【完結】欲張りSubは欠陥Domに跪く

秋良

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53. 想いと覚悟 #

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 蓮哉が混乱しているうちにも、綾春は一ノ瀬に対して辛辣な言葉を次々と連ねていく。その後ろ姿を、蓮哉は呆然と見ることしかできずにいた。

「——あんたたちのほうが、よっぽどチキンだろ」
「ハァ⁉︎ ほんと、なんなの。ちょっと和樹、こいつ何とかしてよ!」

 言われたことに、よほどカチンときたのだろう。
 一ノ瀬は、隣で唖然としていた倉本を小突いて喚いた。と、それで我に返った倉本が威嚇のグレアを滲ませる。

「あぁ……アンタ、もしかしてSubか」

 相手を値踏みするような声に、蓮哉の本能がざわざわと音を立て始めた。
 品性の欠片もなさそうなこのDomは、グレアを放ちながら何をしようというのか。蓮哉の前には、自分が想いを寄せる相手Subがいるというのに。

 体の奥底で眠り続けている本能が目覚める予感がする。

 蓮哉の心臓がどくどくと嫌な音を立て始めていた一方で、一ノ瀬に焚きつけられた倉本と激昂状態となっている綾春との舌戦は続いていた。

「よくもまあ、悠斗にあれこれ言ってくれたなぁ? そのモデルみてーにおキレイな顔、ボコボコにしてやろーか」
「へえ? やれるもんなら、やってみろよ」
「っは! Subのくせに生意気な。……あーそっか。お前、Subだもんなぁ。痛いの、だーい好きってわけだ。そんな欲求不満な顔して欲しがってるわけだ。ハハッ、いいぜ。お望み通り、いくらでも殴ってやるよ。ほらほら、早くKneelお座りしろよ、可愛いSubちゃーん」

 綾春を助けなければと、ようやく思い始めたところで耳に届いた〈Kneel〉のコマンド。

(っ、この男! 綾春にコマンド投げやがった……!)

 下劣な男から綾春に対してコマンドが投げられたことに、蓮哉は体中の血が沸騰しそうになった。

 綾春は自分が狙っているSubだ。正式なパートナーにはなれていないが、リハビリ相手としてこの数ヶ月プレイをしてくれた大切な相手だ。なにより、自分は彼のことを心の底から好いている。パートナーとしてだけではなく、恋人として彼を自分のものにしたいと願っている。

 だから、この数ヶ月でじわりじわりと距離を詰め、彼の心の隙間に少しずつ滑り込むようにして、信頼を勝ち取ろうとしてきた。ひと月ほど前、恋愛として好きだという感情を告げてからは彼と会えずにいたけれど、きっと突然の告白に動揺しているだろうから、あまり急なことを強いるのは逆効果かとタイミングを見定めているところだった。

 そろそろプレイが恋しくなる頃だろうか。
 忙しいとは言っていたけれど、会いに行ってみようか。
 どうしたら自分に落ちてくれるだろうか。

 そういうことを考えて、そろそろ何か次の一手を講じようかと思っていたところだ。
 もしかしたらプレイ不足で苦しんでいるかもしれない、という小さな不安もあって、今日明日にでもまた連絡をしようなんて思ってはいたのだ。

 それを……こんな格下のDomが邪魔をした。自分以外のDomのコマンドに応じる姿なんか見たくない。綾春を従えていいのは、自分だけだ。

(くそ……グレアが出ればっ! …………いや、なに言ってんだ。グレアがなくともこぶしがあるだろ……!)

 憤りと焦りで慌ててはいたが、なにもグレアだけが下劣な野郎に抗う術じゃない。そう、拳を握り締めたときだった。

「チッ……舐めてんじゃねーぞ、くそが!」

 蓮哉が綾春と倉本の間に割って入ろうと体を動かす直前、前へと踏み込んできた倉本が一瞬で綾春に近づいた。危ないと思ったときには、ドスッという鈍い音が響いた。

「あぐっ……」
「綾春っ!」

 耳に届いたのは、綾春の苦悶の声と、彼の同僚である中井の叫び声。
 そして、腹部を抱えて蹲る想い人の姿。

 瞬間、目の前が真っ赤に染まった気がした。

 体の内側でふつふつとしていたものが、一気に解き放たれる。
 心の中でずっと雁字搦めになっていた昏くて冷たい塊が、バキンッと音を立ててひび割れて、霧散した。

「うぁ……なんだこれっ? ディフェンス⁉︎」
「ひぃっ!」

 気がつけば蓮哉は、威嚇を全開にしたグレアを放っていた。
 周囲の空気がずしりと重くなったかのように、一ノ瀬がガクリとその場に頽れる。倉本もガクガクと体を震わせて、真っ青な顔をしていた。

(俺が、迷っていたからだ……)

 呆然としているだけだった自分への怒り。

(こんなクソ野郎に大切な相手を傷つけられて、何が高ランクDomだ……自分に吐き気がする!)

