間はあまりない。
「仕事だ」
「嘘だ」
すぐに短く返した。それは予測していた答え過ぎた。
デミの緑の瞳に、一瞬憎悪が過ぎる。やはり嘘だと確信する。図星を突かれて、素顔が見えた。においにも緊張が現れる。
「マフィアに加担するのは、そこでしか生きられなかったからだろう」
「是である。確かにそうだ。…アレッシと目的は同じでないが、利害は一致している」
目的。アレッシとデミの目的には相違があるのか。
アレッシは利権や金だとして、予想するならば…
「お前の目的はレオニスか」
「…そうだな。自己分析するならば、アマデウス症候群といえるだろう」
愛しくもあり、憎い。そういうことか。
「アレが光なら、私は影だ」
「俺からすれば、随分劣化した影だ。対比にならん」
「ならこう言い換えよう。私は吸血鬼の暗部だ。人間でも吸血鬼でもない、まさに蝙蝠だ。そんなものはこの世でどう生きて行けると思う? どちらの世界にも属せず死を迎える。耐え難い屈辱ではないか」
「疎外感を抱いてるのは何もてめえだけじゃねえ」
言うと、喉の奥でデミは笑う。
「そうだった。お前もその1人だな」
返事はしなかった。
「だからこそ話が合うかと思ったが、違ったようだ。お前は私とは違う…やはり『持つ者』だ」
デミの手下の足音が更に近づく。鉄の匂い。銃火器を持っているのがわかった。
デミが口を歪めて言う。
「純血種のクソ狼、主人に言うがいい」
呼気に腐敗した血の臭いがする。
「その血をいつか啜ってやると」
やはり。
今、ここで始末しておくべきだ。
俺は喉を鳴らし、牙を剥く。
だが、背後から強い衝撃を受けた。音は後から来る。肩を銃弾が貫く熱と痛みを感じた。雪の上に血が散る。自分の視界の端に、貫通した弾が跳弾して空に向かうのが見えた。
傷はすぐ塞がる。貫通したことが幸いした。
だが、被弾によろめいた瞬間、眼前からデミは消えていた。臭いを追って首を巡らせれば、コートをはためかせ高く跳躍していた。その姿はあっという間にビルとビルの間を跳ね上がってゆく。
超人のそれだ。
俺は後を追おうと、足に力を入れたが、そこをまた銃撃される。太ももに弾が当たる。今度のは小さい口径。肉に食い込んだままになった。
俺は腿を裏から拳で叩く。傷口から血と共に弾が弾き出された。目の端でデミを追っていたが、ビルの陰に消えた。
逃した。
その苛立ちが、背後から近づく奴らに向いた。
反転し身をかがめ、弾丸のように走り寄る一団に突進する。
1人が大口径の筒を構えた。遅い。懐に入り、筒を跳ね上げる。抉るようにボディに拳を入れると、指に肋骨が折れる感触があった。
人数は多くなかった。ジグザグに動き、銃を撃つため伸ばした腕を掴み、逆に回して腕を折る。人間は脆い。
1人が撃った。
だが、俺の動きの方が速い。
弾は同士撃ちし、1人が倒れた。
撃った奴は動揺し、あとじさる。そこを掴み投げ飛ばすと車止めに背を打ちつけ、呻いて動かなくなった。
静寂が帰ってくる。
短く息をしていたが、俺は放り出していた鞄を担ぐと、倒れて呻く男達を跨いで歩き出した。
美しい尖塔を目指して。
だが…
気分は最悪だった。
狩りは失敗だ。
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