 どんなに高いランクを有していても、その力を発揮できなければ意味がない。

(我慢するのは、もう止めだ。力は正しく使えばいいだけ。目の前のクズをどうしようといいじゃないか。こいつらは俺のSub綾春を傷つけた)

 綾春以外にはずっと出せずにいたグレアを、蓮哉は難なく放った。
 一ノ瀬をサブドロップさせてしまわないかとか、周囲のSubを巻き込んでしまわないかとか、そんなことはどうでもよかった。自分の大切にしているものが目の前で傷つけられたのに、見逃せというほうが無理な話だ。

 蓮哉は怒りのままに、威嚇のグレアを一ノ瀬と倉本にぶつけ続けた。

「蓮哉さん、グレア、だめ……。それ……きつ、い……」

 綾春の苦しげな声が耳に届く。自分がディフェンスの状態になっていることは、頭では理解していた。だが、綾春に手を出された怒りが収まらない。理性ではなく本能が止めてくれるなと暴れている。

「ぐ、ぅ……蓮哉さん、グレア収めて……俺、無事だからっ。それ以上は、さすがにまずい、って。これ……俺もドロップ、しそ……」
「っ、東雲さん落ち着いてください! 綾春も落ちちまう」

 蓮哉のグレアにあてられて、綾春も中井に支えられながら体を震わせている。その中井も、必死に蓮哉を宥めようとしていた。
 暴れる本能を収めろと、二人が必死に声を紡ぐ。蓮哉とて、綾春をサブドロップさせたいわけではない。それに今しがた自分でも「グレアがなくとも拳で」と思ったじゃないか——。

 蓮哉は心を落ち着かせようと、想い人へ視線を向けた。

「ごめん」

 グレアを徐々に収めながら、蓮哉は小さく言った。

 腹部を庇いながら、縋るような瞳で蓮哉を見つめる顔に胸が締め付けられる。
 自分のことを助けようと割り込んできた彼。元をただせば、蓮哉が一ノ瀬に声をかけられたときに適当にあしらっていれば、こうはならなかった。綾春を巻き込むことも、巻き込まれた彼が倉本に殴られることもなかった。
 それは遡れば、慰労会の場で一ノ瀬への苛立ちが限界を超えなければ良かったかもとか、高校時代にグレアのコントロールを誤らずに芹澤を助けられていれば違ったかもというところへ行きついてしまうけれど。

 なんにせよ、巡り巡れば蓮哉が綾春を危険なことに巻き込んでしまった。
 だからこそ思う。自分の不甲斐なさで、もう二度と彼を傷つけやしまいと。

「——俺が一ノ瀬を過去に二度サブドロップさせたことは事実だし、会社に迷惑がかかるなら建築の仕事を続けるのはやめるべきかとも思って、この場は黙って耐えればいいと思ったけれど……その人に手出すなら、話は別だ」

 一ノ瀬へ向けた自分の声は、想像していたよりもずっと鋭利だった。

「その人に何かしてみろ。今度こそ、ただじゃ置かないからな」

 本当は殴ってやろうかと思った。
 けれど、綾春の前で暴力行為をする気もなれず、握り締めていた拳は使わずにグレア無しの威圧だけで倉本たちに立ち去れと圧をかける。さすがに勝ち目はないと思ったのか、倉本は完全に敵意を喪失し、一ノ瀬を抱えて地べたに転がっていた。

 もうあとは放置でいいだろうと、蓮哉は綾春に駆け寄った。

「すみません、久慈さん! 息、できてます?」
「あー、ははは。大丈夫です」

 それからは、蓮哉はすっかり綾春のことしか考えられなかった。

 それから、ついさっきは急なことで気が動転していたこともあって、彼を「綾春」と呼んでしまったことに今さらながら気がつき、「久慈さん」とプライベートではないときの呼び方で話しかけた。中井という同僚が近くにいたので、彼へ配慮しなければと思ったのだ。まあ遅いかもしれないが。

 とにかく綾春のことが心配だった。
 けれど当の本人は、蓮哉が放った凶悪なグレアも、殴られたはずの腹部の痛みも口にはせず、サブドロップしかけている一ノ瀬のケアを倉本へ促すほどの余裕を見せる。……いや、余裕があったわけではないのかもしれない。

 彼はきっぱり言ったのだ。一ノ瀬のことを許さないと。
 そのときの綾春の双眸はとても真っすぐで。濁りのない透明な光で闇を抉るような鋭さを帯びていた。

 さらに追い打ちをかけるように中井が動画を撮影していたと告げたことで、倉本は一ノ瀬を抱えて、尻尾を巻いて逃げていった。

 綾春を殴った倉本のことは許せない。何としてでも、あの男に制裁を加えたいと苛烈な思いがよぎる。だが綾春が、見逃してしまって申し訳ないと謝るので、蓮哉はその考えを振り払った。
 もうこれで一ノ瀬との確執は終わりにしろと、冷静な自分が言っていた。

 それに、もしまた懲りずに一ノ瀬がやってきても、容赦はしない。
 グレアでも拳でも、彼を打ちのめす覚悟はできた。

「はぁー……ったく。綾春、お前は無茶しすぎだ。腹大丈夫か?」
「あは、は……ごめん、つい。い、てて……」

 蓮哉が中井にも礼を伝えていたところで、綾春が腹部を押さえて呻いた。

「って、そうだ! 病院!」

 いろいろ考えることはあれど、今は綾春を病院に運ぶことが先決だと気づく。
 心配をかけまいと笑っているけれど、顔色は相当に悪い。「うぅ……」と蹲る様子に、蓮哉は中井と顔を見合わせた。「大丈夫」と言いたそうにしているけれど、どう見ても大丈夫ではない。

 蓮哉は急いで愛車の後部座席を開けて、中井と一緒に彼をシートへ寝かせた。蹴られたコンテナボックスも急いでラゲッジルームに入れ、中井には助手席に乗っておくように伝えて精算機へ走る。
 ロック板が降りたのを確認してから、蓮哉は運転席に滑り込み、ハンドルを握る。そして、救急外来がある病院へ車を走らせたのだった。



 ◇◇◇
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